「ソファカバーが泥だらけじゃねぇか」
床が固い。
毛布がさらさらとした手触りで気持ちが良い。
コーヒーの匂いがする。
盛大なくしゃみと、低い唸り声が聞こえる。
床が固い。体がきしきしと痛い。
毛布がきもちいい。
足音が動いている。重たい足取りで、大きい人なのか重たい人なのか、重量感のある足音だった
かちっと時計の音が聞こえて、ぷちんという音が聞こえて、ぶうんとテレビが点いた。
『六時になりました。おはようございます!』
にこやかに微笑んでいるんだろう、若い女のアナウンサーの声が聞こえる。
足音が近づいてくる。
ドアノブが動いて、ドアががちゃりと開く。
何かが後頭部にものすごい勢いでぶつかった。ドアだ。痛くて飛び上がりそうになる。
「いたい!」
「あ?」
睨むように見上げると、寝癖のひどい、無精ひげを生やした男がいた。男は目が合うと立て続けにくしゃみを繰り返した。くしゃみの途中で「おま」「んで」と言っていたが、よく意味が理解できなかった。
見覚えの無い男だった。男がくしゃみをしている間にあたりを見回す。どうやらリビングダイニングに転がっていたようだ。とても広いリビングで、床にふかふかそうなラグカーペットが敷かれている。あと数歩分ずれて眠っていたのなら、あのラグの上で眠れたのかと思うとちょっと悔しかった。
部屋の真ん中に大きなテーブルがあって、人が四人くらい座れそうなソファ、それから両手で届くかわからないほど大きなテレビがあった。ダイニングではコーヒーメーカーが動いていたらしく、オレンジの電気が点いている。
「なんだお前は」
一通りくしゃみを終えた男が言った。そしてすぐに顔をゆがめた。
「ソファカバーが泥だらけじゃねぇか」
毛布だと思っていたものは実はソファカバーだったらしい。真っ白なそれには、所々茶色い土がついていて、自分の着ている服にも同じものが着いていた。
「…………」
ソファカバーと男を交互に見る。やはり男にもソファカバーにも見覚えはない。こんなに触り心地の良いソファカバーなら絶対に覚えている。
『本日は花粉がとても多いので、外出した後は家に入る前にしっかりと花粉を落としましょうね。それだけでも大きな違いがありますから!』
男が三度くしゃみをし、舌打ちをしてリビングの中にずかずかと入る。きちんと片付けられたテーブルの上にちょこんと乗っているティッシュをがしがしと取り出し、鼻をかんだ。
「お前、ここに入る前に花粉落とさなかっただろう」
ぐしぐしと洟を啜りながら男が言う。次いで扉の向こう側を指差す。
「とりあえず外に出て体とソファカバーの花粉を落として来い。話はそれからだ」
「……花粉落とすってどうやったらいいの?」
「玄関にあるブラシを持って外へ出て、頭を叩いてブラシで服を払え」
男はいつの間にか、部屋の隅にあった機器の前――おそらく空気清浄機――前に立っている。
何がなんだかわからないまま、リビングを出る。また扉があったのでそこを開こうとしたら声が飛んできた。
「そこは寝室だから入るな! 玄関はまっすぐ行った所!」
言われるまま玄関のブラシを持って外へ出て、短い髪の頭を払って服にブラシをかける。
ソファカバー、右足、左足、右手、左手と順番にブラシをかける。
「あ」
昨晩の事を思い出した。
付着していただろう花粉を取り除き、もう一度部屋へ入ると、男はマスクをして仁王立ちしていた。
ぼさぼさの前髪をくしゃっと手で押さえ、男が言った。
「で、お前は何なんだ」
「――――あたしは、ネコ」
「は?」
男は目が悪いのか、少し目を細めて言った。
「ネコ」
ネコは自分を指差し、それから男を指差して言った。
「アナタが昨日、ネコを拾ってペットにするって連れて帰ってきたの」
男が盛大にくしゃみをした。