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永劫の勇者  作者: 竹羽あづま
第4部オルフェウスの挽歌
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第79話:冥界下り

 銀の女神は自分の輝きを理解している。それ故に本来人にとって過ぎたものであり、人にとって出会うべきではない存在である事を。そして、その存在は敵である邪神にとっても、輝きを持つものであるという事も。

 しかし、彼女は葵に自分を託し、葵に望みも託している。記憶のない彼女にとっての唯一の道標である彼に、過干渉になるのは必然的だった。不器用なりに彼女の為に頑張ろうとし続けている葵個人に対し、思う所があるからというのもあるが。


「望むもの、なんでもって──」

「貴方は驚くでしょうね、そんな事言われても。なんて」

「じ、実際驚いてるよ。気持ちはありがたいけれど、そんな……突然」

「突然ではないわよ、さっき話してたもの」

「報酬云々っていうのはあくまで比喩であってだね。俺は、俺の周りの人が明日からも安心して過ごせる事が実際の所は1番の報酬になるわけで」

「それは私の目的の達成と共にある程度は叶うもののじゃないかしら?」

「いやまぁ、そうだけど。他にどんな──」


 その瞬間、まるで死者のまぶたを下ろす様にリンドの手が葵の目の上を撫で下ろす。


「……ほら、目を開けなさい」


 リンドの手が離れ、ゆっくりと薄目を開き、そして目の前の光景に目を見開いたのだ。


「!!」


 彼の眼前には桜の咲いた河川敷の景色が広がっていたのだ。夢を見た時の様に浮遊感を覚えたり、酩酊感があったわけでもなく、ベッドに座っていたさっきまでと地続きなまま、この場所に来ていた。


「これ……」

「貴方にとって漠然と懐かしいと感じる情景の内の1つよ。あくまでこれは蜃気楼みたいなもので、視界がこう捉えてるだけ」


 2度と見れないと思っていた景色に葵は戸惑いながらも、確かな懐かしさが込み上げていたのだ。

 何故なら、この場所は葵の亡くなった祖母の家に行くまでの道だったのだ。祖父は葵が産まれる前に亡くなっていたのもあって、この場所に来る事は祖母を亡くして以来ほとんどなくなっていた。


「……なんで、ここを」

「ごめんなさい……怒らないでね。土足で踏み躙るつもりはないの、でも分かって欲しいの」

「どういう──」


 葵の横に座り直したリンドは、濁りのない蒼の空に視線を向けていた。ただ彼の知っている空を自分も見ていたいというのもあるが、彼に視線を向ける事に、少しの不安があるのも理由の1つだった。葵が彼女への信頼や信用があるのは間違いないが、先程アダム達としていた話からこの様に、他者の思い出や過去をこうして擬似的にでも作り出すのは、あまり良い思いをさせないのもまた事実だから。


「──貴方の望みは、蘇生ではない事は知っている」

「……うん」

「そして、貴方の取り戻したいかつてに回帰する事でもないことも、知っているわ」

「……」

「だから、ただ分かって欲しかったのよ。貴方の中にある欲する事に対する枷が外れて、貴方が望みを得た時には私がちゃんと聞いてあげるって事」


 郷愁を覚えながらも微かに眉を寄せていた葵は、瞬きの後にリンドの方を向く。


「貴方が私を女神にしたのだし、私は貴方の所有する力でもあるのだから、その日が来た時によく頑張った、だけで終わらせるのは私の性に合わない。だからどんなとんでもない願いでも、私は貴方の望みを笑わないし、きっと私自ら(・・・)叶えてあげるわ」


 それこそ、誰もいないこの河川敷の様に、ただいつかの景色を見たいとかでも構わない。自分の家のリビングの窓から入る風を浴びながら、一眠りしたいとか、そんな些細な物でも構わない。


「戦いの終わり、夢の終わりに終わったなぁって終わらずに、その後にご褒美があるんだって。終わりだけがあるんじゃないってそう思うのよ」


 そう、私自らと先程彼女がわざわざ強調していた理由はそこに込められていた。


「貴方が私に対して目の前からいなくなれって思わない限り、私は最後まで側に居てあげる」


 先程のやり取りから、葵は大切な人を失った事に対する虚無感と、これから大切な人を失う事に対する強い恐怖があることを感じていた。それは、彼が特別な優しさを持っているから、なんてわけでもなければ、人の死と直面する上では普通の反応かもしれないだろう。

 しかし、彼女の為に戦ってきた彼が、彼女に本物をくれると誓ってくれた彼が、彼女がせめて誰かに触れられる様に贈ってくれた詩が、尊大かつ無茶なことを言い出したリンドの望みを受け入れてくれた彼が、その当たり前に目の前で苦しんでいるのならば、彼女にとって今1番良いと思える事はただ側に居続ける事だ。


「──この場所は、祖母の家に行くまでの道中だったんだ」

「……そうなの、綺麗な場所じゃない。とても」

「うん、季節ごとに表情を変える木々が俺も好きで、自転車を押す祖母と一緒に歩きながら眺めるのが特に好きだったんだ」


 母と自分と姉の3人で帰省して、3人で電車を降り、改札の向こうで待っている祖母。3人の姿を見かけたら嬉しそうにいつも笑顔で手を振っていた。姉の紅音は祖母と会った時によく抱擁をし、母も嬉しそうに微笑んでいた。葵達の母は母のままだったが、少しだけ祖母の前では娘としての顔が出ていたかもしれない。

 春休みや夏休みの様な休みの時に会いに行っていたから季節を象徴する様な出来事であり、当たり前に何度もこの季節を重ねていくのだと思っていた。家族もきっと同じ事を思っていた。


「でも、この道を通る事もすっかりなくなって、あの駅を降りる事もなくなって、祖母が亡くなってからあの場所がどんな風に変わったのかすらも知る機会がなくなった。なんか、まるで世界自体がその人がいた事を忘れさせようとしているみたいにすら、思えた……なのに、何年も前の事なのに、宮井の病院も、祖母と通ったこの道も、思い出せるからすごく悲しくなってしまう」


 天を仰ぎ、微かに声を震わせながら葵は思い出と付随する感情をただ語る。ただここにあるだけで、情景が今も確かに鮮明であることが証明される場所で。


「だからこそ、思ったんだ。自分はこれから何度もこの感覚を味わうのが苦しい、何で自分は家族の中で1番若いんだろうって。俺だけが覚えたまま、最後に俺は1人になるんじゃないかって、こんな事を話しても普通は笑われて終わる。でも、俺はそれが怖かった」


 アダムや連理の様に身内を殺されたわけではない、納得出来なければ理不尽に怒りたくとも、生物的には自然な亡くなり方をした。それでも、ならば良かったかと思えるわけではなかった。苦しんで逝った事に変わりはないから。


「……それでも、俺が望まない事柄は君が知ってる通りだ。宮井や祖母が元気な身体で元気に生き直せていたら良いなって、俺はただそう思う。知ってるかい、俺の住む国では人は死んだ後にまた生まれ変わるって多く言われているんだ。だから、権利を持つ俺が、俺自身がそうしたいと思えない。この世界でもそうだ、信じる事が出来なければ実現は出来ない。出来ないんだ」


 超常の力でやり直せる、取り戻せる、そんな都合の良い事あるわけがない、あってはならない、葵はそう感じている。自分よりももっと悲しいを思いをしているはずの人達に権利が与えられなかった以上は、選択権は自分にしかない。それは一種の不条理かもしれなければ、その権利を持つことがなかった者の中には、その選択自体が傲慢で許せないかもしれない。そう思われる可能性があっても彼は恐らく否定は出来ない。

 しかし、その選択権を託してくれたのは人の様な情動のある彼女で、それを叶える力を持つのも機構ではなく側で見てきた彼女なのだ。


 だから、彼女は彼の言葉にただ小さく頷く。


「そんな俺は、君が知ってる通りの臆病な奴だ……君にいなくなれなんて、思うわけがない」

「……そうよね」

「本当なら、最後まで誰かがいてくれるだけで俺からしたら過ぎたものだよ」


 リンドは直感的に分かっていたのだ。最期ではなく、最後と彼が言い続けるのは、自身が死人であるという事実からの逃避の色がある事を。彼は今も生者の様にここにいる、それ自体が理から外れた行いであること。そして、戦いの終わりには、理が正常にきっとなる事、そうなるべきだと、分かっているから。

 これは、勇者としての勇猛さの中から漏れ出た彼の微か恐怖心だ。彼女はそれを臆病だと指差しはしない。この世界の中で倒れてもまた何度でも立ち上がれようとも、人の魂を取り込めようとも、彼があくまで人である証明にもなるのだから。本当に人外であるリンドだからこそ、ただその事実と怯えを受け入れるのだ。


「だって、貴方は弱いもの。私が側にいないと心配で自由に好き勝手してらんないわ」

「は、はは……手厳しいなぁ」

「そうよ、どれだけ力を手に入れようとも。私はずっと、貴方は弱っちい奴だと言ってやるんだから」

「……うん」

「貴方は弱いから、私も一緒にこの景色と、貴方の口にした思い出を覚えていてあげるわ。女神が覚えててあげる、ずっとね」

「…………ん」


 肯定を示す短い言葉に込められた間、思い出を語っていた時と同じ様に少し震えを混ぜながら放たれた物は言葉にすらならず、ほぼ吐息と差異はなかったが、感情を示す以外の選択が今の彼にはなかった。

 しばらくしてから、葵は眉を下げながら笑みをリンドに向ける。


「今の時点でそんなに提示してもらっちゃったら、望みを考えるのが難しいね。俺の望みの分を使わずにそんなにしてもらって良いのかな」

「んもぅ、今言ったことはあくまで私がしたいからするだけ、貴方に望まれたからやってるだなんて微塵も思われたくないわ」

「それもそうだね、君はいつも君の意思で俺を支えてくれてる──」


 2人だけを置き去りに、景色の中で風が吹いて桜の花びらが舞う。道を歩く人の姿も、祖母達の姿も、当然ない。だが、花を届ける風の強さは葵の中のその記憶を強く、思い出させてくれた。


「ありがとう」


 葵はその景色の中の芝生に身を預けて、目を閉じた。彼女は彼の感謝を聞いた時にも、彼がしばしの休憩に入る時にも振り返らず、ただその景色に視線を向けていた。



 主が不在のままの別荘で赤毛の少女、飛鳥連理は屋根の上で座り込んでいた。不毛の地、化け物達ばかりが歩く地、この景色の方がきっと当たり前に近いこの世界において、正常に機能している綺麗なこの家の方が余程異物なのかもしれない。だが、この場所が落ち着くと思っている連理は、そんな自分の中にある矛盾を強く感じていた。


(でも、この世界にもこんな景色や、その日々を作る人がもっときっと出来る。今度こそ翼と……)


 しかし、考えるほどに自分達を引き取ってくれた2人の優しさや温かい日々が軽視出来なくなる。翼と一緒にいた時間は地球にいた時の方が長い。だから、そこに付随する記憶の中に、祖父祖母も必ずいる、忘れるはずもない。

 それでも彼女をここまで突き動かしたのは、両親と共にいた時間。両親がいて、翼がいた頃は、彼女にとって最も黄金の様な日々だった。翼も、優しい自慢の両親も、戦いの果てに取り戻せるのなら、憎い仇である勇者を倒した果てに得られるのなら、やらない理由はない。確かにそう思っているが──


「強い迷いと不安、ギュンターが帰らない可能性を考えた時に生じたものだな?」

「!!」


 連理の背後に音もなく、気付けば立っていた魔王はなんてことない様に彼女に向けて笑みを浮かべていた。


「勇者に敗北した後の貴殿は常に迷い続けている気がするな」

「も、申し訳ありません!私は……」

「いいや、構わぬとも。既に同胞が1人敗れてしまった後だ、不安にもなるであろう。特に、ギュンターは貴殿等の兄にも等しい存在だからな」

「……」

「我々もまたこの世界の中でも命に縛られる存在だ、故にこそ幾らでも他者を思い、他者の為に悩むと良い。私はそれを弱さと否定する事はない。例え、貴殿の目的が揺らいだとしても、私はありのままの貴殿を受け入れよう」


 目的が揺らぐことは魔王の立場から言えば、本当なら迷惑極まりない事かもしれないが、魔王はそれすらもあっさりとそう言ってのける。


「もっとも、我々にも空を制する力はない。君の兄弟への愛で自然さえも味方につける力は、唯一無二だ。我々もまた空も、その先も知らない、重力下の生物でしかないのだ。故に、貴殿を頼りにしているぞ、私も知らない景色を知る貴殿を」


 仲間として代わりが効くわけでも、いなくても大丈夫なわけでは全然ないのだと、暗に言いながらも、彼女に他の選択の余地も与える。片方を選ぶ事で態度を変えるつもりもない。

 彼は他者の心は読めるが、他者からは彼が何を考えてるかまでは読めない。連理にとってそれは不思議ではあったが、不気味には感じなかったのは、彼が翼の頭を撫でてくれた事を知っているからだろう。


(こう言って下さるけど、やっぱり私は、私自身の弱さを受け入れられない。私を突き動かすものは怒りで、この感情を間違いだと思ってるわけでもない……けれど)


 先代勇者を前にした時の有無を言わさない雰囲気、殺し合う以外の余地を与えない雰囲気とは違い、彼女が次に会った勇者は未熟さと情緒の豊かさが隠しもされていなかった。同一の存在と、仇とどこまで認識出来ていたのか、翼を殺した勇者と顔や武器やその名前が同じで、そしたら確実に同一と言えるはずなのに、妙な違和感があるままなのだ。しかし、それらを整理しようとすると、八つ当たりめいたものだったのではという酷い結論にぶち当たる。しかし、当の滝沢葵を前にすれば、やはり嘘偽りのない怒りが湧いてくる以上はそうではなかったのだと思うしかない。

 しかし、そうだとしても今の状況の皮肉さは、ギュンターが順当に勝つならば、自分の手で仇を討ち損ねた複雑さが付き纏う。ギュンターがもし負ければ、八つ当たりではなくなり、憎悪は正しかったと思える様になる。


 これは、勇者への同情や勇者に対する認識の変化というわけではなく、彼女が彼女自身を疑う事を覚えたと言えるだろう。頭が冷やせる様になってしまった、とも言えるか。


(……死んでは嫌よ、ギュンター。翼の事を知ってくれてる人)



 月が25回の変化を終えた直後、本当に丁度の時に再び男の声がノアに響き渡った。


『約束の時間だ。逃げたりしなかった様だな、艦長』

「私が逃げ出せば、私が多く背負う命を投げ出す事になる。私はそんなことはしないわ」

『失敬、馬鹿にするつもりはなかったが、臆してもおかしくはないと思っていた。こちらの手の内は何も明かされていないのだから』

「ノアもない頃からこの世界で生きてきた人間を舐めてはいけないわ、足元を掬われるわよ」

『ああ、認識を改めよう。しかし、返答次第では改めた認識もまた、すぐに不要になるのが悲しい限りだが……では、答えを聞かせて頂こうか』


 降伏するか、否か。生贄を与えて安寧を得るか、使徒である彼のいう軍勢と戦うか。


「我々は貴方の要求を呑まないと決めたわ」

『……そこに訂正の余地はないのだな?』

「ええ」

『そうか……そうか』


 あくまで向こうから言い出した事な上に、降伏した際も温情と言える処置が為されるわけではないのだから、こう返される可能性は使徒も考えていた事だろう。だが、そこから放たれる声はひどく、心から残念そうな声色だ。エレン達から言わせれば、かなり奇妙だと言える。


『ならば、予告通りにさせてもらおうか──』


 ギュンターの言っていた罠。彼がここの住民の1人として紛れて張ってきた物。

 エレンの表情が微かに強張る。恐らくその中身はアダムが危惧していた通りの物、ヌシ老人達が使っていた小屋の地下で出現したものの比ではない完全体のものを召喚する為の魔術。


「っ!いました!4時の方向です!!高さは事前に放った使い魔の21番を基準に!」


 その最中にエミナが報告をし、それを聞き終えると同時にライフルの発砲音が響く。


『っ!?』


 通信が繋がったままの使徒の小さい驚愕の声。それを魔道具を通して聞きながら、1番見晴らしの良い甲板で、撃った当人、ライは口角を上げる。


「ノアが飛べなくなるギリギリの位置を正確に把握してるわけではない、相手が知ってんのは使徒や魔王の様な邪神の影響を強く受けている存在が近くにいると飛べないってことぐらいか。だったら、その明確な範囲内である比較的近い場所からは離れられない。動き回っても目立つし、レーダーにも引っかかりかねない、相手は慎重になる……なら、今が狙いどきなわけだ」


 どれだけ隠れようとも、紛れようとも、魔術を使用した瞬間にはその周囲や使用者そのものから魔力が大きく動く。その術の成否に関わらず。その瞬間を狙ってエミナがレーダーで魔力を探知し、事前にブランの弟子達が放った使い魔をスポッター代わりにし、使徒に向けての先制攻撃をする。予定通りに事は運ばれた。

 潜伏していたギュンターは弾丸が掠めた肩をさすりながら、小さく息を吐いて通信を止める。


「──開戦だ」

「開戦よ」


 エレンとギュンターは互いに知らず、同時にそう口にしていた。

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