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24.レオの告白(4)

六年の歳月が流れた。

俺は乗船履歴を重ね二等航海士の資格を取った。文字通り七つの海を渡る

外国航路の船員として精力的に航海を続けていた。観光では行けないような

小さな港町や世界の秘境を訪れる醍醐味は格別のものがある。

船乗りの仕事が性に合っていたのか、医者よりもむしろ自分の天職のようにさえ

思えた。過去とは一切決別しレオ佐伯として生きてはいたが、亜希と子供のこと

は一日たりとも忘れたことはなかった。

同じ年頃の母子連れを目にすると堪らない気持になり、衝動的な行動をとる自分

が怖くて六年間ずっと日本に寄港する航海は避けていた。二度と再び日本の土は

踏まないと心に誓っていた。

だがある時、船がエンジントラブルに見舞われ急遽、横浜港に入港することに

なった。修理点検に数日を要する事になり乗員全員に上陸許可が下りた。

俺の心は揺らいだ。生きていることも名乗り出ることも叶わない以上、亜希と

子供に会うことは絶対に許されない。俺にできることは遠くからそっと二人の

幸せを願うことしかない、そう自分に言い聞かせてきた。だが、日本の土を踏み

空気に触れた瞬間、それまでピーンと張りつめていた糸が切れたように、抑制

してきた感情が一気に溢れ出した。物陰から一目だけでもいい血を分けた息子の

顔が見たい、もう一度だけ亜希の姿をこの目に焼き付けておきたい・・・


気がつくと東京駅から長野行きの新幹線に乗っていた。

長野市内というだけで地名も番地もわからない、唯一の手ががりは写真の背景に

ある神社だった。亜希は写真の裏に『近所の神社にて』と記していた。

幸い、鳥居に刻まれた名前が微かに読み取れた。長野駅から車で二十分足らず、

その神社は意外と簡単に見つけることができた。近くの交番に飛び込み高村と

いう家を探してもらったが周辺に該当する家はなかった。

諦めて駅に戻る途中、公園で井戸端会議中の主婦の一団に出くわした。

思い切って尋ねてみると、その中の年配の一人が神社の裏手に住む高村耕平の

義母、菊池志津江のことを良く知っていた。

彼女の話によると、男の子が生まれて一年ほどして高村一家は隣接する街に

引越した。三年くらい前から高村は東京に戻り、今年になって一家でアメリカ

に移住した。そして、志津江の家は今現在売りに出されている・・・


亜希がアメリカに戻っているというのは予想外だった。

願いは叶わなかったが、これで良かったのかもしれないと自分を納得させた。

もう一度神社に引き返し、二人が暮らした軌跡を辿るように俺はゆっくりと

境内を散策した。神社を通り抜けると、昔ながらの風情のある日本家屋の

街並みがあった。何かに引き寄せられるように、俺は『菊池』の表札のある

家の前に立っていた。竹の塀越しに中庭が見える。縁側の陽だまりに秋桜が

可憐な花を咲かせていた。金縛りにでもあったようにじっとその場に立ち

尽くしていた。


「あの、なにか御用でしょうか?」

背後で声がした。振り返ると、帰宅したこの家の主と思しき老婦人が立って

いた。自宅を覗き込んでいる不審者に戸惑いの様子を浮かべている。

「あっ、すいません、決して怪しい者ではありませんん。駅の不動産屋で

こちらのお宅が売りに出されていると聞いたものですから…」

咄嗟にそう釈明した。目が合った瞬間、老婦人は驚愕の表情を浮かべ、暫くの

間じっと俺の顔を見つめていた。

「中、ご覧になりますか?」さっきとは一変、柔和な笑みを湛えながら言った。

躊躇う俺に、門を開け縁側の方に手招きをした。

「ここでね、よく日向ぼっこをしたのよ。あの頃は賑やかで本当に楽しかった。

あんな事故さえなければ……」

そう呟くと悲しそうに唇をかんだ。

「お線香、あげてやってくれませんか? 今日はね、あの子の月命日なのよ」

菊池志津江はすべてを悟ったように静かに言った。


仏壇の中の小さな遺影、それはまぎれもなく俺の分身だった。

DNA鑑定など不要、一目で親子関係が判別するほど亮は俺に似ていた。

生きていれば今年の春から一年生になるはずだった・・・

俺の目から止めどなく涙が溢れた。志津江は何も聞こうとはせず、一冊の

アルバムを俺の前に差し出した。そこには誕生から事故の数日前までの亮の短い

一生が、ぎっしりと詰まっていた。母親に甘え父親と戯れ姉とふざけ合う、

そんな何でもない日常の一枚一枚の写真の中から家族の愛情に包まれた幸せな

日々がひしひしと伝わってくる。不慮の事故によって愛する我が子を突然奪われ

た亜希の悲しみを想像すると胸が張り裂けそうになった。

「亜希ちゃん、憔悴しきって本当に辛そうだった…」

俺の心の中を見透かすように亜希の名を口にした。そして、運命に翻弄された

彼女のその後の人生を涙を潤ませ語り始めた・・・


「いつか、あのにも逢いに行ってあげてちょうだいね」

志津江はそう言うと、アルバムの最後のページに挟まれた一枚の絵葉書を取り

出した。それは、亜希が永眠ねむるケープ・コッドの美しい海の風景だった。



* * * * * * * 



俺は長野に行ったことを後悔した。

例え逢うことは叶わなくても、同じ地球上で元気に生きている二人の存在が

それまでの俺を支えていた。これから先、いったい何を心の拠り所に他人の

人生を生きて行けばよいのか・・・

言いようのない喪失感と虚無感に襲われた。何をする気にもなれず、無気力な

日々を送っている時、ふとレオのもう一つの夢を思い出した。


十二歳の時に生き別れになった妹を探すと言っても、アメリカ人夫婦の養女に

なったことと『L』と彫られた羊のペンダント以外に手ががりはなく雲を掴む

ような話だった。

だが、『マリア探し』を新たな人生の目標としてなんとか無気力な生活から

脱出しようと、俺は精力的に捜索を開始した。

まずはペルーに向かった。震災直後に二人が収容されていたリマの養護施設は

残っていたが、十七年前の記録はなく、レオとマリアのことを覚えている職員

もいなかった。ただ、当時海外向けに養子縁組を仲介していたエージェンシー

の所在を掴むことができた。本来なら養子先は機密事項で一切明らかにされる

ものではないが、南米社会では依然金がモノを言う。意外と簡単に養父母の

インフォメーションが手に入った。


フロリダに戻った俺は興信所にマリア黒木の身辺調査を依頼した。

幸せな人生を送っているなら兄と名乗り出るつもりは毛頭なかった。

だが、送られて来た調査結果を見て、そうはいかなくなった。

最初は、『足長おじさん』のような気持ちで支援を続けていたが、そのうち

本当の妹を見守る兄にような心境になり、いつしかマリアの夢の実現の手助け

をすることが俺の生甲斐になっていた。




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