ジルベールの付け火⑥
「お待ちしておりました。陛下」
ジャスティン・ウォールマンは恭しく腰を折り曲げて礼をする。
部屋の入り口にいる私と、その反対側の大きな窓の取り付けられた壁のそばに立つジャスティン。
歩み寄る素振りを見せない互いの態度が私たちの関係を明確に物語っている。
「どうして逃げなかった?
護衛も残っていない。
私がその気になれば貴様など二秒で叩き殺せる」
「殺すのですか?
国王ジルベールは正しき王の体現者だというのに」
不敵に、嘲笑うように言い放ったジャスティン。
怯えや狼狽えはなく余裕に満ち溢れている。
「その正しき王を貶め、心を擦り減らすのが貴様の生業か?」
「それは副産物というものです。
元より、あなたが何を感じようがどうでもいいんですよ。
あなたが傷つき心を病まれようがあなたのお気に入りが陵辱されようが」
「それは誤報だっ!!
彼女は汚されてはいない!!」
「ええ、知っていますよ。
しくじった、と報告を受けておりますからね」
「っ!? やはり貴様が……」
わなわなと怒りに震える私に対して、奴はフッとキザに笑い、近づきながら語り始めた。
「聡明なる貴方様のことですから、見当はついているのでしょう。
サンク・レーベンが襲撃されたのは私どもの新聞のせい。
世間から悪と断じられている女が嫉妬や情欲を抱く程度に美しく、ろくな護衛もつけていないと知れ渡れば暴力の行使が行われるのは必然。
特に生活水準の高い王都では他所に比べて暇と体力を持て余した愚民がわんさと溢れかえっている。
焚き付けるように扇動者が先頭に立って歩けば、暴徒は蟻の如く群れてついてくる」
答え合わせをするかのようにひとつひとつ私の反応を窺いながら聞いてくる。
悪びれる様子は一切ない。
内乱の扇動という極刑に値する行為の告白をしているのに。
「想定外だったのは二つ。
あのレプラという女の腕が思った以上に立ったこと。
荒事専門のプロを雇っていたのに、なかなか仕留められず時間を浪費してしまった。
殺してはならない、というのが難しかったようですね。
最後は無理やり押さえつけたようですが、不甲斐ないことこの上ない。
そして、もう一つの想定外はあなたが異常に早く助けに来られたこと。
せっかく国教会のお付き合いの日を選んで事を起こしたのにね。
本当に詰めが甘かったですよ。
ご覧いただけました?
今朝のロイヤルベッドの記事と写真は?」
答えない。
というより、歯ぎしりがおさまらなくて口が開けないのだ。
「……聞くまでも無さそうですね。
いやあ、お恥ずかしい!
捏造……もとい体裁を整えるために別の女の写真をつなぎ合わせた出来の悪い紙面を見られてしまうなんて!
当初の予定では池に落ちたウサギが魚たちによってたかられて食い尽くされるように、彼女が往来に引き摺り出され愚民どもに輪姦され尽くした姿をお見せしたかったのですが……惜しいことをしました」
目の奥が発火したように熱くなり、飛びかかり、奴の襟首を掴んだ。
全力で蹴った床は圧力でヒビが入っていた。
「なんて真似を……貴様のやっていることは完全な犯罪行為だ!
いや、新聞という社会の公器を悪用し、秩序を破壊した反乱行為だぞ!!
分かっているのか!?」
「犯罪も反乱も、やったのは愚民どもでしょう。
あなたの大好きな無辜の民が」
「なにを他人事のように!!
貴様も民の一人であろうが!!
地位と権力を得て、自らが特別であると思い上がったか!?」
不遜な態度に怒りを叩きつける。
いつものようにのらりくらりとかわそうとするかと思ったが、意外なことに奴は糾弾に対し憎悪の表情を浮かべて反論してきた。
「見当外れも良いところですね。
私は無一文の頃より、無知蒙昧な愚民どもとは異なり、人間の精神を持っていましたよ。
だから一緒にしないでいただきたい」
「は? まるで民が人間に値しないとでも言わんばかりだな」
「その通り。
あなたが民と呼んでいる奴らの多くは人間ではない。
餌を食い、子を作ることしか頭にない家畜と変わらぬ下等生物だ」
「違う! 民も王も同じ人間だ!
立場や力の違いはあれど私たちは皆この社会を生きる同胞なのだ!
だからこそ、私たち為政者は身を尽くし、民を守らねばならない責務がある!」
冗談みたいな構図だ。
王国議会の議員といえど平民であるジャスティンが民を下等生物呼ばわりして、国王である私がそれを否定する。
「あなたは夢見がちなんですよ。
愚民に過度な期待をし、ヒト同士ならば同レベルの感性を持って分かり合えると信じている」
「それは絵空事ではなかろう!
現に、方向は誤っているとはいえ、貴様たちマスコミは平民階層に情報を与え、意識を改革した。
もはや権力者が一方的に民を支配できる時代は終わりつつある」
「終わりませんよ。
彼らは支配されたがっている。
ただ、あなたに支配される時代は終わろうとしているだけです」
「……貴様が、マスコミが我々に成り代わるというのか?」
私の問いにジャスティンはハァとため息を吐き、冷めた表情で答えを返す。
「あなたもダールトン様も根っこは一緒なのですね。
あなたは愚民を導くために、彼は愚民から崇められるために、支配という手段を必要としている。
ですが私は支配など興味がないし、するつもりはない。
好き好んで家畜の餌の用意や糞の世話をしようとは思いません」
「ならば何を望んでいるのだ!!」
襟首を掴む手に力がこもると、さすがのジャスティンも苦しさに顔を歪め始めた。
絞め殺すわけにもいかないので乱暴に床に投げつけた。
体を強く打った痛みに悶えながらも立ち上がり、不敵な笑みをたやさずに言い放った。
「私は……喜劇を書き上げたいのですよ。
この国をすべて巻き込んだ一大喜劇を!」
「喜劇だと?」
「ええ! 食うことと子作りしか知らなかった下等生物どもに新聞によって情報を流し込む。
すると奴らは女の味を初めて知った青年のように自分が偉くなったような気になり、情報を求め、食らい続けるようになった。
家畜暮らしをしていれば一生得ることができないほどの情報を得た奴らは、いつしか自分を賢い人間だと思い込むようになる。
立派な仕事をしていなかろうが、金がなかろうが、学がなかろうが、他人に認められていなかろうが、自分は賢い人間だと信じて疑わない。
スラッパー連中は典型的ですが、その予備軍のような者どもは世間に溢れかえっている。
そんな連中が次のステップとして求めるのは自らの賢さの証明だ。
もし、自分が想像したように世の中が動けば自分の賢さが正しいものだと信じられる。
たとえば、『自分が愚かだと思っている王が愚かさゆえに破滅する様』を見届ければ————」
「まさか……そんなことの為に王室に対して侮辱を重ねたというのか!!
私を……こうやっておびき出すために!!」
「そうですとも。
よもやあなたもこのような真似をしてタダで済むとは思っていますまい。
愚民どもはあなたの失脚を歓迎するでしょう。
『賢いボクの考えはやっぱり正しかった!』なんて。
自分の知性が証明された充足感に満たされて絶頂を迎えるのです!」
「いや、その理屈はおかしいぞ。
貴様の示す民は何もしていない。
新聞に書いていることを鵜呑みにして————あっ……」
ジャスティンの意図を理解した。
同時に奴は意地悪く笑った。
「ねぇ。最高の喜劇でしょう。
彼らは自分の頭で考えることをしていないのに知恵物の気分になり、彼らのような弱者を守ろうと働いてくれた王を追い出して喜ぶんです。
やがて、ダールトン様が即位すれば、劇はいよいよ起承転結の転に入ります。
マスコミはダールトン新国王を持ち上げます。
ご存知のとおり、ダールトン様にあなたほどの手腕もなければ、下々に奉仕する精神もない。
政策も自らの権威の強化や仲の良い貴族連中へのお裾分けのようなものばかりとなる。
私どもは黒を白に、屑鉄を金塊に、愚行を快挙に言い換えて世間に伝えます。
次々届く吉報に愚民どもは、自らの選択と行動が間違いなかった、とさらに喜びます。
フフフ、床下にまで火が迫っていることも知らずに踊る阿呆のようにね。
気づいた時には、もう遅い。
愚民は与えられた物によってしか肉体的にも精神的にも生きていけない、つまりその生殺与奪自体を他者に支配された存在だということを知らしめて、終幕です」
悦に浸りながら解説するジャスティンに空恐ろしいものを感じた。
何千万という人間の運命に関わるとてつもない計画を喜劇と称する奴の思考に。
道徳的な不快感と同時に発想のスケールにおいて敗北を感じた。




