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11.落日の恋(2)

ホテルに着くとすでに十一時を廻っていた。

冬場は観光客で賑わうロビーもこの時期は閑散としている。

顔見知りの支配人が挨拶をしに二人のそばにやって来た。

短い会話を交わした後、レオはルームキーを手渡し先に行くように促した。


レオはなかなか部屋に上がって来ない。

手持ち無沙汰のケイは部屋の隅の本棚に目を遣った。

読書が趣味というだけあって狭いスペースにぎっしりと本が並んでいる。

やはり船舶関係の書物が多いが、分厚い医学の専門書も何冊かある。

船医の乗船しない貨物船では二等航海士がその任を担うと話していたのを、

ふと思い出した。

何気に手にした一冊の本のタイトルにケイは思わずあっ、と声を上げた。

恐る恐るページを捲ると一枚の写真が栞代わりに挿んである。

何か見てはいけないものを見てしまったように急いで本を閉じた。



レオと知り合って七年になる。

彼がはじめて店に来た夜のことを今でもはっきりと覚えている。

長身で端正な顔立ち、人目を惹く外見も然ることながらショパンをリクエスト

する船乗りははじめてだった。演奏に聴き入る愁いのある横顔がとても印象的

だった。以来、マイアミに寄港するたびにふらりと店に現れるようになった。

ピアノの傍の隅のテーブルで物静かにグラスを傾ける姿と、船員仲間から洩れ

聞いた生い立ちから、彼もまた人には言えないような過去を引き摺って生きて

いると確信した。


レオとこんな風になったのは三年前、愛人と正式に別れた後だった。

男と女の関係と言っても二人の間には男女の生臭い恋愛感情は存在しない。

お互いに束縛も干渉もせず、好きな時に逢いデートやセックスを楽しむ、言わば

セフレ、大人の恋愛ごっこのようなもの。三年のつき合いと言っても一年の半分

以上は海の上にいるので実質期間はその半分にも満たない。

船乗りには寄港地ごとに現地妻がいるというくらいもてる。レオもその例外では

ない。だが、彼はストイックなまでに女を寄せ付けないところがある。

物理的に女を抱くことは出来ても、決して心を許すことはない。

それが何故なのか、最初はケイにも分からなかった。ただ、頑なに鎖したレオの

心の奥底に潜む 〝女” の存在は薄々感づいていた。最後の瞬間ときに一度だけ

女の名を口走ったことがある。翌朝そのことを尋ねると悪びれた様子もなく、

『俺が本気で愛した最初で最後の女、もうこの世にはいない』と言って天を

仰いだ。ケイはそれ以上何も聞けなかった。レオのような男にそれほどまでに

愛され、死んだ後も愛され続ける女に嫉妬と羨望を覚えた。


一回り以上も若い男とのお遊び、恋愛ごっこのつもりが、いつしか本気になり

始めている自分に気づいた。それを認めたくなくって、あえてクールに大人の

関係を保とうとしていた。

自分の気持ちに逆らえなくなったのは癌宣告を受けた時だった。

運命と割り切ってはいても、できることなら残された時間を愛する男と過ごし

たい、最後の時まで傍にいて欲しい・・・

だが、レオはあっさり同居の話を断ってきた。もう暫くは海の男を続けたい

という言葉に嘘はないだろう。が、それだけではないような気がした。

マリアの下宿先を訪ねてからの彼は明らかに以前とは違う。それが、聾唖の

若い未亡人に起因していると直感した。



手にした本のページを再び開いた。

初心者用の詳細なイラスト入りの手話の実用書、栞代わりの写真には弾けん

ばかりの笑顔のマリアの横で、赤ん坊を抱きはにかむように微笑む女・・・

『最後の女』とまで言い切った、今は亡き恋人が独占していたはずのレオの

心が生身の女によって奪われようとしている。しかも、自分より遥かに若く

美しい女によって・・・

自尊心を打ち砕かれたような屈辱と敗北感がケイの心を覆った。



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