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カエリミチ  作者: シロハチ
本編
1/5

カエリミチ


 月明かりが綺麗な夜。夜間大学の講義を終えた彼女は独り、夜道を歩く。

 振り返っても、街灯の明かりの先は見えない。静かな住宅街を夜の影が飲み込む。

 『誰も居ない』

 そう思い込んで彼女は今日も自宅へと帰るのだった。


▲▲▲


「相変わらず目つきの悪い顔してんなぁ、龍臣。寝不足か?」

「元からこういう顔だ。ほっとけ」


 講義開始ギリギリに隣に座ってきた男を久場 龍臣(くば たつおみ)は黒の長い前髪の隙間から睨みつける。

 隣の金髪の男、遠山 修司(とおやま しゅうじ)は軽薄な笑みを浮かべて机にノートを広げる。


「経済学ゼミだるいよなー、教授はじいちゃんだしおもしろくねぇわ」

「だるくてもテスト無しでレポートまとめたら単位くれるなんて楽なもんだろ」

「まぁな。てかゼミだと色んな人と喋れるのがいいわ。サークルでもいいけどほら、あそこの女子見えるか?」


 修司は三人で話している女子の中の一人をシャーペンで指した。


須藤 葵(すどう あおい)先輩。サークル入ってないんだけど美人で有名なんだよ。胸もあるしスタイルめっちゃいいよな。でも彼氏は居ねぇって話だ。なんでだろうな」

「お前みたいなのがいるからだろ」

「俺は健全なお付き合いをしたいんですぅ~ あーあ、せっかく同じゼミなんだからお近づきになりてぇよなぁ~」


 龍臣は彼女を上から観察してみる。ロングの黒髪で切れ長の目に高い身長。胸も確かに大きい方だ。2つ年上でスタイルもある為か、大人びた印象がある。それでいて話している様子を見ても楽しそうに笑っており、気さくそうにも見える。

 なるほどそれはさぞおモテになられるだろうと納得出来るものだった。

 だからといって自分には関係のない事だが。


「ほぉい、それじゃくじで決めた5人グループに席を移れ~資料をまとめて再来週には全員で発表してもらうからな~」


 講義が始まり、教授の指示で長テーブルを2つ向かい合わせ、くじで引いた席に5人が座る。

 わずか15人のゼミとはいえ全員と関わりが深いわけではない。

 修司とグループを別れてしまい、全員がほとんど話したことの無い人達だ。

 そして龍臣の向かいには例の須藤葵が座っていた。


「話すのは初めてだよね? 3年の須藤です。よろしくね」

「2年の久場です。よろしくお願いします」


 それからの講義の間、葵は周りに明るく話しかけてグループに溶け込み、スムーズに話を勧めてくれた。


「役割分担はこんな感じでいいかな。久場くんの担当する部分が少し多いけど大丈夫?」

「まぁ、はい。多分大丈夫ッス」


 龍臣が顔を上げて葵の視線とぶつかったが、彼女はすぐに他の人の方を向いた。


(……目、逸らされた?)

「よかった。皆も厳しそうだったら連絡してね。そうだ、連絡先みんなの分交換しておこうか」


 恐らく欲しがる男達は多いであろう彼女の連絡先をあっさりと知ってしまい、修司が死ぬほど羨ましがりそうだなと思った。

 実際、隣のグループの修司からドス黒い殺気が向けられていた。

 そんなこんなでゼミは終了。グループは解散し、教室を出た。

 今日の講義が全て終わり、龍臣と修司は大学の門へと向かう。

 時刻は夜9時を回っており、外はすっかり暗くなっていた。


「お前ぇ……須藤先輩と連絡先交換してたろ。羨ましい」

「ゼミの連絡グループに入れられただけだ。個人で連絡する用じゃないし連絡する用もねぇよ」

「うるせぇそれでも羨ましい! お前そんなんだと彼女出来ないぞ?大学生活は人生の夏休み! 彼女の一人や二人作らなくてどうする!」

「普通に好きになった人と付き合えばいいだろ」

「童貞くせえこと言ってんじゃねえ! どうせ大学生なんて男女の遊びで取っ替え引っ替えのくんずほぐれつなんだ。俺も男の上流階級に上がりたいんだよ!」

「何言ってんのかよく分からんがお前が童貞なのはよくわかった。なにが健全だ」


 親元を離れて大学生活を謳歌するとなればはしゃぐ若者が多いのはわかる。それも青春の一つだろう。別に否定はしない。

 ただ龍臣は特に恋人を欲しいとは思っていないだけだった。


「まぁ積極的にアピールしろとは言わんがお前の場合は少しでいいから愛想よくしろよな。ただでさえ身体デカいわ顔怖いわでよく怯えられんだから」

「ほっとけ」

「じゃ、俺電車で帰るから。また明日な」

「おう」


 大学を出て地下鉄へ階段を降りていった修司を見送り、龍臣も自宅の学生用アパートへと向かう。

 大通りから横道に入り、住宅地に出る。

 都会の街の明るさが消え、窓の光が点のように暗闇に浮かんでいた。


(帰ったらゼミの資料さっさと纏めないとな……他の講義の課題も出るだろうし溜まったらやばそうだ)


 そんな事を考えながら帰路に着いていると、街灯の下に黒い人影が見えた。

 見えた後ろ姿からしてフードを被っているようだ。街灯の影に身を潜めるように立っている。


(……何してんだ? あの人)


 流石に声をかけようとは思わないが、見るからに怪しい。

 と、思っていたら向こうがこちらを向いたので顔を合わせてしまった。


「……!」


 黒いフードの、身長は170センチくらいだろうか。顔は見えなかったがぱっと見た感じでは男のように思えた。

 龍臣に気付いた男は慌てて龍臣が来た方向にすれ違って去っていった。


「なんだったんだ、今の」


 闇に消えていった男の方を向いて、立ち止まってぽつりと呟く。

 どう見てもただの不審者なのだが、一体何をしてたのか。

 「ああいうのやっぱりいるもんなんだなぁ」と向き直ると、目の前で一人の女性がこちらを見ていた。


「あ……須藤、先輩」

「……さっきぶりだね」


 その瞬間に全てを察した龍臣は思わずもう一度振り返る。さっきの男はもういない。


「え、えーと……さっきの、友達スか?」


 そうじゃねぇだろ、と自分に心の中でツッコむ。よりにもよって笑えない冗談しか思い浮かばなかった。

 けれど彼女は柔らかな笑みを作って話しかけてきた。


「久場くん、もうご飯食べた?」



▲▲▲



 ファミレスにて。テーブルにハンバーグ定食、エビグラタン、マルゲリータなどの料理が並ぶ。

 龍臣がそれを端から食べ進めていく様子を葵はコーヒーを片手に眺めていた。


「久場くんはよく食べるね」

「金ないんで、たまに外で食う時はがっつり食うって決めてんスよ」


 あのあと、葵の誘いで龍臣は近くのファミレスにやってきていた。

 龍臣がコップの水を飲み干し、一息ついたところで本題に入る。


「さっきは助かったよ」

「何もしてないっすよ俺。やっぱアレってストーカーなんスか」

「うん。少し前から付きまとわられてる」

「警察には?」

「行ったよ。話は聞いてくれたしパトロールもしてくれているみたいだけど、向こうも今日みたいに警察がいない時を狙ってくるみたい。学生の街は警察も忙しいみたいだし、ずっとは見張れないよね」

「厄介ッスね。犯人に心当たりとかは?」

「強いて言えばあるにはあるのよ」

「あるんスか」

「ええ。私がフッた数々の男たちの誰かとかね」

「うわぁ……」


 仮に犯人が同じ大学生だった場合はそのうちの誰かかも知れないのだろう。

 どうか修司ではありませんように。いやあいつにそんな度胸はないか。ただの知人として近づくのすらままならないヘタレだ。


「須藤先輩は彼氏作りたくないんスか」

「元々フッた人達は単に好みじゃなかっただけなんだけど、今はもっと無理かもね。男の人が怖くなったかも」

「それは……そうなのかなって思ってました」


 龍臣から予想外の返しに、葵は目を丸くする。


「……ごめん。何か失礼な事をしてた?」

「あ、いや、講義中に目を逸らされたなと思って。その後も人から目を逸らしてるように見えたのは気のせいじゃなかったんすね」

「……よく見てるね」

「偶然ですよ。それにストーカー被害に遭ってるんなら無理もないと思います。ホントはこの後俺が送っていった方がいいかもしれないけど、その様子なら今日だけでも誰か友達を呼んだ方がいいすよ」

「今から迎えに来てとは言えないよ。家が近い子もいないの」


 時刻はそろそろ夜の10時半ばへ差し掛かろうとしていた。

 大学生の飲み会等ならこれくらいの時間で出歩いていてもおかしくはないが、先程ストーカー被害にあったばかりの女性を一人で帰すのはやはり気が引ける。

 ストーカーが逃げた後、ファミレスへ来るまでを思い出す。

 なんでもないようにファミレスへ誘う彼女は、やはりどこか怯えているように見えた。


「……すいませんやっぱり今日だけ送って行ってもいっすか……途中まででいいんで」

「え?」


 龍臣の提案に葵はきょとんとした顔になる。

 それまで表情をあまり変えなかった龍臣が気まずそうに続けた。


「男が怖いのは重々承知なんすけど、流石にさっきの後で放って帰るのはなって……」


 善意で言っているが、葵にとって自分も今日初めて話した男だ。信頼度は低いだろうと思う。

 断られて他の男達と同じように思われるかもしれないが、それならそれで一人でも平気ならそれでもいいだろう。

 どちらでもいいからと返事を待っていると、葵はゆっくりと口を開いた。


「……じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」

「……いいんすか」

「言ってきたのは久場くんでしょうに」

「言っといてなんですけど、嫌がられても不思議じゃないと思ってたんで」

「そこまで思ってても言うんだね」

「言わないよりはマシかなと」

「善人だねぇ。それじゃあ行こうか」


 葵が先に席を立った後、会計の為にリュックから財布を取り出して立ち上がろうとした龍臣は伝票が無い事に気が付く。

 ハッとしてレジを見ると、葵が会計を済ませていたのだった。


「すんません……奢ってもらえると思ってなくて……」

「お礼だからいいのよ。先に奢るって言ったら遠慮すると思ってね」

「でも……」


 ただの通りすがりだった龍臣は苦い顔になるが、あんまり言うのもみっともないと大人しく奢られて置くことにした。

 ファミレスを出て龍臣と葵は夜道を並んで歩く。車が通らない夜の住宅街の道は広く、龍臣は一人分空けて歩いていた。


「少し離れてるのは気を遣ってくれてる、でいいのかな」

「半分は先輩の事を気にしてなんですけど、たまに職質受けるんで誤解されないようにッスね」

「職質された事あるの」

「職質もですけど、最近だと大学行く前にありましたね……泣いてる小学生の女の子をあやしてたら警察が来まして」

「うわぁ……」

「誤解だったんですぐに謝られましたね。あぁ、でも今この状況に限っては警察が来てくれた方がありがたいんですけどね」

「呼び出し方が良くなさすぎるよ」

「冗談ッス」


 軽く笑ってみせる龍臣だったが、リアクションに困る葵だった。

 そんな話をしていた道の途中、飲み会帰りであろう酔っ払ったサラリーマン二人が向かいから歩いてきた。


「もう一軒いくぞぉ~」

「部長飲みすぎですよ~しっかりしてくださいよぉ」


 そのうち千鳥足だった部長が龍臣に肩がぶつかってしまった。


「いってぇなぁ! んだてめぇどこ見て歩いて───」

「………………」


 街灯の明かりが龍臣の顔に影を落とす。

 前髪の隙間から鋭い目つきで睨まれ、無言の圧力がのしかかった。

 まくし立てようとしていた部長の口がぱくぱくと動くだけで、次の言葉が出て来なくなってしまっていた。


「あの、大じょ──」

「ひいぃっ!」

「あ」


 真っ青に怯えて酔いが冷めたサラリーマン二人はバタついた足取りで逃げて行ってしまった。


「大丈夫スか……って……」

「っ……くっ、ふふっ、あはははっ!」

「先輩……」

「いや、ごめんね。ふふっ、顔見た時のサラリーマンの顔が面白くって」

(……あ)


 葵は手で口元を押さえながら笑いを零す。

 作り笑いとは違って咲いた笑顔に、修司の言っていた通りだなぁと改めて思う。


(そりゃモテるよなぁ。こんな顔見たら)

「えっ、どうしたの久場くん。なんか凄い真剣な顔になってるけど」

「あっ、さーせん。考え事してました」


 どうやら無意識に顔に力が入っていたらしい。

 龍臣は自分の頬を抓って元に戻るかと試してみる。葵は「あー笑った」と深呼吸をして息を整えるのだった。

 やがて葵の自宅が見えてきた頃、二人は一度立ち止まった。


「それじゃあ、ここまででいいから。今日はありがとう」

「いえ、これくらい。俺ん家の帰り道でもあるんで」


 話も終わり、「それじゃあ」と別れようとした時だった。

 少し間をおいて、俯いた葵が口を開く。


「……久場くんは、夜二限ってどれくらい取ってる?」

「え? 夜二限なら全部取ってますね。月曜から土曜まで。まだ2年ですし、早めに単位取れるだけ取る気でいるんで。それが何か?」

「そっか。偉いね」


 彼らの通う大学夜間部の講義は夜一限と夜二限の2つのみとなっている。講義選択自体は生徒の自由であるため、夜一限めで帰る人も多い。

 葵は顔を上げて龍臣の目を見た。


「……もし良ければ、これからも一緒に帰ってくれないかな」

「……!」

「図々しいかもしれないけど、できればストーカーの件が収まるまで……」


 龍臣はとしても送り帰すのは今日だけのつもりだった。

 自分だって苦手な男の一人だし、葵とは今日初めて話したばかりだ。

 けれど、断る理由は龍臣にはなかった。

 ただ、一緒に帰るだけ。それだけだ。やましい事は何もない。当然してもいけない。

 彼女が選んでくれたのならば応えたい。

 目を逸らさず、葵を見る。

 彼女の手は、小さく震えていた。


「……俺で良ければ」

「……! ありがとう……!」


 不安げだった表情が安堵で明るくなる。


「でも本当にいいんですか、俺で。いや、聞いた限り他に手が無さそうではあるんですけど」

「これでも人を見る目はそれなりにあるのよ。特に男は下心がよく見えるから。久場くんはそんな風には見えないし、善い人なのは今日だけでよく分かったから」

「そうッスか……期待に添えられるように努力します」

「そんなに気合い入れなくていいよ。警察も動いてるから迷惑かけるのは短い間だと思いたい」

「ストーカー、早く捕まるといいですね」

「うん。それでもなるべく迷惑はかけないようにするから。講義終わったら正門で待ってるね。それじゃあ、また明日!」

「はい。明日」


 微笑んで別れを告げた葵を見送ると、龍臣は独り大きなため息を吐いた。


「……ちょっと自信無くなってきたな」


 彼女の笑顔が脳裏に浮かぶ。

 可愛いとは思ったがそういうのじゃない。

 可愛いかどうかで聞かれれば可愛いと答えられるような表情だった。そんな所だ。


「明日も大学行くか……」


 俺は側にいて安心できる人間で居続ければいい。

 大事な役割だ。浮かれずに気合を入れて真面目に臨まなければならない。

 そう言い聞かせながらも、彼女に頼られた事をどこか嬉しく思う自分に気付かない龍臣であった。





 

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