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「なあ、レイ。あの親子、ヴァンパイアじゃねえのか?」

 七月の初めの爽やかに晴れ渡った午後、道沿いにあるレストランでレタスがはみ出したビーフ・サンドウィッチに齧り付きながらデビィが呟いた。

 レイは後ろの窓際の席に座っている親子を振り返って見た。長い黒髪を一つに束ねた穏やかそうな女性に茶色の短髪の男。そしてダーク・ブラウンのゆるくカーブした髪を顎のあたりまで伸ばした十歳くらいの少年。スーパーマンのイラストが描かれたTシャツを着た少年はハンバーグを食べながら嬉しそうに両親の顔を見ている。彼らは一見して何処にでもいる仲のいい親子に見えるが、母親と息子の匂いはヴァンパイアであることを如実に示していた。父親は人間のようだ。

「そうだな」

 彼らも自分達と同じように町から町へと渡り歩いているのだろうか。

「大変だな。子連れっていうのは」

「ああ」


 レイは母親のことを考えていた。愛人であった為に長いことブラッドウッド家の援助も受けられなかった母のアメリアはいつも忙しそうに働いていた。父の意向でブラッドウッドの家に入ってからはレイとアメリアは別棟に引き離された。それが正妻の条件だった。だからレイが兄のジェイク達から連日のように受けていた虐待のことをアメリアも、いや、父親でさえまったく知らなかったのだ。それでよかったのだ、と今になってレイは思う。知っていたら母はさぞ心を痛めていたことだろう。レイが兄に抵抗するとそれは母に対する陰湿な危害となって帰ってきたから、彼はひたすら虐待に耐え続けたのだ。思い出したくもないほどつらい日々。なのにそれは記憶の奥底から時々顔を覗かせる。

「どうした? レイ」

「いや。何でもない」


 あの親子、様子がおかしい、とレイは思った。両親の態度がどうもわざとらしく思える。特に母親は無理に明るく振舞っているようだ。さっきまではしゃいでいた子供は眠そうに目を瞬いている。やがて親子は食事を終え、席を立つと店を出て行った。少年が後部座席に乗り込むところが窓から見えた。その時、店の奥からアッシュ・グレーの髪を短く刈りダーク・グレーのスーツを着た背の高い男が出てきた。そいつの冷たいグレーの瞳は蛇のように無表情だ。

 レイは瞬時に身構えた。その男の放つ匂いは明らかにハンターのものだ。

 だが男はレイ達には目もくれず、そのまま店の外へ出ると車を急発進させて親子の車が向った方角へと去って行った。

「デビィ、この道の先には何がある?」

「ああ、待ってくれ。地図を見るから」

 デビィはバックパックから地図を取り出してテーブルに広げた。

「この先は森だな。かなり大きな森だ。車で行けば一時間ぐらいか。で、何でそんなことを聞くんだ?」

「あの親子が気になるんだ」

「さっきのハンターか? いや、別に追いかけて行ったわけじゃねえだろう」

「そうだろうか」

「なあ、レイ。気になったってどうなるものでもねえだろうが。今夜はここに泊ってゆっくりするんじゃねえのか?」

 このレストランはモーテルも併設している。ヒッチハイクでここまで来た二人はチェックインも済ませて遅い昼食をとっていたのだ。

「デビィ、自転車を借りて見に行ってみる。なるべく早く戻ってくるからここで待っていてくれ」

 言うが早いか、レイは立ち上がっていた。

 デビィはレイの顔を見てふう、と溜息をついた。

「仕方ねえな。俺も一緒に行くよ」


 結局、自転車は一台しか借りられなかったので、デビィは宿で待つことになった。

 レイは黒のTシャツにジーンズ。古ぼけて錆の浮いた自転車で森を目指した。後ろに束ねた長い金髪が風を受けてさらさらとなびく。道路は青く広大な草原を切り裂くようにまっすぐに続いている。自転車なんて乗ったのは何年振りだろう、とレイは考えた。


――子供の頃、友達に借りて乗って以来かもしれない。風を切る感覚は心地いいが、今はそれを楽しんでいる場合じゃない。さっきの親子連れのことが気になる。何事にも巻き込まれていなければいいのだが。


 デビィの言うとおり、これは余計なことかもしれない。だが、レイは少年の中に昔の自分を見ていた。自身に起こる悲劇を知らず、無邪気で無防備だったかつての自分を。




 少年は薄暗い森の中で震えていた。

 車の中で眠ってしまい、目が覚めた時には手足を綱で縛られ、冷たい地面に横たわっていた。これは夢だと思い、硬く目を瞑って再び目覚めようとした。だが夢は終わらない。少年は首を回して必死になって母親を呼んだが、彼女の姿は何処にもない。


――そういえば……さっき車の中でママは泣いていた。なんで泣いているんだろうと考えているうちに眠ってしまった。ママとパパは何処に行ったんだろう?


「気が付いたか? 眠ってる間にやっちまおうと思ってたんだが仕方ねえな」

 後ろから聞こえた声に振り向こうとした少年はいきなり背中を蹴られ、叫び声をあげた。

「だ、誰だよ! 何するんだよ!」

 ハンターは少年の脇に膝をつき、顔を近付けてにやりと笑う。アルコール臭い息の匂いに少年は顔を顰めた。

「黙れ、ヴァンパイア。お前は俺のものだ。怪我をさせたくはないから大人しくしてろ」

「ヴァンパイア……? あんた何いってるんだよ。俺は人間だぞ」

 いきなりハンターの手が少年の口へと伸びた。右手で無理やりに口をこじ開け、左手で犬歯の上の歯茎を強く押すと、犬歯は一気に1インチほどの長さに伸びた。

「い、痛……!」

 口から涎を垂らしながら少年は苦しさと恥ずかしさに身を捩った。

「これがその証拠だ、坊主。こんなに立派な牙を自分が持ってることに気が付いてねえとはな。まあ、まだ覚醒してないから当然かも知んねえが」

 ハンターは少年を立たせると、傍に停めてあったハマーのサイドミラーまで引き摺るようにして連れてきた。髪を掴み、ミラーに少年の顔を押し付ける。少年は自分の口に生えている長い牙を信じられない気持で見つめた。

「う……嘘だ。こんなの、嘘だ!」

「本当だよ。お前は化け物だ。醜いヴァンパイアだ。お前は親に捨てられたんだ。拾ってもらったことを感謝してもらわねえとな」

「……そんな。捨てられただなんて!」

「俺はお前の父親に頼まれたんだ。お前が足手まといだから始末してくれってな」

 男は下卑た声音で笑い出し、少年を車の横に押し倒した。少年は身を震わせて泣きだした。

「子供を買いたがってる変態野郎はいくらでもいる。ヴァンパイアは人間より何倍も高く売れるんだ。いいか? お前らは殺されて当然なんだ。生かしてもらってるだけありがたいと思え」

 ハンターは少年を仰向けにして首筋に手を当てる。

「さて。それじゃあ、俺を楽しませてもらおうか。ちょっと痛いかもしれないぜ?」

 そう言いながら、ハンターはまた厭らしい笑みを浮かべた。少年はぞっと身を震わせた。こんな男に犯されたくはない。必死で考えを巡らせた。

「……判った。判ったよ。言うことを聞くからなるべく痛くしないで。それと、水を飲ませて。のどがカラカラなんだ。お願いだよ」

 少年はしゃくりあげながら、ちょっと甘えた声で呟くとハンターの顔をじっと見詰めた。

「……まあ、水くらいは飲ませてやる。待ってろ」

 男がハマーの後部ドアを開け、水を探している隙に少年はドアに凭れるようにして身体を起こした。その時、足を縛っていた綱がはらりと解けた。男に引き摺られた時に緩んだのだろう。少年はハンターのほうを見た。まだ水を探している。少年はゆっくりと立ち上がって車から離れ、森の中へと一気に走りだした。

 ハンターは少年が逃げ出したことにすぐに気が付いた。だが、子供といえどヴァンパイアは人間より足が速い。

「こうなったら奥の手を使うか。おい、スネーク、あの子供の後を追え!」

 すると車の中から鈍く光る銀色の蛇が滑るように地面に降りてきた。


 森の道を十分ほど進んだところで、レイは自転車を止め、跪いて道の端の地面に手を当てた。さっきの少年の匂いがするが、同時に先ほどのハンターの匂いも重なっている。その二つの匂いに神経を集中させた。匂いはすぐ先の細い脇道のほうへと続いている。


――あのハンターは少年を連れ去ったに違いない。殺されていないといいのだが。


 再び自転車に乗って脇道に入り、しばらく進むと開けた場所に出た。すでに辺りは薄暗い。そこには一台のハマーが停められているが誰もいない。匂いは森を分け入って続いている。木々の間に隠すように自転車を置き、レイは森に入って行った。森の奥から漂ってくる少年の匂いはひときわ強い。ハンターに追われているのだろう。雑草を踏み分け、木々を縫うように走った。匂いがどんどん強くなってくる。やがて足音と激しい息遣いが遠くから聞こえてきた。


 少年は立ち止まり、激しい動悸を鎮めようと木に寄りかかって目を瞑った。ハンターの姿は見えない。もう大丈夫だとほっとしたのもつかの間、誰かが近付いてくるのに気付いてびくりと身体を震わせた。長い金髪に鋭い青い目の若い男がゆっくりと近付いてくる。その男は少年の傍まで来ると立ち止まった。

「君、ハンターに追われてるんだね」

 少年は警戒心で身を硬くした。

「警戒しなくてもいいよ。俺はハンターの仲間じゃないから。それより奴はもうすぐそこまで来ている。俺が奴を足止めするから早く逃げなさい」

 信じてもいいのだろうか、と少年は思った。だがもうそんなことを考えている余裕はなかった。少年は男に軽く会釈すると大きく深呼吸をして再び森の奥へと走り出した。


「おい、あんた。こっちにガキが走ってこなかったか?」

 アーチェリーを背負い、ショットガンを抱えたハンターが姿を現したのはそれから五分後だった。

「さあ、知らないね」

 レイはそう答えながらもじっとハンターのほうを睨んでいる。その瞳は凶暴な青い光を放ち始め、口の端からは長く鋭い牙が顔を覗かせた。

「貴様……!」

 レイは唇の端に冷酷な笑みを浮かべ、ハンターにゆっくりと近付いていった。こいつはたいした奴じゃない。そう思ったのが間違いだった。

「スネーク! そいつを捕えろ!」

 次の瞬間、冷たく硬いものが足元から物凄い速さでレイの脚に巻きつこうとした。レイは咄嗟に地面を蹴って跳躍したが、それは身体を縮めてバネのように飛び上り、あっという間に彼の脚を捕らえた。レイの身体は瞬時に金属の蛇の胴体に何重にも巻きつかれ、地面に叩きつけられた。どうにかして蛇から逃れようと力を込めるが、凄まじい締め付けは一向に緩む気配はない。

 ハンターはにやりとして呟いた。

「殺せ」

 蛇はレイの身体を空き缶のように捻り潰した。全身の骨が砕け、肉が潰される強烈な痛みにレイは悲鳴を上げた。


 どうしてこんなことになったのだろう?

 レイは成すすべもなく地面に横たわり、自分の目の前に突きつけられたトネリコの杭の鋭い先端を見つめながら考えた。

 こんなところで死んでたまるか。だが、憎しみから湧き上がるはずの力が身体を動かそうとはしない。痛みと息苦しさに加えてまったく自由の利かない身体。その喉元をびっしりと歯が生え、真っ赤な眼を光らせた蛇の鎌首が狙っている。

「ほう。よく見ればお前、レイ・ブラッドウッドじゃねえか。たしか大層な賞金が掛けられてたよな。こいつはラッキーだ」

 薄笑いを浮かべながらレイの前に立っているハンターはトネリコの杭を番えたアーチェリーを彼の胸に向けた形で構えている。

「その蛇は俺の相棒なんだ。どうだ、そいつの愛撫は強烈だろ?」

 レイは牙を剥き出してハンターを睨みつけた。

「死なないさ。お前なんかに俺は……!」

「そいつの口を塞げ、スネーク」

 目にも止まらない速さでレイの首に蛇が噛みついた。首の骨が音をたてて砕け、長い牙が肉を貫く。呻き声をあげて苦しげに開いた口から血が大量に噴き出す。

 ハンターは冷たく光るグレーの瞳を細め、笑いだした。

「どうだ? これでもう生意気な口を利くこともできねえな。お前はここで死んで、牙を取られて腐っていくんだ」

 それでもレイは男の目をじっと睨みつけていた。もうここで俺は死ぬのだろうか。でも、ハンターに恐怖や脅えの表情だけは絶対に見せない。それは自分のプライドを粉々に打ち砕いてしまうことになる。

 ハンターはレイの表情に眉を顰めた。

「ちぇっ! いけすかねえ奴だ」

 トリガーにかかった男の指が動いた瞬間、地面を揺るがすような凄まじい咆哮が森に轟き渡った。

 瞬時にハンターの身体が吹き飛ばされて木に激しくぶつかり、動かなくなった。

 毛むくじゃらの手が蛇の首元を掴むとレイの身体から一気に引き剥がした。そこに立っていたのは全身が灰褐色の剛毛に覆われた大男だった。その顔は狼そのものだか何故か白衣を着ている。男は蛇の首を地面に叩きつけると片足で踏み潰した。蛇の頭が火花を散らして動かなくなった途端に、レイの身体の自由を奪っていた縛めが解けた。男は瞳を金色に輝かせながらしきりにレイの身体を触っている。顔と身体がゆっくりと人間に戻っていく。

「こいつは酷いな。今、鎮静剤を打つからもう少し我慢しなさい」


――俺は助かったのだろうか。そうだ、あの少年は……。


「男の子が……森の奥に逃げ込んでるんだ。あの子はヴァンパイアなんだ。見つけて保護してもらえないだろうか」

「判った。私が必ず探し出すから安心しなさい」

 男の声は力強く、不安を吹き払う力があった。レイはほっとしたと同時に意識を失った。

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