第58話:勇者の継承者、と?
時は少し遡り、夜に病室を抜け出した時より後、演説よりは前。エレンの元に葵は顔を出していた。当初の目的もさながら、先代勇者について聞くのが大きな目的だった。先代の時から居るメンバーあり、恐らく最も聞きやすいであろう相手が葵にとっては彼女だった。
ミアから聞くのも良いかもしれないが、彼女の様子から見るに、まだ思い出になっていない段階の人に聞くのは、酷かもしれないと感じた。ましてや、葵相手なのだから尚更だ。
「先代勇者、タキザワアオイの事を聞いたのね」
「はい。でも、どうしてこれまで教えて下さらなかったんですか?言えない事情があった事は、分かりますが、ミアもミハエルさんも、ああ言った以上は緘口令を敷いてはいなかったんですよね?」
責める様な口調、というよりも純粋な疑問だった。葵がノアに力を貸す上で、葵にとって関わりの深い話を秘匿している事に不誠実さはあるかもしれないが、葵自身は力を貸しているという感覚を持っていないため、それは大した問題ではなかった。
だが、葵の記憶にない滝沢葵の存在というのは、一度知ってしまった以上その存在は無視出来ない。自分が何故ここにいるのか、自分が何故勇者と呼ばれたのか、時々感じる自分にないはずの経験が蘇る感覚は何なのか、そのどれもが恐らく先代という存在の話と、繋がっているのではないかと葵は感じていた。
「隠していた事は申し訳ないと思っているわ。でも、突然言われても貴方は混乱すると思った……ってこれも嘘ではないけど、これは先代がそう言っていたのよ。止められていたの、すぐには言うな、使徒を倒した時には言って良いって。だから、ミアもミハエルも言ったのよ」
「……ミアは、最後に勇者と会ったのは恐らく自分だと言っていました。でも、そう言っていたということは……エレンさんとまだ話をしていた時点で、皆の前からいなくなる事を彼は決めていたんですか!?」
「そう、ノアのリーダーになる事が決まっていた私にだけは、話してくれたわ。といっても、全部を話してくれたわけじゃないけれどね。去っていく前に必要な事だけを話してくれた様な、事務的な感じ。何でいなくなったのかまでは、私も知らないの……ごめんなさい。それが知りたかったでしょうに」
「い、いえ、分からないなら仕方ないんですけれど。でも、何で彼は……いや、それ以前に彼は何者だったんですか?」
そう、彼が何を思って行動したのか以上に葵が知りたいのは、同姓同名という領域を超えた、滝沢葵の名前を持つ誰かが何者だったのか、だ。
「タキザワアオイ、17歳。星明高校に通う3年生の男子。気になる学部がある近所の大学に進学したいけど、大学の費用が厳しそうだから就職に切り替えようかと悩んでいるところ。あと、姉と似た顔がコンプレックス。好きな食べ物はおかかおにぎり、苦手な食べ物はセロリ」
エレンがつらつらと語る内容を聞きながら、葵は目を丸くする。自分が言った覚えのない事ばかりなのに、何故葵について端的ながら詳しく語れるのだろうかと、驚きを隠せないのだ。
葵の口の形はどうして、と言いたげに固まっているが、恐らく──
「先代勇者の事よ、今言ったのは」
「で、でも、今のは俺でしたよ!?これじゃあ、俺とまるっきり同じ人が存在していた事になりますよ!?」
「どういう原理で彼と貴方がここまで一致しているのかまでは私には分からないけれど、彼は言っていたわ。必ず勇者は帰ってくるって。その時、きっと何も分かっていないと思うから、助けになってくれって。でも、最初にこの話を聞いたら、必ず拒絶されるから使徒を1人倒すまでは黙っていて欲しい。それが彼に頼まれた事よ」
葵はこの船に来た時、エレンに言われた事を思い出していた。貴方は我々の勇者だという言葉を。何故、最初からエレンや民間人にもそう呼ばれていたのか、葵にとって長らく疑問だった。そして、葵が邪神への鍵になる事を知っていたのもそうだ。
彼自身よりも何故葵本人の持つ力について詳しいのか不思議ではあったが、自分達よりも先にこの世界にいたのだから、おかしくないかもしれないと、それはそう納得していた。だが、そんな単純な理由ではなかったのだ。
それを聞いた葵は大きく息を吐き出し、組んだ指の影に自分の顔を隠す。
「──色々と、分からないことは増えたままですが、少し納得は出来ました」
しかし、その言い方に含みがある事はエレンも分かっていたからか、そこではまだ口を挟む事はなく、ただ頷いて続く言葉を待った。
「先代勇者は、俺の事をよく分かっている様です。俺が何故拒絶するのかも知っていたのでしょうね。使徒を1人殺したことで、前進する以外に道がなくなっている状態の俺でなければ、代替品にされるなんて個人的な感情で拒否したくなっていた事でしょう」
「そ、そう、なの?」
「はい、どのみち世界の危機がかかっているので、俺はこの役割を放棄する事はなかったと思います。ただ、俺の感情はもっと乱されていたかもしれません……だから、先代の判断に納得したんです。ちゃんと、俺が代わりを果たせる状態になる時を待ったのですから」
「少し、悲しい言い方に思えるわ。彼も、そんなつもりではなかったはずよ」
「どうでしょう……先代が、もし俺の思う人間ならば、俺には絶対にそうします」
もしも、彼が彼であり、勇者のどちらもが同一であるとするのならば、葵ならば確かにそうする自信があった。自分の思考回路を1番理解しているのは自分であり、それを利用して上手くいく様に誘導すること、そしてそれによって自分に対して良心の呵責も覚える事はなかっただろう。
1に、自分より他者を優先し、他者を敬えという事。
2に、それ故に自分の身に降りかかる事は全て自業自得なのだという事。
3に、他者に求められるその役割に徹する事。
滝沢葵の中にある自己否定の精神から生まれた自分の中にあるルールに則るのならば、何らそれもおかしい事ではなかった。
「ただ──」
ようやく表情を見せた葵は眉を下げながら笑みを浮かべていた。自分自身に呆れるように。
「俺は今、勇者として生きる事に、戦う事に対して、俺なりの自主性の元、意味を感じているんです。どこまでが計算の上かは分からなくても、俺は俺の意思で引き継ぐと誓ったところなんです。ここで拗ねたら、あまりにも格好が悪い」
「アオイ君……貴方は、それで良いよね?」
「俺はエレンさんから聞いた話で、先代には成し遂げられなかった事を果たさなければならないと尚更強く思いましたよ。俺が果たせば、先代の肩の荷も降りるでしょうし、少しくらいは先代を驚かせられる。俺は出来たんだぞって俺相手に見返せるなら気分も良い」
最後の言葉は冗談めかしている様だったが、葵からすれば代わりではなくなるのがその時になるのだから、いたって真剣だった。
口にこそ出していないが、この世界に先にいた自分に、お前はスペアなんだと突きつけられて内心穏やかなわけもない。自分を通して違う誰かを見られていた、絶妙に葵のコンプレックスを的確に刺激されていたのだ。何も思わないわけがないが。
(まぁ、そんな事は今の目的と比べれば些末な話だ。俺1人の私情なんぞ、邪神なんて訳の分からないものと戦ってるのに、俺がこんな事で乱されてる場合じゃない。子供みたいな事を言って良いのは、平和な時だけだ。この世界は平和じゃない。少なくとも、他者にそれを許しても、俺自身にそんな甘えた考えは許してはいけない。そう、些細な話なんだから)
そして、もう一度だけ大きく深呼吸をして、エレンと向き合う。
「俺は、先代の時よりも緊張感が不足しています。船がある環境、この整った環境の中で良くも悪くも安定しています。それはきっと、民間人の方々も」
「そうね。当時は全員徒歩で、非戦闘員も含めて引き連れながらの旅だったから、戦える人とそうでない人での緊張感のギャップは多分今より少なかったと思うわ。無論その時のようになるべき、なんて思わないけれどね」
「そうなるべきではなくとも、ここの温度差を少しでも減らさなければいけないと思います。安心しきった中で脅威な状況が降りかかる状態と、脅威があると分かった上で希望を持っている状態とでは、いざという時の心の持ちようが、きっと異なります」
「それも、あの街で学んだ事?」
「学んだというより、反省点かもしれません。皆さんが突然発生した脅威に納得と理解を示して協力して下さったお陰で被害を減らせただけですから……この船も、一度使徒に狙われました。そうなった時の為にも、民間人の方々に少し話をしに行きたいと思っています」
「この船も無敵ではないものね。壊れもするし、落ちる事もある。あの時には、皆に不安を与えてしまった。私にとっても、あの時にケアが出来なかったのは心残りだったのよ。勇者アオイ君、頼めるわね?」
「はい、やります。これは俺がやるべき事ですから」
艦長であり、ノアのリーダーはエレンな事に変わりはない。だが、ノアの艦長からの言葉と、使徒を倒した勇者の言葉とでは、どちらが彼等に響くかと言えば後者だろう。それは、単純に葵の方が彼等には身近な存在に近いからだ。
葵がこの後にやる演説は、勇者としての一線を引く事で、逆に身近ではなくなるかもしれないが、葵の言葉に対する無条件の信頼を勝ち取れるかもしれない。それだけ、勇者の言った事、というのは意味がある。だから、エレンも歯痒さは覚えはしても葵にここは任せるのだった。
そして、その判断が正しかったと通信機越しに知る事になる。
*
時は現在に戻る。目的地である集落に船が着陸し、人魚達を移動させる作業が始まっていた。
「なーんかシュールよね」
「彼女達が1番思ってる事でしょうから言わないであげてください……」
そう、移動させると言っても彼女達が移動するための丁度良い水路があるわけではなく、湖までは運搬せざるを得ない。その結果、優雅を体現した様な種族である人魚が、彼女の入る大きさの桶に入れらるて1人ずつ運ばれているのだ。
そんな地球では出来ない貴重な体験の様子を、リンドとミアは側で見ていた。
「元の姿に戻れたら、彼女達もこんな苦労はなかったのですが……」
「こればかりは仕方ないわね。クライルの仕込んだ物だもの、生きているだけ運が良かったってところかしら」
「命あっての物種、多くの人魚の方もそう思って下さってるのが幸いです」
「あそこでの生活が長かったから、もう少し反発があるものだと私も思っていたわ。一時の安寧から切り替えられるかどうか、現在という物が漠然と永遠にあるものだと思う感覚から、必ず訪れる変化に向き合えるか、そう簡単な話ではないでしょうから」
「元の世界でも、それが出来るわけではありませんからね。スイッチみたいにカチリと切り替えられたら楽なんですけど」
「ミアなら、そんな時はどう乗り越える?」
ミアは突然自分に向けられた問いかけに一瞬だけ驚きこそしたが、彼女の言い回しから人魚達に限った話ではない事は分かっていた。
元の世界のしがらみや、立場がないこの世界の方が良いと思える人にも訪れる地球に帰るというその日を迎える気持ちを持てるかどうか。何も持たなかった人が異世界では戦う力という特別を持った事で、元の世界よりも自分の価値を示せる喜びを知ってしまえばどうか。
圧倒的に現代と比べればこの世界の不便さが上回っている以上、早く帰りたいと思う人の方が今は多いかもしれないが──
「時間は止まらないものです。自分の心がまだ悲しかったり、苦しかったりしても、時間は流れる。だから、今やる必要のある事をやって、時間が流れるのを待ちます。とりあえず食べる、とりあえず寝る、みたいな」
「それも実体験?」
「そんな感じです。時間が必ず変化を受け入れさせてくれるわけではありませんが、変化した後の環境に慣れていく為にも時間が力を貸してくれます。だから、きっと元の世界に帰る事を今は喜べない人も、いつかは向き合える様になります。私に出来たんですから」
「……そうね、その意識を皆が持ってくれるなら、私も嬉しいものだわ。私の望みは変わらない、この異世界を破壊し、地球を感じる事、本物を知る事。だから、皆にはその辺り活力を持ってもらわないとだもの」
「ふふ、長い目で見てあげてくださいね。人には人の悩みも色々あるのですから」
「んもぅ!私だってそこまで鬼じゃないって言ったでしょ。私は女神よ、言葉も届けられないけれど、見守るぐらいどうって事ないんだから」
リンドはリンドの目的の為に人々を導き、人々にやる気を出してもらわなければならない。だが、彼女は彼等に直接語りかける事は叶わない。
女神として目覚めたとはいえ、それが彼等に近しい存在になるわけではなく、むしろ遠ざかったと言えるだけに。
だが、むしろ彼女はそれで良かったとも思っていた。邪神と、リンドという女神の戦いの代理を地球の生物である彼等にやらせるという図式ではなく、彼等自身の戦いとしていく事。その中に、女神が少し彼等に手を貸し、導く。このバランスならば地球は彼等の物なのだと示す事が出来る。
その為にも、銀の女神は彼等に心身共に強くなってもらいたいと考えているのだった。屈する事なく、彼等ならば立てると信じているからこそ、地球の人類を彼女は見守るのだ。ある意味で、邪神よりも厳しい存在かもしれなくとも、彼女は未知の地球に、記憶のない彼女に生まれた欲求に、それだけの期待を抱いていたのだった。
「……あら?なんか騒がしいわね」
「ですね……何か、揉め事でしょうか?」
*
集落。民間人がこの世界で暮らしていく為の場所。周囲の魔物や異形も他の地域に比べれば対処は難しくなく、環境も比較で安定しており、ノアの戦闘員も常駐させ、結界とそれを管理する術師も常駐しているという、船を除けばこの世界の中で最も安全な場所である事は間違いないだろう。
大河と、そこを抜けた先にあるレグス高原との間の森林の中にある。家屋の材質は主に木造、湖を中心とした光景は、思い描く物語の中の村の様だろう。
「人魚さん方、よく遠路遥々ここまで来て下さった!新たな住人を儂等は歓迎しておるよ」
そして、彼はその集落の長を務めている老人オーサー。集落の中で最高齢、ノアの元技師長。元、というのも現在はミハエルにその立場を譲っているからである。オーサーは集落の結界を安定させる為、そして集落の皆に己の身を守る為の道具の作り方や使い方を広める為にも自主的に降りたという経緯がある。
それだけに、エレンからの事前の説明があったとはいえ、使徒の下に居た人魚達相手でも、ノアの元乗務員である彼は色んな事情の人間がいる事は慣れているだけに、彼女達の受け入れもすんなりと出来た。
人魚の代表を務めているシエルとしても、受け入れる側の心象がどうか、という不安があったが、オーサーの裏のない笑顔で杞憂であった事を理解し、安堵していた。
「突然の訪問のみならず、移住まで受け入れて下さり、人魚を代表して感謝いたします。この集落の湖は我々がこれから守っていきます」
「頼みますぞ。ただ、お互いに集落の仲間として助け合いましょう!困っている者同士として、な」
「はい、よろしくお願いします!」
「あっ、私は装飾とか作るの得意です!」
「わたしは料理とか任せて!!」
「こ、こら!貴様等!代表者が話す時なのだぞ、我々の秩序というものをしっかりと見せてだな!」
「あらぁ、元親衛隊長さんはぁ、お堅いんだからぁ」
「貴様等が弛んでるだけだ!全く、恥ずかしい!」
シエルの後ろで聞こえる賑やかな声に、シエルは苦笑を浮かべながら恥ずかしげに顔を赤くしていたが、オーサーは微笑ましそうにそれを眺めていた。
その最中、作業を終えた葵が2人の前に顔を出す。
「シエルさん。湖への移動は全員無事完了しました」
「アオイ、ありがとう。助かったわ」
「あおい?もしや、エレン殿の仰っていたアオイ殿とはお主か。あの魔王の使徒を倒したという」
「そうです、貴方の事もエレンさんからお聞きしています、オーサーさん。集落をまとめて下さり、ありがとうございます」
しかし、オーサーはどこか気まずそうに一度視線を下げ、咳払いをする。葵は自分の挨拶に何かおかしな点があったのだろうかとシエルと顔を見合わせて首を傾げた。
だが、その反応の原因が葵にあるわけではないのだと、訂正する様に手のひらを見せながら首を横に振る。
「その、ですな。最近集落の中で少しおかしな事が起きていましてな……」
「おかしな事、良ければお話を聞かせて頂いても?」
言い辛そうに、どう説明するか頭を悩ませている様子から、使徒に関連するものかもしれない。そうでなくとも、何やら手に余る事柄なのは間違いないだろう。
「お時間を頂けるのならば、アオイ殿に見て頂きたい。情けない話ではあるものの、アオイ殿ご本人のお力を借りるのが1番早そうなのじゃ……」
「時間自体は構わないんですが、そんな厄介な事が起きているのですか?」
眉間をつまみ、深く頷きながらオーサーはゆっくりと口を開く。
「勇者を名乗る男が、現れましてな……」
それは、葵の予想していたどれでもなく、そしてどこまで深刻なものなのかが分からない物だった──
「……はい?」




