30.凡と目覚めと新天地
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微睡みと銀弦の囁き
朝焼けに黄昏
そのなだらかな曲線を
そのあたたかな温もりを
追うて
砂上の楼閣と知る
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吐き気と頭痛。四肢の関節に鈍い痛みがジワジワと走り、目が覚める。
「此処は?」
随分と湿り気のある床に低い天井。一見、牢獄のようにも思えたがそれにしては檻もなければ、錠前もない。しかも、出ようと思えば簡単に扉から出られる。
「おう、目覚めたか」
外に出れば、大柄な髭面の中年男性が薪を割っていた。
「悪ぃな。客なんて久々だからよぉ、その、饗し方なんて忘れちまった」
バツが悪そうに頬を掻く。身なりとこの家から見て、かなり貧しい生活をしているようだ。
「いや、どうやら世話になったようだ。感謝する」
最近の記憶が怪しい。まず、この場所に至るまでの記憶が一切ない。確か、俺は皇交戦に赴くために馬車へ乗っていたはずだが……。
「ああ、その様子だと大丈夫そうで安心したぜ。あの大嵐の中で蹲ってる時はもうダメかと思ったからな、ガッハッハッ!」
嵐、か。運悪くそれに巻き込まれてしまって、この男に保護されたというのがおそらく現状だな。とりあえず、王都に帰って生存報告するか。
「それで、主人。ここはどこの森だ?できれば、近くの街まで案内して欲しいのだが」
「ここはディエンダルナ北東の清森だ。最寄りの街だとここから南にエスキナンがある。歩いて半日ほど掛かるがな」
「ディエンダルナ!?間違いないのか!?」
嘘だろ。ディエンダルナはエヴンダ王国領じゃない。魔法大国イスカンダルの北西地に属する自然保護区じゃねえか!!!
「あんた、見たところこの国のもんじゃねぇな。服装からして、どっかの国のお偉いさんか。ま、何があったのか知らねぇが、とにかく今日はまだゆっくり休んどきな。あんだけ衰弱してたんだ、もう少し体力を付けてからこの森を下りな」
よっ、と斧を振り下ろす主人。タント自身も確かに身体の不調を感じていたので、その言葉に従い、家の中で身体を休めた。
「俺はケルンっつうんだ。なんでこんな森の中に一人で住んでるかっていうと、先祖代々この森の管理を任されててな。俺はそこの末っ子として生まれたんだ」
ケルンと名乗った男は、晩飯の支度がてら己の身のうちのことについて語り始めた。
「この森で採れる薬草は多種多様でな。あの頭でっかちな賢者たちでさえ、たまに訪れるほどのもんだ」
イスカンダルの賢者。世界最高峰の知恵と魔力を誇ると言われる同国の最高権力者。七人の円卓議会に呪術的な詔を持って国を治める権威主義国家といえるだろう。
「ま、それも俺の代で終わりそうなんだがな……」
ケルンは諦め混じりの笑みを零した。
「どうして?」
「見ればわかるだろう?子はおろか妻すらいない。生活は苦しい。人と会ったのも、これが数年振りだ」
ふむ。確かに、これではこの人で末代になってしまいそうだ。助けてもらった恩もあるし、どうにかしてやりたいが……。だが、なぜだ?聞く限り、有名な場所であるはずならば管理する者もそれなりの待遇をされているはずなのだが、何か理由でもあるのか?
「どうしてこんなに貧乏なんだ?って顔してんな。まあ、そりゃ疑問に思うわな。俺だって十数年前までは考えられなかった。だが、突然終わっちまったのさ。この森の役目が」
森の役目?まさか……いや、そうだとしても薬草なんて使い道はいくらでもあるはずだ。たったそれだけで、こんなにも落ちぶれてしまうなんてことは考えられない。
「いや、森だけじゃねえ。俺の目的も消えちまったのさ。それからは、何も考えられなくなって気づいたらこの有様だ。でもよ、死にかけのおめぇさんを見つけたら久々に俺も思い出しちまった。人間の心ってやつをよ」
ニカッと豪快に笑うケルン。だが、その目尻と口角からは憂いと憎しみが消えずに燻っている。
「暗い話もなんだ!とりあえず飯にしようぜ!」
果物と野菜を煮込んだ物と堅いパン。王族であるタントにはまるで縁もなさそうな食事ではあるが、躊躇なく手に取って食事を始めた。
「ほぉぉ、驚れぇた。あんた本当にお偉いとこの坊ちゃんか?俺はてっきりこんなもの食えんとひっくり返されるかと思ったぜ」
「まあ、色々と事情があってね。俺にとってはこれでも十分なご馳走だよ。特にこのスープ、普段飲んでる物より美味いと思う」
「そうか……そうか!!そりゃありがてぇ限りだ!!!おめぇさん、名前はなんていうんだ!!」
「タントだ」
「タントか!お偉いさんは嫌な奴しか居ねぇと思ったがあんたは良い奴だ!!おかわりも沢山あるからよ、どんどん食えよ!!」
男の頬に一筋の涙が伝う。
「あれ?なんだ?わりぃ、こんなもん見せちまってよ。ちょいと外の空気吸って落ち着いてくるぜ」
ケルンは涙を腕で拭いながら、外へ出る。
タントはその背中から迸る哀愁と憐憫に心を蝕まれないように、次々とスープを胃の中へ流し込んだ。




