第六話 逃亡、即終了のお知らせ
それから、できるだけルネ様と顔を合わせないようにした。
食事の時間を少しずらす。用事を作って部屋にこもる。廊下で足音が聞こえたら、わざと遠回りする。――最低だな、俺。自分でもそう思う。でも、仕方ない。
あのまま普通に接してたら、絶対に無理になる。好きだなんて、気づかないふりもできなくなる。だから、これでいい。……いいはずなのに。胸の奥が、ずっともやもやしていた。
静かになった部屋で、一人でいると余計に考えてしまう。今頃、何してるんだろう、とか。朝はちゃんと食べたのか、とか。――いや、なんで俺がそんなこと気にしてるんだ。
ぶんぶんと頭を振る。関わらないって決めたばかりだろ。なのに、気づけばルネ様のことばかり考えている。……最低だ。距離を取るどころか、余計に意識してるじゃないか。
ため息をひとつついて、ベッドに倒れ込む。視線の先に、天井。昨日と同じ光景が、頭に浮かぶ。近くにいた顔。触れた温度。――やめろ。
「……っ」
思わず顔を覆う。思い出しただけで、心臓がうるさくなる。こんなの、どう考えても普通じゃない。やっぱりあれだ。吸血とかいうやつの影響だ。そうに決まってる。じゃないと、説明がつかない。
……つかない、はずなのに。ゆっくりと手を下ろす。胸の奥にある感情は、消えるどころか、さっきよりはっきりしていた。――本当に、それだけか?
自分に問いかける。答えは、分かってる。分かってるから、考えたくない。
「……外、行こう」
このままじゃだめだ。考える暇があるから、余計なことを考えるんだ。何かしていれば、少しは紛れるかもしれない。そう思って、部屋を出た。
ドアから頭だけ出して周りを見渡す。不審者か? 俺は。いやでも仕方ないだろ……。廊下に出ると、静けさが広がっていた。人の気配はない。……よかった。少しだけ安心して、歩き出す。
できるだけ、ルネ様の部屋から遠い方へ。……そうだな、噴水のところとかがいいかな。足音を殺しながら、ゆっくり進む。曲がり角に差しかかったときだった。
「朔」
――びくり、と体が固まる。聞き慣れた声。そして、今は一番聞きたくない声。逃げなきゃ、と思った。思ったのに。足が動かなかった。ゆっくりと、振り返る。そこに、ルネ様がいた。
「る、ルネ様……」
一歩、後ろに下がる。――その瞬間。
「待って」
低い声。びくり、と肩が跳ねる。足が、止まった。
「……どこ行くの?」
いつもと同じ、穏やかな声。でも、何かが違う。逃げちゃいけない気がする。そんな、妙な圧があった。
「えっと……外、に」
うまく言葉が出てこない。視線を逸らしたまま答える。
「ふうん」
短い相づち。それだけなのに、心臓が嫌な音を立てる。一歩、近づいてくる気配。やばい。距離を詰められる。分かってるのに、体が動かない。
「……朔」
名前を呼ばれる。下から、覗き込むように。さっきより、少しだけ近い距離で。
「最近、避けてるよね」
「っ……!」
図星すぎて、言葉が詰まる。
「そ、そんなこと……」
反射的に否定する。けど。その瞬間、手首を掴まれた。
「あるよ」
逃がさない、という意思がはっきり伝わる。ぐっと手首を引く。強くはないのに、外せない。
「ねえ、なんで?」
すぐ目の前に、ルネ様の顔があった。視線を逸らそうとして。でも、できなかった。逃げなきゃいけないのに。目が、離せない。
「……なんでも、ないです」
ようやく絞り出した言葉は、情けないくらい弱かった。
「なんでもなくはないでしょ」
即座に返される。逃げ道を、塞がれる。
「顔、見てくれないし」
「それは……!」
言葉が続かない。言えるわけがない。好きだから避けてるなんて。
「僕、嫌いになるようなことしたかな?」
少しだけ、声が低くなる。責めてるわけじゃない。でも。その問いに、胸が締め付けられる。
「して、ないです」
即答だった。本当に、何もされてない。むしろ、優しくされてばかりで。だから困ってるのに。
「じゃあ、なんで?」
逃げられない。視線も、手も、全部。捕まってる。
「……っ」
喉まで出かかった言葉を、無理やり飲み込む。言ったら終わる。全部、壊れる気がする。でも、でも。このまま黙ってるのも、無理だった。
「……その」
口を開く。震えているのが、自分でも分かる。
「……迷惑、だと思って」
「え?」
一瞬、空気が止まる。
「俺が、その……近くにいると」
視線を落とす。もう、顔を見ていられない。
「ルネ様にとって、邪魔になるんじゃないかって」
――違う。本当は、そんなこと思ってない。分かってる。それでも。それ以上のことは、言えなかった。言ったら。戻れなくなる気がして。
少しの沈黙。手首を掴む力は、そのまま。でも、逃がす気配はなかった。
「……朔」
名前を呼ばれる。さっきより、少しだけ柔らかい声で。
「それ、本気で言ってる?」
「……はい」
嘘だ。全然嘘。でも、これ以上は言えない。言えない、のに。
「嘘でしょ」
あっさりと、見抜かれた。
「っ……」
息が詰まる。逃げ場が、ない。
「目、見て」
「……無理です」
反射的に答えていた。見たら、全部バレる。そんな気がして。
「じゃあ、こっち向かせる」
その言葉と同時に。掴まれていない方の手が、顎に触れた。軽く、持ち上げられて、目が合った。
「っ……」
無理やり、視線が合う。逃げられない。……こんなの、反則だろ。
「……何考えてるの?」
静かに、問いかけられる。優しいのに。逃げさせてくれない声。――もう、限界だった。




