第五話 俺ってちょろすぎ?
目を覚ますと、見知らぬ天井だった。いや、見知らぬっていうか。……多分、ルネ様の部屋だ。俺はベッドの上に寝かされていた。体を起こそうとして、ふと気づく。隣に誰かいる。顔を向けると、ルネ様が座っていた。
もう起きていたらしい。静かに俺を見ている。その瞳は、昨日までとは少し違っていた。どこか、柔らかい。愛おしいものを見るみたいな目だった。俺は少しだけ照れて言った。
「……お、おはようございます」
ルネ様はほんの少し微笑んだ。
「おはよう」
それから静かに言った。
「……ありがとう」
俺はゆっくりと体を起こした。少しだけ、体が重い。熱があるわけでもないのに、妙にだるい。ふと首に違和感を覚えて、手をやる。包帯が巻かれていた。
「あ」
指先に触れた感触で昨日のことを思い出す。牙が刺された感覚と、そのあとの熱がぼんやりと蘇る。……うわ。思い出したらちょっと恥ずかしくなってきた。
「あの……」
声を出した瞬間、自分の鼓動がやけにうるさいことに気がついた。どくん、どくん、と胸の奥が騒がしい。なんだこれ。ふと視線を上げるとルネ様と目があった。
「どうしたの?」
その瞬間、心臓が大きく跳ねる。
「……っ」
思わず視線を逸らしてしまった。……え、なんで??
「まだ、気持ち悪い?」
ルネ様が尋ねる。その声が、やけに近く感じた。ていうか、いつもより物理的に距離が近いし、声も甘い、気がする。
「だ、大丈夫です」
答えながら、ちらっと顔を見る。優しい目をしていた。昨日と同じはずなのに全然違って見える。そのとき、ふと頭に浮かんだ考え。――あれ? 胸の奥が、じんわりと熱くなる。これ、もしかして。俺。この人に、恋してる?
……いやいやいや。なんで?? 昨日まで、こんなこと思ってなかったはずだ。いやでも待てよ?思い返してみれば。飯を作ってくれたり、怒らなかったり。……あれれ? もしかして前から少しは……。
確かに、イケメンだし、優しくしてくれるし、イケメンだし、この広い屋敷にずっとひとりっていうのも……。あ、イケメンは大事なことだから二回言った。いやでもこんな急に? 意味がわからない。
そこでふと現実に戻される。ルネ様は貴族だ。それも普通じゃない。長く生きてる吸血鬼。俺は? 奴隷だ。……仮に買い戻せたとしても、せいぜいただの平民。どう考えても釣り合うわけがない。
それでも。さっきから目が離せない。声を聞くだけで少しだけ安心する。近くにいるだけで、近くにいるだけで落ち着かないのに、もっと近くに居たい、と思ってしまう。……だめだ、これ。このままじゃまずい。
これ以上関わったら。きっともっと好きになる。――どうしようもなくなるくらい。でも。それはダメだ。ルネ様の立場もあるし。迷惑をかけるわけにはいかない。だから。これ以上関わらないようにしよう。できるだけ距離を取ろう。そう、決めた。……決めた、はずだった。
「朔……?」
声がして、顔を上げる。ルネ様がすぐ近くにいた。さっきより、さらに距離が近い。
「っ……」
思わず身体を引いた。けど、後ろは壁で、それ以上は下がれない。
「どうしたの?」
不思議そうに首を傾げる。その距離でその仕草は、やめて欲しい。
「い、いえ! なんでもないです!」
慌てて答えると、ルネ様は少しだけ眉を寄せた。
「本当に?」
「本当です!」
うん、嘘だな。自分でもわかるくらいに動揺している。というか、近い。近い近い近い。心臓がうるさい。なんでこんなに近いんだよこの人。いや、いつも通りなのかもしれないけど、今は無理だ。
「体調は、大丈夫そうだね」
ルネ様が、少しだけ距離を取った。その瞬間、ほんの少しだけ寂しくなってしまう。――いや、違う。今のは良かったんだ。距離を取るって決めたんだから、これでいい。これで。
「じゃあ、部屋に戻る?」
「え?」
思わず聞き返す。
「朔の部屋」
ああ、そうだった。ここ、ルネ様の部屋だもんな。
「……はい」
本当は、少しだけ迷った。もう少しここにいたいなんて。そんなことを考えてる時点で、もうダメだ。俺はベッドから降りた。少しだけふらつく。
「大丈夫?」
すぐに手を差し出される。反射的にその手を取ってしまった。触れた瞬間、また心臓が跳ねる。やばい、これはやばい。
「すみません……」
慌てて手を離す。
「平気?」
「はい! 全然!」
全然じゃない。むしろ全力で無理だ。でもそんなこと言えるわけがない。ルネ様は少しだけ不思議そうな顔をしたけど、何も言わなかった。
廊下を並んで歩く。……いや並んでるのが問題なんだよな。少しだけ、一歩分だけ離れる。うん、これくらいでいいだろ。
「朔?」
「はい!?」
名前を呼ばれてびくっとする。
「そんなに離れなくてもいいよ」
ばれてる。
「い、いえ!別にそう言うわけじゃ……」
我ながら何を言ってるか分からない。
「?」
首を傾げられる。やめてくれ、その仕草は心臓に悪い。
「なんでもないです……」
俺はそれ以上何も言えなかった。――無理だ。距離を取るとか言ってたけど。こんなの。全然うまくいかない。




