第73話:敵は来る
葵の救出を終えた後、感動の再会ともいかないまま、民間人達にそれを知らせたり、葵自身が集落へ降りて顔を出したりと、忙しなく時間が過ぎた。
「勇者様はやはり不死身でらっしゃったのですね。ご無事だった様で安心しました」
「皆さんの方こそ、お元気そうで何よりです。俺にとって貴方がたの笑顔が活力ですから、そのお顔を見られて安心します」
「はっはっは!笑顔で勇者様のお力になれるなら、いつでも笑いますよぉ!」
葵が一度死んだ事、そして葵が死んでも蘇る事を伝えたというのは既に葵も聞いていた。想像よりもそれを皆が受け入れていた事は不幸中の幸いと言えるだろう。それなら確かに、混乱が消えなくともある程度のラインで落ち着いてはくれるのだから。
船内でも反応は似た様なもので、葵が状況の説明から入る必要がないのは話が早くて助かるものだった。無論、心配してくれていた事に対して感謝の念は抱きながらだが。
「恐怖を軽減する効果がある旗っていう物が俺なんだとして。俺の存在のみで、この落ち着きが保たれているなんて自惚れるつもりはないけれど、そういう自負を俺は持たなければならない。でも、彼等にとって祈るに足る勇者のままでいられたのは、エレンさんや皆の対処の賜物って感じで助かってるし、皆の心の強さのお陰だなって強く感じているよ。本当にありがとう」
葵は直前まで市民達や船員と接していたからか、その様な感想をここに集まっている人に伝えていた。自分の立場を思えばこそ、自分が不在の間にかけた様々な労力に対する感謝の気持ちは伝えておかねばと言う気持ちが大きかった。不在の事情そのものは、魔王達の手によるものだから、葵にはどうしようもなかったわけだとしても。
彼はエレンに連れられながら、集落等を回っている最中にそう彼女に言っていた。彼女としては、とにかく無事に帰還してくれて良かったと言う思いが大きく、そこにはまだ彼が高校生の男子だからという気持ちも込めたかったが、彼のその言い方に水を差す事はしたくなかった。
「まだまだやるべき事は多いし、危機は目前だけど、とりあえずお疲れ様。お互いね」
出来る限りの事を伝える言葉は、ありきたりになったとエレンは思ったが、葵にとってはそれで十分だったのか深く頷くのだった。
そうして、現在。葵は医務室で一連の検査を済ませた後、葵救出に参加していた面々とエレンを交えて互いに情報の共有を行っていた。
この集落に訪れている危機、小屋の地下の更なる下へ降る階段について。葵からはどんな手段でこちら側へ移動しているか、手に入れた写本について、そして魔王について。
「それが、魔王なんですね……」
「ミアも魔王の事は知らなかったんだね」
「はい!魔王はずっとその姿を見せていませんでしたし、使徒の方がやっぱり活動的だったので。でも、恐ろしい事ですよね」
「ん?」
「葵さんが帰還する事までを想定していたかは分かりませんが、心器も、自分の読心能力も、それによる魔術との親和性についても、見せるって事はそれだけの余裕があるって事でしょう?」
「確かにそれは気に食わないわね。舐められてるって事じゃない。良いの?」
「えっと、覇気がないって怒らない?」
「物による」
「舐めてくれてるか、それか手を抜いてくれてたから、脱出が出来たところが大きくて。それそのものが罠かもしれなかったけど、俺はそれに助けられたから。舐められるのも今回ばかりは良かったかな、などと思っていて」
「んーー状況が状況だから仕方ないけれど」
「けれど?」
「発言が少し情けないわね……」
「自覚はあるんだよね、これがね」
その一方で、魔王についてそれぞれ険しい表情を見せていた。当たり前の事だろう、敵陣営の表のリーダーとも言える存在が、それだけの力を持っている事。そして人間であるにも関わらず、先天的に異能があるという事。それがどれだけ厄介か、実際に見ていても脅威だと感じるには十分過ぎるというのに、見ていなければ尚更の事だろう。
「しかし、そうだとしたら尚更何故魔王は動けないのかしらね」
「我々に対して手を抜く理由もありませんし……」
「理由なら、何かあるのかもしれません。使徒、連理が魔王自ら出向く事に反対していたんです。理由までは聞けなかったのですが、読心能力を持つ魔王が、そこの言及を止めたので相応の理由があると思います」
読心能力、その精度や、その存在自体が当た前ではないだけに、通常ならそれも含めての根拠というものは、弱く感じるかもしれない。だが、それもあくまで地球上ならではの話だ、葵が拉致されていた間の内容は、相手の虚言に惑わされたのみでは説明のつかない要素が多いのだから。
そして、人差し指を立てた葵はもう1つ付け加える。
「そして、魔王達には絶対に遵守しなければならない物があります」
「……邪神か。しかし、勇者の言う様に邪神の命令が理由だとしても。私達を見逃す理由はやはりないと思えるんだが、そこはどうかな。邪神の考える事は、アンタにも分からなければ、無論私達にも分からない。エレンやアダムであったとしても、だ」
「それに近い存在であったとしても、分からないもの。近い存在ならば分かる、なんて事は人類の時点で適用されてない事なんだから、当たり前といえばそうだけれど……どうなの?アオイ」
「ブランさんが言う様に俺も明確な根拠があるわけではありません。ただ、魔王が言っていた事なんですが──」
『事象が貴殿の味方をしているみたいだ。いや、みたい。ではなく、ある意味でそれはただの事実なのかもしれないな。全く、困ったものだな』
確かにそう言っていた。全ての事を間に受けるわけでもなければ、それこそ虚言であったかもしれない。だが、彼は戸惑わせる言葉にわざわざ根拠のない要素を持ち出す必要がない。相手にとって思い当たる最低限の要素と、あまり聞かれたくないと感じるかもしれない要素を読み取り、それを言葉にすれば良い。
その上で、事実なのかもしれないと言った。加えて困ったものだ、と。彼にこそ分かる、その時々で手を入れてくる可能性のある事象と言えば何か──
「疑念を生まない為にあえて言いますが、俺は偶然によって助けられてる時があるという事例もいくつかあるんです……信じ難い事ですが、彼等の主たる存在にとって都合の良い存在と、何かをさせたい相手は、また別なのかもしれないんです」
「待て、魔王のそれを仮に信じるとして、だ!お前の言う事は、魔王勢力の虚ををつく為に、魔王の策に乗るのが良いと言ってるに等しい事を、分かっているのか?」
ミハエルの指摘は危うい点について聞き逃さなかった。彼を嫌っているが故なのかと思われかねないが、今回はそれが故の物でもなければ、見込みが甘い事に対する忠告に近いものと言えるだろう。葵もそう言われると分かっていたからこそ、頷いて返事をする。
「魔王勢力に勝つ頃には、既に引き返せない程に邪神の掌の上にで遊ばされていた。そうなっていたら、我々は完全な敗北になるでしょう。ただ、それを全て疑い出せば、心器を利用してる時点でも既に乗ってる事となります」
「……まぁ、確かにそれもこの世界のシステムの一環だからな。我々は言わば邪神の用意した仮想空間内でそのシステムを利用しているに過ぎないのだから、それはそうだが」
「それに加えて、邪神もまた受肉という選択をしている。肉体やそれに準じたものに縛られる分だけ、相手もまた手の届かない存在ではない。それならば、俺なりに邪神について知っていかねばと考えています……ミハエルさんの懸念は事実として先延ばしに出来ない事は間違いないので」
だが、相手にもまだ準備期間が必要である事に変わりはない。その間に、気になる事を少しでも調べていかねばならない。葵はそれと脳内で自然と関連付けたかの様に、時折見る夢の事を思い出しながら、そう考えていた。
その最中、葵が持ち帰った写本を手に取ろうとしたミアの手からアダムがそれを取り上げる。何故取り上げられたのか分からず、小首を傾げながらもう一度だけ取ろうと身体を伸ばすが、それを器用に回避してアダムはその本を葵の手に収める。
「ダメな物なのですか?」
「読まない方が良い。便利ではあるが、心を削る覚悟がないならば」
「ふぅん?私は一応魔術師なので、好奇心が疼いてしまうのだが」
「俺からもオススメは出来ません。俺より上手く読める人はいるかもしれませんし、それこそブランさんなら大丈夫な可能性はありますけど、あの中に記されている知識は人類に合う類の……こう、ファイル形式じゃないんだと思います」
「つまり、お前は読んだのだな。タキザワアオイ」
「脱出の手立てになる気がしたので……えっと、ところで貴方は?」
「失礼、自己紹介が遅れたな。私はアダム、別働隊に居たが今は緊急でこちらに配属されている。どれ程の期間かは分からないが、よろしく頼む」
「いえいえ!俺の方こそ自己紹介が遅れてすみません、滝沢葵です!今回の件で助けて頂き、ありがとうございます!こちらこそ、よろしくお願いします!」
座ったまま深々と頭を下げる葵をアダムは見ていたが、しばらくしてから小さく頷く。周囲の人間はその間に、何かを思っていた様に思えたが、当のアダムは葵が顔を上げたと同時に口を開く。
「で、情報共有もある程度終えたところで……タキザワ少年が言っていた事を踏まえると、既に使徒が集落に紛れ込んでる可能性がある。早急に手を打たねばなるまい。顔は分かるのだろう?」
「はい、なので俺が見に行けば分かります。きっと、相手もそれは承知の上であろう事が不安ですが──」
その時、ノアの外から甲高い音が響いてきた。その異音に皆が各々で警戒心を示しながら艦橋の方まで駆け、エレン達が艦橋に到着したと同時にクルー達はエレンの方を振り向く。
「え、エレンさん!す、す、すみません!気配が多くて、その中から、あ、アレが……」
「落ち着いて、エミナ。どうしたの」
「し、使徒が、使徒が!我々に向けて魔道具で、この辺りに向けて、通信を……!」
「相手の方が先にしかけてきたってわけね。アオイが言ってた奴?」
「ほぼ間違いなくね」
葵も意識を研ぎ澄ませるが、その発信源たる使徒の魔力を探るのは専用の道具も使っているエミナの方が、間違いなく強いと言えるだろう。魔力反応そのものが人によって個性がある。この世界に対する順応が進んだ者ほどにそれは強くなり、識別しやすくなる。だから、この世界に来たばかりの頃の葵を迎えに来る事も出来た。
だが、それでも特定出来ないのは、前回の連理の襲撃の時の様な隠れ方をしているからなのだろう。現に、彼女は気配が多いと言っていたのだから。
『ご機嫌よう、ノアの諸君』
*
集落に住まう女性は語る。運が良いのか悪いのか、夫婦でこの世界に呼ばれてきてしまった人だ。
「オールバックの似合う人だったわ、口数は少ないし、中々表にいる所を見かけないけれど、私が重い物を運んでる時に手を貸してくれたりしたわ」
集落に住まう老人は語る。集落での人と人が近い暮らしを満喫しているからか、小屋で過ごす事を選んだ老人達を理解出来ないものだと感じていた人だ。
「あまり印象に残っておらん。夜中に出掛けてる所を見かけたぐらいだが、全く最近の若者は睡眠が足りん!長生き出来んわい!あんな時間に出歩くより、ちゃんと寝た方が良いとは思わんか!?」
集落に住まう子供は語る。地球ではひとりっ子、異世界に身内はおらず独りぼっち、そんな彼は本人の性格以上に明るく振る舞おうとしている人だ。
「怪我してた時に励ましてくれたよ!お礼を言いに行ったけれど、見かけてもすぐどこかに行っちゃうから、言えなかったんだよね」
その男は、集落での日々を守る側であってもおかしくないものだった。葵の接したその男もまた、子供が好きで、出来れば争いは避けたいと感じる方の人間に思えた。思い出に縛られてしまう、普通の人にも見えた。
*
「そんな貴方も、やはりこうなるのか……ッ!」
拳を強く握り締めながら、葵は苦々しい思いと共に呟く。離反を期待していたわけではない、こちらへの攻撃を止める事も。それ程に仲を深めたわけでもなければ、長く話したわけでもない。
だが、彼の喪失は彼にとって今も風化する事を知らないもの。そこにあった穏やかな日々という妻との思い出ごと殺しかねない様な、一般人に手出しをすると言う行為に対して立ち止まりぐらいはしてくれたのではと、淡い期待を抱いていた。
あくまで話せるだけで、そこに至る思考が分かったとて、どのみち目的の為に多くを犠牲にする人間である事に変わりはないのだ。飛鳥連理の幼い弟の復讐心も、その殺意は葵以外の無辜の人間にも向かい、クライルの偏愛もまた多くを犠牲にした。それが彼等の選択なのだ。
『自分は、皆が使徒と呼ぶ者だ。色々と下準備をさせて頂いたが、さてどれだけの物を見つけ、どれだけの対策が出来たかな。ここを騒がせた事件をこの集落全体を使って再現するのは流石に心苦しい』
「心苦しいなんて、どの口が……それならこんな悪質な事やらなきゃ良いのよ」
「戦う力のない人々を優先して狙う事は、絶対に許されてはなりません。彼等にとって、狙わない理由がなくとも、仕方ないとする理由にはなりません」
ミアは怒りを滲ませながらも、集落に住まう人々の身の安全の事を考えて不安そうな表情を浮かべている。
相手が仕込みを行っていた事は把握していたが、何も言わずに行動を起こされるよりも相手から焦りを感じない事が、皆の緊張感を高めていた。
『端的に言おう、降伏をせよ。さすれば、こちらは多くの戦闘力を持たない者に対して寛大な処置をとるだろう。そうだな……具体的に言えば、集落内部の人間ならば月の色が25回変わる毎に1人の生贄を選び、差し出してくれるのならばそれ以外には手出しをしない』
そして、非戦闘員であり、保護を受けなければならない者達にとっての脅威とは何か。そう、邪神勢力の者達である。彼等は自分にとって奪ってほしくない命を奪う者であり、畏怖の対象。時間が正確とは言えない世界とはいえ、およそ半日に1人の人間の命を差し出せと、敵がそう言ってきているのだ。
1日に2人も殺される。そもそも人数とは関係なく、理不尽に、相手が望むからなどという理由で、その命を自分達で選んで差し出さなければならない。それを許せないと思う者もまた多いだろう。
しかし、最も恐るべき側の存在が言うそれには、精神的な不安からこういう解釈が入る者がゼロとは言えないだろう。1人を差し出せば、その脅威が手出しをしてこない事が確約されるのでは、と。そしたら、これを拒否する事に対して不満を抱かない者もまた居ないとは言い切れないだろう。
故に、エレンは小さく舌を打つ。集落の人々を信じていないわけではないが、同胞の中でも多くを占める非戦闘員達の心に不要な揺らぎを与えられる事は、今回の事件の様な予想外に繋がる可能性が高くなる。守る事が難しくなるかもしれなくなる。どのみち受け入れられない話だとしても、どれだけ馬鹿馬鹿しい内容だと思っても、それに魅力を少なからず感じる人間が複数人いる事自体に、こういう場合は厄介さがあるのだ。
『そして、それが受け入れられない場合は、罠の起動の後、我が軍勢による進行を行うだろう。返事に時間を要するなら待とう、ただし先程提示した生贄を差し出す時間と同じ時間分だけだ』
ある意味で、生贄を差し出すか否かを既に試されているに等しい事だろう。
可能な事ならば即答で否定をしてやりたいと思う者も多かったが、エレンはファイナから広域の通信魔道具を借りる。
「使徒よ。私はエレン、ノアの艦長を務めているわ。貴方のその取引について、即決は出来ないから時間を頂きたいわ。どのみち、私達は身動きが取れない、逃げも隠れも出来ない身。その時間を守ってくれるわね」
『無論。君達が信じてくれるかは、また別だがね』
「信じるわ。私がこの選択を出来るのは、信じているからでしょう?」
『それも、そうだな……了解した。では、25回分の月の変化だ。丁度にまた通信を送ろう。君達の賢い選択を期待する』
一瞬だけ言葉と言葉の間に生じた空白には、ただ言葉を選ぶ為の間ではなく、何らかの感傷めいた物がある事を葵は感じていたが、その真意までは分かるはずもなく。半ば一方的にその通信は切れてしまう。
気配が遠のいた事をエミナに告げられたエレンは身を翻し、それを慌てて葵は駆け足で追いかける。
「あ、あの、エレンさん!どこへ──」
「集落の方へ」
「……皆さんをノアに集めるんですね?」
「そう、でも今広域通信で呼びかけたら動きが相手にバレる。だから、私が直々に出向いて皆に説明して集まってもらうしかないわ。今集落の方で行動させてるライやダルガには違う任務についてもらっているし」
「自分が行きましょうか?」
「いいえ、私自ら行った方が良いの。集落を作り出す事を提案したのは私自身だもの。それに、こっちの世界でようやく出来た人間の生活をする場所を捨てろって要求をは、艦長たる私が負うべき責任よ。なにより、既に一度それを人魚達には経験させたのだから、こういう時ぐらいちゃんと私が出なかったら、艦長として不誠実だもの」
確かに、旗印は葵かもしれないがノアの艦長であり、リーダーなのはやはり彼女なのだ。彼女はその為の役割まで、葵にやらせるわけにはいかない、あるいは渡すわけにはいかないと思っているのだろう。
だから、今この時も彼等に納得してもらえる説明を考えながら歩いているのだろう──
「話ぁ聞きましたぜ、エレン艦長!!」
「!?」
外へと近付いて来た頃、2人の前にとある人物が姿を現す。
「皆を集めるのは任せて下せぇ!!オーサーのおっさんとは話をつけてありますぜ!!」
リーゼントを揺らしながら、男は堂々と立っていた。葵が命を落とした時の憔悴しきった姿から一転、自分のやるべき事を見つけたからかその表情も出会ったばかりの時の活力が戻っている様だった。
「と、轟!?」
「マナブ君!?」




