表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/25

14.リューの生い立ち

(ていねいにワックスがけすると、まるで新車みたい! ありがとねリュー君)

「全然、このくらい、いつでも…」

リューが同居をはじめて一週間が過ぎた。

莉江は結局、レクサスISの中古車を購入した。価格的にベンツのCクラスや

BMWの3シリーズと同じならレクサスの方がずっと良い、と言うリューの

アドバイスに従った。


「中古といっても3年モノだもん。あーあ、私の12年カローラとは大違い!」

「すぐにレオさんのボルボが来るじゃん!」

洗車したばかりの自分の車と見比べながらマリアは溜息をついた。

レオの航海中に車を売り、給料をセーブして次の車を購入することにした。

「うん、でも、オートマじゃないからちょっと不安…」

「平気さ、慣れるとかえってオートマじゃ物足りなくなるよ。何なら、俺が

運転のコツを教えてやろうか?」

「ノー・サンキュー! 私は運動神経抜群だから大丈夫ですよーだ!」

リューに向かって大げさに 〝アカンベー” の仕草をした。


(さあ、お茶にしましょ。お天気いいから外の方がいいわね)

若い二人の様子を微笑ましく見ていた莉江がバティオへと促した。

「どう? 莉江さんのクロワッサン最高でしょ!」

「うん、すっげぇ本格的な味がして、超うまいっす!」

「本格的って、フランスに行ったこともないくせによく言うよ」

「まあ、確かに… けど、むかし日本にいたころ食べたヤツ、これに近かった

ような気がする。俺、小4まで神奈川県の相模原ってとこに住んでたんだ。

駅前にけっこう有名なパン屋があって、フラン、なんとかっていう店だった」

リューは旨そうに二個目にぱくついた。

(それ、もしかして『ル・フランセ』ってお店じゃないか、聞いてみて)

「?…」

マリアは意味が解らないままに莉江の言葉を通訳した。

「そう! そうっす!」

リューは大きな声を上げると驚いたように莉江の顔を見た。



* * * * * * * 



リューは日本で生まれた。

母に連れられ十歳で渡米するまで、岡田龍一という日本名と日本国籍を持って

いた。父の真一は座間市にある大手自動車メーカーの工場に勤めるかたわら、

休みの日にも修理工場でアルバイトをするほどの根っからの車好きで仕事熱心

な男だった。母親のマイラはマニラで日系企業の駐在員のメイドをしながら

夜学に通い、家計を助けるような真面目で大人しい娘だった。

マイラが厚木基地勤務の米兵と結婚した姉を訪ねて来た時、二人は知り合う。

基地の近くにある修理工場は場所がら米軍関係の顧客も多かった。車の修理に

姉夫婦に付いてきたマイラに一目ぼれした真一の猛アタックで交際が始まった。

観光ビザが切れ国に帰ったマイラは妊娠に気づき困惑する。無責任な日本の

男との間にできた私生児を抱え苦労するフィリピン女性を数多く見てきた。

だが、予想に反し真一の態度は真摯で誠実そのものだった。

二人は日本で正式な婚姻関係を結び半年後には龍一が生まれた。


子煩悩な真一は息子の将来を考え龍一が五歳になると厚木基地内のアメリカン

スクールの幼稚園に入園させた。あまり知られていないが、在日米軍基地内に

ある幼小中高(K~9年生)のスクールは米軍関係者の子弟だけでなく、

少数枠だが一般の日本人の子供も受け入れている。横浜や都心のインター

ナショナルスクールに比べ学費も安く、基地周辺に住む帰国子女や親がバイ

リンガルを望む子供たちが通っている。

真一はただ単に我が子を英語ができるグローバルな人間に育てたいという

理由で選択したわけではない。日比のハーフである息子が日本の学校で虐めに

あうことを恐れていた。だが、学費を捻出するには真一の収入だけでは到底

無理で、マイラが週末は修理工場、昼間はスーパーのパートとして働いた。

両親の愛情と苦労のおかげで龍一は虐めにあうこともなく基地内のスクールで

のびのびと育っていた。


小学3年になると事態は急変した。不況のあおりで真一が務めていた工場が

閉鎖になった。再就職が困難な中、修理工場と深夜のコンビニのアルバイトを

続けていた真一は心労が重なり倒れ、そのまま帰らぬ人となった。

最愛の夫と父を亡くした母と子は悲しむ暇もなく生活貧窮という苦難に直面

する。公立の小学校に転校した龍一は父の懸念通り陰湿な虐めにあうが、

朝から晩まで馬車馬のように働く母に心配をかけまいと懸命に耐えていた。

無口になり生傷の絶えない息子の異変にすべてを察知したマイラは、アメリカ

に新天地を求めた。愛する夫のいなくなった日本は彼女にとっても居心地の

良い場所ではなかった。


一年後、姉を頼ってカリフォルニア州のサンディエゴへと向かった。

在比米軍基地がアメリカに返還されたため基地周辺には多くのフィリピン人が

暮らしている。そのため就労資格のないビザで入国したマイラにも容易に働き

口が見つかった。だが、観光ビザは三ヶ月で切れる。不法滞在者の子弟のまま

では龍一を学校に通わせることもできない。弁護士を通して正規のルートで

就労資格や永住権を取得するには莫大な費用と時間がかかる。切羽詰まった

マイラは斡旋業者を通じてグリーンカードを得るためだけの結婚を決意する。

幸い相手はまじめで優しいフィリピン人だった。が、龍一の心境は複雑だった。

男に見せる母の女の顔に戸惑い、母国語で楽し気に語り合う姿に嫉妬のような

感情を抱いた。すぐに妹が生まれ、一家は義父の親戚がいるバージニア州へ

引っ越した。夫婦仲はすこぶる円満で龍一が高校に入る頃にはさらに妹と

弟が増え六人家族になっていた。義父は龍一のことを実子と分け隔てなく

扱ってくれたが、亡き実父への想い入れが強くどうしても父親として受け

入れることができなかった。

龍一は高校卒業と同時に家を出た。

進学か就職かの進路は迷うことなく見習工として整備工場に就職した。

父真一の影響で幼い頃から車や機械いじりが好きだった。母はメカニックの

専門学校行きを勧めたが、母親が父以外の愛する男と築いた家庭の中に自分の

居場所が見つけられず、一日も早く家を出て自立することばかり考えていた。


親元を離れてから五年、父親譲りの真面目で仕事熱心なリューは顧客の評判も

良く、腕の良い整備士になった。が、利益を最優先するオーナーの経営方針に

反発したため解雇される。バージニア州ではなかなか次の仕事が見つからず、

フロリダに新天地を求めた。



「あそこのパン屋の二階がレストランで、よく食べに行ったなあ…」

親子三人幸せに暮らしていた少年時代を懐かしむように、リューは三個めの

クロワッサンを頬張った。













評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ