第89話:鼠の義侠心
砲撃隊の為に用意された想撃砲は当然近距離を狙う為には作られていない。クロエの持っている物はあくまで試作品に改造を重ねている物であって、汎用性には欠き、持ち上げられるようになど作られていない。
故に、この状況において、彼等はどうするのが正しいだろうか。
「心器か、その気配。成る程、あの時の狙撃は貴殿の物か」
使徒が心器を引き摺りながら、彼等のいる甲板。その中心に立っているのだから。
砲撃隊としてのみが彼らの役割ではないとはいえ、急遽搭載された砲撃とその砲撃隊。隊員の練度も低く、撃てれば一旦良しとする形でここにいる彼等には、指一本動かすだけで死が待っている様な錯覚すらも。
そんな彼等の状態をライは理解していた。ケルベロスの咆哮とこの空間の影響で身体が重く、長く抱いていなかった恐怖心が無理やり掘り出されている事にライ自身も変わりはない。だからこそ、彼等がこの瞬間を生き延びられるかどうかは、自分にかかっている自負があるのだ。
慎重に一歩踏み出す。周囲の人間は彼が使徒を変に刺激しないかで戦々恐々としていた。まだ、使徒が自分達を助けてくれるという慈悲の可能性に縋る思いが少なからずあるからだ。
「貴殿?貴殿だってよ。ははっ!!気取りやがってさ、君達とか言ってなかったな?折角知り合ったんだ、他人行儀はよそうぜ。私刑執行人さんよ」
しかし、そんな周囲の期待とは裏腹にライは不敵に笑い飛ばした。無論、相手もそれでめくじらを立てる様な人間でもなかったが。
「そうはいくまい。こちらとて、歩み寄っていたつもりなのだからな。しかし、今は真の敵同士だ。敬意を払わねばな」
「親しき仲にも礼儀ありっつー言葉知ってる?東の国の言葉だ。歩み寄ってる時から敬意を評してほしかったもんだね、家畜だと判断したので憐れみますっつわれてるみたいで不愉快だわ」
「成る程、これは失礼した。地球人同士としての接し方を意識したつもりが、かえって逆効果だったらしい」
「まぁ、気にすんなよ。ディスコミュニケーションなんてよくある事だし。俺が捻くれ者だっただけだからさ。なにより、ここから先はそんな失点も増えなくなるさ」
「成る程、ならば尚更にその失点が増えない様努め続ける、貴殿の言葉は無駄にしない」
「はっ、無駄にしてくれて良いぜ。使い捨てだからな」
それを合図に棺が先に振り下ろされ、ライは数歩分下がって回避しながらも、棺が地面についてる隙を逃さずに棺で反動を消す様に銃を乗せ、引き金を引く。対物を想定した大口径の弾は目に見えない速度で使徒を狙い、風を裂きながら頭へと飛んでいく。
代償は支払わず、まずは通常の銃として使う。この距離で相手に当てるだけならば代償を乗せる必要もなければ、短期間に支払い過ぎて身体にガタが来ているのもまた事実だ。
「それでやれるのならば、最初の狙撃で殺せていたはずだ。精度も落ちているだろう?甘い」
しかし、来る事そのものを予想されていた攻撃に、既に使徒は対策をしていた。鎖で払うには対物ライフルの弾の強度が高く、心器と言えども損傷があり得る。ならもう、簡単な話だ。
点と言うには大きいが、連射のきかない銃ならばその1発はあくまでこの移動幅の中の点でしかない。少なくともこの世界での身体能力ならばそうだ。だから、軌道修正が効かない撃つと分かる瞬間を狙って横に走り、もう片手の棺で砲撃隊の内の1人を斜め後ろからぶつける。
「ぐ、ぇあ……!?」
その勢いのまま吹き飛ばされた隊員は、ライの方向に飛んでくる。無論、それを放っておく、避けて放置する、その選択肢は今の彼にはない以上、受け止めるのだ咄嗟に。
「ちっ、罠だと分かってんのに……!おい、息してんな!」
「こ、これぐらいでは死にません。なん、とか……骨が痛い、くらいで」
「なら退がれ、援軍を呼びに行け!ここは死場所には相応しくないだろ!砲撃隊!ケルベロスに向けての援護射撃を続けろ!!コイツは俺が引き付ける、通信機越しに状況は分かってるはずだ。援軍までもたせる!!」
地面に刺していた棺も既に引き上げられ、もう片手の棺が2人のいる方に今度こそ振り下ろされていた。まだ態勢を戻しきれていない中では回避すらままならない。ライ1人ならば避け切れるやもしれないが。
「テメェの筋肉自慢に、付き合わされてたまるかよ!!」
棺に背を向ける様にしゃがみ、その背にライフルを斜めにかけ、棺で受ける衝撃を心器の強度と身体で吸収しつつ、受け流す。それと同時に前方に足を突き出して仲間を蹴りで突き飛ばし、攻撃の範囲から逃したのだ。
「うわっ!?」
「っづぁ!!く、っ」
それでもライ自身の背で受ける分のダメージを軽減出来るわけではなく、あくまで直撃を避ける為にやった行動以上にはならない。相手を潰す気で使われていた棺の重み、遠心力で増した衝撃。それを受けた時の痛みと負担は生半可なものではない。
「ライさん!!」
無論、そこで攻勢が終わるわけもなく。もう片手の鎖がライの腕に巻き付き、船から放り出される。
「やっば……!!」
高所からの落下、シンプルだがシンプルが故に致命傷に繋がりやすい。地面との激突を避ける為に直前で衝撃を逃さなければいけない。だが、それが出来る程の威力で撃つには能力の代償を支払う必要が出るだろう。彼の心器の能力、支払った代償の重さで銃の威力等が強化される物。その重さの部分は、彼の主観で財産たり得る価値のある物という前提があり、形のある物ない物どちらでも構わない分、何でも良いというわけではなくなる。それ故に、この瞬間を一時的に凌ぐ為に使うわけにはいかない。
爪も今はない、内臓も欠けてる、そんな中でこの戦いの最中も最中で、更に使って良いリソースなど浮かばない。故に、咄嗟に鉤付きのロープを懐から取り出し、船の縁に引っ掛けて落下を免れる。
(だがアイツはその分だけ、残された砲撃隊に意識が向く、それはまずい!!)
急いで這いあがろうと見上げれば、そこには人の壁が出来ていた。
砲撃隊が、ライが上に上がってくるまでを耐え切る肉壁になりに来たのだ。自ら。
「テメェら、何やってる!!すぐに散れ!死ぬぞ!!俺は俺でなんとかする!!」
「断ります!!」
「貴方は貴重な戦力なんです!!」
「オレ達に出来るのこれくらいっすから!!」
一斉に放たれる拒絶の言葉の力強さが、むしろライの気持ちに戸惑いを与える。彼等は近接戦闘で強くも、ましてやあの棺の攻撃を耐え切れるだけの耐久力もない。ギュンターの展開したこの奈落にいる者は一部の例外を除いて、身体も各々の抱く罪悪感に応じて現実の肉体に近付く。つまり、肉体の脆さも相応になる。死にに来ているに等しく、それを彼等も分かっているだろうに。
彼等自身こうするのが状況的に正しいのか否かは分からないだろう。死ぬまでにケルベロスへの対処として砲撃を続けた方が良いかもしれない、あるいは己の命のみを考えるならば一斉に船内に逃げた方が良いのかもしれない。しかし、それよりも彼等は今この場で命を使い切るならば、自分よりも強いが今放置するとすぐに殺されるかもしれない人の為に使う事を選んだ。
「蛮勇だな、その少年の言う通りにすれば、あるいは生き延びる事も出来たやもしれないのに」
横薙ぎに振られる棺。ライの見上げた先で仲間が吹き飛ぶ、少なくとも5人は一撃で。いとも容易く。
「うわあぁぁあああ!!!」
仲間の骨がへし折られ、空のペットボトルでも払う様に簡単に吹き飛ばされる様子を見てもなお、彼等は逃げない。
むしろ走り出す。ギュンターに一斉に飛びつきに行くのだ。
(相手はどんなにヤバい相手でも1人!!)
(こちとらどいつもこいつも成人済みだ、それならしばらく動きを抑えるぐらいは出来るはずだ!!)
「……悲しいな。貴殿等が他者に献身的である程に、本当に……悲しいよ」
しかし、その勇気すらも打ち砕く様に、上空を飛び回っていたハゲワシが急降下し、彼等を足で掴み、目をついばみ、各々のやり方でそれを無情にも未遂で終わらせてしまう。
「ぐ、がああぁぁぁぁ!!」
「いっ、いづぁ、いだい、いたいぃ!!うわあぁぁあ!!」
聞こえてくる悲鳴、断末魔。覚悟はしていたのだとしても、それで全てを受け入れられるわけでも、耐えられるわけでもない。
ライは思わず顔をしかめる、自分を助ける為にこんな不条理な傷を負い、命を落としているのだから。同時に、そんな自分に気付いて驚愕した。
(おいおい……他人を踏み台にして、他人が死のうがどうでも良くて、自分が生きてりゃそれで良いと思ってた奴の姿かよ、おい。しかも、俺が行けば助けられるとかさ、マジで思ってるのかよ。俺が?今更、今更よ──)
そう思っている時には、既に壁を蹴っていた。今はロープにぶら下がる自身の体重を腕で支える事すら苦しい程だが、モタモタするわけにはいかなかった。使徒を相手に時間稼ぎをさせ続けるわけにはいかないのも無論だが、助けなければと身体が動くのだ。
蹴って、蹴って、ロープを伝って、とにかく少しでも早くと思います登り、縁に飛び乗る。しかし──
「ご苦労だったな、しかしさらばだ」
そこに向けて一直線に棺が容赦なく飛んで来る。
「労う必要はねぇよ、こっからが見せ場だろ」
罪悪感を抱く当事者、人そのものの身体能力に大きな枷がはめられても、精神の状態が要となる心器に影響はない。むしろ、今の彼はこれまでの使徒との戦いにも増して負けたくない、負けてたまるかという強固な意地があった。
登り終えた瞬間が狙い目な事はライ自身で分かっていた。だから、棺の端のギリギリに狙いを定めて発砲する。
「!!」
「っ……!!」
弾かれる様に使徒の攻撃は逸れ、ギリギリでライの頭の横を棺が通り過ぎる。無論、不安定な場所と状況であるだけに銃の反動を自身の肉体のみで抑え込まねばならず、撃った当人はその反動で悲鳴をあげる身体に舌打ちをする。
しかし、相手の一撃を回避出来たチャンスを逃さず甲板に転がり込み、腹這いになってもう一撃を放つ。
(当たればただでは済まないかもしれないが、やはりそのままではこちらの心器に傷をつける事は出来ないらしい。なにより、レンリから聞いていたよりも精度は落ちている様に思える──)
自身に当たる事のなかった弾丸にそう分析をする。特殊能力らしい特殊能力を他に持ち合わせていないであろう事は既に判明していただけに、ライの攻撃を振り切り、多少強引にでも船内に先に侵入した方が損害を与える事も難しくないやもしれないと微かに思い始めた。
しかし、そう思案している最中に自身に落ちる影が大きくなっている事に気付き、咄嗟に見上げる。
「っ帆桁か!!」
ギュンターの視線と思考がこちらに向いてる状態で中〜近距離の狙撃は難易度が高い、というよりもそもそも狙撃には不向き。だから、彼は直接狙うのはやめにした。
彼の意識を向けられる程度に無視出来ない質量と威力の出る物を、そして一瞬でもこちらから気が逸れる様な物を。心器で撃ち抜かれた帆桁の片側が使徒に向けて落下していく。
「悪りぃな!絵面の冴えない戦い方でよ!!」
その落下地点には仲間の遺体もあった。自分を庇う為に死んだ仲間達、彼等に対して酷い事をするという負い目はあるが、それを無駄にしない為にも使える物を使い、今もまだ生きている者達の為に、作ったこのチャンスは無駄に出来ない。今度こそ使徒に直接その銃口を向ける。
「狙いは、そちらか!!」
「遅いぜ」
臓腑の一部が代償として支払われる。以前の様に複数の代償を払うには支払いやすい場所の怪我はまだ完治したとは言い切れず、加えて威力をより確実に伸ばすならばそれが最適解だった。
徹甲弾が放たれる爆音、周囲の者が、使徒自身が瞬きをするまでの間にその銃弾は既に着弾を終え、それでなお止まる事はなくどこまでも遠くへと飛んでいく。彼が心器を持つ程に抱いた望みの様に。
そして、その支払いは決して無駄にはならなかった。
「が……ぅぁあああ゛っ……ッ!?」
予想以上の激痛と、吹き出す鮮血に思わず呻き声が漏れる。落下しようとしている帆桁の範囲から逃れられないと見て、棺での破砕の為に片腕を振り上げていたタイミングで放たれたその一撃は、狙ってきていると認識した時には遅く、ギュンターの片腕を棺の内の1つを巻き添えに、骨も筋肉も盾となる物を引き裂き、撃ち抜き、破砕しながら吹き飛ばしたのだ。
「げぼっ!!ごはっ、ぁばッ……!!」
しかし、彼の腕を撃ち抜いた当のライもまた、能力によって臓腑が奪われた分の痛みで視界が明滅していた。能力による徴収で消滅するという形とはいえ、麻酔なしで摘出されるに等しい。呼吸をしようとすると血が上がってきて窒息しそうになり、脳が機能しなくなりかける。
もう一撃を加えるならば今しかないと震える腕でもう一度、今度は頭に狙いをつけるが、ままならない。
使徒は痛みに支配される頭で銃口がこちらを向いてることに気付いた。銃口、忌々しい銃口。自分の目を撃ち抜き、我が子を奪い、愛しいディーケの生きる気力を奪った、全ての始まり。それが記憶の引き出しから無理矢理出される。
片目が撃ち抜かれた時には意識が奪われていたが、今はむしろ意識が鮮明すぎるが故に激痛は直接使徒を苦しめた。
──ああ、この痛みですらも、邪神に送った魂が今も受けている苦しみよりも優しいのだったな
使徒になってなお鈍化しない痛みという感覚に、脳裏でふと自分の中の理性が、あるいは偽善が囁く。何もかもが遅いのだ。たった今、邪神の供物とされたばかりの者達が足元にいる状況なのだから。
願いや望みを持つ事自体に罪はなく、叶えば良いと思う事も罪ではない。喪失の悲しみに溺れるのも仕方がない。だが、その為に自ら積み上げた屍が正当化される物ではない。今、罪人と称され奈落に落とされたノアの面々に、ギュンターは少なくとも指をさせるはずもない。棚には上げられない。
──だから、だからこそ、己という大罪人の受けるべき痛みはこの程度では足りない。そうだ、全く、足りない。ただの、ただの痛みではないか!!
それを本人も理解しているからこそ、止まれはしない。あの日を思い出す程に、自分の殺した人々を思い出す程に、使徒の翼が殺された事を思い出す程に、止まれないのだ。
ライが狙いを定め終えるまでの間に自己完結した思考、そこから出力されるのはやはり攻撃。
「ディーケを、彼女との日々を失った痛みと比べれば、罰にもならない!!」
片腕を失い、身体のバランスも取れないであろう状況で、力任せに残された腕で振り回された棺がライの頭上に落ちようとする。
「っ……!ライさん!!避けて!!」
負傷しながらも、辛うじて生きていた仲間のその叫びも、今はライの耳鳴りの酷さから届ききらない。
それでも、自分の上に何か来ている事も、スコープ越しに見える相手の動きから見ても、想像するに易い。しかし、相手も冷静な一撃ではないのはこの瞬間ぐらいかもしれないのだから、どのみちライはこのチャンスを手放せない。
(あ、やべ。これ、死んだかもな──)
そう冷静に思いながらも、一矢報いて、せめて使徒を1人巻き添えにしてやろうなどと思い、血濡れになりながら笑みを浮かべて──
「な、に……?」
しかし、代償をもって引き金が引かれる前に、棺が彼に到達する前に、2人にとって予想外の乱入者が棺を蹴り上け、そして棺自体は蹴飛ばしてライの範囲外に落としながら姿を現した。
「遅くなってごめん」
棺の中から無傷の滝沢葵が、勇者が降り立った。
ギュンターは瞬きを一度して、その姿が見間違いではないと分かり、思わず小さく溜め息をつく。安堵なわけもなく、それには微かな苛立ちを含んでいた。彼がこの場でいかに有利なのか、この奈落を生み出した当人が1番分かっているからこそ、彼の為に傾く天秤が心から腹立たしかったのだ。
「勇者、タキザワアオイ……ッ!!」
彼の目には先代勇者の姿が被って見えた。




