第86話:逆巻く、水の星の民
結界の動力源となる魔石の元へと、エレンの指示で急行したミハエル達。現在主戦場となっている場所からは少し離れた位置、作業の最中に化け物の餌食になるという事態は避けられるのは状況から考えれば幸いだっただろう。
最も、悠長にしていられないのもまた事実だ。
「持ってきた分の魔石をとにかく入れろ!!だが、少しもヒビを入れるな、良いな!私の目は誤魔化せんぞ!」
魔道具の多くは魔石に術者自身が魔力を流し込む事で本体の機能を引き出す形だが、結界は周囲の魔力を自動で取り込む必要がある。その理由として、この結界という魔道具を集落の安全の為に継続して発動し続けなければならず、しかし術者による起動の場合は交代を前提としても術者を常に結界の発動の為に滞在させ続けるのは現実的ではない。術を使う為の道具の様になる上に、この世界でも行う必要のある生活が成立しなくなる。
その為に、魔道具そのものが魔力の不足の際に周囲から魔力を自動で収集する動きをつける必要があった。矛盾である上に、非効率的かもしれないが、そういう一種の生き物の本能と定義すれば可能ではあった。花に呼吸が必要な様に。
「しかし、こんなタイミングで結界が一時的にであれ不安定になる様な事をするのって、大丈夫なんでしょうか。無論、ボクはエレン艦長の考える事を疑いたいわけじゃないけれど……」
ミハエルの助手であり弟子の少女トワは、師の側で陣を展開し調整の補助を行ないながら、疑問を口にする。
魔力には乱れていても意思があり、突然流れが変わったり、突然多く使われると混乱する。例えるならば、魔力からすれば人混みの中で目に見えて一斉に人が消滅した瞬間を目撃してしまったり、前進する道を突然一塊の人間が反転して向かって来る様なものだろう。この集落の中という結界を成立させる為の魔力の流れに馴染みきったところに、突然動きを変える調整を行おうとしているのが今だ。結界そのものが不安定になりかねない。
「そんな当たり前の事は織り込み済みだろう。どのみち、ここを乗り越えられなければ最悪の場合守るべきものの一切合切を失いかねない。これが使徒の攻勢を緩める一手に近付き、使徒への反撃に転じられることが大事だ」
「集落の人も既に保護済みですからね。でも、それだけじゃなく結界が緩んで周囲に少なからずいる異形や魔物が参戦してきたら、前線の人達が苦しくはないのかなって。使徒がそれに勘付いたら、援軍を呼ばれるかもしれない、ですよね?」
「これが上手くいきさえすれば、一時的にでも結界はむしろ強固になる。我々がそれを成功させるのだろう。トワ、その為にも余計な事を考える必要はない。この戦いが終わった後にもその効能がもし分からない様ならば、エレンに聞けば良い。疑問を抱くのも、解決するのも、生きていなければ無意味な脳の働きになるのだから」
「それは、確かにそうですね。頑張りましょうか!」
しかし、トワの言う通りの懸念はミハエルの中にもあり、彼等の周囲にはヴィルガを筆頭とした護衛がついているが、もしもがあって、なだれ込まれたら自分達だけじゃなく船ごと襲われるのは目に見えている。その時はどうなるのか、この世界において確実な安全よりも、多少後ろ向きな想定の方が当たりやすい。
(タイミングが来たら発動させれば良いのは間違いないが、寸分の狂いも許されない)
空気中から得られる魔力と人から与えられる物、あるいは人が使用する際に収集する魔力量では一度に得られる魔力は大きく異なる。一度の量だけで言うならば、結露させて水を集めるのと、汲んできた水を淹れるぐらいの差はあるだろう。
それ故に、今回のみは魔力を収集する能力を本来より高い出力で発動してもらう為に、ミハエル達は仕上げの所は手動で起動しなければならない。
(全く、他者にこの命を預ける事など本意ではないが……ないが、頼んだぞ。エレン)
*
同時刻、ノア。
轟を先頭にして引き連れられた集落の住民一行が甲板に顔を出す。
「!!」
「う……」
「皆、あまり見てはならぬ……いや、あるいは、我々は確と見届けなければならないのかもしれないが──」
オーサーはそう言いながら首を小さく横に振る。集落の民の前に広がる光景、化け物の能力によって瀕死の状態でまだ運び切れていない想撃砲の部隊の数人と、運ばれた跡、血痕。
彼等にとっては刺激の強すぎる光景だ。戦う力を持つ、自分達よりも確かにこの世界で生きる上では強い側の人間が痛みにうめき、苦しんでいるのだから。不安が広がるのも仕方がない。先導している轟もまた固唾を飲み込む。
この様な緊張状態になると分かっていた上に、上空からの攻撃がないとはいえ、彼等が屋内から移動するのは、民間人も狙う使徒が目視出来る位置に移動するのは極めて危険であることも、誰もが分かっていた事だろう。だから、その話を聞いた時に彼等の中で当然ながら戸惑いは大きかった。心配はないと言われても、これまでは安全だった集落の中より船の中の方が今は安全で、集落は危険な外の世界と化しているのだから。それが見える様な位置に出るのは怖かった。
それでも、その感情を胸の内に留めながら彼等がここまで大人しく来たのは、船へと一斉に避難する際にしたエレンによる説得という前提があったからだ。あの言葉で100%の肯定や信頼を置けたわけではなくとも、彼女達の守らせて欲しいというら言葉と、集落の民にしか出来ない力で助けて欲しいという言葉も含めて飲み込んだ上で、皆は避難している。保護してもらっている以上は反故にも出来なければ、それで力になれるのならばと心から思う者もいるからだ。
「こ、ここにむけて爆撃とか、なんらかをぶっ放してきたりとか、しないよな……」
「使徒って奴はなんか、不思議な武器使うんだろ?魔法みたいなの使えるすげぇやつ……心器とか言ってたっけ?駐在の人が言ってたの。おれ達を全滅させたいとか思っていたら、それが叶う武器っておっかねぇや……」
心器にはその人の根底にある物が宿る。願いであったり、渇きであったり、時には心の形そのものである事も。そんなバラバラに見える性質もあくまで答えは彼等の中にある物であり、それは誰の心の中にもある物とも言える、欲求が誰しもにあるのと同じ様に。
葵の鏡は自己を映す。背後からでは見えない顔も鏡は包み隠さず映す、見えてしまえば、見せてしまえる。しかし、鏡は虚栄でもある。彼の心器は彼の心を映していた。そして、ミアの様に本人に自覚のないルーツが由来な事もあれば、クライルの様に望みがそのまま形を成している例もあった。それだけに、そうした曖昧とも言える殲滅という望みもまた、出来ないとは言い難いだろう。
「でもよぉ、オレ様は思うんだよな」
「轟……?馬鹿だから分からねぇとかってやつか?」
「オレ様は馬鹿じゃねぇわ!!いやそうじゃなくてよ!!そんなトンデモねぇのがあるならよ!最初からこんな小細工なしでぶっ放せば楽勝じゃねぇか!何が奴等にとって利点となるかとかさ、分かんねぇけどよ、ぬ……ヌシの爺さん達や、滝沢サンを殺しやがったあの化け物もよ、集落まるごとを襲えなかったのは、復活ってのが完璧ではないからってことだろ。何にでも順序が結局いるって事じゃねーか?」
拙くも、彼なりに皆を元気づける為に言葉を選びながら推察を口にする。
それもそうかと頷く者もいれば、首を傾げる者もいて、反応はそれぞれだが、そこに当の心器持ちであるライが顔を見せる。
「ま、そこの新米リーゼントの言う通りってわけだわ」
(新米リーゼントっすか……)
「ライ、お主は怪我はなかったのか!」
「俺の武器がこれならまぁ、その心配も当然だわな。だが、俺は使徒をぶち抜く為の弾だからな。偵察をしていたから不幸中の幸いってとこだわ」
「それなら良かったわい、状況は良くなさそうじゃが、心器を持つ者はやはり有利じゃからな……」
「でもま、これが万能な何でも叶えるステッキなら、俺達も魔王共に手を焼かねぇし、敵だけ有利に出来てんなら俺達はもっとどうしようもなかったろうよ」
葵や使徒達の様に発展した能力を持つ類の心器でこそないものの、心器を持つ事自体が希少であるだけに、轟の言葉を後押しするには十分な説得力があった。ましてや、クライル撃破の為に人魚の街に突入した人間の1人の言葉なのだから。
「それに、俺等が手を焼いてるあのパッチワークモンスターを止める鍵はアンタらが握ってる。1番美味しい所を得られるんだ、ここに来て日常を保ってきたアンタらが主演をやるんだ。その主演を俺等が守る。こんな熱いことは中々生きてて経験する機会ないぜ。異世界の強大な敵の使徒をビビらせるんだからよ」
一歩間違えば、彼等の緊張をより高めてしまうかもしれない言い回しに、甲板にいる無事な隊員の何人かが少し咎める様に視線を向けていた。
だが、集落の皆はあの化け物達を止める為の手立てである事も、その手段と目的も事前に聞いた上でここに来ている。
「そうだ、僕達はゆーしゃ様が助けに来るまで頑張れたら、僕達すごくかっこいいよ!」
「そうだよ!絵本の勇者様と同じ勇者様のためにも、百合香達はがんばろー!怖くないよ!」
「子供達がこう言ってんだ、あたし等もここで立って待つぐらいやれなきゃね!」
「そうだ!格好良い所をおれ達で演じてやろうぜ!!」
虚勢もあれど、湧き立つ様子を横目にライは船の外の方に視線を向けていた。葵の気配が途切れてしばらく経過し、使徒本人の姿がまた消えている静寂の不気味さを感じていた。ましてや、ダルガが既に重傷を負わされているのだ、楽観出来る状況になど少しもなってない。
「後は、あっち次第か」
同じく甲板に連れて来られた人魚達。大量の水の入った木桶に入った彼女達は、かつての街の様に武装していた。シエルとシャミーを先頭にした彼女達は、既に下で行われている戦いの中にいる様に、思考は研ぎ澄まされていた。人魚の街という、集落に近い場所で戦いの経験を持ち、守ってきた者達には戦う為のスイッチがしっかりとあった。
「シエルゥ、アイツら足が遅いみたいだけどぉ、思った範囲に来るまで後どれくらいかしらぁ」
「──」
ライから借りた双眼鏡で化け物の動向を見守る。難しい事はない、一体だけでも動きが変われば突入どきなのだから。
そうして見ていたら、一体が突如として向きを変えてフラフラとある一点に近付き始める。防衛隊に肉薄した者達もまた同様に。伝達が届いていたとはいえ、化け物の気がわりにも見えるその光景に、前線は目を丸くしていた。一方でシャミーは小さく頷く。
「カウントの後に私から飛び出すから、貴方達も隊列を乱さずに、私の誘導に従って飛び込んで。帰りの分も水は用意してもらってるから!」
「恐れる事はない、むしろ我々が恐るべきはあの化け物に傷を負わされる事だ。人魚らしく優雅に、躱しながら泳ぐだけだ!」
そうして、心に持つ鋭い刃を構えた優雅な人魚達は戦士の顔になる。
それを見届け満足げに頷いたシエルは下の様子を見る。化け物はゆっくりと、しかし1箇所に向かって集まりつつあった。距離や高さ関係なく、現時点で最も近くに人が集まってる方向にむけて。
「3、2……」
そして、化け物達が一定のラインまで近付いたのを見確認し──
「1、GO!!」
自分の入っていた水を自分ごと流してもらい、シエルは水流で水の道を作り、化け物達を湖に流れる様に落としていく。小さな波に巻き込む様に、彼等を掃除する。
「はいはぁい、あまり虐めちゃあダメよぉ」
続く人魚達も化け物を全て湖に落とし、出られない様に一時的に彼等の上に渦を作り出す。人魚達が舞う様に水流を一斉に操り、泳ぎ、制御して作られた水の天井。化け物がそれに触れようものならその部位を捻じられるのは避けられないだけに、後は寄って来ない様に祈るしかないだろう。
「さ、役割は果たしたわ。すぐに皆上がって!!」
シエルの号令に従い、自分達の使ってきた水を利用した水流で何とか甲板までの帰還を果たす。
「ナイスな働きです。人魚さん達、作戦の最中まで華やか、クロエちゃんも取り入れたいですね」
「後は、貴方がその華やかな私達の活躍をを活かしてね」
「無論、その為によりピーキーや改造をしたんですから」
シエルと言葉を交わしながらも、この時の為に構えていたクロエはゴーグルをおろし、船首から真下である湖に向けて想撃砲を向けていた。
「装填、凍結。魔力の波形、安定。出力最大」
化け物を一体一体凍らせても埒があかない、そして彼等はより人の数が多い方角にただ歩いてくる生物。ならば──
「せめて安らかに、しかし確実に凍りつきなさい。ファイア!!」
湖に向けて放たれたクロエの試作型想撃砲の凍結弾、いや凍結砲。出力はより高く、その上がった出力の分を安定をさせなければ思わぬ暴発の危機、しかしてそれを無視して最大火力でとにかくぶっ放さなければ今回ばかりは意味がない。その分発生する想撃砲の反動で微かに身体が後ろに流れそうになるが、足を強く踏み締めて耐える。
民の1人がその様子を見に来て眼を見開く、目に見えて超常的な現象だったから。自分達にとっては生活用の水である以上に、ボートを使わないと縦断も出来ない様な広さの場所だった。それが今はどうだ、クロエの想撃砲によって、雪の結晶を散らしながら、中央から根を伸ばす様に下に位置する化け物達ごと巻き込んで、凍らせていったのだ。それは瞬く間の出来事、化け物達に有無を言わせすらしないものだった。
「湖が、あの湖が凍ってる!!」
「す、すげぇ。スケートが出来そうだ。あの下に、その、いるんだよな?」
「でも、あの湖の水が全て氷という固体になってます。彼等では超えられませんよ」
華もなく、しかして、確実に、冷酷に水底にいる化け物達が一斉に生きたまま氷漬けにされたのだ。
集落の民を含めた民間人が最も数の遠い何年の一塊であり、高さと関係なく化け物が反応するのならば、船首に近い方に移動させ、化け物達を湖に落とせば機動力と形状的に上がるのは難しい。しかし、踏破力はなくとも、平らな道ではない場合一度立ち止まる特性はある。盾を前にした時がそうだった。だから、湖に全てを落とすには、そして彼等に触れずに落とすには水のスペシャリストである人魚の手を借りる必要があった。
「そして、あの化け物共をこの周辺に再復活させない為には──」
*
『凍結完了です、ミハエルさんお願いします』
「来たか、皆準備は良いか!」
「結界用魔道具、状態安定、後は起動するだけです!!」
「よし、結界用魔道具、魔力収集式起動!!」
ミハエル達の役割は、化け物が再復活する為の元を断つこと。魔力を急速形成して生まれるのならば、生む為に必要な物を刈り取れば良く、その範囲は結界の範囲内。
ミハエル、トワ、結界の調整役として常駐していた術者達が起動の為に一斉に多くの魔力を結界に注ぎ込む。そうする事で──
「!!か、かつてないほど結界の保有する魔力の数値が高くなっていきます!5000、6000──」
「はぁ、はぁ……そうなる、とも。この結界の主食たる空気中の魔力を、結界内の分を好きなだけ食えって命令したん、だ……」
結界用の魔道具の調整とは、こちらも想撃砲の改造とベクトルは似たもので、その限界量の引き上げを行なったのだ。結界の維持に必要なレベルの魔力の上限を設け、周囲の魔力を乱さない程度に吸い方も調整していた。だが、そのどちらものリミッターを解除した。辺りの魔力をあらん限りの肺活量で吸うことだろう。
「し、しかし、この目的を成した、暁にはさいちょうせ、い。しなければならない、調整画面、陣から目を離す、な」
「し、師匠、少しだけ休まれた方が──」
今の一瞬で息が上がっている。彼等は魔力を保有する能力に欠陥があり、空気中の魔力が奪われる際に自分自身も魔力を奪われる。流石に本体と違ってほとんどを持っていかれるわけではないが、頭痛と目眩が最初に起きて、運が悪いと吐血までする。そんな身体の不利があることが、彼本人としてはただ煩わしく、ただ腹立たしいだけだった。
だが、今回はそれ以上のとあるやり甲斐が覆ってくれた。
「休む?は、冗談を。やるべき事も多ければ、使徒に一泡を吹かす瞬間なのだ、こんな時に横になどなっていられるか」
「お、思ったより元気そうで何よりだけどさ……」
化け物達に対して打てる手は打った。この周辺の魔力はしばらくは極めて希薄になるのは、互いにとって同条件。魔力よりも、武力。
使徒が出るとしても心器の能力か、本体依存の戦闘となるのは間違いないだろう。
(私達は手を打った、手を尽くしたというにはまだ早いが、貴様はどうするつもりだ、使徒)
ライの感じていた不気味な静寂が、杞憂ではなかった。その静寂の正体は不気味に、しかし確かにゆっくりと花開こうとしていた事をこの時点ではまだ知り得ない──




