七つの刃〜フランチェスカ編〜
国母という言葉がある。
国王を産んだ母、転じて国民の母などという意味であるが、フランチェスカほどその言葉が似つかわしくない女はいない。
王妃という立場でいながら不義密通を繰り返し、夫であるジルベールを支えるどころか苛むだけの悪妻だったからだ。
しかし、ジルベールの追放から九ヶ月が経とうとしていたその日、彼女は国母となってしまった。
思いの外の難産にフランチェスカは昼夜問わずいきんだが子供は出て来ず、ついには意識を失った。
緊急事態と判断した宮廷医は彼女の腹を開き、そこから子供を取り上げた。
フランチェスカが意識を取り戻したのは分娩から二日が過ぎてからのことだった。
「フラン! フラン! 気は確かか!?」
「…………お父様」
目が醒めて最初に見えたのが満面の笑みのダールトンだったのでフランチェスカはげんなりした。
「…………こどもは?」
「無事だ! でかしたぞ!
これでオルタンシア王家に吾輩の血を残せる!」
ダールトンの自分本位な喜び方に辟易とした気分になるフランチェスカ。
彼女は薄々気づいていた。
贅の限りを尽くして豪遊し、権力をもって周りを従わせているダールトンだが、心の底から喜んでいるわけではない、と。
フランチェスカの妊娠が発覚した時、その種と思われるオーギュストが平民、しかもジャスティンが姉との間に作った子どもと聞いて卒倒しそうになっていたダールトン。
そんな彼が出産をここまで喜んでいることにフランチェスカは意外に思うのだった。
目覚めてからさらに三日の間寝て起きてを繰り返して、ようやくフランチェスカは身体を起こせる程度に回復した。
痛みは残っていてもすっかり軽くなったお腹を見て、安堵を覚えていた。
子どもを身ごもってからのフランチェスカは実におとなしかった。
男遊びがなりを潜めるどころか、周りの側近に至るまで徹底的に男を排除した。
理由は悪い虫が騒ぐのを避けたかったというのもあるが、日毎大きくなっていく自分の腹を見ることで改めて、性というものを意識してしまったからだ。
どれほど高貴な血を引き、強い権力を持っていても男の種を注がれてしまえば女は自由を奪われ、耐え難い苦痛に見舞われる。
他の妊婦に比べてもフランチェスカの悪阻は重く、喉の奥が切れて、吐瀉物に血が混じるほどだった。
それが自分の今まで行った悪行や淫行への罰であるように彼女は感じていた。
「殿下、お子をご覧になられますか?」
年配の侍女がフランチェスカに尋ねた。
彼女は曖昧に了承する。
子どもを産んだからといって全ての女が突然母性に溢れるわけではない。
彼女にとっては愛しい自身の分身というよりも長期間にわたって自分を苦しめ拘束していた病巣が落ちたような気分だった。
とはいえ、ウォールマン新聞をはじめ新聞各社ではフランチェスカの出産を美談として取り上げている。
話の辻褄を合わせる程度には顔を見ておく必要があると彼女は考えていた。
「大いなるお勤めを果たされ、お疲れのところに心労をかけるわけにはいかないと黙っておりましたが、陛下や新聞社は早く公表したい模様。
ご判断は殿下にお任せします」
「あなたがお父様を止めていたの?」
「はい。
『お喜びのところに水をさして申し訳ありませんが、フランチェスカ様に先んじて民に知られれば気分を害されます。
どうせなら陛下とフランチェスカ様がお子を抱いているところを写真に収め、王家が健康で盤石であることを公表した方が良い』と」
「上手いわね。
それに良い心遣いだわ。
私より先に大衆が子の性別を知っているなんて不快極まりないもの」
フランチェスカは満足そうにそう言った。
だが、侍女は表情を曇らせる。
「……というのは建前です。
私は、殿下のご事情を察しております。
そのことを咎めるつもりはございません。
ですが、あまりにも私の胸の内に抱えるには大きすぎて……ご判断をお委ねします」
彼女の言葉の意味をフランチェスカが知るのは、ゆりかごの中に入れられたまま運ばれてきた子どもの姿を見た時だった。
フランチェスカはぼんやりとではあるが自分の子どもがどのような姿をしているのかを予想していた。
男であろうと女であろうと自分やオーギュスト譲りの綺麗な金色の髪が生えていることだろう。
産まれたての子供は毛が生えていないことが多いと聞くが、それでも光の膜のように薄らと産毛が頭を覆っていることを願っていた。
安心してしまいたかったからだ。
フランチェスカは意を決してゆりかごを覗き込んだ。
「え……!?」
ゆりかごの中には産まれて間もない赤ん坊が眠っていた。
二人もだ。
その時初めて、フランチェスカは自分が双子を産んだことを知った。
だが、そんなことは些細なことだった。
そんなことよりも問題は子どもたちの髪だった。
生後間もないのに髪の毛はきちんと頭頂部を覆っている。
そして、片方の子どもは金色の髪をしているのに、もう片方の子どもは黒い髪をしていた。
紫がかった夜空のような黒髪を見てフランチェスカは一人の男しか思い出せない。
「ジルベール……」
心当たりはひとつしかない。
牢獄に繋がれたジルベールを無理やり犯した時のことだ。
自分を辱めた男を苦しませるためだけに凌辱的に行った交わりの中で子どもを得てしまった。
フランチェスカにとっては天地がひっくり返る思いだった。
「ありえない……ありえない……」
彼女が呪詛のように呟いても空に浮かぶ太陽や月がなくならないように、黄金色の髪の子どもと黒髪の子どもの姿は消えない。
ジルベールを苦しめるために子を授かる未来を彼に聞かせて責め立てた。
アレは本心ではない、冗談のようなものだ。
なのに神はそれを願いとでも取り違えたのだろうか?
「この事を知っているのは?」
フランチェスカは侍女に尋ねる。
「私と殿下の主治医、それからお産を手伝った宮廷勤めの産婆の三人と陛下と殿下だけにございます」
「……父は誰かに話しているの?」
「申し訳ありません。
私は、殿下に付きっきりでしたので……」
不安に駆られるフランチェスカだったが、ほどなくダールトンが現れた。
「おお! フランよ!
ようやく子どもの顔を見たか!
最初産まれた時は男と女の双子など気味悪いと思ったが、よく考えれば後継者問題がなくて助かるわ!」
珍しく心から愉快そうな父の顔を見てフランが抱いた感情は怒りだった。
「呑気な事を!! 髪の色を見てごらんなさい!!」
黒髪の赤ん坊を指さしてフランチェスカが怒鳴る。
オーギュストともフランとも似つかない、夜空のような黒髪はジルベールの種によるものだと一目瞭然だ。
だが、ダールトンはフランチェスカの想いが伝わらない。
「ジルベールは王に相応しくない優男であったが、娘として似るならば悪くはない。
よくよく見ると花のように可憐でオルタンシア王家に相応しい顔立ちをしているではないか。
ジャスティンの孫を王家に招き入れるよりは遥かにマシだ」
「ボケてるんじゃないわよ!
ジルベールの子だとオーギュストやジャスティンが知れば大変なことになるわよ!」
「何の問題がある?
お前の子に奴らの血は流れておらんのだ。
あ奴らが王室に取り入る隙は無くなったのだぞ!」
勝ち誇ったように声を上げるダールトン。
フランチェスカは呆れ混じりに舌打ちをする。
「そっちの方がずっとマシだったわ!!
この子達を人質に取るように立ち回れば私の安全は守れたものね!!
でも、ジルベールの種だと話は別よ!!
ジルベールを追い詰めた時のように新聞を使って愚民どもを操れば、今は美談になっているこの出産も悪行に裏返る!
王都を脅かした悪魔の子、とでも呼ぶのかしらね!!」
「そんなことはさせん!
吾輩はこの国で最も強き国王なのだぞ!
ジャスティンもオーギュストもその気になれば————」
「できるわけないでしょう!!
今やウォールマン新聞社にはキングスレイヤーだけでなく、国内最高峰の武人や元騎士が集まっているのよ!
誰か様が無制限の私兵保有の許可なんて馬鹿げたお触れを出したから!
攻撃すれば、間違いなく暗殺されるわよ!」
とダールトンを怒鳴りつけるフランチェスカだったが、その表情は我儘なご令嬢だった頃とは違った。
たとえるならナワバリを守ろうとする野生の獣のような相手を威嚇する迫力が備わっていた。
ダールトンは思わず後退りする。
「仮にあの親子を殺せたとして、その後は?
ジルベールの追放の時の王都の様子は観たでしょう。
愚民どもは王族であろうと平気で石を投げるのよ。
奴らにとってお父様とジルベールの違いはただ一つ、マスコミに好かれているかそうでないかだけ。
国教会に破門され、代わりに得ているジャスティンの加護までも失えば、王宮に火をかけられる日も遠くないわ」
「そ、そこまでいうならどうすればいいのか分かっているんだろうな!?
どいつもこいつも……実の娘まで吾輩を否定するのか!
吾輩は王なのに……」
狼狽する父親を見たフランチェスカは憐れむより先に、コイツに頼っていられない、という気持ちが立った。
自分でなんとかしなければと全力で頭を回転させると、まず侍女に剃刀を持って来させた。
剃刀を受け取ると同時に彼女に尋ねる。
「お前、名前は?」
「ブーリス男爵家が娘アンジュでございます」
「そう、アンジュ。
私は下手には動けない。
だからお前にさまざまな事を命令するわ。
お前が命令を違えた時、オルタンシア宗家の血が絶えると思いなさい」
「……御意に」
深々と頭を下げるアンジュ。
それを見届けてフランチェスカはおもむろに自分の髪の毛を切り落とした。
「では最初の命令よ。
こちらの黒髪の子の髪を剃り上げ、私の髪で作ったかつらを被せなさい。
一日足りとも欠かしてはダメよ」
「かしこまりました。
王子、王女は誰にも触れさせません。
私が乳母として御守りいたします」
アンジュの利発そうな顔を見てフランチェスカはひとまず胸を撫で下ろした。
「お父様。
この子達はジルベールの子だと公表して。
ただし、ウォールマン親子にだけはオーギュストの子だと伝える。
実の姉を孕ませて出来た子と仲良くしているんだもの。
血族に対しては情が深いはず。
この子どもがいる限り、ある程度は私達の身の安全は保証されるわ」
ジルベールの血が通っていなければ、子どもたちはただの人質だったろう。
しかし、かの王の血が流れていることがウォールマン親子に知られればその価値を失う。
フランチェスカは爆弾を抱え込んだ心地だった。
何も分からない様子で虚空を見上げている二人の子どもを見て彼女は嘆く。
「あの男は……
いったい、いつまで私の運命を縛れば気が済むの」
金色の髪をした男児の名はジェレミア。
黒髪を隠し、母から譲られた金色の髪を被る女児の名はルクレシア。
プレアデス教の聖典に登場する太陽の国の王と月の国の女王から取られている。
名付けをしたのはダールトンだが、アントニオの入れ知恵によるものだ。
国教会に信仰を示し、破門状態を解くことはダールトンにとってもアントニオにとっても重要なことだったからだ。
二人が聖オルタンシア王国に幸福をもたらすのか厄災を招くのか。
今は誰も知らない。




