第56話:名もなき花を標に
花畑、巨大な魔石で出来た大樹、その中心で眠る女性。そして──
「滝沢葵、何故お前がここにいるんだと聞いているんだ」
恐らく、この船の中で葵的に現在最も関わるのが難しいと感じている人間、ミハエルが眉を寄せながらそこに立っていた。
「す、すみません!勝手に入ったらダメな場所と気付かずに、つい」
「つい、だと?」
余計気を悪くしてしまったらしく、表情はより険しくなる。立ち入り禁止と書かれていたのかもしれないが、それを確認せずに入ったのも事実であるだけに、彼の苛立ちは真っ当なものだった。
それならば、すぐに立ち去る方が正しいが、先程の声についても何らかの異常の可能性を考えて伝えておかねばならないだろう。
「こ、声が聞こえてきて、それが俺を呼んでる様に聞こえたんです!勇者様って……な、何言ってるか分からないかもしれませんけど、それで入ってしまったんです!!本当にごめんなさい!!」
頭を下げながらも、言い訳じみているかと思って、恐る恐る片目だけを開けてミハエルの顔を表情を伺ってみると──
「……はぁ、そういう事か」
溜め息混じりではあるものの、どこか納得した様にそう呟く彼の顔は、苛立ちが消えていた。元から葵に向ける顔は厳しかっただけに、眉が寄っていても今は普通の表情なのだろう。だが、その変化に戸惑う葵は瞬きをするばかりだ。
「この声が何なのかご存知なのですか?」
「私を馬鹿にしているのか?私はこの船が出来る瞬間に立ち会ったんだぞ」
「えっ!?」
謎の声に関して、当たり前の様にそう返事された事も無論葵にとって1番の驚きだっただろう。だが、ミハエルがそこまでの古株である事と、この船が作られる瞬間を見た事があるという事、それもまた同じかそれ以上の驚きがあっただけに、どこから聞こうかと言葉を詰まらせる。
加えるならば、そもそも彼に対して萎縮しているから、気になりはしてもそこから先を聞くのが怖いというのもあるだろう。
「……さっさと扉を閉めろ。彼等は静かな方が安心する」
「え、あっ、はい!?はい!」
促されるまま後ろ手で扉を閉める。
少なくとも、会話を継続する事は認められたらしい事に安堵し、大樹の側に近付く。
「この船に意思の様なものがあるとは聞いていたんですが、もしかして本当に呼んでいるんですか?」
「そこまで分かっているのならば、わざわざ私に聞かずとも答えには辿り着くだろう」
ミハエルの指す方、大樹を見上げると、声がより鮮明に聞こえる様になる。不安げで、頼りない、しかし普通の声が。
この世界における魔力、そこから出来る魔石の関係を思い出す。だが、それにしては自我を明確に感じるのだ。魔力も魔石も悪く言えば本来は残滓に過ぎないが、ここから感じるのは明確な自我だった。それも、1人だけではなく数多の人間の意識を葵は感じている。そこから導き出される可能性は、出来れば発想からして排除したい程の物だが、それしか考えられなかった。
「──もしかして、この魔石は生きてる人から作られたんですか?」
中は確信めいた質問に対し、ミハエルは横目で葵を一度見た後、大樹の少女の方に視線を戻す。これがもし間違いだったなら、ひどい言いがかりだと怒られても仕方ない上に、彼ならそうハッキリと言っていただろう。だが、何も言わず、怒りもせず、当たり前の様にしている。
せめて理由を聞くまでは、葵も狼狽えない様にしようと思っていたが、おもわず口元を震わせてしまう。物質であって物質ではないこの世界の人間とは、ここまで歪な利用価値が生まれる物なのかと。
「皆の言う、前の勇者と呼ばれた者のやった事だ」
「な、何で、こんな事を!?ましてや、勇者が!?だって、これじゃあまるで、無理やり人間を集めて固めてる様な物だ……」
「彼等のことを知らないお前が、何を言う権利がある」
「っ!」
確かに、彼等の顔も名前も知らない。葵が来た頃には既にあった物だから。エレンやミハエルやヴィルガの様に長くこの世界にいる人にしか分からない事が沢山ある。ここまでの事をするに至るまで、勇者と呼ばれた存在がこの選択をするに至るまで、その道のりを葵が想像出来ることではない。
「……すみません。人魚の街での一件があったから、つい熱くなってしまって」
「あの街であった非人道的な行為と同一視されたと思えば反吐が出る。その浅慮さはどうやら死んでも直らん様だな」
「まだ、慣れていないもので。この世界の色んなものに」
皮肉に気付いてこそいても、わざわざそれに怒るつもりも、気力もなかった。なにより、謝罪をした後に怒るのも筋違いだろう。もっとも、流石に今の言い方には傷付きはしているが。
「はぁ、今後も今の様に勝手に想像を膨らませて、勝手に他者にそれをぶつけられては迷惑だ。この大樹について正しい情報を与えてやろう」
「!ありがとうございます。前の勇者について、ちょっと考える事が色々出来たので助かります!」
「ふん、その呼び名も私からすれば馬鹿馬鹿しいものだがな」
「馬鹿馬鹿しい……?」
いつもの辛辣な言葉としてそう言った以上の、何か不思議なこだわりを感じた葵は、双眸を丸くしながらその言葉を復唱する。
「──魔石になった彼等は自ら選んでそうなる事を選んだ。この世界における肉体を捨て、魔石となって帰還の日を待つ事を選んだ。この大樹、魔石にはその彼等全員が眠っている」
「それって、苦しかったり、怖かったりしないんですか……?」
「彼等に個々の意識はない、苦しみはない」
「でも、あの声といい、邪神の影響の濃い場所ほど動けなくなったり、それって意識がないと出来ない事に思えるんです」
何より、聞こえた声に込められた感情を考えれば、意識がないというのは無理がある様に思えた。
「だから個々に、と言ったのだ。集団という1になった彼等にとって、残っているのは彼等で共通している邪神という恐怖そのものへの本能的な危機感。そして、もう1つの共通した物である勇者への希望。それが彼等の表現出来る意思」
「だから、俺を呼んでいたのですか?」
「ああ、アレも言わば眠っている最中の寝言のようなものだが。それ程までに人々にとって精神的な支柱となっているらしいな。勇者は」
「だって、こんな事まで出来ちゃうんですもんね」
「アイツは、人の期待に応える為なら何でも出来た。船を作るのも、この世界で生き抜く事に疲れた彼等を魔石で眠りにつかせる事も。何だって出来た」
「そして、使徒とだって戦っていた……本当に、そう呼ばれるに足る人だったんですね」
「……どうだかな」
独り言の様に低く漏らした言葉は、先程覚えた違和感と似たニュアンスを感じた。ここまで来ると、ただの違和感というよりも、彼の勇者という物に対する苛立ちに似た感情はほぼ間違いない様に葵は感じていた。そうであれば、会って早々から彼に嫌われていたのも納得出来る。
しかし、それは何故なのかが今の段階では分からない。彼も先程の声が聞こえていたとは思っていないらしく、大樹の中央で眠っている女性を見上げていた。
「それでも、勇者は不安はあったのだろうな。人間を塊にするなど、何が起こるか分からなかった」
「じゃあ、どんな対策を──」
「私の妹、サラが皆を支えている。彼等が受ける苦痛を受け取っている」
「なっ……!?」
息もせず、ただ静かに目を閉じているからか、精巧すぎる人形の様に見えてしまう大樹に埋め込まれた女性。その謎の女性の正体はミハエルの妹だったのだ。彼の立場からすれば、身内が動力を安定させる為のただの装置に使われているも同然だ。
「お前は知らない事だが、今の様に船もなければ、設備も環境も整っていない中で、沢山の非戦闘員をいかに保護するかは命題だった。サラも保護される側だったが、彼女には他者にない力があった」
「心器を持っていたという事ですか?」
「そうだったのかもしれん。その形も、姿も見た事はないが、アイツは他の物と繋がる事が出来る力を持っていた。苦痛等の感覚を送る事や、逆にそれで得た感覚を他者に繋げる事が出来る。もっとも、アイツは他者から受け取れはしても、私以外にサラから送る事は出来ない様だがな……そこは、血縁故の特性なのやもしれん。アイツは、それを役に立てたいと自ら、な」
しかし、サラの話を聞くほどに、その便利な能力を知るほどに、葵からすればミハエルが勇者を嫌悪する理由は彼女が人身御供になってしまったからなのではないかとも思える。彼女自身の望みであったとしても、それならば仕方ないと納得出来るかと言えば、普通は納得出来ないだろう。
やむを得ない状況の中で提示された選択肢。自分は、そうして選択させる事さえ出来ないかもしれない。
「ミハエルさんは、寂しくはないんですか?家族がこうなっていて……」
「はっ、何を言うかと思えば。この中にはまだ合流出来ていない誰かの家族もいて、数少ない残る事を選んだ人間、私の様に家族が眠っている者もいる。その中で、私だけがそんな感情に振り回されている余裕があるとでも?」
「そりゃそうかもなんですけど、自分だったらなんかすごく複雑になりそうだなって思って。人の事を自分の基準で勝手に言ってるのはやっぱり失礼かな、とは思いますけど」
この船の皆が葵の目には強い人に見える。それこそ、目の前のミハエルだってその1人だ。彼の事は苦手だが、今も復調し切ったとは言い難い中で、そんな素振りは見せずに動力の様子を見に来ている。
そんな皆は強くあろうとして強いわけではなく、それが素なのかもしれない。しかし、弱音を吐けない立場だからという理由も、あるのではないかと葵には感じられた。ヴィルガの話を聞いたからだろうか?希望があるから強く立ち続けられる人もいるのだと知ったから。
「……お前の様な心身共に未熟なガキが他人の感情を推し量ろうなどと、笑い話にすらならんな。さっき言った事が私の感情の全てだ。それに──」
「それに……?」
「それに、弱音を吐く受け皿にもお前はなれない。お前の目指すその称号の者ならそれが可能か?いいや、それはないな。先代の勇者だろうと、お前だろうと、私は死んでもごめんだ。自分の周囲すらまともに片付け出来ない間は、それは善から来る物ではなく不誠実な接し方に過ぎない」
それでも、葵からすればこの聞こえてくる不安そうな声や、ふと見える仲間の疲れた顔を無視は出来ない。気付いたのが自分な以上は、それを人に言って頼むという事も出来ない。だから、ミハエルのその言い方に正しいのだろうと思っていても、いつもの様に頷く事は出来なかった。
いや、何よりもそう感じた人々よりも、自分の事について向き合うなどと、それの必要性に疑問を浮かべていたのが大きいだろう。
葵が何も言えずに口を噤んでいる間に、ミハエルは踵を返して機関室から出て行こうとしていた。それが目の端で見え、急いで振り返る。
「さ、最後にこれだけは教えてください!なんで貴方はそんなに勇者が嫌いなんですか!?」
そのまま出ようとしていたが、足を止め、ため息を一度吐いてから手をそのまま振り被る。
葵に向けて投げられた何かに対し、慌てて飛びつく様に手に収めて、それを見てると小さい巾着袋だった。袋の緩んだ口から飛び出た中身、何かの種が葵の掌にあった。
「た、種……?」
「この機関室の地に生えた花は、全てがこれまで死んだ人々に向けた墓標だ。お前が先代の勇者の分……勇者を名乗っていた男の分の花を植えろ」
「俺が、ですか?」
「お前にしか、弔えんだろうからな」
それを最後に今度こそミハエルは機関室から出ていく。
葵の問いに対する答えだった様には思えなかったが、この会話の中で葵の疑問には彼なりに答えをいつも返してくれていた。ならば、この種が、そして葵が立てるべき墓標自体が答えなのだろう。
だが、突然消息を絶った勇者としか知らないその存在の墓標にはどんな名で弔えば良いのだろうか。先代勇者として弔えば良いのか、それともそこにあった勇者の名前で弔えば良いのか。
自分ならば、どちらが良いか──
「……いや、俺ならばじゃなくて、先代の勇者ならば、だよな。大事なのは」
そうして悩んでいると、ミハエルと入れ替わる様にまた1人、機関室に入って来た。
「あれ、葵さん?珍しく場所で会いましたね」
「ミア!君こそ何でここに?」
扉をゆっくりと閉め、葵の近くまで来た彼女の手には、葵と同じ袋が握られていた。どうやら、葵が今悩んでいる事と目的は同じらしい。
「先程ミハエルさんとすれ違いました。あの人からお花の事を聞いたんですね?」
「うん、先代の勇者の分の種を植えろって言われて」
「……そうですね。もう、これだけ経ってしまいましたから。植えなければいけませんからね」
「え──」
「私、エリアさんの分を植えに来たんです。一緒にやりましょう。葵さん」
「そう、だね。うん!」
はぐらかされた、というよりも片手間の話にした方がミアの気持ち的に楽だというのが大きかった。葵としても、ミアの植える花が誰の物なのかを思えば、その方が気が紛れるかもしれないと思い、彼もそうする事にした。
2人でまた肩を並べ、空いてる場所の土を種が植えられる程度に穴を開けながら、ミアが先に口を開く。
「先代の勇者と呼ばれる人、彼は生きていると思いたかったのかもしれません。こんな船も残して、世界を救うって誓った彼は、それを成し遂げるまで死ねない人に思えましたから」
「ミアも、知っているの?勇者がいた頃を」
「はい、私が多分この船の中で最後に彼を見た人ですから」
「そうなの!?えっと、こんな事聞くのも悪いけれど、姿を消す予兆はあったの?」
「そうですね。私にノアの場所を教えてくれた時、多分この人は私の前から姿を消すんだろうなって、そう感じました……でも、引き留める言葉を持ちませんでした、私には」
「彼が、勇者だったから?」
「はい、私はまだ、その時は救世主としての彼に救いを求める側だったから。でも、私がもっと強かったら……なんて、ちょっと思っちゃいます。たらればなんて、意味はないのに」
彼女が植えている種の意味、彼女は今その喪失とかつての勇者の喪失を重ねている。魔王の使徒に勝利した以上の精神的な疲れがそこには見えたのだ。
それでも困った様に笑う彼女の顔は、確かに見慣れたものだった。しかし、今はいつも以上にそんな表情をさせたくないと葵は感じていたのだ。先程ミハエルから指摘を受けたばかりではあるが、これはシンプルな葵自身の意地なのかもしれない。今ここにいない先代勇者に出来ず、自分に出来る事。目の前の苦しそうにしている女性に言葉をかけるぐらい、出来なくてどうするんだ、というただの意地だ。
「ミア、俺の植える種はなんて名前で植えたら良いと思う?」
「え──」
「先代勇者として植えるのは、ちょっと違う気がするんだ。ミハエルさんもそのつもりで俺にこの役割を託したわけじゃないのなら、名前もないまま植えるのは悲しいから」
「……先代勇者、いいえ。彼も、そう望んだと思います。言葉にすると、勇者として弔って欲しいと言ったかもしれませんが。ふふっ、葵さんはやっぱり、彼がどう望むのか分かるんですね」
「直感なんだけどね。この船の中でも俺は新参者だから解像度もきっと低いから、知ってる人にとって嫌な思いをさせないかちょっと不安だけど」
「私は嫌な思いはしませんよ。彼がどんな人だったのか、それを考えてくれるってだけで、私は嬉しいです」
ようやく、ちゃんとした笑顔を見せたミアに安堵しながらも、葵は小さく首を横に振る。
「俺が、勇者を引き継ぐ。引き継ぐから、勇者ではなくなった彼を、俺は弔う」
皆の失った希望を葵が引き継いで新たな希望とする。皆の記憶の中にいる先代勇者と呼ばれた誰かが、生きていても、死んでいても、ただの誰かに戻れる様に。
葵にとっても、勇者にとっても、互いが代わりではなくなるために。
彼の誓いを聞いているミアは、言葉を咀嚼して、彼女自身も何かを考える様に一度手元に視線を落とした後、意を決したように顔を上げる。
「じゃあ、私は葵さんという人を見続けます。先代勇者の時と違って、この世界に抗うって決めた私の心のままに」
「ミア……」
「世界を救う貴方を、種を植えてくれる貴方を、リボンを送ってくれた貴方を、プリンを一緒に作った貴方を──」
「……ありがとう、ミア。すごく心強いし、ちょっと、ほんの少し、照れるな」
「ありがとうは、私の言葉です。ちょ、ちょっと私もそう言われたら照れ臭いですけど」
そうして、土を被せようとする葵の横からミアも先代勇者の分の種に横から土を被せる。
(俺は、強くなります。貴方にも負けないぐらい、貴方みたいに何でもは出来ないけれど、少しでも近付けるように頑張ります。そして、貴方の夢を今度こそ叶えます。だから、俺を見守ってて下さい)
思いを込めながら、土を被せていき──
「そうだ、ミア。なんて名前で、って言うのまだ聞いてなかった気がするんだけど……」
「そうでしたね。まだでしたね、うっかりしてました」
ただ、それは本当にうっかり忘れていたというよりも、躊躇っていた様子だ。口にする事への微かな迷い、ここまで言わなかった事は決めるまでの引き伸ばしの意味合いがあったらしい。
一瞬の間の後にミアは口を開く。
「──あおい。それが、彼の名前」
決して珍しい名前ではない、珍しい言葉でもない。だが、それでも──
「あおい…………?」
滝沢葵は、この日1番の驚愕をした。




