境界線の前夜
─────2025年某日夜、横須賀
「一昨日上陸した大型で強い台風13号は、依然として強い勢力を保ったまま北上を続けています。では本日の天気予報です。中部から関東は台風の影響で──」
テレビから流れる気象予報士の声に混じり、外では雨戸を揺さぶる風がうなりを上げていた。暴風警報や大雨警報、波浪警報。関東の自衛隊基地には一斉に待機命令が出され、隊舎の空気はどこか張りつめていた。
「中心気圧940って、かなり強くないか? さっきから窓ガラスもガタガタ言ってるし」
部屋の隅で誰かが呟く。冗談めかしてはいたが、その声には僅かな震えがあった。司令からも「厳重に警戒せよ」との通達があったばかりだ。
「雨、すげえな……土砂降りだ。……雨雲レーダーでも見る.......か.....」
そう言いかけた隊員が、スマホを覗き込み、言葉を止めた。数秒の沈黙の後、彼は顔をしかめ、叫ぶ。
「……おい。なんで圏外なんだよ!?台風ごときで電波が止まるわけないだろ!?」
周りの隊員たちも慌てて自分の端末を確認する。画面の端には、無情に「圏外」の文字が並んでいた。
「……まあ、ただの電波障害だろ。寝て起きたら台風も過ぎて、電波も戻ってるさ」
誰かがそう言って場をなだめる。納得しきれぬまま、それでも皆、置物となったスマホを置き、眠りへと沈んでいった。
──その夜が、任務も規律も意味を変える「境界線」になるとは、誰も想像していなかった。