第61話:競争と隠れんぼ
「逃げずに来たな、ここがテメェとオレ様の決戦の地よ」
エレンからの呼び出しの内容は葵の予想通りの物だった。轟学との決闘だ。
エレンが集落に降りる前に、この件についても話を通していただけに決闘をするという流れ自体は、スムーズに事が進んだ。
『彼等のこうした不満や不安に対してフォローが出来なかったのは、私の責任よ。だから、貴方にこの事態の対処をさせるのは私自身の感情で言えば、申し訳ないから乗り気になれないところなの。でも、集落を活気付けてくれているトドロキ君の信頼を貴方が勝ち取る事で、集落の信頼も得られるとは思うの。勿論、貴方が嫌なら私が責任を持ってちゃんと全て対応するわ。どうする?』
葵の意思を確認してくれたが、葵の答えは決まっていた。
リンドからすれば、轟に勝ちに行くと誓った言葉は彼らしからぬ物に聞こえたかもしれない。だが、彼への心配がそのままだからこそ、一度はその慢心を折らねばならないとも考えていた。
、彼が勇者を名乗るにせよ、方法が力比べでなくとも葵との決闘を通して、異世界の危険性を理解だけはしてもらわなければ、葵が懸念した通りの危険がいつか訪れてしまう事は想像に難くない。これも、葵なりの人を守る為に必要な物だと考えていたのだ。
「君との決闘、俺は受けるよ」
「ここで逃げちまったら本当の玉なし野郎になっちまうからなぁ!」
「うん、でも決闘内容に関して条件はつけさせて欲しいかな」
「何だとぉ?」
「力比べみたいなやつはナシにしてほしいってだけ」
「おいおい!それじゃあ強さを決める決闘にならねぇんじゃねぇのか!?」
「物理的に証明出来る力のみが強さじゃない。それに、この世界にいる間は物理的な強さを示す機会なんてものは、言ってしまえばいつだって作れる。この世界は化け物だらけなんだから」
あくまでこれは方便だが、葵の本音も織り交ぜているだけに嘘が下手であっても無理のない内容に出来た。その甲斐あってか、轟も納得した様に腕を組んで考え込む。
(……だが、困ったぞ。殴り合いじゃなかったらバイクでのチキンレースやレースなら浮かぶが、この世界にバイクなんかありゃしねぇし。知識勝負とかは出来れば避けてぇし、いや、じゃあ対等な決闘内容って何だ!?)
そうして頭を悩ませていたところ、ふと目に入ったも物によってアイデアが浮かんだのか、そこを指差す。
「飯配達競争だこらぁ!!」
「飯配達?」
指差した先には、風呂敷きを持った女性の姿があった。だが、それだけでは葵にはピンと来ず、説明を求める様にその視線を轟の方に戻すと、少し得意げにしていた。
「集落の外に木こりの休憩所があってだな」
「外、外?結界の外って事!?」
「おうよ、そうだとも!魔術だか魔力だか、そういうよく分からねぇものに頼りたくないって奴等がいてだなぁ。その面々は結界の外まで作業を理由にしつつ足を伸ばしたりするもんだからよぉ、急遽そういう奴等用の家を俺等で建てたってわけよ!」
葵の開いた口が中々塞がる事はなかった。休憩所の建設然り、彼らに被害が出ていなさそうな事から、現地の護衛の苦労が感じられる。
気持ち的に受け入れられないという事自体は、葵にも理解は出来る。非現実が終わりなく続いていくことを受け入れろという方が本来難しい。結界の様にこちらを庇護する物であったとしても、訳の分からない物というカテゴリでしかなければ、危険な物にすら見えてしまう。
だが、気持ちについて理解を示す事と、行動を咎めたい気持ちもまた同居するのだ。もっとも、それは今言っても無駄な事だから、葵も口にはしない。現時点では八つ当たりになる。
「んでよぉ、丁度このくらいの時に休憩所に飯を持って行くんだ!」
「えーーーっと、つまり休憩所までどっちが早くご飯を持って行けるかって勝負なんだね」
「おうよ!シンプルだろ!!休憩所まで直線のコースがあるから道に迷う心配もねぇってわけよ!!」
結界の外に出る事になるから、異形や魔物に遭遇するリスクが発生するという事にも繋がる。民間人を危険に晒すわけにはいかないが──
「以上だ!!これ以上細かい事は聞いて来んなよ!!」
「轟さん最強!!」
「轟さんは無敗の勇者!!」
「ってわけよ!!無敵のオレ様はもう逃げも隠れもしねぇ!!」
(護衛をつけた方が良いと言いたいけど、そう言われる事を分かってるから釘を刺してるのかな……いざという事態がないと言い切れる確証もないから、そのもしもの時は俺が彼を守ろう)
シンプルながら、難しい話だが、それを出来なければ、勝ち負け関係なく民間人をみすみす死なせた間抜けな勇者、という事になってしまう。改めてなんと理不尽な状況なのだと文句も言いたいぐらいだったが、それを堪えて頷く。
「それで文句ないよ、やろう」
「そう来なくちゃなぁ!今の間に轟様と呼ぶ準備しとけや!!」
「俺のが年上なのに……」
*
そして、配置についた後、渡された風呂敷きを片手にもう片手は刀を出しておく。有事になってから出すにも遅く、有事の対応で遅れをとっても反則とは言われていないので転移を最悪使える。勝つという目的は絶対な以上、そうする他ない。
(そう、滅茶苦茶ズルいし、滅茶苦茶勇者らしくないけど、ルール説明を完全に切ったのは向こうが先だから!!許されるはず!!)
(なんかコイツすげぇ悪い顔してやがる……)
「では、位置について、よーいドン!!」
民間人の少女のその掛け声と共に競争は始まる。轟の足は想定していたよりも早い。葵のこの世界での適応力による補正がない状態、つまり元の世界の水準のままだと厳しい戦いとなっていたかもしれない。
「はっはーー!!追いついちまうぜ!」
しかし、葵の意識は背後の轟よりも自分の前にあった。轟を保護しつつ勝つ方法として、考えたもう1つの手段の為、先導する事で敵を事前に葵が引き付けながら迎撃する事で、届かないの道を安全にするという方針だ。
(結界を抜けるまであと200mほどか)
葵は幸いな事に、この速度を維持し続けたまま走る事が出来る。そうでなければ、これまでの戦いでスタミナ切れで何度死んでいたか分からない。それ程までに、この世界で得られる力というのは中々にインチキなものだとも思う。視界から過ぎ去って行く木々に視線を向ける余裕があるのだから。
持久走の度に吐きそうになっていた時とは大違い。人によっては本当に、そういう意味でも理不尽な世界だ。
「もうすぐ結界を抜ける」
結界の外に出る。ここから先は安全の保証がされてない場所だ、戦闘の経験はあれど、少なからず緊張感は覚える。だが、結界を内側から抜ける時はなんの境も壁もなく、決意とは裏腹にあっさりと抜けられるものだと驚いてしまう。無論、ここからが本番なのだから、より一層気を引き締めなければと葵は辺りを警戒して──
「……言われてみれば、そうだよね」
ポツンと建っている木造の小屋の前で葵はそう独り言ちていた。
そう、日頃から行き来されている範囲の場合、遭遇する確率がゼロではなくとも、ある程度の狩りが毎日行われているのは当たり前の事だった。この辺りは危険度の高くない敵ばかりなのだから、数次第で苦戦はする可能性あっても、異世界の地で地球人の為に作られた集落という重要な場所に派遣される戦闘員の手に負えない事態などそうそうない。
そうでなければ、結界の外に行きたがる者の死をもって、異世界への適応の忌避感よりも安全が第一であると理解させられていた事だろうから。
(は、ハズカシーー!!歴戦顔してたかも俺!!恥ずかしーー!!穴があったら入った後に誰かに首まで埋めてほしい!!)
「ともあれ1番乗りよ、アオイ。なんか思ったより味気ない決闘だったけど、勝ったから良いわ♪」
「せ、せやね」
2人の決闘に手を出すつもりはなかったが、その行く末を見守りたいと思っていたリンドは、葵の中に入って静観していた。彼の決闘の邪魔をする敵を、見つけ次第自分がこっそりと倒すぐらいの手助けはしようかと考えていたが、リンドもそこは杞憂となった。
「ま、待てこらぁ……ぜ、ぜぇ、はぁ」
そして、轟は早い段階で速度を出しすぎたのか、途中からバテ始めて今に至る。もしもが起きない様に、視界から消えない程度の速度で調節して走ってはいたが、勝利に文句をつけられる事がないぐらいの距離にはなっていたようだ。
だが、競争そのものもさながら、本来のやるべき事がまだ残っている。
「中に入って届けるまでが競争だよね」
「その通りよ。私はあのリーゼントが到着するまで外で見ててあげる」
「ありがとう、すごく助かるよ!でも、悪いね。またなんか、任せちゃって」
「いいのいいの、後でその分たぁっぷり、お礼してもらうから♪」
「で、出来る範囲でたっぷりお礼します……」
どんなお礼をする事になるのだろうかと苦笑を浮かべつつも、機嫌の良さそうな彼女の様子に安堵も交えていた。何かをあの話し合いで解決出来たわけではなくとも、そうして向き合った事に意味があったのだと分かるのは、コミュニケーションがあまり得意ではない葵としても不思議な嬉しさがあった。
それが顔に出るのが見られるのは、それでも少し恥ずかしいからか、顔を隠す様にドアを開けるのだった。
「お疲れ様です。集落の方からご飯を持って──」
しかし、葵の声はただ小屋の中に響き渡るばかりだった。仮眠用の簡易的なベッドと、椅子とテーブル、棚には利用者が持ち込んだであろう物が幾つかあるが、言ってしまえば中はなんの変哲もなく、変わっている点は誰もいない事だった。
「もしかして、皆さんもう集落に入れ違いで帰ったのかな」
「そ、そりゃ、ゼェ、た、多分ない、はぁ、と思うゼェ……」
棚に置かれてる手彫りの像を眺めていたところ、到着した轟の声に振り返る。
「そうなの?っていうか、大丈夫!?息切れもさながら、汗がもう絵に描いたような感じになってるよ!まずは深呼吸をしようか」
「げほっ!!テメェがペース落ちねぇからだろうがよ!!」
「それはね、ここはそういう世界なんだ!悪いね!俺の勝ちだね!!やったね!!」
「テメェ結構嫌な奴だなぁ!?」
「それより、じゃあ誰もいないのは皆まだ作業に出たままとか?」
「はあぁ、有り得るとすりゃあそれだが……ヌシの爺さんのカップがよ、水が飲みかけのまま置いてあんのが気になんだよな」
視線を向けてみると、確かにマグカップの中に3割ほどの水が入ったままなのが見える。しかし、集落の状況を知らなかった葵には、それが違和感と気付くことは出来なかったのだ。
「ヌシの爺さんはよ、食べ残しとかみてぇな、残す行為に対して滅茶苦茶厳しい奴でよぉ。オレ様にもいつも偉っそうに説教してきたもんだぜ!」
「でも、だとしたら尚更訳が分からないわ。それを前提として考えたら、余程の緊急事態があったか、突然姿を消した事になるじゃない?」
「そうなんだよね。争った跡もこの中にはないし、人が居た跡だけが残ってる感じで、気味が悪いんだよね」
「……けっ、うるせぇ奴等だったし、決闘にはすげぇ地味に負けて腹も立ってるが、人探しぐらいやってやろうじゃねぇの。オレ様は集落の勇者だかんな!!」
「じゃあ、小屋の中に何か手掛かりがないか探してくれるかな?俺は外を見てくるから」
「仕切ってんじゃねぇぞこら!!だが探してやるぞテメェこらぁ!!」
「反抗期かしら」
「こんな素直な反抗期あるかなぁ……それは置いといて。ありがとう、何か見つかったらすぐに戻って来るから」
*
そうして、手分けしての捜索を始めて早々に葵は違和感を見つけていた。
「新しい足跡がさ、俺達が来た道からの、俺達が作った足跡しかないよね」
「そうね。あっちの獣道が多分作業の際に使ってる道だと思うけれど、あっちに新しい足跡はなかったから、やっぱり作業に出てるわけではなさそう。つまり、作業に出る前に休憩所に集まって、それきり?」
「な、なんだか、まずい事が起きてそうだよね?」
「嫌な予感ばかり当たるものね、貴方」
「くっ、外れてしまえば良いのに、そんなもの……」
この世界に来てから、人が命の危機に陥るという事態に遭遇し、命を落とすというケースにも遭遇し続けている葵にとっては、言葉にしている以上に深刻な物だった。脳が麻痺していないという確証がない、麻痺して役に立つ事と、麻痺して異常の線引きがおかしくなる事への不安は、同時に存在しているのだから。
しかし、そんな事が立て続くわけがないと首を横に振りながら、辺りを探していると──
「うおおぉぉぉおおおっ!?」
小屋の方から驚愕混じりの轟の悲鳴がこだました。しかも、屋内にいるはずの彼の声が、遠のいたのだ。
「リーゼントの声よ!何かあったのかもしれないわ!」
「急ごう!!」
リンドと共に小屋の中へ駆け付けると、そこは先程までと大きく異なる光景があった。
「あ、穴!?何これ!?」
部屋の真ん中に近い場所、そこで木の床が割れて穴が空いていた。慌てて駆け寄ってみると、すぐに愚痴を言いながら腰をさする轟の姿が見えて、安堵の息を吐く。あまり高さはない様だ。
「下り階段がある、もしかしてこの小屋って地下があったの?」
「思い出してみると、靴で床を踏んだ時やけに反響する感じが足にあったわね」
「おいコラ!!オレ様すげぇもん見つけちまったぞ!!きっと爺さん達は地下に行ったんだぜ!!すげぇだろ!!」
「ファインプレーだよ!でも大丈夫?怪我はしてない?」
「こんなもん唾つけときゃあ治るってもんよ!!それより、さっさと降りてきやがれ!見下ろされるのは腹が立つ!!」
「この位置関係で見上げることは出来ないんだから仕方ないだろ!でも降りるのはすぐ降りるよ、そこで待ってて」
「床がぶち抜かれたのはたった今ってことは地下への扉があるのよね……これぐらいの高さなら飛び降りた方が早いわね!お先に!」
「あっこら!リンド!!怪我したらどうすっ、待ってぇ!!」
リンドを追いかけて飛び降りてみれば、確かに轟の時の様に不意打ちの落下ではない限り、着地は容易な高さだった。
「改めて大丈夫?」
「この程度でやられる程ヤワじゃねぇ!だが、この地下は流石にたまげたぜ……」
「どういう意図で作られたんだろう。物置きとか?」
「それにしては階段が結構長さがありそうよ。主に休憩所を利用してる人が高齢な事を考えたら、それもちょっと違うかもしれないわよ」
「でも、だとしたら一体……って、と、轟!!走ったら危ないよ!!」
「降りてみりゃあ分かる事だろうが!!こんな階段降りた先でヌシの爺さんや皆が腰でもいわしてたら、その、気の毒だろうがコラ!!」
行ってみなければ分からないという意見にも、探し人が地下から出られず困っているならすぐに助けに行った方が良いという意見にも、確かに理があると感じた葵は、リンドと顔を見合わせて轟の後をついていく。
階段自体は何の変哲もない階段だ。魔術の痕跡もなく、罠の様子もない。ただ──
「なんか、なにか変な臭いがする様な」
「奇遇ね、私もそう思ってたところよ。何だか、とても嫌な予感がするの」
「リンドが言うなら、もう間違いないって事だね。轟!君も何かおかしい感じとかはしない?」
「あ?ちと臭いってぐらいだがよ。それが何だってんだ?」
「い、いや。なんかそれが気味悪いなって」
「へっ、そんなビビってる奴が勇者ってか?笑っちまうぜ!」
「慎重にならないといけない様な事がこの世界では起きていて──」
「おい、着いたぜ!ここだな」
話を切られた事に微かな不満を抱きつつも、木星の扉の方に葵も視線を向けた。仰々しさもなければ、上の部屋に使われていた扉と材質の違いも感じないその扉は、この異臭の中ではむしろひどく不気味に思えた。
(生臭いというか、鼻の奥に残りそうな……何かの腐ってる臭い?なんだか、すごく嫌だ)
「開けるぜ!おいジジイ共!!」
「ちょ、ちょっと待って、嫌な予感がするから開けるなら俺が──」
轟もまたその臭気を感じているはずなのに、それだけ心配していたのか、焦っていたのか分からないが、葵の静止も聞かずに間を置くこともなく扉を開ける。
「隠れたって無駄だ……ぜ……」
そして、地下室で真っ先に3人の目のに入ったのは、ペンキでもぶちまけた様に地下室中に飛び散ってる血の跡と、それを流している折り重なった6人程の遺体だった。
死亡してあまり経っていないはずなのに、腐敗と欠損が酷く、人体はこの様な状態になるものなのかと、あまりの光景に葵も目を見開く。
「こ、こんな酷いの、初めて見た……ただ殺されたんじゃない。でも、これはただ死んだわけでもない……ひどく、何か、冒涜的なものを感じる」
「異常な事が起きてるのは、確かね」
葵も流石に吐き気を堪えなければならない程だ。しかし、葵以上に──
「な、なん、な、な、なな」
この世界の不条理を初めて目の当たりにし、しかもこんな形で、口うるさくもよく接していた老人達の無惨な死という形で、知る事となった轟には、あまりにこの人探しの結果は残酷すぎると言えるだろう。
扉を開けたら、いつもの様に怒鳴り声をあげられると、当たり前に考えていたのがこうも呆気なく、最悪の形で否定されたのだから。
「うわあぁぁあああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」




