第三話 吸血鬼の本を本人の前で読んでみた
俺はただの大学生・綾瀬朔良。深夜、夕飯を買いにコンビニに行ったら異世界に転移してしまった。三日三晩森を彷徨った俺は、街道近くでアラン様に拾われ、目が覚めたら……奴隷になっていた。
ルネ様の屋敷に来てから、数日が経った。結論から言う。――ここでの生活、全っっっ然、奴隷っぽくない。朝起きる、飯が出る(しかもルネ様お手製)、部屋は広い、怒鳴られない。鎖もない。……あれ?俺って奴隷だったよな?
朝起きるのも、なんならルネ様の方が早いし、仕事らしい仕事もない。しょうがないから庭でぼーっとしたり、図書室の本を漁っている。バカな……!? こんな生活、俺のデータにないぞ!? ……いや本当に、俺って奴隷だよな?
その日の朝も、俺は食堂の椅子に座っていた。テーブルは貴族のお屋敷らしい、馬鹿みてぇに長いやつ。目の前にはごく普通の朝食。パンとスープにサラダ。
そしてその向かいにはルネ様。……ただし食べているのは俺だけだった。ルネ様は紅茶を飲んでいるだけだ。そういえば――。ここに来てから、ルネ様が食事をしているところを見たことがない。ルネ様は吸血鬼だから、血を飲むんだよな?俺は少し迷ってから口を開いた。
「あの、ルネ様」
「どうしたの?」
「血……飲まないんですか?」
「……番以外の血は飲まないから」
……え、じゃあ今までずっと飲んでないの? もしかして吸血鬼にとっての血液って、嗜好品みたいな立ち位置なのかも。なるほどなぁ。じゃあ普通の食事って必要ない感じ? 上位存在じゃん。吸血鬼すげぇ。
でも番以外の血を飲まないってことは、今まで番が見つからなかったってことか。
そのとき、俺は屋敷中に飾られている肖像画を思い出した。どれひとつとっても同じ人物を描いたものはない。その数から、ルネ様がどれだけ長い時間を生きているかが窺い知れる。……ルネ様って、ずっと一人なのかな?このお屋敷、使用人さんとかいないし。
「慣れているよ。長く生きるって、そういうものだから」
その言い方が、あまりにも自然だったから、俺はそれ以上何も言えなかった。――長く生きるって、そういうもの。つまり、ずっとひとりだったって言うことだ。
なんとなく居心地が悪くなって、俺はパンをちぎって口に入れた。さっきまでは普通に食べていたはずなのに、急に味が分からなくなる。
「……朔?」
顔を上げると、ルネ様がこちらを見ていた。
「どうしたの?」
「い、いえ!なんでもないです!」
慌ててスープを飲む。あぶない、変な空気にするところだった。そのあと朝食は、少しだけ静かなまま終わった。
食事のあと、俺はいつものように図書室に来ていた。
この屋敷の中で、俺が一番気に入っている場所だ。壁一面に本棚が並んでいて、脚立まで置いてある。多分学校の図書館よりも蔵書量が多い。
奴隷がこんなところに入り浸ってていいのかは知らないけど。でもルネ様は「好きに使っていいよ」と言った。……本当にいいんですかね。
疑問に思いながら、俺は一冊の本を手に取った。『吸血鬼の生態』……いや、本人いるじゃん。思わず本を閉じる。
「何を読んでいるの?」
後ろから声がして、思わず肩が跳ねた。
「うわっ!?」
振り向くと、いつの間にかルネ様が立っていた。
「そんなに驚く?」
「いや、急に後ろに立たれるとびっくりするんですよ……」
俺は手に持っていた本を見せた。
「これです。吸血鬼の本」
「へえ」
ルネ様は少しだけ覗き込んだ。
「面白い?」
「まだ最初の方なんでなんとも」
ページをめくると、やたらと物騒なことが書いてある。日光が苦手とか、血を糧にするとか、人間を魅了するとか。ちらっとルネ様を見る。今のところ、全部当てはまってない気がする。
「ルネ様って、太陽は平気なんですか?」
「多少はね」
「血を飲まないのも珍しいんですか?」
「珍しいと思うよ」
あっさり返ってきた。なんだろう、この人。吸血鬼なのに吸血鬼らしくない。むしろ――普通に優しい。
そのあと俺は庭に出た。屋敷の裏に広がっている庭は、何度見ても庭のサイズじゃない。ほとんど森だ。少し歩くだけで木が生い茂っていて、鳥の声まで聞こえる。
お貴族様の庭ってこんなもんなの? 俺が木の下でぼーっとしていると、後ろから足音がした。
「こんなところにいたんだ」
振り向くとルネ様だった。
「はい。部屋にいても暇なんで」
「退屈?」
「いや、そういうわけじゃないですけど……」
俺は少しだけ迷ってから言った。
「その……俺、何か仕事とかした方がいいですか?」
奴隷なのに何もしないって、なんか落ち着かない。でもルネ様は首を横に振った。
「気にしなくていいよ」
「でも」
「朔がここで普通に過ごしてくれるだけでいい」
さらっと言われて、言葉に詰まる。……なんだそれ。俺は視線を逸らした。庭の向こうには屋敷が見える。窓の奥には、あの肖像画が飾られている廊下があるはずだ。
あの絵の人たちは、誰なんだろう。家族とか、友達とか、そういう人たちなんだろうか。ふと隣を見る。ルネ様は静かに空を見上げていた。――長く生きるって、そういうもの。その言葉が、また頭の中に浮かんだ。……この人、本当にずっと一人だったのかもしれない。そんな気がした。




