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永劫の勇者  作者: 竹羽あづま
第3部泡沫アクアリウム
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第48話:弔歌、焔を華に

 特別両親以外から褒められる様な何もなかった。むしろ、特筆して褒められる様な物を持たないからそうした経験をがないという人の方が多いかもしれない。だが、本当は小さな所からでも褒めてくれたり、その人の良さを見つけてくれた人もいたのかもしれない。だが、それは雪の一粒の様に溶かされてしまった。


『字が綺麗ね』

『丁寧に喋ってくれて分かりやすいよ』


 彼女の通っていた学校の先生だったか、友人だったか、親戚だったか、誰が言ってくれたか。その人達の言葉を肯定感に繋げられたのならば、あるいは彼女の道は変わっていたのかもしれない。

 だが、そんなもしもが叶うのならば、ここまで来る事はなかった。正解だけを進めるわけでもなければ、道を誤ることも人はある。彼女はその誤った最中に沢山の人を騙し、犠牲にしてしまった。それも、これも含めて全ては後の祭り。奪われた者は最早何も語ることは出来ず、彼女もまたその語る口をいよいよ失おうとしていた──


「エリアさん」


 ミアとライは早くここを離れなければならないが、動けずにいた。より正しく言うならば、ミアが離れられずにいた。彼女と共に食事をした時間、その中で彼女の事について知っただけに、当然知らない人でもなければ、戦いが終われば、敵という認識からエリアという少女に戻ってしまう。それだけに、何も聞かずに立ち去れず、せめて最期の言葉ぐらいは聞き届けたいという思いはあった。


「ミア、ここは危ねぇ。早く──」

「ごめんなさい、少しだけ、後ほんの少しだけ……」


 甘さかもしれない、もしかしたらこの行動は必要のない事かもしれない。だが、こんな世界が生まれなければ、こんな形で命を絶たれる事も、別れる事もなかったであろう地球人の少女相手に、そこまで割り切れはしなかった。


「……エリアさん、クライルに自分の意思で手を貸した事実は、決して変わりません。決して」


 エリアの意識は曖昧になっていた。口を開こうにも血も喉を塞ごうとし、正常な呼吸をしようにも焼けた空気がゆるさない。赤い泡を交えた咳をするしか出来ない。避けられない死が目前に迫っている、激痛が、体内から感じる熱が、血で溺れる感覚が、全てを一括して苦痛として変換される。

 このまま、もう何も考えずに彼女は死にたかった。ミアの言葉も、辛うじて受け取れはしても、勝者で、自分より上だから出来る言葉なんだと、少し拗ねた感情が入り混じる。


「でも、貴方の歌への気持ちも、貴方がこの街で過ごしていた時の笑顔も、葵さんへの想いも、全部、それで偽物だったなんて、思いませんから……ッ」


 歌への気持ち。エリアはその言葉を聞きながら自分の尾の方にゆっくりと視線を向ける。そこにあるのは2本の足ではない。声を得る為に差し出した結果がそこにあるのみだった。

 無我夢中で頑張れる事があるのが自分の唯一胸を張れる事。だから、それを奪われるぐらいならば、取り戻せるのならば、命なんて惜しくなかった。人とは違う事、自分だけの物だと思えるものがないなら、自分は他者の下位互換だと思い続けるのみ、そんな思いを抱えながらずっと生きていかなけれはいけないのだろうか?そんな風にエリアの世界は出来ていた。彼女の見る世界はそう出来ていた。


『だって、それだけ言える程の好きな事があるのって本人が思うよりすごい事なんだからさ。俺は応援するよ』


 あの時計台で向けられた言葉を思い返す。


(そんなにすごくないです。きっと、本当はもっと大好きに思ってる人がいて、きっともっと、沢山頑張ってるんです)


 どこか似ているものがあると思ったのは、彼の自信のなさからだった。エリアの目から見れば、目に見えない範囲の他者の為にも命を賭けて戦える人間という時点で、十分に変わっていて特別だと思えたのに、彼はそんな自分にまだ足りなさを感じていた。だから、同類を憐れんでいたから、だから少し信用していたのだろうか?エリアは自問自答したが──


『げ、元気になってほしいんだよ』


 言葉に迷いながらも、はにかんで笑う葵の顔を思い出す。


『君の望みを叶える為に、俺は来た』


 葛藤を抱きながらも、誓う様にそう言う葵の顔を思い出す。


『君がこれ以上苦しめる事も苦しむ事もないように』


 エリアと対立する事に苦しみながらも、決意。口にした時の葵の顔を思い出す。


(でも、やっぱり──)


 憐れみだとか、同類だから心を許していたとか、それを削ぎ落とした今でも変わらない。ならば、そんな事はないのだろうと思えた。

 歌も、彼への想いも、どれもが自分だけの持てる情熱だった。そのどちらも叶うものではなかったとしても、叶わなかったとしても、そうと分かっていても心が追いかけ続けられる。確かにそれは自分自身でも本物だったと、少しは思えるのかもしれない。


「──……」


 犠牲にしてしまった人々への謝罪、騙した人々への謝罪、両親への謝罪、浮かぶのはどれも謝罪の言葉。どこから、誰に向けて、巡っても意識はゆっくりと閉じられていく。

 早く、何か、何かを──


『誕生日おめでとう』


 突如、走馬灯の中で強く放たれた記憶の声。それは、毎年エリアが産まれてきた日を盛大に祝ってくれる両親。高校生になってからも、ケーキと蝋燭を立てて、エリアの欲しいと言っていたイヤホンをくれて。

 それで、それで──


『エリアの成長を見守るのがずっと私達の楽しみだよ』


 そう言い、微笑む母と微笑む父。上手くいかない時も、振るわない成績表を眺めた時も、悩んでいれば必ず一緒に考えてくれた両親の姿がふと、よぎったのだ。地球にいる数多の人々のうちの2人の姿が。

 葵が守ろうとする人々の中にその2人も居る。それを今になって、今だからこそ、エリアは理解した。


(やっぱり、それはダメ、だよね)


 小さく、笑みを浮かべて──


「………………負け、ないで」


 何も知らない人を騙し苦しめる自分やクライルの様な悪意に、使徒に、魔王に、邪神に、この世界の誘惑に、戦いに。自分が言えた事ではないと分かるけれど、せめてこの言葉が、自分の様な弱い人達が折れない希望に、抗う為の力になる事を祈って捧げられた言葉。

 それを聞き届けたミアはゆっくりと、噛み締める様に頷く、最早彼女の目にはその動作は見えていないだろうと分かってはいても。


 エリアはどうだろうか。ミアに言葉を届けられたが、エリア自身が最後に意識出来る事、胸の内で思える世界への遺言は、この瞬間の彼女は──


──歌をまた歌いたいな


 足掻くような、生にしがみつくような、また(・・)。葵が言った。彼女にとって命を賭けても良いほどの物ならば、それは命と二人三脚なのだと。だから、これは最後の我儘で、世界への最後の命乞いだった。その命乞いが叶うとも、叶う必要も感じていなかった。それでも、ほんの少しだけの、今までと比べれば些細な、我儘。

 そして、彼女の意識は閉ざされる。彼女を倒す為に燃え盛っていた炎が、今はまるで弔う様に静かに燃えている──


「…………」

「ミア」


 街に上がれば、エリアがまたあの酒場で歌っている様に思える。また、何か思い違いをしてヴィルガに怒られるかもしれない。それを見た店長が宥め、客も見慣れた光景に微笑ましそうにする、あの光景が。短い間身を置いていただけだったかもしれないが、その景色の中に人が生きていたと、確かに皆の営みがあると理解するには十分な時間だった。だが、それは頭の中で複製した光景であって実際にもう戻る事はない。

 勝ったのだ、奪ったのだ、少なくとも発信源のエリアが死んだ事で、クライルへの憧憬と無条件の信頼を刷り込まれた人々は元に戻るだろう。ヴィルガもこの街の人を殺しはしていないであろう事を思えば、ノアの人間の結果として言えば上々だろう。


「行きましょう。お待たせしてすみません」

「……良いさ。悼みがあるのはさ、数だけじゃなくなるっつー事だろ?」

「数だけじゃ……?」

「ああ、この世界で死のうとも、元の世界で死のうとも、俺達の死は沢山いる人間の中の1つで、そこから更に広い世界の中の1粒である事から変わらねぇ」

「それは、そうかもしれません」

「でもま、そん中で惜しんでくれる奴がいるんなら、そいつが覚えてくれるんだからよ。そういうこった」


 ライはエリアという少女をよく知らない、そもそも彼が彼女と顔を合わせた時にはもう敵だった。だから、ミアの様な感情を抱く事は出来ないが、ライが事故で死んだ両親も、殺してしまった友人も、どちらも自分自身にとっては洒落にならない死だった。だからこそ、今ここにある悼む気持ちを決して軽視はしない。出来る様な性格ならば、ライの手にある心器は生まれなかったかもしれない。死への憧憬も死の美化も、馬鹿馬鹿しいとは思うが、きっとこれはエリアの生前の足跡であり成果と言えるだろう。悲しんでくれる人がいるという事はそういう事なのだから。

 殺された人間にもちゃんと同じだけの悼みを受けられていれば尚更良い。そんな考えがふとよぎるが、葵の言いそうなことだと肩をすくめ、その考えを置いていく。


「行こうぜ」


 ミアの背を小さく叩きながら歩みを進める様に促す。そして、ミアはライの言葉に何かを言おうと数度口を開閉するが、その後に小さく頷き、身を翻してからは振り返る事はなかった。異形達の焼けた跡、そして人魚エリア。そこには数多の同じ地球の人間の生と死の跡があるのみだった──



 彼は彼女の死を知れば悲しんだかもしれない。その死に目に会えなかった事も、最後の言葉が、別れがあの様になった事の後悔もあったかもしれない。だからこそ、あの場で完結した戦いだった事には間違いなく価値があった。

 現時点で苦戦を強いられている彼に、これ以上の苦戦があったかもしれないのだから──


「っ!!」


 クライルを倒すか、あの光の球の術式の解体をするか、片方だけでも達成出来たら良いのだが、相手もそれをさせるわけがなかった。クライル自体の動きはこれまでの使徒と比べたら緩慢ではあったが、受け流し、守り、致命傷を避けながらも葵を行動不能に追い込む為の攻勢も緩める事はない。

 何より、彼の見せた手品。無機物である場合あの中に閉じ込められたらすぐにでもクライルの手駒に変質するだろう。その証拠に、この部屋内を飾っていた細かい装飾が獰猛な魚となって葵を追尾してきているのだ。ピラニアの様な歯を持ち、細長くも鋭くも刺々しい尾鰭、鱗は装飾だった跡として光に照らされると金色に光っている。そんなさかなが既に10匹以上は葵に喰らいかからんと、追いかけて来ているのだ。1匹1匹は対した強さではないのだが、そもそもとして前回の使徒相手と違って1人で戦わなければならない以上、数の不利を背負わされる厄介さは大きい。何より、こうも動き回らされては落ち着いて魔術も使えず、範囲掃討が出来ない。


「くそ!キリがない!!」

「ならさぁ、降伏でもするかい?歓迎するよぉ」

「死んでもするものか!!」


 後方から聞こえる煽りのつもりのない煽りに、相手の余裕を感じるが、それでこの状況でやる事が変わるわけではない。

 自分を追尾してくる箱と魚を相手に外周を回って振り切る様に走り、それらが一直線になった機を狙って刀を振り下ろし、魚を斬り裂き、箱を叩き落とす。そのまま刀を地に擦れさせながらクライルの方に向かって駆ける。そして、当のクライルは何を思ったのか、向こうもまた葵の方に前進をしていた。その行動に違和感を覚えつつ、伸びている射程の分を加味したギリギリの位置を狙い、相手の攻撃の準備が整う前に逆袈裟斬り──


(!?これはっ──)


 確かに斬った感覚はある、筋肉が、身体を構成する繊維が、刃を通す事を相手の肉体が拒んでくるが故の、手に伝わる重い感覚も、間違いない。しかし、葵の中にある強烈な違和感の正体が、文字通り剥がれ落ちる。


「い、異形!?」


 金メッキが剥がれ落ちる様に外観が露わになり、クライルの大きさに合わせられていた肉体が膨れ上がり、背中から翼の様に生えた腕の異形の姿に戻った。

 ふと視線を上に向ける、天井に備え付けられた円形の扉。あの上に異形をあらかじめ待機させていたという事だろう。扉というには完全に落とす為に用意されている配置だが。


「結構、遊べるだろぉ?」


 その男は、さながら蛇の様に這い寄って。音もなく近付いて、捕食対象を丸呑みにする。


「──クライッ」


 その瞬間、葵は水の中に突如として閉じ込められる。


「が、ば……っうぁ!?」


 背後の方から声をかけていた彼が瞬間的に前方から攻撃を仕掛けてくる事が出来るだろうか?あるいは、葵の様な力を持つならばともかく、そうではない。加えて、ギリギリまで葵に向けて能力を使用しての攻撃を行なっていたのだから、彼の脚力がそれを成し遂げたはずもない。答えは単純だ。

 そう、簡単な話だった。最初から位置は変わっていない。異形を自分の能力で自分と同じ姿にし、それで葵の気を引いている間に接近する。極めて単純な方法ではあったが、彼から回避行動の隙を少しでも奪えたら完遂と言え、そしてそれは成し遂げられた。


「思ったよりも呆気なかったけれどぉ、まぁインドア派にとっては幸運だったと言えるかなぁ?」

「ぅ、ばっ……!ぃぶぅ!!!!」

「身を任せていた方が楽だよぉ?苦しめるのはぁ、別に目的じゃないんだからさ」


 全身を満たす水はどれだけ飲み込もうとしても、決して減る気配はない。葵の口から言葉の代わりに浮かぶ泡の量が増えるばかり。


(っ、考えるんだ、何か!!)


 これまで確認した限り、能力で変化させられたのはこの街の人魚達。異形。服のボタン。部屋の装飾。そして、先程のクライルの影武者にさせられた異形は瞬く間だったが、まだ自分がその変化を受けていないという事実。その中にどんな法則があるか。

 無機物も有機物もごっちゃ混ぜで、その変化対象が何なのかは恐らく問題ではない。変化対象をそものものはあくまでクライルの望み次第だろう。だが、それならば彼のこだわりを抜きにしても、相手を変化させてしまう能力というだけならば、あまりに万能すぎるという事が違和感になるのだ。非効率的な立ち回りを続けている相手、そして何より、男性ではないのに変化させられずに、この街の治安維持をする側として立っているヴィルガの存在。能力を乱用したくなくとも、何か理由が──


「ご、ぼぉっ!あ゛っ」


 だが、思考をする時間は強制的に終わらされ、現実に引き戻されるのだ。


(っぐ、息が……!!)


 何かを考える前に生存本能がこの溺れてる状況に対する思考に傾き始める。呼吸をする機能を持つ器官その機能を損なう感覚に、苦しみと焦燥が襲いかかる。


──転移を使う?使えば抜け出せるか?


 いや、そしたらこの水槽も含めてで転移するだけだから状況は変わらない。連理を相手した時に彼女を道連れにしようとした時にはそれはわかっている事ではないか。

 それでも、最初の内はまだ鮮明な思考が出来て。


──じゃあ、中から爆破でもすれば


 そしたら葵ごと爆散する事になるわけだが、それで破壊出来る保証がない以上、クライルを自由にさせてしまう。仮に葵がそれで死亡した場合、彼の復活までの時間はクライルの自由。それこそ脱出出来たと言える状況ではなくなるだろう。

 そうして、しばらくすれば喉が震え始め、息をしようと水を徐々に飲み込んでしまい、耳鳴りと共に脳が痺れる感覚。思考はもっと曖昧になっていく。


──抜け出さなければ


 箱の中にいる物だから、苦痛を誤魔化す為に足をバタつかせることすら許されない。心臓の鼓動が脳内で直接響き渡る様な騒音となってすらいる。


──早く早く早くはやくはやく


 眺めるクライルは満足げだった。自分の理想的な美しさを持つ人間を水槽に閉じ込め、それを魚を眺める様に鑑賞する事が彼の夢でる以上、紅音によく似た彼はこの時点でも十分にクライルにとっての芸術たり得るだろう。無論、葵からすれば見せ物なんてごめんだが。


──はやく、はやく、俺は、こんな所で


 抜け出す算段が浮かばない。それでも刀を狭い範囲で突き立てる。せめてヒビぐらい入れられないかと中から叩こうとするも、力が入らなくなっていく。


──はや、く


 そして、残っていた息すらも泡となって排出される。

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