26.凡凡はわからない
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「ラスバ、俺だ。入るぞ」
「いいよー」
了承の返事を貰ったので、タントはラスバの部屋に入る。
「うわっ!なんだこれ!って、先生か。海岸に生えてる気持ち悪い謎の物体かと思いましたよ」
「ふごが、ふごご、ふがふ」
「口が塞がってたらなんて言ってるか分かりません」
タントはイーダに噛ませていた猿轡を外す。その直後、イーダは物凄い剣幕でタントを捲し立てた。
「呪ってやるこの先生不孝が!!!見ろ、僕の身体を!!コブと痣だらけじゃないか!!!」
「あちゃあ、酷いですね。ま、先生なら自分で治せるからいいでしょう?」
「魔法で身体は治せるけども!傷ついた心までは治せないんだよ!!」
「経験者は語りますね」
「君の中の僕のイメージは一体どうなっているんだい?もしかして、マジで魔法のために非倫理的な実験を繰り返す狂気の研究者だとか思ってる?」
「え?自覚あったんですか?」
「違ぇよ!私の研究は─「いい加減うるさい」ぐぼぉあ!」
ラスバの鉄拳が再びイーダの意識を天へと導いた。
「それにしても、ディーン兄さんがラースドラゴンを撃ち落とすなんてねぇ」
「あぁ、当人はそんなことに目もくれず、お姫様に夢中だったらしいがな」
「愛の力は龍をも殺す、なんてね」
ドンドンドン、と扉が壊されるほどの勢いでノックされる。
「ラスバぁ!いるんでしょぉ!」
「やばっ!」
ラスバは慌てた様子で扉に魔法を施す。
「開けろぉ!入れろぉ!このスケコマシィ!」
外部から加えられる衝撃に扉は物理法則を無視して異様に撓る。おそらく、先程の施された魔法のせいだろう。
「この声は、確かさっきの……」
「え?アイツに会ったの?」
「いや、声を聞いただけだ。顔なんて見てすらない」
「あーけーろー!」
怒りと少しの悲しみが入り交じっているのか、声が濁ってきている。
「なあ、顔ぐらいは合わせてやったらどうだ?」
「絶対いや。兄さんは僕がどんな目にあったか知らないから易々と会えなんて言えるんだ」
「ねぇ、開けてよ……」
遂には嗚咽まで漏らし始めた。
「へえ。だから、彼女を泣かせてもいい、と?」
「泣きたいのはこっちだよ。この前の誕生会で、勝手に所有物宣言された挙げ句、唇まで奪われそうになったんだ」
「価値観の相違か。魔族社会の競争は人間とは比較ならないからな。自分の気に入ったモノは誰よりも早く唾を付けて、周囲に知らしめておかないと気がついた時には奪われてしまってるわけだ」
ん?
「ふぅん。どうして兄さんがそんなこと知ってるわけ?」
「どうして俺がそんなこと知ってるんだ?」
浮いた疑問は水底へ沈めてしまった方がいいと本能が告げる。忘れてしまった思い出の残り香が、気まぐれに鼻腔を擽っているだけだと。もう元には戻らない。決して。もう二度とは……
タントは何も言わずにドアノブに手をかけて捻る。
「ちょっと!!何して─「最初は絶対に分かり合えないと思っていても、理解てみれば案外気が合うなんてことはざらにある。むしろ、失ってからようやくそれが大切だったなんてことに気づく」
「ラスバァァァ!!!」
「うげぇぇぇぇ!!!」
扉が開いた瞬間、魔族の少女メムはラスバへと飛び掛かり、ラスバは逃れようと身を捻る。
「はは、逃げようと思えばいくらでも逃げられるだろうに。結局、ただの照れ隠しか」
タントは苦笑を漏らしながら、部屋の外へ出る。
気づけるのならまだいい。俺はもう、何が大切だったのかすらもわからなくなってしまった───
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自室へと戻ろうとすると、部屋の前に一人の少女が佇んでいた。
「ようやくお戻りですか」
「君は、確か」
「お会いするのはこれで三度目になりますが、改めて。ゴナ・ドンカシと申します」
「ご丁寧にどうも。豊拳祭からやけに顔を合わせますね。それで、用件は?」
「単刀直入にお尋ねします。私の姉、ミストレと契りを交わしましたか?」
またミストレ、か。サデラ嬢も似たようなことを言っていたが、俺は彼女のことを全く知らない。というか、名前まで知らなかったんだから無の境地だ。そんな人物と契りだって?あるはずがない。
「ない、と断言できる。恥ずかしながら、ミストレ嬢を拝見したことすらないので」
「そう、ですか」
外から流れてくる冷気に肌がピキピキと悲鳴を上げる。寒すぎる。これ、本当に外からの冷気か?この感じだともっと近くに──。
「貴方という人間のことはよく解りました。数時間後の皇交戦、楽しみにしておきましょう」
「何かとてつもない勘違いをしているようだが……待て待て、少しは俺の話を──」
タントの言葉に耳を貸すことなく、ゴナは踵を返す。
「あー、これはかなりマズイ」
一度思い込んでしまった者の思考を外向的な要因で変えることは難しい。このような認識の齟齬を正すには当人が納得するしかないのだ。もちろん、それで修正が利けばいいのだが、大抵はすれ違ったままだし、修正にも時間を要する。つまり、この状況は非常に面倒くさいということだ。
「命があれば上々だなぁ」
まるで他人事のように呟くタント。自室に入ると、水を一口だけ含み、時間までベッドの上で横になっていた。




