episode3
夜空にちりばめられた星屑たちと、その中にある月を眺める
夜の闇が、うっそうと生い茂る草木を覆い隠してしまっている。
闇の中、山々の輪郭がうっすらと浮かび上がっている。
空気が冷たい。その空気が、マシンの鼓動に揺れている。
ベッキーは、今度は目線を下げれば、そこにあるのは白いRX-7(FD3S)。
いつでも飛び出せるスクランブルモードに入っている。
どこかの山道の駐車場。
エリナも一緒だ。そのエリナのそばにも、パープルメタリックのRX-7(FD3S)。
細々と灯る駐車場の明かりに灯されて。二台がしずかにさえずっている。
もう一台いる。
白い箱バン車だ。そこから、萌島が後ろのハッチを開いて出てきて。
「よし、データ収集の準備ができたぞ」
と、ほくほく顔でふたりに言った。箱バンにはいろいろと機材が積まれてるぽかった。
「データ収集? ナビなしでラリーをすることが?」
と皮肉る。
「ははは。ラリー、てか峠の走り屋って言う方が正しいかな」
「どっちでも関係ないわ」
楕円オーバルコース出身のベッキーにとって、日本の狭い山道を走るだなんて、まるでラリーでしかなかった。それをナビなしでやれと。
「おまけに、この峠でエリナとストリートレースをしろって。どういうこと?」
まるでわからない。
ビルの一室で退屈な日々を送っている中。萌島が突然やってきて。
「お前ら毎日毎日退屈だろう。良いおもちゃを用意してやったから、それで遊ぶか」
などといって、突然免許証を差し出してきた。
「アメリカじゃ死人だが、日本じゃれっきとした生きた人間になったぞ」
差し出す日本での免許証が、ベッキーが生きているという証、ということか。免許証が交付されるということは、その前に住民票があるということで。そりゃ確かに生きているってことだが。
ぺらぺらしたもので自分の証を立てるというのは、なんだか実感が薄いような気がしないでもなかった。
いやまて、免許証交付?
「うちの組織はでかいからな」
と、にやけ顔の萌島。すこし引いたベッキー。
しかしエリナは無言のまま、免許証をふところに治める。
「先輩、用意ができましたよ」
と、また別の男が萌島を読んだ。
「おう、ご苦労、遊佐」
遊佐と呼ばれた男についてゆくようにうながされて、ベッキーとエリナがビルの外に出てみれば。
そこに、二台のRX-7と、白い箱バンがあった。それから、ここに来るに至るというわけだ。
「生まれ変わるって、ナスカーのレーサーから日本のそのHASHIRIYAに、ってことだったのね」
かつて、公式レースでその走りを認められたものが、極東の地でアンダーグラウンドでのストリートレースとは。考えたこともなかった。
「まあそういうな、走り屋も乙なもんだぞ」
「乙、ねえ。うちの監督がよく使ってたっけ」
あの日本通の監督、なにかにつけてはベッキーをどやしつけていたっけ。そのあと眼鏡のチーフメカが慰めてくれたっけ。
今思えば、良くできたコンビネーションだ。
「覚えてるか」
「覚えてるわ。あのデブとメガネ。あたしを死なせてくれずにモルモットにして売って、薄情なものね」
「いや、それは違うぞベッキー……」
萌島のあとから出てきた遊佐が、何か言いたそうにしている。目配せして、萌島に言っていいかどうかうかがうと。
「いいさ」
という言葉。それなら、と遊佐は言葉を続けた。
「お前を助けてくれって頼んだのは、あのチーフメカだったんだぞ」
「……、まさか」
絶句。あの、あっさりと離れていったのは、自分を見捨てたからじゃないのか。
「違うな、まさかじゃない。チーフメカは、プロジェクトの元メンバーだったんだよ。あの事故の直後、なんとかならないかって相談の電話があってな」
「そこへ、遊佐がまたに相談に来てな。オレらはあくまでもプロジェクトの『いち』メンバーにしか過ぎなくて、勝手に実験対象となる人間を選べないんだが。まあ、そこんとこ上司に相談して、もとい、迫って、お前さんを助けてやったってことよ。ま、成功の確率は五分五分だったけどな」
ベッキーはRX-7のアイドリング音をBGMに、呆然と話を聞いている。
「もっとも、実験対象となるからには、まず死んだことにならないとな。生きてる人間だと、色々不都合があるのさ。なんせ金がかかりすぎるっつーことで、まだ公にできねえんだ、このプロジェクト。あんな状態のお前さんが、いきなり元気になって走り出したとなったら、みんな不思議に思うだろ」
「それに秘密のことだから、公式のレースにも出るというわけにもいかなし。彼と会ってもらうのも、困るんだ。だから、遠く離れた日本で、こっそり走ってもらうしかないんだ。わかってもらえたかな?」
わかったような、わからないような、わかったような……。何も言えず、頷くしかない。
チーフメカはもうベッキーに会えないと思いながらも、同じ会えないのなら、せめてと思ってのことだったのだろうか。
エリナは、黙っていた。
そういえば、どうしてエリナはこんなに落ち着いているんだ。まるで全部知ってるという風に。それに、プロジェクトとは。チーフメカが元メンバーだったとか。そんなこと知らなかった、当然だ、秘密だったのだから。
「あいつは、夢が捨てきれなかったのさ。レースの現場で働きたいって夢をな。ほんと、レースが好きだったからな」
「ね、ねえ、遊佐」
「ん?」
「あなたはどうなの?」
「オレか。オレは、ここでプロジェクトの仕事をするほうが性に合ってる。未知の領域に足を踏み込むスリルと達成感は格別だからな」
「そ、そうなんだ、でもさ……、プロジェクトってなんなの? サイボーグをつくるプロジェクトってこと」
「やれやれ、ツンツンの次は好奇心旺盛ってか」
萌島があきれながらため息をつく。ほんとはあんまり話したくないらしい。が、しかたないという風に、遊佐に何かうながし、自分はさっさと箱バンの中へとひきこもってしまった。
「ああ、まああまり気を悪くしないで。先輩仕事熱心な人だから。わかるよな、この意味」
遊佐の目が、きらりと光ったようだ。それを感じて、ベッキーはごくりとつばを飲み込む。
「オレらのプロジェクトは、あまりおおぴっらに言えないんだ。被験者にもな。いやちゃんと安全は保障する。まあ、サイボーグと、アンドロイドの開発プロジェクトってとこかな」
「あ、アンドロイド?」
「ああ、そこにいるエリナがそうだ」
慌てて、エリナに振り向くベッキー。あの、変にクールなルームメイト、エリナがアンドロイドだという。
「エリナはよくできたアンドロイドさ。まだ実験段階中だが」
「そうなの?」
黙ってうなずくエリナ。
「その通り、私はアンドロイドなんだ。今まで黙っててごめんね」
まじまじと、エリナを見るベッキー。人のことは言えた義理じゃないが、エリナがアンドロイドとはとても思えなかった。どう見ても、人間そのものだ。
「エリナ、証拠を見せてやれ」
というと、頷いたエリナは少し後ろを振り向いて、後ろ髪をかき上げる。そうすれば、うなじにコードの接続用コネクターがあるではないか。
ホクロとか傷跡だのアザではない。ちゃんと、穴が開いている。金属製の、穴が開いている。これは、ベッキーにはない。
それどころか、こめかみを指で突いて、顔の表皮をはがそうとしはじめた。少しめくれた表皮が指につままれて、少しずつ剥がされてゆこうとして、すると鈍い光を放つ金属面が見えた。状態を示すためだろうか、おでこの部分に青いLEDが、うっすらと、青く灯っている。
青色、つまり異常なしということか。ベッキー唖然。
「う、ULTRAMAN……、ぶ、BUDDHA……」
なにがなにやら……。
「おめーらいつまでくっちゃべってんだ! さあ、お喋りはここまでだ。さっさとRX-7に乗れ」
箱バンから萌島が待ちかねたように顔を出して怒鳴る。こめかみに十字に血管が浮き上がっている。それから。
「生まれ変わりたいんだろう、ベッキー。ならさっさと乗り込め」
と号令のように続けた。ふと見れば、遊佐は自分が怒鳴られたと思ったか、胸に手を当てて、ため息をついていた。
エリナが静かに表皮を戻しているのを見ながら、ベッキーは呆然としていたが。萌島の声にはっとして。
なによ、えらそうに。と思いながら、指示通りRX-7に乗り込めば。エリナもRX-7に乗り込む。
ふと思った、同じRX-7だが、異様に音が違う。違うエンジンのバージョンはないはずだ。みんな、13B-REWが乗っているはずだ。それなのに、エリナの乗るパープルメタリックのRX-7だけが、どこか違う気がする。
気のせいかどうかわからない。
いや、走り出せばわかるだろうし。それでもわからなければ、後で聞けばいい。
またふと思った。気のせい? という感じ、それは人間独特のものだと思った。