トオリミチ
「今日飲みに行かね?」
金曜日。夜二限が終わり、正門に向かいながら修司に飯を誘われる。
「やめとく」と断ると、彼はつまらなさそうに口を尖らせた。
「なんか最近付き合い悪くねぇ?も、もしかして彼女でも出来た?俺を差し置いて彼女が出来たのか!?」
「ちげぇわ。ゼミの資料まだまとめ終わってねぇんだよ。他の講義の課題もあるし」
「真面目か! 講義なんてテスト取りゃ単位取れるんだから遊ぼうぜ~」
「お前テスト前に泣きついてもノート見せないからな」
「すいませんでした。龍臣様、講義は大事です。だから単位だけは何卒」
「俺じゃなくて教授に言うやつだろそれ」
手でゴマをすりながら近寄る修司に呆れる龍臣。
分が悪いと踏んだ修司は話題を変える。
「恋人と言えば知ってるか? この間言ってた須藤先輩、どうも彼氏が出来たらしい」
「……そうか」
十中八九、自分の事だと龍臣は確信していた。
葵と一緒に帰るようになって3日。
本当に彼氏が出来たのなら龍臣はとうに用済みだろう。
お互いいろんな意味で目立つので、何かの噂になるのかもしれないと考えなかったわけではないが、彼氏と思われるのは迷惑をかけてしまうのではないか心配になる。
「公言してたのか?」
「いや、噂なんだよ。大学帰りに男と二人きりで歩いてたのを見た人がいるってよ」
「大学生なら割と普通じゃないか?」
「他の人ならな。でも数多の男をフッたと言われる須藤先輩が夜道に二人きりでいるって彼氏だろ」
「どうだかな」
「なんかヤケに食い下がるな。実は狙ってたのか? やめとけお前じゃビビって逃げられるのがオチだ」
「ほっとけ」
そんな軽口を叩きながら正門前まで来ると、側で待っている葵の姿が見えた。
「あ、きた。おつかれ久場くん」
「おつかれ様ッス」
「……えっ? 須藤せんぱ……え? 龍臣?」
困惑する修司に説明するのが面倒臭い龍臣は彼を無視して「行きますか」と正門を指差す。
二人が歩き始めたところで修司が正気に戻り、追いかけてきた。
「待て待て待て待て! 龍臣、お前いつから須藤先輩の彼氏になったんだ!?」
「ちげぇっつってんだろ」
「いでででギブギブギブギブギブ」
肩を掴んできた修司の腕を取ってコブラツイストを決める龍臣。
「久場くん、そちらは?」
「バカです」
「誰がバカだ……あっ、2年の遠山修司です! 彼女はいませんので募集中です!」
キメ顔の修司だったがコブラツイストの体制のままである。これには葵も苦笑いしかできなかった。
話が進まないのでひとまず離してやると、修司は恨めしそうな目でこちらを向いた。
「死ぬかと思った……じゃなくて龍臣、お前いつから須藤先輩の彼氏になったんだよ」
「もう一発いくか?」
「まぁまぁその拳を下ろして。私と龍臣くんは家が近所なだけだよ。一人で帰るのは寂しいから一緒に帰ってるの。あんまり誤解はしないで欲しいかな」
「そうでしたか、失礼しました! 以後気を付けます!」
「コイツ……」
騒がしい態度から一変して両足を揃えて敬礼する修司の豹変ぶりに余計苛立つ龍臣は「わかったらさっさと帰れ」と手をしっしっと振ってみせる。
「あとで詳しく話を聞かせてもらうからな! 絶対だからな!」
修司は念を押しながら地下鉄へと消えていくのだった。
「やっと消えたか……すいませんうるさいやつで」
「ううん。仲良いんだね」
「いえ、そうでもないです」
「えぇ……」
「さ、帰りましょうか」
龍臣に促されて正門を出た所で、ポツリと雫が肩に落ちた。
やがて小雨は本降りになり、傘を持っていない二人は帰路を走る。
龍臣は着ていた紺色のパーカーを葵に被せた。
「気休め程度ッスけど」
「あ、ありがとう」
いつもなら近くで別れるのだが今日ばかりは葵を自宅まで届け、返してもらったパーカーを傘代わりにしながら龍臣は帰って行った。
翌朝、葵がスマホを見ると龍臣からのメッセージが届いていた。
『すいません、風邪引いたんで今日大学休みます』
昨日の雨が原因だろう。熱で頭が回ってないらしい。
葵はすぐに返信する。
『龍臣くん、今日土曜日だよ。大学休み』
『……じゃあ大丈夫っすね』
講義がある日と勘違いした龍臣を可愛らしいと思うものの、独り暮らしの男子が一人で寝込んでいるのが心配になる葵であった。
▲▲▲
部屋のチャイムが鳴った。
彼女も居ないひとり暮らしの龍臣のアパートにやって来る人間など家族かセールスか修司ぐらいだ。尚且つ実家は県外。来るなら連絡を寄越すはずだ。
よって可能性はセールスか修司、どちらせよ風邪を引いた今はどちらも相手にする気にはなれない。
黙って居留守を決め込むと、もう一度チャイムが鳴った。
無視する。
またチャイムが鳴る。
無視する。
またチャイムが鳴る。
まるで龍臣が居るのを知っていて鳴らしているようだ。
耐え切れなくなった龍臣は布団から抜け出し、扉を開いた。
「うるせーんすよ新聞なら間に……あって……」
「やぁ」
部屋の前にいたのは私服姿の須藤葵だった。
縦にリブが入ったミルク色のノースリーブニットに黒のロングスカート。肩にはバッグを掛けており、片手にはスーパーのロゴが入ったビニール袋が握られている。
「……幻覚?」
「見えるほど熱があったら流石に不味いね。触ってみる?」
「……冗談すよ。触って伝染したくないですし」
「うん。触らないと思って言ったの。上がってもいいかな」
「どうぞ……」
上がらせてもらった龍臣の部屋は汚いほどではないものの、開けてないダンボールやそのまま積まれた漫画本、ダンベルなどの筋トレ用具が隅にまとめて置かれていたりしている。
「ところで俺になんか用ありましたっけ。ゼミの資料なら途中スけどファイルに……」
「いや看病に来たんだよ?」
「カンビョウ……?」
「そんな初めて聞いた日本語みたいなリアクション……栄養ゼリーとか冷やすものは冷蔵庫に入れておくね」
「え、あ、はい。すいませんお茶を今……」
「はいはい、いいから。病人は大人しくベッドに行きましょうね」
背中を押されてベッドに押し込まれる龍臣はのろのろと布団の中に潜った。
葵は買ってきた冷えピタを龍臣の頭に貼って体温計を渡して脇に挟ませる。
一分ほどで体温計から測り終えた音が鳴った。
「38.7度……昨日の雨で風邪引いちゃったんだね。私に上着を渡さないで自分で被れば良かったのに。私の方が家も近いし」
「いや、あの後で捨てられてた猫のダンボールに上着を置いてきたり、傘がひっくり返って困ってたお婆さんの傘を直したりしてたんで……」
「君はさぁ……」
葵は引いていたがそれ以上は何も言わなかった。
いい人が過ぎると責めたところでやめろと言う話でもない。言ってどうにかなるものでもない。
放っておけない性分なのだろうと葵はただ呆れて苦笑するしかない。
「何かほしいものはある?」
葵の問いに龍臣は彼女をじっと見つめる。
一息置いてから、小さく答えた。
「須藤先輩」
そこから続きが聞こえてこない。
「……んっ?」
「の作ったお粥が食べたいッス……」
「………………あっ、お粥!?お粥ね、わかった」
勘違いしかけた葵は笑顔で誤魔化し、キッチンへと向かって行く。
ヘアゴムを取り出して髪をポニーテールのように簡単にまとめる。
(びっくりした……わ、私かと思った……)
男の人は恐ろしい。早くなった心拍の理由はそれだと決めつけ、葵は無心で米を研いだ。
30分ほどで出来上がったお粥を龍臣のベッドへと運ぶ。
身体を起こした龍臣はぼんやりとしながら盆を受け取った。
柔らかい白米が美しく輝いている。見るからに美味そうなお粥だ。
「召し上がれ」
「いただきます………………!」
最初に感じた味覚は甘さだった。
自然な甘みではない。明らかに砂糖かなにかの甘さだ。
(しかも何か冷たいものも感じる。柔らかいがお粥の食感じゃない。それ以外の何か具が入ってる)
れんげでお粥を掬って見ると、米と一緒に半透明な物体が入っていた。
「先輩、これは……?」
「栄養ゼリー。お粥だけだと物足りないかと思って」
「oh……」
買ってきた栄養食のゼリーをそのまま突っ込んだのだ。
よく味わってみればこのお粥もかなり水が多く、ほとんどスープに近い。
栄養ゼリーのスープ。お粥とはなんだったのか。
そっとれんげを器に戻した龍臣を見て、葵は不安げにこちらを見つめてくる。
「どうかな?大丈夫?」
「(味が)キツいッスね……」
「(体調が)そんなにキツいのね……無理しないで。手伝うから」
葵はれんげを持ってお粥を掬うと、息を吹きかけて冷ましてから龍臣の口元へと持ってくる。
「はい、あーん」
「えっ」
美人である葵からのあーん。中身はお粥のようなナニカ。
(これを完食するのは至難の業だ……! だが須藤先輩にこんな風にしてもらえるのはこの先一生無いだろうッ……! 俺が食い切ればいいだけの話だ!)
一瞬の逡巡の末、龍臣はお粥を食べた。
ゼリーと粥が混ざり合って何とも言えない食感がありつつ、ゼリーの溶けた甘いお湯が流し込まれる。
「慌てなくていいからね。はい」
「あーん」
(……味の事は考えないようにしよう)
味覚をシャットアウトして『須藤先輩に食べさせてもらった』という事だけを記憶に刻む龍臣であった。
「ご馳走様でしたッ……」
「はい、お粗末様でした。それじゃあそろそろ帰るけど、何かあったら連絡してくれていいからね」
完食して口元を押さえる龍臣に気付かず、帰る支度を済ませる葵。
龍臣はベッドの上で頭を下げる。
「すいませんほんと何から何まで……今度お礼します」
「いいのよこれくらい。いつも送ってもらってるもの。困った時はお互い様よ」
彼女が外に出たら鍵を閉める為、龍臣はベッドから起き上がる。
葵も立ち上がると、ゼミの資料の作りかけが目に入った。
まさかとは思うが今日も作っていたなんてことはないだろうか。
量的におそらくスケジュールに余裕は多分無い。大学の無い日など進めるにはもってこいの日だ。
他人最優先の彼ならやりかねない。
玄関までやって来ると、葵は龍臣の頬に右手で触れて優しく微笑む。
「今日はゆっくり休むこと。いいわね?」
「……うす」
「いい子ね」
「それじゃあ、またね」と葵は家へと帰って行った。
一人残った龍臣は倒れ込むようにベッドへ沈む。
瞼の裏に思い浮かぶのは最後の彼女の微笑み。
「こりゃ元気になるわ……」
頑張って風邪を治そうと心に誓う龍臣だった。
「って事があったんだよ。可愛いは万病に効くわ」
「羨ま死ね」
後日詳しく話を聞いた修司は血涙を流すのであった。