第51話:破壊者と破壊者
街に突如として出現した巨大な像は、異形を潰すというデモンストレーションを終えた後は、この街の異物を排除する方向に動き始めた。
像にとっての異物、この街の住人ではないもの。つまるところ、今地上にいるミアやライが目下の敵という事になるのだった。
「マ・ジ・でふざけんなよ!!こちとらもう身体がボロボロだってのによ!!ちょっとは加減ってもんを知れよこの巨女が!!」
相手の狙いを理解したライ達は、纏まって行動していたら一掃されるだろうという判断からライとミアは分かれて逃走する事となった。
しかし、逃げれば逃げるほどに家屋の被害は広がる。親衛隊や警備隊が民間人達を誘導しているとはいえ、それで安全に走り回れるわけでは当然なく。ミアとライはそこを巻き込まない様に移動しなければならない、相手の攻撃の範囲の広さもあってそれを徹底するのが困難を極める。もっとも、出来ないで済ませるわけにはいかないのもまた事実である。
「きゃあぁぁぁ!!」
故に、怯えて逃げ遅れている人魚が出てくるのもまた必然だった。
「っ嘘だろ!」
手の影の落ちる範囲から逃れた瞬間に聞こえた悲鳴。ライは既に満身創痍の状態、単身で逃げるだけでもいつまで保つか分からない。身体の表面も内部もボロボロだ、生き残るだけなら自分の事だけを考えるしかない。
そんな中で、発生したこの状況。
(いやいや、キャパオーバーだ。こっから俺が手を出して何が出来る?)
そうだ、元の世界でも生き残る為に友人すらも切り捨てたではないか。この街での縁を築いていないライが負う責任は、ノアの一員であるという事のみ。自身は雑兵の様なものではあるが、心器使いという変え難い価値を持っている。
だから、今この瞬間、仕方なく見捨てたとしても責められない。加えるならば、ライが目撃していたという事も知られる事はないから尚更に。
『この街に、偽物と分かっていですら俺は絆されていた!』
だと言うのに。頭の中で教えてこようとするのだ、目に入ったという事は、見逃せなかったという事でもあるのだと。
『人殺しでも、汚い子供だなんて事もない、君はライっていう人だ』
「…………」
それを理解させる様に、どこかの甘ちゃんの言葉を思い出す。情に左右されない人間が、自分の手が汚れてるなどと思わないはずがないのだ。
「………………あぁ、クソ!!俺だって一生に一度ぐらいは人から格好良いって思われてみてぇに決まってんだろ!!」
意を決した様に心器を取り出し、構える。
「持ってけ!!エル・ドラード!!」
爪が奪われた痛みに歯を食い縛りながら、踏み潰す様に降りて来た手を側面から銃撃する。身体全体の今の痛みと比べればこれぐらいはまだ安く支払える代償と言えた。ましてや、人の命がこの一撃にかかっている状況なのだから尚更に。
ライの放った弾によって手の位置が微かに逸れ、人魚は指と指の隙間に辛うじて入る事で助かっていた。もう助からないと思い、強く目を閉じていた人魚は驚いた顔で辺りを見回し、中々動けずにいた。それを見かね、まだ手を動かす事に時間がかかっている像の指を片足で踏み締めながら、人魚の元に近付く。
「そこのお嬢さん!あっちで避難誘導をしてるからそこまで死ぬ気で泳ぐんだ、良いな?」
「あ、ぇ、その、でも、あ、貴方は……」
「俺は生き残るのが特技なんでね。だから、自分の心配だけをしていろ。分かったな?」
「わ、分かりました!」
「よし、良い子だ!そら、走れ!!」
真っ直ぐ泳ぎ始めた人魚は一瞬背後を振り返ったが、ライの姿は見えなくなっていた。彼女達を巻き込まない様にする方法は、単純ではあるが難しいこと。そう、とにかく離れておく事だった。
だが、逃げると言ってもいつまで?どこまで?敵を倒すまで終わらない。今助けた人魚の様に、力を持たない者は時間が経つほど危機に晒され、ストレスにも晒される。
「……もうどうせ姿を晒したんだ。腹ぁ括れよ、俺」
そうして、払う様に目前に迫る手を相手にライフルを両手で掲げる様に仰向けでスライディングし、像の指と指の間に引っ掛ける。
手が持ち上がったタイミングを狙い、ライフルを支点に身体を後ろ回りにして手の甲に着地。手はそのまま上へと上がっていく、高い位置から雑に叩き落とす方が殺すには楽だからだ。美しい女性でもなければ、ましてや葵の様な例外ですらないライは特別生かす理由もないのだから、手間をかける必要もなかった。
「あぁ、もう……柄じゃないったらありゃしねぇ。精々、この瞬間の主役を張らせてもらうとしようか」
像の肩の位置で悠々と座っているこの像の操り主たるクライル、彼に人としてライは興味を持たれていないが、心器持ちとして殺さねばならないと思ってはもらえている。それを幸いにと考え、鉤付きのロープを取り出す。精々目障りな羽虫を演じてやることにした。
一方──
「っはぁ……!はぁ、きゃっ!!」
満身創痍のライも勿論だが、ミアも目に見えているより消耗していた。それには、彼女の心器である鍵がここに至るまでエレンに預けられていたことに理由がある。それは、彼女が使いすぎない様に制限する為だった。
心器とは、他の通常の武器にはない持ち主の精神に呼応した自主的な成長を持ち、やろうと思えばそれが青天井である事こそが強みと言えるが、同時にその特性は人の手で操れる物ではないのはリスクがあるとも言える。ミアの心器である鍵は、この世界における生命力とも言える精神力を使用するだけで大きく消耗させる。そして、その範囲と内部に入る質量でも消耗の度合いは変わる。
走るだけで心臓がはち切れそうになり、耳鳴りで他の音が遠のいていき、頭の中が掻き混ぜられるようだ。
(でも、私がここで倒れる事が、皆の足を引っ張る事に繋がってしまう……っ!だから、何が何でもちゃんとやることをやらないと!!)
せめて像の片手だけでも鍵で一旦切り取る事が出来れば皆の避難が間に合う可能性が高くなる。
迫る拳を相手に向き合い、鍵を構える。地面に拳が設置しない位置で、まだ宙にある段階を狙う。そうでなければ、鍵が空間を切り離す際に生まれる境に巻き込まれた者がそのまま物理的に切り離される。逆に、この像の手首から先を奪うには十分だった。
「今!!」
ミアが鍵を回した瞬間、像の左手首から先がこの場から消滅し、拳ではなくその風圧のみをミアに浴びせるのだった。
「ぅう……ッ!でも、やった──」
ミアの視界がグラリと揺れる。だが、それだけではなく、手が消えた事によってバランスを微かに崩した像が残った腕だけを振り下ろし、容易く地面を叩き割る。無論、ミアもそれを予期していなかったわけではなく、破片が舞い散る中走り出そうとしていた。
だが、力の反動による疲労で足がもつれ、そんな彼女の背に容赦なく瓦礫が襲いかかる。
「あぐぅっ!!」
背に重い衝撃を感じたと同時に前のめりになった身体はそのまま地面に倒れ込む。
息が詰まる。熱と誤認する程の激痛の後に、その痛みを実感させる為の鈍い痛みが、立ち上がる事を妨害してくる。
「っ、く、うぅ……すうぅ……ッこ、これぐらい、平気、なんだから……!」
これまで戦いの中で仲間が受け、耐えてきた痛み、治療をしている最中の皆の顔を思い出せばこれぐらい平気じゃないか、と自分を鼓舞する。痛みを分散させるように息を大きく吐きながら、暗示のように立て、立てと頭の中で繰り返す。
だが──
「!!」
彼女の上に落ちる大きな影。それは先程までの拳で出来た範囲よりも細いが、道を覆う様に長い。見上げてみればその正体はすぐに判明する。手がなくなった分、肘から先利用したのだ。
(か、鍵を──)
轟音──
ミアの腕が動く前に、像の腕が振り下ろされる。姿を現した時と変わらない慈悲深い笑みを携えたままに行使される絶対的な暴力。悲鳴を上げる間すら与えられる事はない。
「ミア!!!ッ」
腕から振り落とされない様にロープでぶら下がっている状態のまま、クライルに狙いを定めていたライだったが、下から聞こえた轟音に視線を向けてみれば、そこは人が立ったり歩いたり出来るような場所ではなくなっていた。
そして、その瞬間の油断を見逃してはもらえず、辺りに幾らでもある資源を利用して魚を生成し、ライに殺到させる。
「ちぃ!!」
気にするゆとりも与えられず、クライルを討つゆとりも与えられない。不安定な状況下で敵の迎撃を強いられる事となっていた。
「彼女は、捕まえてぇあげたかった所だけれど。仕方ないんだよねぇ……」
まさしく惨状と言えるこの状況を作っておきながら、当のクライルは焦る理由も特にないまま未だに傍観していた。街に情がないという言葉は語弊があるが、この街に愛着があるかと言えば異なるこの男にとっては、それもこれも仕方がないで済む話だった。
マッチポンプと言うにしたって、あまりに露骨な方法だと言えるだろう。彼自身、些か自分にしては優雅さを欠いている様な感覚はあった。事実として彼がこれまで優雅に事を進めていたか否かは置くとして、彼にとっては気味の悪さすら感じていた。たった今、ノアの船員の1人に致命打を与えたはずなのに、自分自身の判然としなさがそれに達成感を与えていなかった。
(でもまぁ、連射には不向きであろう能力に、普段から走り回ってないタイプの子、あそこから助かるには奇跡が必要だとも)
見下ろす先、ミアの居た位置に広がっている光景は奇跡とは程遠い。
重い音と共に瓦礫が小振りなものから大振りの物まで降り注ぎ、しばらくすれば落ち切った瓦礫とその残滓である土埃のみが残る。そこは偶然にも、葵達が世話になっていた酒場のあった通りだった。店長が明るく出迎え、エリアが歌っていた場所。いつも彼等が部屋に帰ってくる時は何らかの問題に直面していたから安心して帰れる場所だったと手放しに言えるものではなかったが、一時的にでも帰る場所になっていた所さえ、瞬く間に破壊したのだ。
「み、ミア……私達の、お店……ッ」
酒場の店長を務めていた人魚は様々なショックをまとめて受けてしまい、ヴィルガに腕を引かれても動けずにいた。
何が希望で、何が絶望で、何が安寧で、何が幻なのか、滅茶苦茶にされる様子。外からやってきた人間である少女の公開処刑めいたそれは、この光景が見える範囲にいる人魚達に恐怖を伝播させるに十分な印象を与えていた。
「──い、や……ちげぇな。ちと、ボロボロになったが、良いタイミングじゃねぇかよ」
しかし、ヴィルガには見えた。
希望となるべくして戦う事を決めた人間、公開処刑の時にも皆を逃がして1人残って戦った人間の姿が──
「ぅっ……うん……?あれ──」
「ありがとう、戦ってくれて」
ミアの身体は腕に潰されたわけでも、瓦礫に潰されたわけでもなかった。代わりに潰れているのは鏡の破片と、微かな血液のみで、当の身体自体は優しく抱えられていた。
「あ、葵さん……!?」
「ようやく追いつけた。今日の俺は遅れっぱなしだね」
困った様な笑みを浮かべる葵だが、ミアの笑みは安堵だった。それが、死の危機から救われた事以上に、彼が無事だった事に対しての意味合いが大きかっただろう。
葵の額から流れている血は、ミアを助ける為に出来たものである事に彼女の心は痛むが、それでも彼に助けられた事を伝える意味合いも強く込めて。
「いいえ、遅れていない証拠が、私です。ありがとう」
そして、視線を下げるとあの地下を通ったのであろう微かな服の焦げた跡が見え、ミアは彼への感謝の後の言葉を濁してしまう。だが、小さく首を横に振って返される。
「今は目の前の戦いだ」
「葵さん……」
「おっ、アオイ!!アオイじゃねぇか!あの処刑の後、どこにもいねぇから心配したんだぞ!」
「ヴィルガ!心配かけたね」
「ったく、本当だぜ。ま、無事で良かったよ」
「ヴィルガの方こそ、無事で安心したよ!……早く逃げて、と言いたい思いはあるけれど。今は1つだけ頼みたい事があるんだ」
「そうだろうな、大体その中身は予想はつくぜ。言ってみな」
「うん。ミアを皆と一緒に逃がして欲しい」
ヴィルガだけじゃなく、ミアもそう言われる事は予想の範囲内だったが、それでも少し悔しげに目を瞑る。
無論、葵が彼女を足手まといと判断したわけではない。ましてや、猫の手も借りたい状況下かつ、自分の戦力に絶対的な自信があるわけでもないだけに、彼女を軽んじられるほどの余裕などあるはずがない。
「今1番不安になってる人達の中に一旦身を置いてもらう事になる。それが厳しいし苦しい時もあるかもしれないけれど。ミア、皆を頼めるね?」
葵は彼女の戦闘における活躍を知らないが、それでもライと残って戦い、2人とも無事だったのは、2人が死力を尽くしてくれたからだという事はよく分かっているつもりだった。だからこそ、精神的な面で民間人の支えが必要な今、彼女のそうした面での力が必要だと思ったのも、決してお世辞ではない。むしろ、そちらの方が慣れているだろうから尚更だ。
そして、何より現在も無茶をさせているのは、ライにも同じ事が言える事だ。しかし、今の彼の位置から撤退しろとは言えなければ、それを現状のままだとそうさせてあげる事も出来ない。
「……はい、分かりました!」
「アタイの方も任せな。腕には自信がある、嬢ちゃんの1人や2人、軽いもんだからな」
「ありがとう、2人とも!気をつけて!」
「葵さんの方こそ!」
そう、むしろその為にも、葵は像に立ち向かわなければならない。相手の最優先の目的が自分であると分かっているだけに、仲間や人魚達を逃がす時間稼ぎにもそれは利用出来る。元より、クライルと今度こそ決着をつけるつもりで地上に単身戻ってきたのだから、自分に対する執着が今回ばかりは好都合と言えるだろう。
2人がその場から離れるところを見届ける前に、葵は前進していた。
「くひひっ、待っていたよぉ」
「待たせたな、クライル!!!」
「そうだとも、とても待っていたとも!女神はついていない様だけど、その君がどこまでやれるかなッ」
そうして葵の方に意識が向いている瞬間だった、弾がクライルの髪の束を巻き込みながら横を通過した。巻き込まれた髪に引っ張られて、危うく身体ごと後方に持っていかれかけ、鋭く目を細める。その不快感は警戒の色だ。
ギリギリで弾が外れたのも、あくまで魚達に混ぜて飛ばしていた使い魔がライの構える瞬間を捕捉していたからだった。そうでなければ、今頃胴と首は繋がっていなかったかもしれない。だが、そうならなかったのもまた、クライルが使徒として立っている所以とも言えるだろう。
「…………おやおや、品がないんじゃないかな。そこの君」
「悪いな、品ってやつとは程遠い暮らしをして来たんでね。女を侍らせて貴族ごっこをしてるアンタに倣う必要があるかな?」
「倣う必要はないとも、君がやっては猿真似に過ぎないだろうから」
「おいおい、言葉の品が落ちてるぜ。俺の真似をしてくれてるのか?光栄だな」
魚達を砲身で時には殴りつけ、足で蹴り上げ、そうして出来る限り撒きつつ、間を見てクライルの注意をこちらに向ける。敵の思考を分散させて葵のメインである接近戦までの時間を稼がねばならない。彼との合流への安堵をするには、ライにとってはまだ早かった。だから、彼の姿を認めても、気の利いた一言を探すことはなかった。この戦いにとどまるいち戦士として。
「気の利いた挨拶は、勝ってからでも遅くねぇよな」
彼には下がる余裕もなければ、退がる気もなかった。戦える余力はまだ残っているのだから。強いて言うなら、今後はこんな前衛側の様な戦い方はしたくないと愚痴の様に思うのみ。
(ライにもあまり無茶をさせるわけにはいかない。長引かせない様に、でも焦らないように!!)
その最中にも、像は葵を狙う様に拳を振り下ろしていた。振動、割れる地面。瓦礫の跳ね上がる瞬間を見ながらその上に飛び乗って高度を稼ぎ、追撃で伸ばされた腕の上へと今度は飛び乗る。角度が変わって振り落とされる前に、地を蹴って前進しながら刃を射出する。そうしてライの妨害をしている魚を掃討しつつ、彼との合流を果たす。
「ライ!!」
「悪い、助かった!だが参ったな、手数が多くて厄介な奴だぜ」
「助かったのはこっちもだよ!お陰でここまで皆の被害は抑えられた。でも、うん。君の言う通りだけれど少し、考えてる事がある」
「ほぉほぉ……んで、それを達成するのに俺はどんな役割を担えばよろしいのかね?」
「まずは皆との合流を、俺がそこまで降ろすから」
「……1人で戦線に残るってか?意を決して登ったのによ〜」
「君ならではの仕事があるんだ。君の方が大仕事かもしれないし、美味しい役割かもしれない」
「じゃ、その美味しい役割とやらについて聞かせてもらおうか」
今度こそ、決戦にする為に様々な小細工でもなんでも葵は試すことにした。ゼーベルアも連理も取り逃がした。クライルも一度取り逃がした。
今回はそうさせない。その一度でこれだけ被害を出し、何も知らない人々は蹂躙される。その責任は自分にあるのだと、葵は己に戒める。ならば、これだけ人々の手を借りたのだから、お膳立ての分だけ使徒を討つぐらいは成し遂げられなけれならない。
「──って言う方法なんだ」
「了解だ、アオイ。こんな時に言うと縁起が悪いかもしれんが、死ぬなよ。その方法はお前が相当リスクを背負うんだからな」
「ありがとう、でも俺は大丈夫。そっちこそ、絶対に死ぬんじゃないよ」
「安心しな、抗う奴に死にたがりはいねぇよ。行くぜ」
そうして、ライの腕を掴み飛び降りる──




