第81話:世界から、
──何故なのだろう
異世界で人の過去に触れる機会が増えた葵にとって、恥じらいから口にする事が憚られた彼の人生。彼からすれば語る程の物語もない人生。きっと、人よりは本当は恵まれている人生。
しかし、そういうものだと割り切ってしまうには、人生というものが彼の人格形成に与えた影響は当たり前に大きかった。
──何故なのだろう
髪型が女みたい、顔が女みたい、本気で悲しんでて変、姉に髪をいじってもらうなんて変、大縄に上手く入れないなんて変、あの子と遊ぶのは変。
そうした彼を異物と定める要項を集め、彼は浮いた。学生にとっての社会と言える学校内で浮く事は、大きな孤立だった。家族にそんな事を言って心配をかけたくもなければ、登校を辞めたいとすら思わなかったが、それでも彼の思考は徐々に歪み始めていた。
──何故、浮いてるなら俺を皆はまだ無視しないのか
完全に浮いた存在は、浮き切った者は相手にされない。風船の様に浮いて、見えなくなるまで浮く様に。
しかし、無視する人もそこに居る葵という存在だから無視をしているという、その存在を認めているからこそ発生する無視。葵には無意味な無視だ。
そして、いじめられっ子、弟、シスコン、良い子ぶりっ子、そんな役割に当てはめられても、葵という存在を消す程のものではない。
誰かの踏み台、誰かの望むポジションの代わり、自分でなくても良いポジション。だが、それで浮いても消えられない。
──世界がまるで、俺に消えようとしてはいけないと留めている様に思えた。
──自分が透明人間みたいにいなくなっても、手を離した風船みたいに浮き切っても良い世界とか、ないのか。俺1人ぐらい、良いだろうに
我ながらアホらしいと思いながらも、彼は内心で諦観からそんな事を考えていた。存在、価値、意味、考えれば自己の消失を望む様に思考が流れる事は分かっていたが、自分は何の為に自分という存在としてここに居るのか、彼は問い続けていた。
問い続けた先の答えが、あの日のブレーキのかかってない車だったのかもしれない。
*
「っ……う、うぅあっ!!」
「り、リンド!どうしたの!?」
葵の背後で頭を押さえながら、突如と苦しみ始めたリンド。葵は彼女の様子の変化に驚きながらもその肩に手を添え、ゼーベルアの方に刀の切っ先を向ける。
「彼女に何をしっ……!?」
しかし、葵が問いかけるよりも早く銃弾が彼の前、地面に向けて打たれていた。
「さっきから聞いてんのはこっちなんだがよ。もう一回話してやるぐらいオレ様が親切だと勘違いしてンのか?脳がねぇから記憶力もねぇってか?単細胞生物が」
リンドの急変、目の前で対する使徒、ノアを襲おうとしている使徒、そして不可解な問いかけ。葵の脳内では物事の優先度を決める為の器官がスロットの様にチカチカと回り続けていた。
しかし、目の前の彼を撒いて救援に向かう事は出来ない。むしろ、追加でこの男を呼び込んで、戦場を混乱させるだけになるだろう。そして、リンドに関してだ、彼女を優先した際には確実に目の前の男に妨害される、彼女を狙われてしまえば葵諸共倒されかねない。
(落ち着け、俺がモタモタしていても、この状況下でまだ直撃は撃ってきていないという事は、相手も本当に俺以外から情報を得るすべがないんだ。相手の機嫌次第、相手の気分次第でこそあるけれど──)
それらを加味し、葵は己の心臓に落ち着けと言う様に息を吐く。
「少しだけ、知ってる話がある」
「あン?テメェ、まだ勿体ぶるつもり──」
「だけれど、俺がただ情報だけを話したとしても、お前が得するだけで終わる。それは流石に割に合わない」
そう言い終わるか否かの時には葵の頭が反動で微かに後ろに下がる。無論、ゼーベルアの銃弾のせいだ。男の放った銃弾が掠り、葵の頭からは血が流れる。
「ッあ、あお、い……っ!」
「大丈夫、大丈夫だから」
痛いのは無論痛い、元の世界では慣れる事すらない類の痛みだが、幸いなことにもう慣れている。
「ゼーベルア、今確かに主導権を握っているのはお前かもしれない。でも、それは暴力でそう見えているだけだ。お前の話は俺が話そうって思わない限りは何も進まない」
「はっ、時間を無駄にするのは互いに美味くねぇンじゃねぇのか?」
「俺から話せる事はある、だからそれを聞いたらお前はここから退け。少なくとも、今回の戦いの間は手出しをするな。」
「……」
「痛みを与えて情報を得るって方法は、慣れた人が上手い使い道で、ちゃんとやれば意味があるだろう。でも、そうじゃないなら正確な情報は手に入れ辛くなる、精神的に正常でなくなっていく、しかも正しい事を言ってるのか否か、情報を得る側はその場では分からない。お前もそう、俺達地球人がそれを有効に使う事は出来ない。それでよく考えてくれ。俺の提案は、そんなにお前にとって損だろうか?」
実際は拷問などされたら耐え難い、想像もしたくない。自分の身に何が起きるかよりも、葵にとっては拷問が手段の1つとなっているわけではない人間がそれをやる様子を想像するのがまず恐ろしかった。手段になるのも嫌であり、それが選択肢に入れられるメンタリティは彼からすれば異常でなお嫌だった。
だから、ここでこれを見極める。狂人という役に生きるのか、理性的に考えて不可解な邪神の謎を探る方を優先するか。どちらにするか。選択肢こそ与えど、葵の内心は相当な緊張状態のままだった。従う義理がないのもまた事実。不利な側と万全な側の立場ではあるのだから、主導権は相手にあるのは間違いない。これはただの事実で、普通に考えるならばそう考える方が当たり前だ。
「──ちっ、とっとと話せ」
葵に言い負かされたというわけではない様だが、情報源が彼にしかないからこそ、彼に直接尋ねに来たのもまた事実だった。
勢力的に見れば不利になるだけで、ここでギュンターを助ける理由は彼個人には別にないらしく、この戦いを一度捨てるだけで情報を得られるなら比較的安いものの様だった。邪神への不信感が強くなっている中だから。
「まず、俺自身は度々訳の分からない夢を見ている。夢なんて根拠としては薄いかもしれないが、この世界における夢には、それなりの価値があるとお前が理解してくれてると信じて話すんだけれど」
「まどろっこしいな、とっとと続きを話せ」
「それで、声を聞いたのは3回。この世界に落ちる前、処刑の前日、そして拉致されて死んでた間の3回。どれにも共通点は見出せてないし、ないのかもしれないけれど、どれも同じ声をしていた。それが、気になる事を言っていた」
記憶を手繰り寄せる、特に気になる事を言っていたのは拉致された時に言っていたことだ。
『この世界は言わば報酬だった』
確か内容はこうだったと、ゼーベルアに伝える。無論、言っていない部分はある。
お前は何者にだってなれる。そう言われていた所まで含めて話すと、あの夢の声が何者なのかは置くとしても、彼の疑念が葵にとって困る方に傾く可能性が高いから。
「これはノアの皆にもまだ話していない事だ。俺だけでまだ留めていた話……だったと思う。多分」
「それが事実だとすりゃあよ、オレ様の疑問はある程度正しかったって事になるが、言い逃れし辛くなっちまったなぁ?」
「俺自身訳が分からない。何より、それがお前の言う俺と邪神の関連性である可能性すらも未知数なんだ」
「だがゼロではないよな?夢の信憑性について先に言い出したのはテメェだぜ」
「なら、魔王や邪神から直接聞いてみたらどうだ。お前達は自分の願いを満たす為に集まってるに過ぎないなら、願いよりも納得を優先するとなったら、お前にとってその行為だって忌避するものにならないはずだ。魔王がただ口にしているだけの邪神という存在がいて、それに踊らされているだけってわけではないんだろう?」
これもまた賭けとすら言えない物だ。ゼーベルアの願い、つまり邪神側についてる理由すらも分かっていない以上は、この言葉は意味をなさないかもしれない。
「……テメェにそう言われて、邪神や魔王に何でこんな回りくどい戦い方させてるんですかーなんて聞きに行くとでも思ってンのか、脳みそは菌床にでもなってるのかボケがよ」
引き金にかけられた指に力が加わる様子が見えた葵は歯を食いしばる。
「…………?」
しかし、予想した行動を男はする事はなく、舌打ちだけが続いた。
「テメェを殺せるなら、答え合わせはそれでやってたところだが、やる事が出来た」
「えっ!?」
「テメェは根っからの玉なしだ。内心では小便漏らすほどビビってやがる。だが、そんなテメェが煽ってくるのは、テメェなりの根拠があるからだ」
「今デタラメ言って損をするのは俺達の方だからね」
そして、葵の方を見たまま、男は左手の銃をこめかみに当てて、発砲したのだ。
「え、ちょっ、は、はぁ!?」
これまでの行動すらもまだ理性的に思える程に、あるいはこの行動こそが理性の結果だと言うのか、そんな風に葵の脳内を混乱が満たしていた。
しかし、男のこめかみに傷もなければ、血が流れ始める様子もない。ただ身体がただ浮かび上がり始めてるのだ。それこそ、重力を無視した様に。
(そうか、奴の能力。自分も対象に含まれるのか)
勢力としてはこのまま倒れてくれた方が助かるのかもしれないが、それをそうだと割り切って手放しで喜べるものでもない。
勘違いだったから安心すると言うわけでもないが、彼の混乱は少なくとも落ち着いてきてしまっているのだ。目の前の男は本番ではなく、ギュンターとの交戦が待っているというのに。もう既にクライルを倒しているというのに。
「オレ様に忠義はねぇ、犬っころみてぇに主人に振ってやる尻もなけりゃあ、オレ様の欲望を盾に自由を奪わせたりもしねぇ。そして、クソガキの言葉に踊らされてやる義理もな──」
そう言い、ゼーベルアは空へと落ちる様に浮かんで葵の前から瞬く間に姿を消す。
好き勝手をして勝手に去っていった男に呆然としたままの葵を、痛みが現実に引き戻した。そこでようやく、使徒2体との同時交戦を避けられたのかと理解して、思わず身体の力が抜ける。
「落ち着いてる、場合じゃ、ない……わよ、アオイ」
「そ、そうだ!そうだ……急が、ないと」
しかし、先程の問答による疑問、そこから生じる不安が消えない。この先起こる避けられない嫌な宿題が姿を現した様にも思えた。
首を横に振り、それを一旦払う。今回は運が良かった、というより思いの外ゼーベルアの物分かりが良かっただけなのだから、油断出来ない。何より、リンドの言う通り今はギュンター対処に急がねばならないのだ。本隊で彼の侵攻を出来る限り目立つ形で引き受けつつ、使徒自体は葵が見つけて奇襲をかける手筈になっている。彼の能力から見ても、使徒を葵の手で倒さねばならないのだから。
「リンドは少し眠っていた方が良いんじゃ──」
「あなたが、1人の間に使徒と会う方が大丈夫じゃ、ないわよ!行くわよ……私にとっても、今とても大事な時なの」
「それって」
「っ……あ、とで、話してあげる。だから、今は急ぐわよ」
「……うん、分かった」
あの時感じたもう1つの反応、そしてライの心器の軌跡を思い出しながら、走り出す。
その時、葵の耳につけていた通信用の魔道具が反応し始める。
『勇者殿!勇者殿!聞こえますか……ッ!!』
「ダルガさんの隊の方!?どうかされましたか!?何かそちらで──」
『そ、それよりも聞いてください!!まずい事が、起きました!ダルガ隊長からの伝言です、使徒と遭遇した時の為にどうか、聞いて下さい!!』
*
葵達がゼーベルアと遭遇していた頃。ノアの方では化け物達の対処をしていたが──
「思ったより大した事ないですね、隊長」
「使徒って言うもんだからちょっと気張りすぎましたかねぇ……」
化け物達の動きは遅く、しかも活発とは言い難かったが故に到達までは至らず、船からの支援射撃や弓による射撃、ダルガ達の隊の槍による攻撃、それらだけで対処が出来ていたのだ。杞憂だったと言うならそれが1番かもしれないだろう。
しかし、ダルガは気味の悪さを感じていた。
(集落の内部で発生させるだけが目的としても、これじゃあ陽動が関の山。消耗戦を強いるにしても力不足過ぎる。使徒が能力を使ってこんなのを作るのはどういう意図だ?)
この疑問はダルガだけのものではないだろう。だが、化け物が追加で放たれる事もない以上、ここは一旦落ち着いたと言っても良いだろうか。彼等の中にわだかまるその不安は何かが起こる前に確信には変わってくれない。
そう、起こる前は。
「ぐ、があ゛あ゛ああぁぁぁ!!!」
1人の悲鳴。悲鳴というよりも最早雄叫び。思わずその声を聞いた者達はそちらを振り向く。
そして、悲鳴の元である男性の近くに居た者は、その男性の放った血を浴びる事でその状況に気付く事となってしまった。
「う、うわあぁぁあ!!し、しっかりしろ!!」
「何が起きてるんだ!?」
何の攻撃も受けていないはずの弓兵の1人が、目から血を吹き出している。その位置を手で押さえながら倒れているから周囲には分かり辛いが、眼球から後頭部を何かが貫通している。何かというよりも、貫通したという結果のみがそこにある様だった。
男の悲鳴すらも、辛うじて意識を保とうとしている最低限の防衛手段に見える程の様相。仲間が彼を後方に退げ、急いで治療を受けさせようとする。しかし──
「う……ッ」
「おい、どうし……うわ、うわあぁぁ!?」
今度はまた別の人間が突如として、胸部から血を流しながら倒れる。それは連鎖していく。
「ぎゃあぁぁあ!!!いだい!いでぇよ!!」
「ぐあぁぁあ゛あ゛あ゛!!!」
1人、また1人と仲間が血を吹き出し倒れていく。中には声をあげる余裕すらないまま倒れ伏し、数度の痙攣の後に絶命する者すら現れる。
目の前で広がっていく惨い光景。戦い慣れてない者こそこの場では少ないが、理由も分からず致命傷を受けて死んでいくという不条理さ、呪いに対する恐怖心にすら似たそれは、人々に恐怖を与える。
(くそっ!何だ、何が起きてやがる!?遠隔から出来る攻撃……いや、待てよ)
ダルガもまた混乱の只中ではあるが、苦しむ面々を見渡し、1つの共通点があるのではないかと考える。
鈍重な動き、まるで倒してくださいと言わんばかりの挙動、倒れた後も起き上がったりしてくるわけでもない化け物。そう、苦しむ面々はあの化け物を倒したという共通点を持つのだはないだろうか、ダルガはそう考える。
『ダルガ、うちの弟子共が突然苦しみ始めた!!軽傷者2名、重傷者8名……そして、既に5名はやられた!!』
そして、それはただの推察で済むものではない事が確信に変わる。ブランや、そして砲兵隊の中にも負傷者が出始めているという旨の報告も聞こえてくる以上、確定情報ではなくとも共有しておくべきだろうから。
「負傷者は退がらせてすぐに治療を!!そして、あの化け物共は、殺しちゃいけねぇ!!相手の思う壺だ!!」
「こ、殺してはならないって!?」
「恐らくだが、あの化け物を殺したら、その致命打になった攻撃が自分に返ってきてる!!」
「じゃあ、どう対応すれば良いんですか!?」
「術も使える奴は砲兵隊と同じ様に凍結させろ!!死なねぇ範囲で行動不能にするしかねぇ!それが出来ねぇ奴は盾で押し返すか、足を切り落とっ──」
ダルガ自身も分かっていた。その効果の通りだとすれば、自分もまた影響を受ける事は避けられないのだと。
「が……ぁッ!」
首から、腹部から、率先して戦う彼はより多くの流血が生じてしまう。血が舞った瞬間、ダルガの感じる時間はその瞬間だけとても遅くなった様に感じた。
「た……隊長!隊長!隊長!!」
「っ、ぐ……ぅごぼっ!が、お゛げぁっ」
言葉の代わりに吐き出される血の塊、急がねばすぐに手遅れになるだろう事は想像に難くなかった。
しかし、以前の使徒との交戦の時も最後まで戦い抜いていたダルガが倒れたという事実は、隊員の1人である男にとっては絶望感と言っても過言ではなかった。
(て、敵、敵が!でも隊長が、どこから、どうすればっ!)
息が荒くなる。落ち着きのない過剰な呼吸で脳が正常に機能しなくなりかける。
が──
「ぉ、お、い」
「えっ、しゃ、喋ってはい、いけなっ」
「ぼう、ず……に、勇者、に、この、ことを……」
「!!」
「勇者が、いる……ッそん、ならよ、おれ、たちが勝手に、ごぼっ!!ビビ、ってるときじゃ、ね……」
言い切れずにダルガは血をもう一度吐いてからその身を地面に預けてしまう。事切れたのかと男は慌てたが、ゆっくりと上下する胸。頼りなくも、確かに呼吸をしているのが分かった。
彼の言葉を反芻する。そう、絶望もなにも、彼等には希望そのものと言える勇者が存在している。その希望が阻まれない様に、使徒を倒せる様に、男もまた、今動かねばならないのだ。
「救護班!隊長を頼む、まだ息はある!」
「了解しました、お任せを!運ぶぞ、重傷者だ!!」
そして、ダルガに託されたもう1つの仕事。勇者にこの事を共有するという事を済ませなければならない。
「う、動ける奴は盾を構えて、陣形を立て直すんだ!!自分達はしっかり、足止めをするんだ!!」
そう言いながら、魔道具を作動する。勇者への情報共有。直接使徒を叩きに行くという厳しすぎる役割を与えられた希望に向けて、少しでも万全でいられる様に。




