第44話:それでも彼らの空は蒼く
──初めて人を殺したのは9歳の頃だったっけ
彼が人を殺したのは、たった1つのパンの為だった。路地裏を通りかかった男が彼の前にわざと袋に入った新品のパンを落としていった、“お前の物だ、食えよ坊主”と。警戒を上回って腹が減っていた彼は、そのパンを手に取って食べようとした。
だが、その瞬間に男は泥棒だと叫び声を上げた。その一度だけでは人が集まる事はなかったが、男は集まるまでその声を上げようとしていた。どんな意図かと言えば、小汚い子供を虐める為だったのだろう。ただそれだけといえばそうかもしれない。だが、それは只事ではないのもまた事実だった。彼は恐ろしくなって、拾い物の銃で咄嗟に男を撃ち殺してしまったのだ。一発で致命傷に至らなかった男は叫び声を上げ、目を血走らせながら彼に飛びかかり、その様子も状況も何もかも怖くて仕方なかった彼は何度も、何度も銃を撃ち、男を殺したのだ。
初めて銃を撃った事よりも、人に泥棒扱いされて捕まる事よりも、その時最も怖かったのは、目を剥いたまま息絶えた男の顔だった。自分は、やってはならない事をしてしまったのだというその痕が──
*
「っぐ……」
目を覚ました時、そこにあるのは美しい彫刻のある廊下でも、ましてや故郷の路地裏でもなく、冷たい空気の漂う地下牢の光景だった。
「……なんだよ、夢の中でぐらいもうちょっと裕福に生きさせてくれても良いだろうがよ」
自分でそう言いながらライは、朦朧としていた意識が徐々に鮮明になり、苦笑を浮かべる。そもそも今いるこの世界が夢で出来た世界だと考えれば、子供の頃とはいえ現実の光景を指して夢だと称するのは、随分とこの世界に絆されたものではないか、と。
「しっかし、やたらどこもかしこもいてぇな……あれから何が起きた……?」
頭に触れてみれとぬるりとした感触が手に当たる、どうやら頭から出血している様だ。口内も鉄臭い味が染み付き、あっこっちから鈍い痛みを感じる。
「あばら、やられてんな……殺されなかった辺り、まだ利用価値はあったってか。随分と嫌われた様だが……ああクソッタレ」
しかし、それ以上に腕の動かせる範囲が制限された感覚の方がライは気になった。冷たい感触が手首に当たる、どうやら鉄枷が嵌められているらしい。上から鎖がピンと張っている以上、手の可動域の狭さはどうしようもない。力任せに鉄枷から抜け出せないと思ったが、当然そんな事は出来ず、手首の骨が悲鳴を上げるだけで終わった。
(他の奴らはどうなってる……?他の奴の足引っ張るのなんてゴメンだぜ)
視線を動かすのをやめ、思考を巡らせている最中、服に隠す様に首から下げていた魔道具が淡く光を灯す。
『ライさ……ラ……ん。ミア……今からこちらの状況……えします。現在使徒の私……追われ……逃亡……ルートを……つけ次第そちら……かいます。……が、私……なく、動け……なら葵……合流を…………』
途切れ途切れにしか聞こえない通信だったが、最後にはその少しの音すらも聞こえなくなる。
「おい!ミア!おい!くそっ、こんな時に故障かよ!このオンボロ石がよ!銃弾の方がよっぽど素直で可愛いモンだぜ!」
彼の返事を待たず、辛うじて灯っていた光が消えると同時に服の中で破片となった魔石が無慈悲に落ちていく。しばらくは目を見開いていたが、首を支えるのすら疲れて項垂れる。彼女からの連絡の内容を考えるにミアも余裕がない状況なのだろう。葵もまた、クライルと対している。
(んで、説教した俺が……この有り様か。ははっ、笑えねぇ。笑えねぇな……)
脱出や反撃を諦める気など毛頭ないものの、自身への呆れは止まらない。不意打ちに完璧に対処出来る様な戦いのプロでもないのだから仕方がないのも事実ではあるものの、葵と示し合わせなかった影響でこの失態のリカバリーが難しくなっているのもまた事実だった。自分もまた、冷静ではなかったのだと思うばかりなのだ。
「ライ!!」
故に、尚更情けなくなるのだ。戦士として信用するつもりのなかった男が、格子の向こうから現れたのだから。
「……アオイか」
「捕まってるんだね、ちょっと待っててくれ。すぐ開けるから!」
「って、そう簡単に言うけど鍵はあんのかよ」
「そう都合良く持ってはいないけど、ミアのお弁当箱の中に良いお土産が入ってたんだ!目を瞑って、耳も出来る限り守って!」
数歩下がってから葵は懐から魔石を取り出し、牢屋の扉に狙いをつける。
「死の淵を見よ、その内にある瞬き、狭間に触れて啓いた先の眩さ、お前は今輝きの中にある。決して逃れられず、それを知る時が来た。“閃き燃ゆる命”!!」
彼がそう唱え終えた直後に魔石が眩い閃光を放ち始めたことで、彼の警告の意味をそこでようやく理解し、急いで腕に耳を押さえつける。
「っ!?ちょっ、やべぇって!」
それでも手の自由が効かない以上、耳を塞ぎ切る事は無論出来るわけではなかった。爆発、それに続く轟音、辺りを揺らしながら地下の中で響き渡ったそれは、ライの耳の中の演奏会を開始するには十分過ぎるほどだった。
しばらくしてからゆっくり目を開いてみると、先程までの堅牢さが嘘の様に変わり果ててしまった牢屋の扉が、無惨にひしゃげて転がっている光景が見えた。
「おっかねぇ〜」
「だって刀で斬れるイメージが湧かなかったから……」
「わぁってらぁ。俺もお前の立場なら同じ選択をしたさ」
「なら良かった、腕もすぐ解放するから」
「鎖は切れるイメージある感じか?」
「子供の頃に輪っかを繋げる鎖みたいな玩具で遊んだ事があって、その内の1つを壊しちゃった事があるかな」
「ははっ、虫も殺した事なさそうな顔して正体はゴリラかよ」
「違うね、ゴリラは知性的だよ」
その宣言通り、鎖の方は刀を一振りする事ですぐにライの腕を自由にした。手首の痛みに反して、あまりに呆気なく解決し、それが出来ることに安堵すれば良いのか、否かで複雑な気持ちだった。
「……悪いな、手間かけさせた」
「酷い怪我をしてるじゃないか!一体何が起きたんだ!?」
「あばらがやられてる、だがそれ以外は見かけに反して血塗れなだけだぜ。大したことねぇよ」
「大した事あるって、無理を押すよりも……えっと人手は欲しいけど、でも、うぅん」
「何かあったんだろ。公開処刑終了後ぐらいまでなら把握してるが」
「……実は、ちょっと急がないといけない事態になってるんだ。事情説明は移動しながらでも構わないかな?肩を貸すよ」
「いんや、自分で歩ける。急がないとなんだろ、ちゃちゃっと行こうぜ」
「うん、分かった」
そうして、監獄を抜ける為に走りながらも葵は出来る限り頭の中で整理しながら説明を始める。仕掛けられた爆弾、異形を生成する場所としての地下道、そして、クライルが葵を勇者である以上に付け狙う理由。
葵が以前言っていた圧縮された何かという物が例の爆弾とやらであった事を思えば納得も出来る。そして、相手の回りくどいやり方も最初から葵を殺すつもりがなかったということで確かに理由はつく。爆弾の処理に結界を抜けた時の様なやり方は出来ないか、だが少数戦力の状況でクライルの撃破の際に戦力の分散は悪手ではないのか、思考を巡らせる。何より、ライの方からも伝えなければならない事が──
「……ライは、俺と戦ってくれる?」
「うん?何だそりゃ」
「今も、多分君の目から見た俺ってものを覆せてはいないと思う。そう出来るほどの何もまだ出来ていないから」
「そりゃ、お前が割り切れてるとは思えないけど」
「背中を任せられないとも言ってた」
「…………あのな、今急いでるんだからそういう話をしてる場合じゃ──」
「戦力が少ない今だからこそ、俺はちゃんと話しておかないといけないと思ってるよ。使徒と戦うのに、俺が戦力として換算出来ないままなんて良くないだろ?」
「言う事は分かるがよ……わぁった、わぁったから。確かにあん時の事は俺が悪かった。場合と状況を選ばずに口から出ちまったのは間違いないからよ。悪かった」
「……それは、本当に?君は、それで文句なく戦えるの?俺は絶対に勇者として戦わないといけない。なら、君にも認めてもらわないといけない。だから、本当にそう思ってるのかは、知っておかないといけない」
「……待て待て待て、マジでどうしたんだ?」
「俺は、人付き合いが苦手だから……君がしてくれた気遣いが嬉しかったし、君を良い人だと思ってる。だからこそ、俺からすればそんな人をイラつかせたのが何なのか、ハッキリしてないと怖いんだ。君の言葉にした以上に、君は俺に対してイラついてる様に見える。俺からすればあの時、君が言った事は間違ってないとは思ってる。納得はどうしても出来ないけれど、それは俺の育ちみたいなもので……こういう時の直感ばかり当たるんだけど、どうかな?」
ライの言った、そういう場合ではないというのも事実ではある。少なくとも、異形が人間だと分かった上でも戦ったのなら今はそれで十分だろうと妥協も出来る。加えて、今はそれについて何を言っても自分は負け惜しみめいている事になりそうだったのもある。こちらの理由はただの意地のようなものだろう。
だから妥協は出来るはずだ、苛立ちだって抑え込める程度に。今はこの世界の戦士の1人で責任の伴わないただのチンピラではない。
「はぁ……」
だから、これで気分を切り替えたら良い。それが出来るはずだ。はずだったが──
「…………知ったような口を聞くんじゃねぇよ」
恐らくずっと彼の根底にあったのは1つの感情的で、言葉にしてしまえばきっと幼稚な物。
「俺は知らないから、まだ君のことを。だから俺は言ってるんだ」
「なら、人様の感情の動きなんて物に勝手に口出ししてんじゃねぇよ。無駄が多いんだよ、お前はいつも」
接するほどに強くなっていったそれは劣等感だった。話す程に、葵が戸惑い、悩むほどに、彼の悩みが平和の中で生まれる物だった事がずっと腹立たしかった。
『ようやく、この世界でそうなれたと思った。でも……ダメだなぁ……その役割に徹する必要があるのに、使徒を殺す事も怖くて、皆に根拠のない希望の言葉だけ言って、同級生に滅茶苦茶な怒り方して……俺、全然勇者出来てない』
『君は、君はそれを平気で出来るって言うのかい?』
それなのに、そんな歩みの遅い彼には選ばれし力があった。それを有効活用出来る精神性がない事が腹立たしかった。何故そうしない、そう出来ないのが分からない。そう思いたかったから腹立たしかったのだ。戦いに向かおうとする人間の中で、葵は中でも平凡で、普通に見えたから──
「今お前が言った通り、俺の方は俺の方で育ちってやつだよ。俺はお前と違うんだよ」
「どんな風に違うって言うんだ、俺が苛立つぐらいに恵まれて見えるの?」
「っ!だから、そうだって言ってんだよ!!」
ライの中の理性が無駄な事をするな、時間の無駄だと止めようとするが、葵自ら飛び込んできた物だから、耐えきれずに感情に任せてしまう。故に、その感情という本能のままに胸倉を掴んで彼を壁に叩きつける。
葵は小さく呻き声を上げるが、普段はあまり目を合わせずに会話する彼とは思えないほどにライの方から視線を外さない様にしていた。自分から喧嘩を売ったような物なのだから、それを無駄にしないように、と。
「屋根もなけりゃ飯もねぇ!!怪我も病気も医者に頼れねぇ!何せ、金がねぇからな!ましてや、払ってくれる奴なんているわきゃねぇからな!!」
「ほ、保護を、してくれる、施設や、人は」
「ねぇよ、俺の手の届く範囲にはなかったさ。ああ、俺を引き取ったおっさんはいたっけ?俺ン家を我が物顔で陣取ってる奴なんざ論外だ!あの汚ねぇおっさんの所で生きるぐらいなら、路地で暮らす方が良い、自由だった……」
例え、時には少年院に世話になろうとも、それで良かった。引き取り手の住処になった家よりも少年院の方が道徳的だった。
「俺は、小さい頃に人を殺した」
「子供の頃に……」
「俺はパンがもらえて嬉しかっただけなのに、泥棒だって叫ばれた、黙って欲しくて銃を撃ったら。これが急所を撃てなくてな、穴だらけになってから黙ったんだぜ?ははっ、全くだらしねぇ初体験だ」
どれだけ怖かったか。やっていけない罪を犯し、一生初めて殺した男の死に顔に追われる事が。今でもそれがのしかかったまま軽くならない。
「その後はまぁ〜ちょっと非合法な仕事を運良く貰えてさ、ちょっとした物運びとか?時にはかなりヤベェ事やりやがった同じシマのやつにも銃を撃った事もあったっかな?そしたらお礼として金は入るようになったよ、まだガキだから甘く見てもらえるしな!!」
それがまずい事だと分かっていた。だが、学のない小汚い路地裏の子供に許される金稼ぎの手段が目の前に提示されて、それを断る理性もなければ余裕もなかった。
「殺人、運び屋、色んな仕事を経験して、そしてかってぇ地面がベッドで気分屋な空が俺の屋根、隙ありゃ俺に因縁つけてくる奴と殺すつもりの大喧嘩をする日々、いや全くなんて素晴らしい生活だ!俺がそうするって決めたんだから笑うしかねぇよ!!」
口にするほど、地球に帰ったところでいつもと変わらない事実に呆れ、口にするほどに、自分がどうしようもないクズなのだと実感していく。何もかもが当たり前だったのに、哀れまれ、驚かれ、戸惑われて、それを見る度に、この世界に来てからの初めての殺人には作業めいた感覚があった自分は、どこへ行くも、どこへ帰るも、クズにはお似合いの迷い路と化してしまった。
「友人がよ、まずい件に手を出しちまってな。俺自身の潔白のために殺したよ、そん時は俺も上手になってたんでね、額を一発。つまらねぇジョークをよく語ってた口が、固まった粘土みたいに動かなくなって──」
「ら、ライ……ッ」
「そんな経験すら、お前はしてないんだろ。誰も、殺した事がなかったんだろう」
「──うん」
戸惑いの顔を浮かべたまま、それでも確かな声でされた返事に、最早乾いた笑いしか浮かばなかった。
この世界の中でも、もっと苦しい経験をした人なんて幾らでもいるだろう。だが、下を見るよりも、当たり前の異なる上を見る方が、よほど辛いと知った。辛くて、狡いと感じて、そんな経験のない生き方をしてこれた事が羨ましくて、自分はやっぱり変だったのだと無垢な善性が暴いていく。
「は、はは……ッ良いよなぁ羨ましいなぁ……だから、言ったんだよ。俺とお前じゃ生きて来た環境も違うって。お前の環境を、外の環境なんて、知らなかったら、俺が汚いクズのガキである惨めさなんて、頭の隅に追いやって無視出来たのに……どんだけ危機が迫っても、人1人殺せないのが、普通だなんて今更さ……そうだよ、俺の故郷でだって当たり前な事なんかじゃなかったのに……」
人を殺せないと怯える事も、見た事ない食料に躊躇する事も、敵は敵と割り切れない事も、平和だった証で、人としてそうあるべきものだった。彼の苦悩は自分が持てなかった全部だった。考えたくないIFを与えられる。パンを手に取らなかったら、銃で撃ち殺さなかったら、そしたら、もっと普通になれたのかな、と。
「お前が甘ちゃんである事が、妬ましい。羨ましい。戦えない当たり前を持っていて、そう居られるお前が、その価値観のままこの世界で生きていこうとするお前が……」
「うん……」
「お前が、戦えないって選択を選ぶなら俺だってこんなガキみてぇな感情に振り回される事もなかった」
「……でも、俺は戦うよ」
「そうだ、だからこそ、俺は今こんなクソ無駄な事をしてる。お前にこんな事言ったって何の価値も、意味もねぇのに……」
それまで胸倉を掴まれたままでも大人しくしていた葵だったが、そこで頭をライに向けて思い切り振り下ろす。無論、唐突な攻撃に、そんな素振りも無かった攻撃に対応出来ず、鈍い音と共に、互いに頭の重さが乗った衝撃を受ける。そしてライは手を緩め、その瞬間に葵は逆に胸倉を掴み返す。
「っ!?な、あ!?」
「今回の、この話の価値を決めるのは、俺だろうが!!」
しおらしくしていたかと思えば、今度はその顔に強い怒り、それ以上に悲しみを宿していた。
「この街に、偽物と分かっていですら俺は絆されていた!だけど、そうにすらなれなかった苛立ちがあったんだろ!」
「!!」
「君にはなかった光景だから、偽物が偽物でしかなかった!それがよく分かった!」
「お前……」
「そして、君自身にもまだ分かってない事があるのもよく分かった!!分からないつもりでいようとしている事が、よく!!」
「っんだよ、たった今聞いた話だけで、分かったってのかよ!俺すら分かってねぇ何かとやらがよ!」
「君は俺と違って殺した事はあるけれど、損得で殺すのもそうかもしれないけれど、仕方なかったんだろ!?嫌々やってたんだ君は、ずっと!」
「!!」
「格好つけてんじゃないよ!命の取り合いが当たり前の場所から来た者同士じゃないんだから、それも割り切ってるって顔をしなくて良いだろうが!」
記憶の引き出しから1人でに出てくるのは、初めてやった殺し、そして友人を殺した時、この世界で初めて殺した時の記憶。
どれも、終わってみれば呆気なかった。呆気なかったのに、残された側にとっては全然軽い物ではなかった。銃が撃つ前より撃った後の方が重かった。ナイフが、割れた酒瓶が、罰のように重かった。
「そうじゃなかったら、俺に対してそんな怒りを抱かないだろ!生まれた環境が違う!?そうだよ、そうかもしれないし、君は俺と比較しちゃダメなくらい苦労して生きて、大変な思いをして来たと思うよ!」
「……黙れよ」
「でも、俺も思ったよ!異形が人間だったと分かって、それで改めて殺して思ったよ!人を殺した、殺せた、これからも必要なら殺せてしまう自分が、すごく怖いって、そんな風に思ったよ!!俺がやらないといけないんだから!!」
「……黙れって」
「でも、いやだからこそ、俺は皆を地球に帰すんだ!その為に使徒だって殺さないといけないんだ!今度こそ!これは俺がそうするって決めた事だ!!でもずっときっと、本当は怖いままだ!!」
「黙れっつってんだろ!!」
「同じ怖い物を持ってる人が、何もかも違って理解不能な生物なわけないだろうが!!」
「っ……!」
「……それが侮辱に思われたら、本当にごめん。だけど、俺にとってやっぱり君は、君だよ。この街では感じられなかった日常も、君はノアの中では確かにあった安息だと思えた。人殺しでも、汚い子供だなんて事もない、君はライっていう人だ」
諭すというほどに、まとまってもいなければ、葵はそれが出来るほどに大人になれるわけでも、達観も出来てはいない。だから、思ったままを伝える事しか出来ない。思ったまましか伝えられないから、ライのその心を知った上でも変わらなかったそれを伝えるしかない。
「生まれも、育ちも、環境も違う。でも、俺と君は変わらない。同じ年頃の、同じ人間だよ。君は、良い人だと思ってる」
正面から向けられたその言葉にライは思わず目を見開く。実際にその様子を見た事がないから言えるんだ、テレビやネット越しに言っているのと変わらない、そう言ってやろうかと考えたが、先程までのように感情的な言葉も、誤魔化しの謝罪の時のような言葉すらも上手く出なかった。
「ああは言ったけど、俺に苛立っても良い、俺を認められなくても良い、俺はその理由を知ってるし、君がそう思うのも仕方がないと思ってるから。その上で……ライ、俺を君の仲間の1人にしてくれないか?」
無論、もう胸倉は掴まれておらず。ライは自由の身だった。一発殴ろうが、今度こそ突き放そうが、自由だった。口だって縫い付けられていない、曖昧な返事でも構わないはずだ。
『ライ?ああ、アイツを怒らせない方が良い。アイツはダチの頭に穴を開けるのすら平気な奴だからな』
知ったような口を聞くな、それをもう一度叩きつけるべきなのかもしれない。それでも──
『よぉ、シャバへおかえり。俺達ぁずっと待ってたぜ、テメェに返礼する日をよぉ!!』
ただ少し会話をした事があって、ただ少し知ってるだけの相手にも関わらず、この世界で初めてライの普通である部分を言い当てて来たのだ。
「…………」
小さく下唇を噛んでいたが、しばらくしてから白旗を上げるように苦笑を浮かべる。頑固な葵に対してなのか、自分の情けなさに対してなのか、だがどうあれ──
「お前を、仲間に?はっ、ねぇよそりゃ」
目を丸くしている葵を置いて、また歩き始める。だが、その最中に彼の肩を軽く叩いてから肩越しに振り返る。
「……勇者ってのは誰かに引き連れられるんじゃなく、人々を引き連れる側だろ?」
笑みと共に向けられたその言葉を咀嚼し切るのに葵はほんの少しの時間を要した。これで、今度こそ断絶されても仕方ないとすら思っていただけに。また、言わなければ良かったと思うかもしれないと思っていただけに。だからこそ言葉を嚥下出来た時、ようやく葵は力強く頷けた。
「──ああ、そうだね!」
仲間として改めて駆け始める。葵、ライ、ミア、この街にいる3人で力を合わせて使徒に打ち勝つ為に──




