竜人王女の番
エドワードが竜人国の王女であるエレオノーラと婚約したのは、彼が17歳の時である。
お忍びで小国を散策していた王女がエドワードを見掛けた際に番認定し、それを聞いた国王が電光石火の速さで婚約を結んだため、当のエドワードに話が伝わったのは既に何もかもが決まった後であった。
宗主国たる竜人国の属国に過ぎない人族の小国から竜人族の王女の番が現れたことで、エドワードの住まう国は他の属国よりも破格の待遇を受けられるようになり全国民が彼を讃えた。
それまで小国の子爵令息に過ぎなかったエドワードの地位はたちまち急上昇し、国王さえも彼の機嫌を取るようになる程だったという。
だが、いくら周囲から持ち上げられ、名誉なことだと褒めそやされても、一方的に婚約を結ばされたことにエドワードは不満を抱いていた。
何故なら幼い頃にエレオノーラの父王と兄王子を遠目に拝見した時に、あまりの厳つい身体と纏う覇気の圧力にちびったことがあったからだ。
金髪碧眼のエドワードは子爵令息だが、高位貴族の令嬢から言い寄られたこともあり、自分の容姿にそれなりの自信を持っていた。
竜人王女の番と判明した後では令嬢達は波が引くように離れていったが、今でもこっそり秋波を送ってくる令嬢もいる程には見目がいい。
そんな自分の婚約者がゴツイ女だったら嫌だなと、エレオノーラとの顔合わせの時に内心げんなりしていたエドワードの前に現れたのは、新緑の髪をツインテールにした小柄な少女だった。
「エレオノーラです。私の番様、どうか末永くよろしくお願いいたします」
そう言って頭を下げた今年で13歳になるというエレオノーラは、身体が細く随分と幼く見える。
想像と全く違うエレオノーラにエドワードは胸を撫でおろすも、いかにも幼児体型な婚約者に違う意味でがっかりしていた。
その考えが表情に出ていたのか、紅い瞳を不安げに揺らしたエレオノーラはエドワードの機嫌を取るように、趣味や嗜好を訊ねては大仰に頷いたり微笑んだりして場を和ませた。
エドワードの方も何を言っても肯定してくれる可愛い年下の女の子に、落胆した気持ちは消え失せ、顔合わせが終わる頃には、すっかり上機嫌になっていた。
小国の国王が忖度したせいで超スピード婚約となってしまい、心配していたエレオノーラの父王は、まだぎこちないながらも二人が打ち解けたのを見届けると、娘が成人する18歳になったら結婚させることに決めた。
番を認めてもらえたエレオノーラは飛び上がって喜び、エドワードもまんざらではないように、この時はまだ見えた。
王族としての教育に忙しいエレオノーラだったが、暇を見つけてはエドワードに会いに行った。
本当は番と一時でも離れていたくなかったが、結婚すればエドワードは竜人族の国で暮らすことになるので、それまでは家族や友人との時間を過ごさせてあげたいと彼女なりに配慮したのだ。
それでも会いたい気持ちは止められず、頻繁に小国を訪れてはエドワードに山のような贈り物をし、短い逢瀬の間中彼を気遣い、どんな些細な要望でもすぐに叶えてみせた。
まるで彼の言うことは絶対だというようにエレオノーラが番に執心しているのを知った人々は、エドワードに益々阿るようになっていった。
そのせいか、もともと少し傲慢な所があったエドワードは、まるで自分が国王になったかのように振舞うようになる。
彼の両親や親族もエドワードを後ろ盾に遣りたい放題で、問題を起こすようになっていった。
しかしエドワードが王女と婚約したおかげで、兵役や税金、関税や自治権までも他の属国よりかなり優遇されているのは事実なので、彼を嗜める者は誰もいない。
まさに唯我独尊状態のエドワードは、次第にエレオノーラが訪ねてきても用事があると言って断るようになる。
番に会えないエレオノーラは寂しそうな顔をしていたが、エドワードを責めることはなく、父親に訴えることもしなかった。
そうしている間にも月日は流れ、迎えたエレオノーラの成人の日。
今ではすっかり国王さながらに王宮の夜会へ遅れて入場してきたエドワードの隣には、見知らぬ女性がエスコートされていた。
漸く番と一緒になれると、喜びいさんでエドワードを迎えに来たエレオノーラが怪訝な表情を浮かべる中、信じられない言葉が投げつけられた。
「エレオノーラ、君との婚約は破棄する。君がいかにも竜人っぽい父王や兄君に似なかったことは僥倖だが、生憎僕は幼児体型が好みじゃないんだ」
そう言って隣の妖艶な美女を抱き寄せエドワードは不敵に笑う。
美女は最近エドワードが懇意にしていると噂の男爵令嬢で、ボンキュッボンをことさら強調したドレスを翻しながら、まだ幼さが残りつつも精一杯背伸びをして新緑の髪を夜会巻きに結いあげたエレオノーラを見下していた。
「王女様なのに婚約破棄されちゃうなんてお気の毒様。でも番には変わりないんだから、エドワード様のお願いなら何でも聞いてくれるんでしょ?」
美女の言う通り、エレオノーラは今までエドワードのお願いは全て聞いてきた。
竜人族は番を大切に扱う。
それが解っているからこその彼らの暴挙なのだろうが、さすがの周囲も今回ばかりは青褪める中、暫く状況についていけず瞬きさえも忘れて制止していたエレオノーラは、やがて大きく息を吐き出すとニコリと笑った。
「……そうですか。わかりました」
エレオノーラはそう言うと同時にクルリと背を向け会場を後にする。
慌てた国王や大臣が追い縋るが、エレオノーラが連れてきていた侍女達に阻まれ、その間に彼女は竜人国へと帰国してしまう。
一方、婚約破棄をしてもエレオノーラが自分に従順だと確信したエドワードは上機嫌で、糾弾してきた国王達を黙らせると、男爵令嬢を連れて意気揚々と自宅へ戻り快楽を貪った。
しかしそれは束の間の幸せに過ぎなかった。
翌日、昼過ぎまで寝ていたエドワードは、国王麾下の兵士によってたたき起こされる。
不機嫌を隠しもしないエドワードが兵士を睨みつけるも、いつものように謝罪は一向にされず、引き摺るように王宮へ連行され驚愕の事実を聞かされた。
宗主国の王女の番がいるからと、これまで優遇されていた様々な特権が全て剥奪されたのである。
幸せいっぱいといった笑顔で出かけていった掌中の珠である末娘が、涙を堪えた笑顔で「婚約破棄をされてしまいました」と帰ってきたことに、父王と兄王子が許さないわけはなかったのだ。
それでもエレオノーラが罰は与えないでほしいと懇願したため、他の属国と同じに戻っただけなのだが、恩恵に預かれなくなった人々は原因となったエドワードへ手のひらを返したように冷たくなり、過激派の中には命を狙う輩まで出てくる始末であった。
甘やかされることに慣れてしまったエドワードがそんな状況に耐えられるはずもなく、エレオノーラに文句を言うべく竜人国へと向かう。
彼はまだ、エレオノーラは番である自分の言うことをきいてくれると安易に考えていた。
翼竜を自在に操れる竜人族ならば、さして時間がかからない距離を、馬車で数日かけ疲労困憊になりながら竜人国へ辿りついたエドワードだったが、エレオノーラがいる王宮へ向かうも門前払いされてしまった。
祖国での糾弾と慣れない馬車の旅に苛立ちがピークに達していたエドワードは、ここが宗主国だということも忘れて喚き散らす。
「ぼ、僕はエレオノーラの番だぞ! 僕の言うことは絶対なんだからな! お前ら全員死刑にしてやる! それが嫌なら謝罪して、さっさとここを通せ!」
エドワードの言い分に門番は、まるで意に介さないばかりか虫けらでも見るような眼差しを向けていたが、内側から門が開く気配にハッとしたように姿勢を正すと恭しく頭を下げた。
「人族とは、かくも恥知らずな者なのか」
冷たい声と共に現れた兄王子に、エドワードは自分を迎えに来たのだと門番に向かって得意げに鼻を鳴らす。
だが兄王子に話しかけるため近づくと、射殺すような視線に漸く気づいて足を止めた。
エレオノーラが一緒の時にしか話したことがなかったが、筋骨隆々な見た目に反して温和な兄王子だったと記憶していたエドワードは戸惑いを覚える。
そんな彼に兄王子は紅い瞳を更に紅くして地を這うような声音で告げた。
「エレオノーラは長い眠りについた。お前が死ぬまで目は覚まさない」
「は? どういうことですか?」
成人したはずのエレオノーラが、何故眠りについたのか皆目見当がつかないエドワードが聞き返すと、兄王子は口角が上がっているはずなのに、まるで笑っていない凍るような表情を浮かべた。
「勝手に番認定した後ろめたさもあったと思うが、それでも献身的にお前に尽くしたエレオノーラの何が気に入らなかった? ああ、幼児体型が嫌なのだったか? だから衆人環視の前で婚約破棄という暴挙に出たのか? お前に気に入られようと、必死に頑張っていたエレオノーラの気持ちは考えなかったのか? 竜人族の番として選ばれ、自分ではどうやっても変えられないことに苦しんだお前に同情の余地はあるのかもしれないが、あの子もまた、努力してもどうにもならないことを理由に婚約破棄を告げられ、身を引かざるをえなかったのだぞ。その時のエレオノーラの気持ちを思うと胸が張り裂けそうになる。人族のお前には絶対の番に捨てられたあの子の絶望は解るまい」
怒りを堪え、早口でもなく、捲し立てるのでもなく、兄王子は淡々と話を続ける。
「我々、竜人族が番を溺愛してしまう傾向にあるのは認めよう。だが息苦しいまでの深い愛情は人族には伝わらないばかりか、踏みにじられてもいいのだと解釈されようとは、な。ああ、それでもエレオノーラは次の番が現れるまで自分の時を止めることを選んだのだ」
話ながら痛いほど拳を握った兄王子の両手からは血が滴り落ちている。
「エレオノーラは眠りについた。番と婚約破棄したお前はもう竜人族の王女とは何の関係もない、ただの人族の青年に過ぎない。早々にこの場を立ち去れ、そうでないと……」
「そんな! それでは僕の立場は……」
「そうでないと可愛い妹の願いを聞き届けてやれなくなりそうだ」
言いかけたエドワードの言葉は、紅い瞳に明確な殺意を灯した兄王子に遮られた。
これにはさすがの彼も怖じ気づき、自分の置かれた立場を改めて思い知る。
エドワードの願いを叶えてくれていたエレオノーラは番に拒否され眠りについてしまい、彼女の庇護は無くなってしまった。つまり、それが意味するのはエドワードにとって絶望の未来。
「うわあぁぁ! 違う! こんなはずじゃなかった! 僕は竜人王女の番で、誰もが僕にひれ伏す存在だったのに!」
自分自身には価値がないと言っていることには気が付かないエドワードに、聞くに堪えないと兄王子は背を向け、門番は憎々し気に彼の背を鷲掴みにすると王宮の外へ放りだしたのだった。
その後、竜人国から追い出され、祖国から逃げるように各地を転々としていたエドワードだったが、半年もしないうちに捕らえられ、エレオノーラの願いは叶わず小国の人々によって残虐ともいえる方法で処刑された。
そのころには息子の七光りで権勢を恣にしていたエドワードの両親と親族も斬殺されており、彼が侍らせていた美女と彼女の実家である男爵家も、同様に嬲り殺しの憂き目にあっていたらしい。
家族も恋人も救うことなく只管自分だけ逃げ続けたエドワードに、エレオノーラの父王は呆れ兄王子は乾いた笑みを浮かべるしかなかった。
竜人国にとって忌まわしい出来事から百数年後、ずっと眠り続けていたエレオノーラが目を覚ます。
番が亡くなるまでと誓約を立てた年月よりも長く眠っていたせいか、あれほど焦がれていたエドワードのことを思い出しても、胸が全然痛まなくなった彼女の元に、ある日番と称する人族の青年が現れる。
人族は番を認識することができない。
訝しんだ門番が尋問すれども男は「夢に出てきた竜神様から言われたのだ」と言い張り、怪しい素振りも経歴もないことが判明したが、まさか人族の番に悩まされた王女に会わせるわけにもいかない。だが本物の番だったらと考えると無碍にもできない。
そうして数日留めている間に番の気配に惹かれたエレオノーラの方が、門までやってきて認定されたのだった。
またしても人族の番に、最初は警戒していたエレオノーラだったが本能には抗えず、二人は結婚を決める。
エドワードのように彼も変わってしまうのだろうかと、心配していたエレオノーラと国王になっていた兄だったが、男は元来の性格故か何年経っても傲るような態度はみせなかった。
「恥知らずなのは、種族の特性ではなかったのだな」
王宮の庭園で、自分や妻の親戚の子供たちと戯れる義弟を見ながら呟いた兄王に、エレオノーラは眉尻を下げる。
「まあ、お兄様ったらずっと勘違いなさっていたの? それは人族に対して失礼というものよ。だから竜人族は高慢だなんて言われてしまうのだわ。私達だって千差万別だというのに」
口を尖らせたエレオノーラは、瑞々しい新緑の髪に、潤んだ紅い瞳を持ち、小柄で幼さが残った顔立ちをしており、子供まで生んだというのに、いつまでも少女のような外見だ。
本人にとってはコンプレックスでトラウマだったのだが、夫がその姿も愛しいと毎日言い続けてくれたおかげで、今はもう無理して大人びた格好をするのは止めている。
他種族のため寿命の長さが違う夫と並ぶと、今では父親と娘に見えてしまうが、エレオノーラも夫も気にすることはなく、互いを尊重し合う穏やかで幸せな毎日を積み重ねていった。
やがて夫が老衰で亡くなるとエレオノーラは自身の離宮から決して出てこなくなり、寿命までの長い年月をずっと独り身を貫いたのだった。
ご高覧くださりありがとうございました。




