19.凡凡は雪が嫌い
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結露で曇った窓を指で拭うと、庭園は一面の白絨毯と化していた。タントはその景色をぼうっと見つめていた。なにかを懐かしむように、あるいは思い出そうとするように。
「亜東風も木が酢でしたね」
「なんだいきなり、最近の女中は言葉もまともに話せないのか?」
「じ─「まあいい。どうせ、今日も『予定は何もありません』だろう?たまには部屋でゆっくりと寛ぐとするか」
タントは足を放り出して、椅子に座る。
「そういえば殿下は雪がお嫌いでしたね」
「…顔に出ていたか?」
「え、エマが編んでいたとき、削ぎましたから」
「あーもういい。まったく、どいつもこいつも話にならん。だから、従者は嫌なんだ」
タントは彼女に向かってシッシッと手振りをする。
「─サラですから」
去り際の彼女の言葉はタントには届かなかった。
この雪景色を見る度に思い出す。雪なんて初めて見たと無邪気にはしゃぐ二人の姿。当時の俺はガキの癖してカッコつけて雪は嫌いだなんて零したっけな。結局、エガに雪玉をぶつけられてマロンと一緒にアイツを倒そうと躍起になったんだ。サーラは不公平だなんて言ってエガに加勢して、逆にボコボコにされちまった。懐かしいな。あの時はほんの数cmしか積もっていなかったから、近場にある雪を根こそぎ使ったんだっけ?
その疑問に答える者はもはや存在しない。その事実にタントは深い溜息を吐いた。
「もう顔すら浮かばない」
かつて冒険を共にした仲間たち。タントにとって彼、彼女たちはかけがえのない存在であった。しかし、覚えているのは名前のみ。自身の望みの果てに彼らはこの世から消えてしまった。記憶の中ですら、もう出会うことはできない。ただ、寂寥感だけが脳内を支配する。
「タント」
記憶の海に潜航していた意識が引き揚げられる。顔をあげれば兄上が部屋に入っていた。
「ノックもせずに入室とは、兄上も人のことを言えませんね」
「何度もしたが返事がなかったのでな。それでも中には居るとサラが言うから仕方なく入ったのだ」
「冗談ですよ。それでなんです?要件は」
「ああ、今年の皇交戦のことなんだが、ラスバがどうしても出たいと言うのだ」
「へぇ。でも、あの子にはまだ早すぎるでしょうに。兄上もそれが気になっているのでしょう?」
「うむ。勝ち負けに関しては、はっきり言ってどうでもよいのだが、幼いあの子が試合に出て大きな怪我をしないか心配なのだ」
無論、これは杞憂なのだがラスバがとんでもない魔法使いだと事実はこの国では俺と先生ぐらいしか知らない。
「それで俺にどうしろと?生憎、アイツとはそれほど仲良くないので期待などしないでください」
「いや、そうではない。皇交戦に関しては私とディーンが出る」
「は?」
どうしてそうなった!?なんで俺じゃないんだよ!アンタ、頭は神に匹敵するくらい良いけど、腕っぷしは一般兵に勝るにも劣らない程度だろ!
「ラスバからお前が絶対に出たくないと聞いてな。それならば─「もう申し込んだのかっ!?」
タントの剣幕に少々狼狽えるアルスタ。仰け反りながら首を横に振る。
「いや、まだだ。その前にお前と相談しようと思い、こうして訪ねたのだが、その様子を見るに、ラスバが嘘をついていたようだな。やる気に満ち溢れているじゃないか」
「いいですか兄上。皇交戦に命の保証はありません。たとえ、試合で命を落としたとしても栄誉の戦死と崇められるだけです」
「しかしだな。今まで皇交戦でそのような事故は発生していないぞ」
なんでこういう事には頭が回らないんだ!歴史バカか?研究のことにしか脳の容量が割けないのか!?
「それは皆がディーンのような実力者だからです。馬鹿正直な兄上は相手が誰であろうと関係なく、戦うでしょうね」
「もちろんだ。それが戦いの礼儀というものだろう?」
「相手はそうは思いませんよ。皇交戦は豊拳祭のような催しじゃない。出場者は国の重要人物のみ。機会さえあればいつでも相手の喉元を狙っているんです。合法的に暗殺できる場なのですから。魔族も人間も変わりなく、ね」
「だが、とてもそういう風には……」
「ディーンの奴にも聞けば同じ答えが返ってきますよ。あの場は殺気に満ちている、と。そんな場所に素人同然の兄上が放り込まれたら良い的です」
「お前の言い分はよく分かった。ならば、尚更そのような場所にラスバを行かせる訳には行かないな。だとすれば、やはりお前に頼むしか─『僕は大丈夫だよ。アルスタ兄さん』
いつの間にか、ラスバが扉から顔を出していた。
「……あぁ、そうか。ラスバなら大丈夫だな。うむ、これで解決したな」
例のごとく、洗脳か。それなら初めからそうすればいいのに。どうしてここまで放置していたんだ?俺への嫌がらせか?
「この魔法、家族にはできる限り使いたくないんだよね。なんか、ニセモノっぽくなるからさ」
遠くにいるのに囁かれているように聞こえる。これもまた魔法か?背筋がムズムズするな。
「ではな、タント。話はそれだけだ」
「ええ、それでは」
兄上と入れ替わるようにラスバが部屋へ入ってくる。
「これで約束は果たしたよ」
「だから、なんだ? お前にやれるご褒美といったらこの焼き菓子くらいしかないが?」
タントは机の上にあったクッキーを掴んで、ヒラヒラと揺らす。
「火は水を熱せよ、ってどういう意味?」




