第43話:交錯するタイムリミット
滝沢葵がクライルと平和な茶会を行い、ゲストの強制退場という形によってお開きとなっていた頃。公開処刑という大きな出来事を機に、その歪な変化は街にも訪れていた。無論、ライにつけていた使い魔が潰されたと同時にミアもその異変を感じ取っていた。
(多分ライさんは今危険な状態にある。葵さんも現在屋敷にいる、葵さんにはリンドさんがついてるものの、それで安心は出来ない)
最早一般人として紛れるのは難しいだろう。ミアの事も把握されているであろうから、いつ、どの様な形でそれが起こるかは想像出来ない。急ぎ部屋に置いてあるミアと葵の荷物を手短にまとめた後、お世話になった店の人に事情を説明しようと階段を駆け下りる。どんな風に説明しても相手を驚かせるか、あるいはもっと悪い事態になるかもしれないが、流石に数日世話になった場所を無断で出るのは心苦しかった。
そうして、1階まで降りてきた時。店長の後ろ姿が見えて声をかけに行きそうになったが、すぐに足を止める。彼女の話している相手はどうやら客ではない一団の様だ。
警備隊とはまた異なる武装をした人魚、ミアは初めて見る相手だが、クライルの護衛をしていた人魚達だった。顔を合わせるのはまずいと察し、隠れる様に壁に背を預けながら会話内容に耳を傾ける。
「私は、クライル様の親衛隊隊長シャミーだ。貴方がこの店の責任者だな?」
「あ、貴方がたがこんな所に来られるとは思わず、何の準備も出来ていないんです!わ、わわわ!!すみません!」
「慌てる事はない、こちらこそ突然の訪問という非礼を詫びさせて欲しい。だが、急ぎの用でもあるので手短かに用件を先に伝えさせてもらおう。ミアという少女がここにいるはずだ、我等がご主人が彼女を呼んでいる」
「ミアを……?」
この街の人魚は皆クライルに対して崇拝に近い畏敬の念を抱いている以上、ここで店長がミアを庇ってくれる可能性は低い。彼女の人柄どうこうではなく、この街に課せられたルールであり、洗脳に近い。
「そういう事でしたら、彼女なら今……」
だから、ここで彼女が居場所を口にするのは悪い事ではない。ミアもそれで恨むつもりはない。挨拶を抜きにして脱出をする事になるというだけで。2階の方に駆け出し、廊下側の窓を開けてそこからロープ代わりの繋ぎ合わせた布を地面に下ろし、それを伝って外へと降りる。屋根を登って移動する事も考えたが、この街における空は人魚達にとっては道の様なものだ。逆に見つかりやすい。
建物から建物の影を移動しながら、周囲にクライルの私兵がいない事を確認してから連絡用の魔道具を取り出す。外部との連絡こそ街の結界の影響で取れないものの、内部ならば同じ個体の魔石から作られた魔道具同士での連絡は可能だ。連絡する相手は葵……ではなく、ライの方だった。クライルと接触している可能性のある葵相手はむしろリスクが高いと判断してのことだ。
「ライさん、ライさん。ミアです、今からこちらの状況をお伝えします。現在使徒の私兵に追われており、逃亡中です。ルートを見つけ次第そちらの方に向かいます。ですが、私を待つのではなく、動ける状態なら葵さんとの合流を目標としてっ」
その最中だった──
「っ!?」
背後から伸びてきた腕がミアを羽交い締めにする。
「この街の中で逃げられると思うな。我々は悪い様にしない」
人魚の身体には目に見える筋肉はなく、細腕にしか思えないのに拘束する力は強い。肉体的に苦痛を与えないぐらいの力加減を維持されているのが尚更厳しい。まだ本人の余力がそれだけあるという証拠、多少の抵抗では離す気はなさそうだ。
「は、離してください!!」
「暴れるな!大人しくしろ!!」
「離してと言っているんです!!」
だが、抵抗しない理由にはならない。腕を横振りにし、遠心力で鞄を横っ腹にぶつけにいく。
「おっと、その程度で私を怯ませられるとでも──」
その攻撃の勢いを弱める為に身体の向きを変えようとした時だった。ミアは顎に向けて首を伸ばし、狙いの通り命中させる。鈍い音が響き、人魚が痛みで腕の力を弱めた一瞬の隙をつか、拘束から逃れる。
そのまま真っ直ぐ走り出す。逃げ切れるか否か、だが仮に足で逃げ切れなくても、ここで走らないという選択だけはないだろう。
「待て!!待てというに!!くっ、お前達は回り込め!!」
「いやです、待ちません!」
しかし、機動力は相手の方が上回る以上その鬼ごっこも長くは続かない。ミアの行く手を阻む様に現れた人魚達によって終わりが見えたのだ。自分の背後と前方にそれぞれ視線を向ける。両側から迫ってくる人魚達を前に焦りが生まれる。今最も自由に動けるのは自分だけなのだから、ここで捕獲されてしまえば台無しになる。
そうして、意を決したようにライに託された鍵を片手で握りしめ──
「面白い事してんじゃねぇか、アタイも混ぜな」
ミアの上から聞こえてきた声に、この場にいる面々が驚きと共に視線を上げた時には、既にその声の主は石畳を割りながらシャミーの前に立ち塞がるようにその人物は立っていた。
狼を想起させるようなツンツンとした長い赤い髪に、ギラギラとした金色の瞳の長身の女性、そして彼女を象徴をするような鉄の塊のような大剣。
「ヴィルガさん!?」
「よっ、怪我はねぇか?」
「はい!お陰様で……?でも、どうして」
「話は後だ、親衛隊はアタイが相手する。この後すぐに目を瞑って真っ直ぐ蹴散らして走れ、隙はアタイが作る。良いな?」
「わ、分かりました。この場はお願いします」
「ヴィルガ!貴様、何のつもりだ!!」
2人の話を遮るように声を上げるシャミーに対してヴィルガは返事代わりに腰のポーチに手をかけ、そしてミアはヴィルガの身体で死角になるような位置を取り、走り出す。無論、正面にも追っ手はいるのだが、彼女の言葉を信じて鞄を両手に持ちながら駆ける。
「そぅらよっと!!」
投擲された球はミアの前に立ち塞がる人魚達の前で中から弾け、強烈な閃光が辺りを覆い尽くす。
「きゃあぁぁっ!?」
「な、何だ!?」
「今だ、走れ!!」
その一瞬、皆が怯むその隙に体勢を低くして駆け抜け、目の前に親衛隊がぶつかる様なら1人2人ぐらいならば超えられる。地面を蹴り、親衛隊の人魚の肩を踏み台にして飛び越す。
「しまっ……!!」
「ヴィルガさん!!ありがとうございます!!どうか、無理をなさらないで!!」
そう言い、走り去るミアに一瞬目を向けるが、閃光の晴れた頃でもあるこの時にはシャミーがヴィルガに肉薄し、持っていた槍を振りかぶっていた。
だが、それを予想していたのか側面から柄を軽く蹴って一撃を逸らす。槍が裂いたのはヴィルガのズボンのみで肌にすら至らない。
「なっ……!?」
「浅いねぇ、こうすんだよ!!」
大剣が石畳を削り、振り上げられた一撃は彼女の槍を簡単に跳ね上げる。武器で防いでなおシャミーの手に痺れが発生し、愛用の槍が手から離れそうになる程の一撃。
「ぐぅっ!?」
無論、そこで彼女の攻め手が終わるわけではなく、懐に滑り込みながら腹部に肘打ちを入れ、そのまま体重をかけようとする。
だが、シャミーもそれをされるがままにはならない、腹部の痛みに歯を食いしばりながら、身を捻って体当たりを不発にさせる。槍で刺すにしても距離が近すぎる、手元で回し柄の側をヴィルガの脇腹にぶつける様に振るう。が、それも武器ごと脇を締めて防がれる。
「貴様、何故邪魔をする!これまでの様にただ門番をやっていれば良かったじゃないか!この行動は、何のメリットがある!?」
「メリット、メリットねぇ……この街の酒は好きだったが、それ以上に陰湿な事をする奴がアタイは嫌いなんでね」
「なんだと……ッ!?」
「それに、やっぱ格好良い事もしてみたいって欲が湧きやがった。あんな子供が人を逃がす為に残ったんだ、触発されるってもんだろ?」
「やはり、貴様は馬鹿なんだな!!」
「馬鹿は良いぜ。悩まなくて良いから、な!!」
「っ!何を見ている!コイツを止めるぞ!!」
呆気に取られていた親衛隊達も、その号令と共に一斉にヴィルガに向かって突撃を始めるのだった──
*
「起きて、起きてったら」
奏でる様な透き通った声、そして頰を叩く冷たい手が無機物めいた印象を与える。
「……リンド?」
だが、それが無機物ではない事を彼は知っている。この世界で1番最初に聞いて、最も聞き慣れた声なのだから。
「私の所有者にあるまじき失態ね、今度はどんな面白い仕掛けに引っ掛かったのかしら?」
「えっと……落とし穴、かな?」
「古典的ね、もう少し芸術的には出来なかったのかしら」
そう言いながら溜め息を吐くリンドに、同意する様に苦笑を浮かべてから葵は辺りを見回す。
この場を漂う冷たい空気は地下牢や水道を思い出させる。というよりも、見える石畳の形状や色合いがそれらの場所で見た物と同一の物である以上、ここはこれまで訪れた場所を含めたこの街の地下である事は間違いないだろう。そして、足の折れたソファーから視線を更に動かすとそこには鉄格子、これまで招いた客人も皆ここに閉じ込めていたのだろうか。
「まぁ、ご覧の通り現在貴方は牢屋にいるわ。シグヌスだったかしら?彼を連れてきた時より更に深い所だから、色んな施設も混ざって結構広いわよ、この地下」
「色んな施設?」
「ええ、魔力をちょっと補充した後に貴方から抜け出して地下の探索をして回って色々見つけたの。と言っても、前回の洞窟ほどではないものの身体を保つには結構苦しい場所があったけれどね」
「無茶をさせちゃったね……」
「貴方に言われて無茶をしたんじゃなくて、自発的に、私が、そうしたの。そこを間違えないでもらいたいわね」
リンドはそう不満気に口を尖らせながら鼻を鳴らす。何のけなしに言った言葉ではあったものの、確かに今の言い方は少し傲慢だったかもしれないと葵は思い直し、謝罪をする。彼女の方もその一言を突き続ける必要はないと考えたのだろう、彼の謝罪を区切りにして本題の続きを口にする。
「貴方のそういう少し阿呆な所は今に始まった事じゃないから一旦置いておくとして。地上からこの地下にかけて魔力の流れがあるのは分かってるわね?」
「うん、巨大な魔石を見かけた事がある。でも俺が見かけたそれもあくまで中継する為の物だったみたいだったんだ」
「だとしたら、感じられた魔力量としても多分間違いないわね。私が見つけたのは本体だと思うわ」
「なっ!?そ、それはどうして分かったの!?」
「密度が他とは比較にならなかったのよ。中に刻まれた術式を覗いてみたけれど……全部は解析出来なかった。分かった範囲だけでも共有するわ」
見た目として言えば巨大な光の球が台座の上で輝いている物だったらしいが、その光の球自体が魔石の粒子で構成されていたらしい。その粒子をそれぞれ解析した結果、それは全て異なる魔石を粒子状にしてその場所に固定している物だった。その粒子毎に魔法陣の線を構成しているに等しく、その線と線を見える範囲を頭の中で繋ぎ合わせ、リンドの推察した結果は──
「おそらく特大の爆弾よ。この街含めた周辺ごと消しとばす様な、ね」
「ば、爆弾!?だけど、クライルはこの街を重要視していたんじゃ……そしたら人魚達だって」
「私達を道連れにするには丁度良いんじゃないかしら?」
「確かにそうかもしれないけれど。あぁ、いや……ごめん、止めてしまって。続きを話してくれる?」
「ええ。爆弾を完成させつつ、ここは水中の異形の生成地でもあったみたいなの。男達も定期的に連れて来られてる割には少ないでしょ?地下の警備についてる人は異形育成に放り込まれてるに等しいってわけね。まだこの街の周辺のみで済ませている様だけど、放流を一旦留めているに過ぎないのかもしれないわ」
「だとしたら、それが出て来たら……今近くで停泊してるノアが……っ」
「爆弾も含めてノアごとやるつもりの可能性はあるわね。勇者である貴方を置いてノアが離れるとは思えない、というよりも外にはこの状況を伝達出来ないもの」
クライル、異形達、この街の地下で育った爆弾。対処しなければならない事態が増えていくが、葵がいる限りこの街を離れないクライルと、この街で交戦した異形の強さの感覚から、最も急がねばならないのは爆弾だろう。だが、解体手段はどうするのかが問題だ、術の解体などやった事もなければ考えた事もない。どんなタイミングで発火するか、どんな条件か、術者の機嫌次第である確率の方が高いのが更に恐ろしく、今この瞬間にやられでもしたら、街の住民は誰1人助からないだろう。
「うん、どうあれ急がないと──」
「ちょっと待ちなさい!!」
立ち上がろうとした瞬間に腕を引っ張られてしまい、すぐにまた尻餅をついてしまう。事態は一刻を争うというのに、何故引き止めるのかと葵は目を丸くする。
「こっちの話をしたんだから、貴方の方の話も共有しなさい!何かあったのでしょう?それを話す時間すらないなら、既にこの街は藻屑となってるわよ」
焦りは残れど、彼女の言う事も確かにその通りだった。ライにもミアにも情報共有する間がないままここまで至ってしまった以上、少なくとも現在話せる状態の仲間であるリンドには報告をしておかねばならないだろう。
「分かった。とりあえず今日起きた処刑の話の辺りから順に話していくよ」
公開処刑でシグヌスが選ばれ、彼が処刑場で異形化した事。葵がその際に新たな能力に目覚めた事。そして、クライルの茶会に誘われ、彼が何故葵に対するこだわりを見せているのかの理由と、人魚達が滝沢紅音がそれを超える存在を作る為の素材厳選のためだけに存在しているという事実。
今日だけで目まぐるしく事態は動いたが、動くまで過ごした時間がそれだけで遠ざかって、それが夢だった様だと思えることに、少しの寂しさを抱く気持ちばかりはどうしようもなかった。
「…………成る程、成る程ね。なら尚更対処の時間があるわね」
「え?」
「クライルは貴方は何としても無傷で確保したい、だって彼の求めた女性にそれだけ似てるのなら、貴方の安全のみが重要。爆弾は爆破させずとも、抑止力にはなる。その存在が貴方が白旗を上げる理由になるという意味でね」
「嫌な基準だけど、相手が俺に対して手加減をせざるを得ないのも朗報ではあるよね……白旗を上げるつもりもないし」
「それに、私の所有者を勝手に盗もうとしたなんて、私からすれば宣戦布告を受けた様なものよ。舐められて黙っておく私ではないわ」
だが、彼女のやる気に反して、彼女の身体には異変が起きていた。以前の洞窟に入ろうとした時と違って瞬く間にでこそないものの、彼女の片腕が形を保てずに霧散していたのだ。しかし、当時は足が消えても平然としていた彼女の顔色が良くない事が、今回の1番の問題点だった。
「俺もクライルと戦うのは勿論やる気ではあるんだけれど、君の体調が心配だ。今すごく無理をしていないかな?」
「…………はぁ、貴方には話しておかないといけないわね。私は今すごく歪な存在なのよ、貴方に以前話した通り貴方達では本来認知出来ない存在、超常の存在だけど、受肉もしないままどんな超常の存在なのかが曖昧なままでここまで来たしっぺ返しよ」
「つまり、君という存在が弱っているの!?」
「そんな所。貴方のお陰で保ててはいるけれどね」
「どうしてもっと早くそれを言ってくれなかったんだ……このままじゃ君は──」
「治し方は、簡単よ」
「方法は!?今すぐにでもそれを実行しようよ!」
だが、いつもなら迷わずに言葉を口にするリンドが口ごもっていた。自信に満ちていた赤い瞳が不安げに数度彷徨ってから葵の方に視線を戻す。
「出来る?貴方に私がどんな存在なのかの定義を」
「それ、は……」
「綺麗な普通の女の子、前貴方が言ったわね。貴方は私を、望みとは別に、そう心から定義し切れる?」
言わば、彼女にそうあれと、彼女を心からそうした存在であると、信じられるのかという問いかけにも思えた。葵からすればあくまでリンドという少女である事は変わらない、だが同時に途方もない力を持つ存在である事も変わらない。その矛盾した2つの事実が脳内にある以上、彼がそうした人間である以上、彼女を定義は出来ない。リンドもまたそんな彼の性格を分かっている。あのような表情をしたのも、葵が気に病むことを理解しているからか。
「それに、貴方の言いたい私の像では、邪神との戦いで私は役に立てない。私は邪神に狙われるだけの特別な力がある……それを持ってるだけの少女になる事は、きっと困る。私は、強くありたい」
「だけど……」
「……さ、分かったでしょ。力を温存したいから、しばらく貴方の中で休ませてちょうだい」
「ちょ、ちょっと待ってよ、リンド──」
葵の返事を待たずにリンドは彼の中に姿を消してしまう。時間が残されていないのは、この街だけの問題ではなく、リンドもまたそうであったという事。まだそれを漠然としか捉えられていなかった自分に対して、怒りが湧く。それでもまだ、彼女の言う事に納得する事と、彼女を役割で縛る事に対する傲慢への苦手意識とで、自分の胸を押さえる。
(いいや、ダメだ。こんな風にしている時間が無駄だ。動かないと、動かないと。俺は、やらなければならない事が沢山、俺1人では出来ない程の沢山の事がある、落ち着け、落ち着け、落ち着け、俺)
だからか、そうしているのもきっと長い時間ではなかった、そうしている時間がないから。深く息を吐きながら立ち上がる。牢を抜ける事自体は簡単だ、水道に侵入した時と手順は変わらない。葵のこの能力に対抗する仕掛けを施す程に彼の力は恐らくまだまだ知られてはいない。鉄格子を鏡の転移で抜け、地下を駆け──
「ん……?声がするような」
牢屋はその数に反して今は人の気配が全くしない。入れられていた者は異形に使われたのか、それととも。末路を考えればどのみち良い結果ではないのだろう、救出の為にその音のする方に葵は駆けつけるのだった。




