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「さあ、一緒に遊ぼうぜ、レイ」

 レイの目の前に立ち、チェーンソーを抱えて笑っているのは彼の兄、ジェイクだ。

 レイは何とかして逃げようとするが、地面に倒されて足を縛られ、二人の屈強な男に両手を押さえられていて身動きが取れない。ジェイクはレイの身体に跨ると唸りを上げるチェーンソーの歯をゆっくりと右腕の付け根に押し当てた。皮が切れ、肉片と血が飛び散る。レイは身体を仰け反らせ、凄まじい痛みに悲鳴を上げる。ジェイクはゆっくりと歯を動かし、少しずつレイの腕にチェーンソーを食いこませていく。なるべく長くレイに苦痛を与えられるように。引き伸ばされ、増幅していく痛みに声が枯れるほど悲鳴を上げ続けた。


 レイは自分の叫び声で目を覚ました。直前まで感じていた痛みはいつの間にか消え失せていた。

 白いレースのカーテン越しに差し込む柔らかな光。薄いグリーンの壁紙が貼られた部屋。レイは青いチェックのパジャマを着せられて、清潔なベッドに寝かされていた。


――ここは何処だろう? 俺は死んだのだろうか。


 ドアが開き、ふくよかで人のよさそうな顔をした黒人の看護婦が顔をのぞかせた。

「気がついた? 今、先生を呼んでくるわね」

 ここは病院なのだろうか。ドアが閉まるとレイはそっと身体を起こした。骨は治っているようだが、まだ少し痛みが残っている。ベッドから降り、カーテンを開けた。ここは高台に建てられているらしい。窓の外には花壇のある広い庭があり、フェンスの向こうには森が広がっているのが見えた。

「いい眺めだろう? 身体の痛みは残っているかな?」

 振り向くと、そこには白衣を着た背の高い医師が柔らかな笑みを浮かべて立っていた。

「ええ、少しだけ。あの……俺を助けてくれたのはあなたですか?」

「ああ。昨日はたまたまあの辺りを通りかかってね。ヴァンパイアとハンターの匂いが気になって森に入ってみたんだ。間に合ってよかったよ。それからまだ寝ていてくれないか? 君の診察をしなくちゃならないんでね」

「ああ、すみません」

 レイがベッドに戻ると医師は片手を差し出した。

「改めて自己紹介させてもらうよ。私はクロード。クロード・バートン。専門は外科だ。よろしく」

 クロードは身長6フィート3インチ(約190センチ)を超える大男で、がっしりとした体格に浅黒い肌。軽くウェーブした黒髪に涼やかなブルーグレーの瞳とがっしりとした顎の持ち主だった。

「俺はレイ。レイ・ブラッドウッド。仕事はバーテンダーです」

 レイもまた片手を差し出し、軽く握手を交した。クロードの手は大きな、温かい手だ。

「それはいい仕事だ。君はハンサムだし結構もてるんじゃないのかい?」

「ええ、まあ……。ただし男にですけどね」

「ははっ! それはちょっと残念だな」

「あの、失礼ですが先生は……」

「私の正体か? 君が思ってるとおり私は狼男だよ。ただし満月じゃなくても緊急の場合は変身出来る。どうもアドレナリンの分泌が関係しているらしい。まあ、そういうわけでこの診療所はモンスターも診察しているし、こうやって入院もさせている。もちろん、人間たちには内緒だがね」

 レイは大事なことを忘れていたことに気が付いた。

「あの子は見つかりましたか?」

「ああ。森の奥の木の祠にいるところを見つけて連れてきたよ。ずいぶん興奮してて宥めるのが大変だったがね。で、彼は君の息子なのか?」

「いえ。そうじゃないんです」

 レイはクロードに事情を話して聞かせた。

「そういうことだったのか。君はお人よしだな、レイ。彼は昨夜は二階の私の家で休ませたんだが、今は休憩室にいるよ」

「そうですか、よかった。そういえばあの子の両親はどうしたんでしょう」

「ロンは……ああ、彼はロン・ハーロウという名前なんだ。ロンは車の中で眠ってしまって気が付いた時、ハンターにこう言われたらしい。父親に始末するように頼まれたってね。そして彼がヴァンパイアだということも」

「なんてことだ……両親は彼を捨てたんでしょうか」

「まあ、そうだろうね」

 レイはふっと顔を曇らせた。彼は独りぼっちだ。これからどうしたらいいのだろうか。

「さて、それでは診察を始めるとしようか」

 クロードはレイを触診し、ほっとしたように笑顔を見せた。

「さすがはヴァンパイアだな。もう骨もほとんど繋がっている。まだ痛みはあるかな?」

「ええ、少し」

「それじゃ、もう一晩だな。明日には退院できるよ」

「ありがとうございます、先生」

「レイ、あの子のことなら心配しなくていい。彼は私が養子として引き取ることにするよ。ちょうど一人暮らしが寂しいと思っていたところだし、診療所の手伝いも頼めるしね。私はいろいろと外部にコネを持っているんでね。そういう手続きはスムーズに行える。それに間もなくこの診療所を引き払って西海岸の町に引っ越すことになっているんだ。海の見える場所に廃院になった診療所を見つけて買い取ったんだよ。そこには地下室もあってちょっとした手術もできるしね」

「本当ですか! よかった。すみません、俺には何も出来なくて。そうだ、先生。あのハンターはどうなったんですか?」

「ハンターか。あの男は気絶させただけだ。私は医者なんでね。人の命を救うことはあっても、奪うことはない。例えそいつが残忍なハンターであってもね」

「そうですか……」

 レイは悔しそうに唇を噛んだ。

「ああ、そうか。君は確かハンター・キラーと呼ばれているヴァンパイアだね」

「どうしてそれを?」

「私もモンスターを診察している関係でいろいろ情報を得る必要があってね。ハンターの情報サイトは常にチェックしているんだ。だからと言って、私は君のことを批判するつもりはないよ、レイ。相手の命を奪うことには賛成はできないが、命を狙ってくるものに立ち向かうのは当然のことだしね。さて、そろそろ昼食の時間だな。腹は減ってるかい?」

 そういえば、昨日の昼から何も口にしていない。

「ええ。とても」


 クロードが部屋を出て行き、しばらくすると看護婦が食事を持ってやってきた。プレーン・ベーグルにクリームチーズ。ミネストローネというごくシンプルなメニューだったが、どれも驚くほど美味だった。食事を終えるとレイはデビィに連絡を取るために電話を借りようと廊下に出た。クロードの声が聞こえる部屋をノックし、ドアを開けるとそこは休憩室で、彼はロンと一緒に昼食を取っていた。

「あの、電話を借りたいんですが。俺の相棒に連絡しておきたいんです」

 ロンはレイの顔を見ると「あっ」と小さく呟いた。

「構わないよ。受付にあるから自由に使いなさい」

「ありがとうございます」

 レイはそう言いながらロンに微笑みかけた。

「やあ……もう大丈夫かい?」

 ロンは少し戸惑ったようにこくりと頷いたが、返事はなかった。


――俺は何を言ってるんだ。大丈夫なはずがない。だが、他に掛けるべき言葉が見つからない。

 

 両親に捨てられたショックと、自分がヴァンパイアだと知らされたショック。それらは同時に与えられるにはあまりにも過酷過ぎる。

 レイはそっとドアを閉めた。受付で、昨日借りたモーテルの番号に電話を掛けてデビィを呼び出してもらった。万一のことを考えて番号のメモをジーンズのポケットに入れてあったのだ。

『おい、レイ! いったい何をしてるんだ! 俺は今、ここを引き払ってお前を探しに行こうと思ってたんだぞ!』

 デビィの怒鳴り声にレイは何故かほっとした気持ちになった。

「すまなかった。あれからいろいろあってね。今はクロード先生の診療所にいる」

『診療所って……おい、お前、ハンターにやられたのか?』

「まあね。足元に注意を払わなかった俺が悪いのかもしれない。おかげで潰されるアルミ缶の気持ちが判ったよ」

『ったく、しょうがねえな。それに大丈夫なのか? 医者にばれちまうだろうが』

「大丈夫だ。先生は狼男だからね」

『本当かよ。で、もう治ったのか?』

「ああ。明日には退院できる。詳しいことはまた帰ったら話すよ」

『判った。また連絡しろよ』

 電話を切り、振り向くとそこには、いつの間にかロンが立っていた。

「あ、あの……助けてくれてありがとう、レイさん」

 柔らかそうなダーク・ブラウンの髪にきらきらした黒い瞳の少年は何となく照れくさそうにレイを見ていた。

「いや。俺はハンターに殺されかけたし、先生が来なければ君も助からなかったかもしれない。お礼だったら先生に言って欲しいな」

「もちろん、言ったよ。でも、あなただって命がけで僕を助けようとしてくれたじゃないか。お礼を言うのは当然だろ?」

「まあ、そうだね」

「ねえ、レイさん。僕、あなたに聞きたいことがあるんだ」

「レイでいいよ。それじゃあ、座って話そうか」

 二人は待合室の窓際に置かれた椅子に腰かけた。よく手入れされた芝生の向こうには、午後の穏やかな日差しを受けた家々の屋根が遠くに輝いて見えている。

「レイ。ヴァンパイアとして生きていくってどんな感じなの?」

「はっきり言って楽なものじゃないよ、ロン。ハンターには狙われるし、人の血を吸うことは危険が伴うしね」

「あの、血って美味しいのかな。それにどうしても人を襲わなきゃいけないの?」

「美味いよ。最初の頃はそんな風に感じる自分が嫌でしかたがなかったけれど、それはヴァンパイアに元々備わっている本能的な感覚なんだ。そう思ったら気が楽になった。それから吸血衝動の強弱は人それぞれでね。人を襲わなくても動物の血で我慢できる者もいる。残念ながら君が将来どうなるかは判らないけれどね。でもヴァンパイアはいつまでも若いままでいられるし、病気にもならない。怪我をしても再生できるし、体温をコントロール出来るから寒さも感じない。決して悪いことばかりじゃないんだ」

 ロンはしばらく黙っていた。その小さな脳で一生懸命に考えを巡らしていることを考えるとレイは心が痛んだ。

「そう……じゃあ、もしかしたら人を襲わなくても生きていけるかもしれないね」

「そうだね」

 ロンがほんの少しだけ笑顔を見せた。

 彼がそのようにして生きていけますように、彼を襲う最初の衝動が激しいものではありませんように、とレイは願わずにはいられなかった。

「僕ね、先生に言われたんだ。僕を養子にしたいって。でも、いつかはママが迎えに来てくれるかもしれない。だから、それまでは一緒に住むことに決めたんだよ。先生は優しいし、面白いんだ。今度のパパとは大違いだよ。あいつ、いつも僕に冷たかった。きっと僕を捨てようと言ったのはあいつだよ」

「そうか。酷い奴だな」

 レイはあのレストランで見た母親の表情を思い出した。彼女は男の命令に逆らえなかったのかもしれない。

 ふと外を見ると門が開き、車が入ってくるのが見えた。

「患者さんが見えたようだね。部屋に戻ろう。また聞きたいことがあったら俺の病室に来ればいい。明日まではここにいるから」

「うん。判った」


 レイは病室に戻り、クロードの仕事が終わるのを見計らって彼のパソコンを借り、聞いたパスワードでハンター・サイトにアクセスした。あの機械の蛇とハンターのことを詳しく知りたかったのだ。


――もうあのハンターは森にはいないだろうが、また遭遇しないとは限らない。その時には昨日の二の舞は絶対にしない。やられたままで終わってしまうことは俺のプライドが許さない。


 あのハンターの名はゲイル。親が資産家で道楽でハンターをやっているらしい。次にハンター専門の武器サイトに目的の物を見つけたレイはふっと笑みを漏らした。



「ねえ、レイ。一緒に夕食を食べようよ」

 午後7時。病室のドアが開き、ロンが入ってきた。彼は昨日来ていたTシャツとジーンズに着替えている。

「上の部屋に準備がしてある。君さえよければ一緒に食べないか」

 ロンのすぐ後ろからクロードが顔を覗かせた。

「ええ、いただきます」

 レイはベッドから降りると二人の後についていった。

 二階にあるクロードの家のダイニング・ルームには、シンプルな木のテーブルが置かれていた。グリーンのテーブルクロスや淡い黄色のカーテンが部屋全体を落ち着いた雰囲気にしている。

「看護婦のナンシーは6時半には帰ってしまうのでね。この時間はいつも私一人なんだ。久しぶりに賑やかに食事が出来て嬉しいよ」

 ミネストローネにパンケーキ。それからオーブンで焼いたチキンが食卓に並んでいる。三人はゆっくりと食事を楽しんだ。

「このミネストローネ、本当に美味しいですね」

「それは朝早く、私が作っておいたんだよ。大好物でね。これを食べると仕事が捗るんだ」

「へえ、先生って料理上手なんだね。ママの作るスープも美味しいんだよ」

 ロンはそう言いながら三個目のチキンに手を伸ばした。

「ロン、君はいくつになるの?」

「十歳だよ。でももうすぐ十一歳になるんだ」

「そうか。君はしっかりしているね」

「うん。僕の家族は引っ越しばかりしてたからね。僕がしっかりしないと駄目だっていつも本当のパパに言われてたんだ。でもパパは何処かに行っちゃったけどね」

 彼の父親は失踪したのか、それともハンターに狩られてしまったのか。どちらにしてもロンにとっては辛いことだったろう、とレイは思う。


 食後のコーヒーを終えるとレイはシャワーを借り、ひとり病室に戻った。窓を開け、外を眺める。少し欠けた月が空に浮かんでいる。今頃、デビィはどうしているだろう。部屋の灯りを消し、ベッドに入るとレイはいつの間にか眠ってしまった。

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