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17.ケイからの手紙

ケイが亡くなって暫くしてから、莉江とマリア宛てにそれぞれ一通の手紙が

届いた。それは、生前彼女がホスピスの職員に投函することを依頼したもの

だった。



『マリアさん、


 死者からの突然の手紙に驚いていることでしょうね。

 貴女がマイアミに来た時、嘘をついてしまったことが心残りで、どうしても

 誤っておきたかったの。

 ごめんなさい、私はお兄さんのただの知人ではありまでんでした。

 二人の関係は、友人以上恋人未満かな? どちらかと言うと私は恋人の方を

 望んでいたのだけれど、彼には全くその気がなかったようです。

 レオは優しい人だから、一人で死んでゆく可哀想な女を放ってはおけなかった

 のね。貴女の心を傷つけてしまったことにとても苦悩しているわ。

 お兄さんにとって貴女は何よりも大切で自慢の妹、いつもとっても心配して

 いました。少々シスコン気味なところがあるくらいにね!

 マリアさんお願い、どうかお兄さんのこと許してあげて。そして、また元の

 ような仲の良い兄妹に戻って下さい。

 じゃ、お元気でさようなら。


 ケイ                                  


 PS.貴女と過ごしたマイアミでの三日間、とっても楽しかっわ!     』




「私って、ホント単細胞でブラコンで、どうしようもないアマちゃんだよね」

手紙を読み終えたマリアは大きな溜息をついた。

何も知らずに駄々っ子のように悪態をついていた自分が急に恥ずかしくなった。


「俺、マリアのそういうとこ、嫌いじゃないよ」

「リュー…」

「あのさ、まだ… 付き合ってんの?」

「え? ああ、あのオジさんのこと? ジムで知り合ってご飯食べに行ったけど

オヤジ過ぎてちょっとキモかった。お兄ちゃんと同い年くらいなのに、なーんで

あんなに差がつくんだろ?」

「そっか…」

リューはほっとしたような表情を浮かべた。


「えっ、もしかして、心配してたとか?」

「べつに、そういうわけじゃ…」

「いいわよ、付き合ってあげても」

「え、マジで?」

「うん…」

「よっしゃあー!」


親指を高々と掲げるリューを見るマリアの顔に、久しぶりに明るい笑顔が

戻った。



* * * * * * * * 



『莉江さん、 

 

 一度もお会いしたことのない貴女に手紙を書く不躾をお許し下さい。

 でも、どうしてもお伝えしたいことがあってペンを取りました。

 レオからあなたのことを聞かされた時、私の中で決して忘れられない

 一人の女性の顔が脳裏に浮かびました・・・


 もうずいぶん昔の話になるけれど、私が渡仏して初めて働いたクラブで

 彼女はピアノを弾いていたの。店には似つかわしくない、とても上品で

 素敵な女性だった。そこで働く女たちは皆、何かしらの事情や過去を

 持っていた。だから、お互い詮索しないという暗黙のルールのような

 ものがあり、互いの本名も確かな年齢さえも知らなかった。

 でも、彼女と私は同じ日本人であり年齢も近かったことから親しくなり、

 少しづつ自分語りをするようになったの。


 当時、ピアニストとしての才能に限界を感じ精神が不安定になっていた

 彼女は、夫に内緒で強い精神安定剤を服用していたの。後に、その薬が

 胎児に障害をもたらす副作用の可能性があることを知り、我が子の障害が

 自分のせいだと信じ込み自らを責め続け、追い詰めていった。

 愛娘の笑顔さえも愚かな母親に対する嘲笑のように思え、目を背ける

 ようになった。彼女の心は完全に壊れてしまったのね。

 彼女、あまり多くは語らなかったけど、お酒が入る度に聴覚障害を持つ

 我が子を捨てた残酷な母親だと、いつも自分を責めていたわ。

 手話を一生懸命学び、休みの日には必ず聾唖学校でボランティアをして

 いた。とても熱心に・・・


 莉江さん、私には彼女が貴女のお母様だという確証はないし、子供を

 捨てた彼女の行為を正当化するつもりもありません。

 ただ、彼女が自分の愚かな行為を心底後悔し、我が子のことを一日

 たりとも忘れることなく愛していたことは事実です。

 マルセイユを離れた後、彼女がどこへ行ったのかは分かりません。

 でも、この世のどこかで今も愛娘を想い、愛娘の幸福を心から願って

 いると、私は確信しています。


 貴女と美玖ちゃんのご健勝をお祈りしています。


 ケイ                                』



(ありがとう、ケイさん…)

その女性が母親かどうかは分からないが、自分の母もまた同じように

辛く苦しい想いをしてその後の人生を送っているのかもしれない・・・

莉江は腕の中でスヤスヤ眠る我が子を愛おしむように抱きしめた。



* * * * * * * 



「お兄ちゃん、ごめんなさい。ケイさんのこと何も知らなくて…」

「いや、俺のほうこそ詳しいこと話さずに、嫌な思いさせて悪かったな」

「私、もっと大人にならなくっちゃね」

電話口でマリアは苦笑した。


ケイがホスピスに居る間レオはずっとフロリダに留まり陸上勤務をこなして

いた。彼女の手紙のお蔭でマリアの中にあったわだかまりは完全に消滅し、

こじれた兄妹関係を修復させることができた。


「今度は長いの?」

「うむ、ワシントンの桜が満開になる頃まで戻れそうにないな」

今回はカリブ海から南太平洋の島々を経てニュージランド、オーストラリア

に向かう航路だった。

「帰って来たら、こっちで一緒に暮らせる?」

「…莉江さんにはメールで伝えたが、海の上で暫く考えてから結論を出すよ」

「わかった、いい返事待ってるね。じゃ、身体に気をつけて」

「ああ、おまえもな。リューと仲良くやれよ」

「イエス、サー!」


久々に聞く妹の明るい声にレオはほっとするものを感じた。

莉江とはずっと繁茂にメールを交換する関係が続いている。

今度の航海を終えた後、ケイの居なくなったマイアミに戻るかどうか

迷っているレオの心中を察し、妹共々彼女の家での同居を提案した。

マリアもそれを強く望んでいる。だが、莉江の好意を素直に受けるべきか

決めかねている。彼女は、レオの中ではすでにメル友以上の存在になって

いる。そんな感情を抱きながら同じ屋根の下で暮らすというのは、やはり

躊躇いがあった。




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