第7話:暗闇の奥へ
「ここだね……」
船を降り、砂漠地帯へとまた足を踏み入れた葵達はとある洞窟の前に立っていた。
「ミアの言ってた通り酷い空気だ」
*
少し時間は遡り、居住区から出てからのこと、2人は移動しながらミアから今回の件について聞いていた時の事。
『どうやら新たな地球人の方を発見したそうなのですが、錯乱していたらしく逃げてしまった様でして……』
『でも、その逃走先は分かってるのよね?そうじゃなかったらアオイみたいにまだ不慣れな人に助力を求めに行ける段階ですらないはずだもの』
『はい、分かっています。ただ、問題があるんです。逃げた先が魔力濃度の高い場所で……アオイさんの様な地球人の方々でないと耐えられない猛毒地帯である事』
『俺以外にも来れる人とかは?』
『その発見した仲間が現在急行しています、追跡中に複数の敵と交戦状態となってしまったようなので、到着次第合流して頂く予定ですが、到着がどれぐらいになるのか分かりません。それに、どのみち高濃度の魔力の漂う場所への適性は滝沢さんが1番なんです』
『ま、魔力ってそんなに危ないの!?』
『危ないわよ、希釈しないといけない物を原液で摂取する危険性と同じよ』
『それその物はこの世界の万能なエネルギーとして考えてもらって構いませんが、それが集まるごとに身体を蝕む様になるんです。恐らく脆い器に過剰な水を一気に入れる様に、壊れてしまうからなんです』
魔力というものに対してそこまでの危険なイメージを抱いていなかった葵は目を丸くする。だが、少なくとも地球上では実際に存在はしていない物であるのだから、おかしくはないのだろう。
この世界における常識、この世界を構成するもの、遠からず覚えなければならない事柄なのは確かだ。
『成る程、大体分かったよ。俺はそれでも大丈夫なんだね?』
『はい、でも本当に気をつけて下さいね……危険な所に行かせてしまうのは変わらないのですから、無理だと思ったら引き返して下さい』
『ありがとう、油断せずに行くよ。油断出来る程の自信もないから、すごく気をつけて行くよ』
*
そして、今に至る。言われていた時点では分かっていなかったが、予想よりも高濃度の魔力の漂う場所は危険な空気のする場所だ。
中は暗くて外からではよく見えないが、常に禍々しい気配が漂っている。元の世界でもあった感覚、なんて事ない場所にも関わらず妙に近付き難い空気を発していた場所があった。その近くに来ると最初に頭痛と耳鳴りとが起きて、季節関係なく寒気のあまり鳥肌が立っていた、その事をふと葵は思い出す。
大体そういう時は、後から両親に聞けば曰く付きの場所だった。それとは厳密には異なるのかも
しれないが、その感覚に思わず眉を寄せる。あの悲しい寒気と暗さに何故似ているのか、と。
「ここからがきっと愉快なんだから、さっさと行くわよ」
「うん、怖気付いている場合じゃない!よし、行こう」
だが、葵の後からリンドが入ろうとした瞬間──
「っ!?」
「リンド、どうし……っ!」
魔力が濃くなってくる境界をリンドの足が超えた途端に彼女の足が霧散して消滅した。
「リンド!!」
それを見た葵はリンドをすぐに外側の方に退避させるが、それでも彼女の膝から下が欠けたまま戻らない。
足が切れたわけでも、もがれたわけでもない、それが肉体らしい様子ではなく、ただ欠けている様子である事に思わず葵は動揺から顎を震わせていた。
「なんで、これ……!?あ、あ、足がっ!?」
「そんなに焦らないで、血も骨も出てないでしょ、怪我とかではないのだから。そんな事よりも、私がここに入れないって事が分かったのが問題よ」
「そんな事って……」
リンドが言うには、魔力という凝縮された情報そのものの影響で、彼女が自身の身体を生成する上で予想以上に大量の余計な情報が入ったから保てなかったという事らしい。
不純物が入っただけで結合が崩壊する、想像以上に彼女の身体が脆いという事実、そしてこの場所の危険性を突きつけられる。
「放っておけば治るわ、それよりも……分かってるのでしょう。こんな所まで来た理由」
「……中にいる人を助けないと、だよね」
「なら私の側にいたところで無意味よ、私のこれは貴方には治せないしここにいたら内部にいる救助対象は助けられないわ」
「うん、君の……言う通りだ」
中に入れる以上はリンドの様な事にはならないのかもしれない、だが中には異形がいないとは言い切れない、むしろほとんど確実にいるだろう、それを考えたら救助は一刻を争う。もしもが起きてしまうなどあってはならない。
2人が来た理由は救助だ、そして葵があの場所にいた人達に言った事も思えば尚更に有限は実行されなければならない。
「アオイ、とりあえず私は外で待機していたら治るから気にせず行きなさい」
「なら、ちゃんと俺の事は気にしないで帰還するんだよ、良いね?」
「ええ、ここで待ってるわ」
「君、もしかしなくとも俺の話聞いてないな?」
「所有者である自覚を持って欲しいわね、今の私には貴方の方が優先度が高いのよ」
理屈は判明していなくとも葵は死なない。それが分かっていても、どんな不測の事態が起こるかは分からない、危険である事はお互いに変わらない。
一瞬だけ葵は目を伏せたが、すぐに開いて頷く。
「…………分かった、分かったけど、気をつけてね。こんな言葉をかける事しか今の俺には出来ないから」
「貴方の方こそ気をつけるのよ、何かあったら許さないわ」
怪我人を置いて行く事はこの瞬間も心苦しい、だが何も出来ないなら今は出来る事とやるべき事を優先すべきだった。
少なくともこの世界に来た直後の様な状況も、ゼーベルアの様な相手にも、何とか戦いはこちらの勝利で終わらせられた。葵はそれを自信という名の後押しに変え、意を決して洞窟の中に入っていく。
*
内部では岩で出来た細い道が続いているが、幾つか分岐していたり、横を見れば明らかに落ちたくはない大穴であったり、その穴の一部すらも明らかに自然ではない景色の欠け方をしていたりと、外はこうであったと思い出す様な光景が続いていた。
「ぐっ、は、早い!?」
その洞窟内を水と定義しているかの様に地面を抉らずに泳ぐ岩の魚を相手にしながら、やはりこの世界の生物は奇妙な身体をしているのだと思い知らされる。あの異形の群れの時と比べたら、地面から飛び出す一瞬の牙による攻撃以外はない単純な物なはずなのに対処は易くない。
細い道で避ける手段も限られる、身体が岩に近い程固いから雑に斬撃を加えるだけでは有効打にはならない。口を開いた瞬間を狙って突きでの攻撃も少しでも逸れるとそれも空振りに終わる。
「それなら!!」
飛び上がってくるタイミングを狙って刃の側面を噛ませ、そのまま岩壁に向けて叩きつける。
身体の中身まで岩で出来ているわけではない、強靭であれどこれは決して軽度のダメージにならないはずだ。
「これで、トドメ!!」
叩きつけた勢いのまま刀を振り抜き、目に向けて突きを行う。
無論その最中に、もう1体も飛びかかってくるが、刃の先端に息絶えた魚を刺したまま刀の峰で横から殴る。
勢いを失った事を認めたら、そのまま刺さっている岩魚を鈍器にして今度は上から殴り付けて地面に叩きつけ、後は目玉を貫くのみだ。
「っふぅ……いや、急がないと」
それで一安心ではない、これは目的を思えばあくまで道中に過ぎない。刀を振って魚を引き抜けば、走って走って奥へと向かわねばならない。
逃げ出した人が無事である保証はないが、この奥に行っていない保証はない、もしも行っていれば時間をかけるほどに危険度は上がる、それが化け物の手にかかるとしても魔力の濃度にやられるにしても。
だから、道中の戦闘もより最適化しなければならない。かなり乱暴になってしまったという反省が彼の中にはある。
「せめて、あの時みたいな力が使えたら……いや、ない物ねだりをするわけにはいかない」
魔王の使徒と交戦した時の様な力はどうやら自在に発揮出来るものではないらしく、何度か試したが霊体は決して出てきてはくれない。自分の武器である確信はあるのに、自在ではない事に煩わしさは覚えるが、彼自身が言った通りない物ねだり、言った所で無駄な事である。
「ただ最善を尽くせば良いんだ、大丈夫、大丈夫!」
自身にそう暗示をかける様に大丈夫と告げて、岩石地帯の坂道を降りて行く。その最中にも魚の襲撃は何度もあったが、時には蹴り上げ、時には貫き、足を止めずに出来る対処に集中する様になってからは少し足を早められていた。
そうして暫く走り、降りて行く程にほぼ石床と大差のない砂地に辿り着く。ここに至るまでは分かれ道はなかったが、上よりも暗い上に道が1つではなくなった事は苦戦を強いられるのは間違いない。
「上よりも空気が重いな、こんな所にいたら普通は耐えられない……」
思わず口元を覆うが、毒ガスの類ではないのだからそれは特に意味を為さない、それも感覚的に分かっているが、そうしたくなるほどの空気が魔力として漂っていた。
せめて足元だけは見失わない様にと片方の道に足を進めていた時、靴裏が砂のざらつく感触以外を拾った事に気付き、足を止める。
「これは、お守り?」
フェルト生地で作られた小柄な赤いお守り。必勝と表面に糸で書かれ、裏面には同じくフェルトのテニスボールの柄が縫い付けられている。手の平に収まる祈りは懐かしい重みを感じた、間違いなく地球の、しかも故郷の国の面影だった。
この世界においては異質だからこそ、これの持ち主こそが探している人に違いないと確信出来た。
「ここまでに血痕は見当たらなかった、それに……遺体も。だとしたら、こっちの先にいるんだ」
不思議と今拾った葵には希望が与えられた気がした、これの持ち主は今も生きていれば不安の只中にあるのだろうから、この希望を届けなければならない。
「!」
奥から突然鋭い針のついた尾が葵の額を狙って襲いかかってくる。
急いでお守りを懐に入れながらも、飛び退く事で辛うじて回避を成功させる。
「っ、今度は……砂漠らしい相手じゃないか」
暗がりからの攻撃をして来た何かの正体が露わになる。
蠍だ、だが蠍にしては大きすぎる、尻尾も含めたら自動販売機ほどの高さはあるだろう。
形状的には蠍そのものではあるが、その身体の表面に血管の様な物が浮かび、その血管の収束先は蠍の頭にあるべき2つの瞳の部分には嘆きの歪んだ口と、誇大化して1つになっている瞳がついている。ギョロギョロと動く瞳は、浅い穴にはめたビー玉を指で転がした時のように自在に動いていて、中々にグロテスクだ。
「どかないなら、そんな顔で見ないでくれ!俺は行かないとダメなんだから!」
その言葉が聞こえたのか否か、泣き叫ぶような金切り声が洞窟に響き渡り、葵の耳の中を暫く甲高い音が支配する。先制をとられたも同然だ。
だが、咄嗟に耳を塞いで欲しい事が、それで咄嗟に目を閉じて欲しいのであろう事が分かる、大きい音を出すのは相手に存在を音で把握してもらう為や、聞いてもらう為でないならば、相手に威圧したい時にもよく使われる。覚えがある。
「耳が馬鹿でも目が正常ならやれる!!」
だから、掻き消す様にそう叫び、地面を蹴って懐に入りに行く。
その迎撃に繰り出されるのは今度はハサミ、それを打撃に使う為に行われる薙ぎ払いは、速度が予想以上にあるせいかスライディングでの回避を余儀なくされた。
「好き勝手されてばかりではいられないっ!」
スライディングの最中に刀を上に向くように持ち変える、その狙いは蠍のハサミにまでついている剥き出しの血管。
切り裂く明確な感覚、緑色の体液が飛び散り、もう片方のハサミを怒りと共に振り回し始めている事に手応えを感じる。
「っはあぁ!!」
地に片手をつきながら身体の向きを反転させ、ハサミと本体の間、細くなってる部位目掛けて袈裟斬りを仕掛ける。
その一撃で斬り落とす事は出来ないが、深い傷を残す事が出来た。だが──
「っ!?」
急激に足を進めた蠍は突進を入れてくる、その体躯の分だけの重みが葵の身体の側面に入り、突き飛ばされる。
受け身を取りきれず、地面で打った肩がズキズキと痛みを訴える。
「く……ぅ、肩が外れるかと思った……」
しかし、そこで優勢を取ったと判断した蠍の前進は止まらない、葵としても肩を押さえながら立ち上がってる余裕はない。今この場所がまだ最奥ではないならば、ここはもっと早く越えなければならない。
前進と共に突き出される針を刀で受け流せば、重い音が鳴り響き、その針は壁に穴を開ける。
「よしっ!」
反対の壁の側に向かうように駆け、壁を蹴って狙う先はその誇大化した目玉。
「視覚を持つ生物なら!!」
顔を庇うように出されるハサミを踏み台にして片足で踏み抜き、背に着地する。同時に壁から針が引き抜かれ、尾も自由を取り戻した事で鞭のように葵の顔に向けて振り回すが、目玉に刀を突き立てる動作に合わせて身を低くして側頭部を掠めるだけに留める。
「ここが、効くだろっ!!」
目玉特有の滑る感触と弾力がかかり、手に力を込めて一瞬で深く、深く刺す。
蠍の叫びは戦いの開始の合図となったあの時よりも悲痛で、騒がしくて、激しい。
その声に負けないほど身体も暴れ回るが、その最中に目玉から刀を引き抜いて前方に着地する。血液に該当する体液があるなら栓を抜いた方が弱るはず、そう考えてその暴走に巻き込まれないように少し距離をとる。
「っ、こんなに暴れる蠍も無視してこの先に本当に行ったのか!?」
がむしゃらに振り回されるハサミに身体に、危うく石壁諸共ぶつけられそうになるが、暫くして蠍の身体は数度の痙攣を起こした後、糸が切れたようにその場に伏して動かなくなる。
「──あぁ……くっ、いや……」
手に残る感触を思い出して首を横に振り、前を向く。肩の痛みも幸い落ち着いてきた、次に同じ化け物が出て来ても戦い方はもう分かる。
葵は蠍の身体を避けて奥へとまた向かった。天井から蝙蝠のような形状をした骸骨も襲いかかってきたが、これまでの岩魚や蠍と比べたら特別厄介なところはなく、滑空してきた時を狙って斬り払い。
蠍が次に襲いかかって来た時にはハサミを誘導してハサミ同士をぶつけてから目玉の方に向けて真っ直ぐ向かって貫いた後に、そのまま進行方向に向かって跳躍し、移動の足が止められる事はなかった。
「!灯りだ」
前方の奥の方、通路の先に自然光が見える。暗く、どこから化け物が来るのか分からない場所よりもせめて周囲が見える場所の方が良いはず、逃げ込んだ先として可能性は大きい。
周囲に敵はいない事を確認してから通路に向かって速度を早めて──
「う、ぁ!?」
突如、東側の岩壁を破壊して何か大きな物が飛び出して来る。
予兆がなく起きたそれに対応出来ず通路側に半ば飛ぶように転ぶ。口に入った砂と頭に乗った細かい石の粒達を、顔を振って払いながら振り返る。
「無事合流が完了したようですね、ワタシはとても安堵しています」
砂埃の先から聞こえて来たやけに丁寧な言い回しの言葉、人の声が聞こえた事で葵はその姿を改めて認める為に、立ち上がって瞬きをする。
砂埃が晴れて見えるのは、その身体に大穴を開けてい息耐えている蠍、その上に足をかけてゴーグルを上げながら立っているのは女性だった。
黒髪をシニヨンヘアにまとめ、吊り目の紫の瞳。白いブラウスを肘で折り、皮のベストと同じ材質のショートパンツに太い黒革ベルト、白い腰布は片側にだけ垂らされ、ベルトと似た色彩の革製の編み上げのニーハイブーツはスラリとした足の形をブーツという形で見せている。金属の装飾が各所に細かく施され、腰と胸元に飾られた宝石が非現実的な幻想を服装に見せてくれる。
その姿は紛れもなく化け物でもなければ、言語も通用する人間の姿。
「──君が、ミアの言っていた仲間?」
その言葉に小さく頷き、ようやく蠍の上から飛び降りて葵の前まで来てから90度の角度でお辞儀をする。
「その通りです、勇者様。ワタシは方舟の戦士の1人、クロエ・フォリアスと申します。今回は失態をしましたが、中々に出来る女ですので、乞うご期待下さい。イェイ」
挨拶そのものは独特にも関わらず声にも顔にも起伏のないままに放たれる言葉に思わず脱力しそうになるが、葵はそれ以上に安堵の思いが大きかった。
戦いにもこの状況にも慣れている人間、自分が何とかしなければならないという焦りが緩和される、大丈夫と自分に言い聞かせても決してそれは必ず効く薬ではない。だから、まだ状況が良くなっているわけではなくとも、なんとか出来るかもしれないという勇気が仲間が来た事で湧く。
「初めまして、俺は滝沢葵。最近この世界に来たばかりなんだ、俺もすごく頑張るけれど、君の力を貸してほしい」
「はい、無論です。力を合わせて任務を完遂しましょう」
そうして、握手を交わしてから2人は行くべき通路の方へと駆け出した。