第41話:.曙の介錯人
公開処刑の会場はクライルの屋敷の庭。つまり本来は選ばれた者しか来れないその場所が一般人にも解放される時でもあるのだ。それは同時にこの街の中で人が集中する、人口密度が最も上がる明確なタイミングが発生する。無論、その中には主催者の姿が存在している。
周囲には警備もあれば、人の目もある。ならば、どんな時が狙い目と言えるか。
(観測を担当するのは使い魔、全く魔術ってのは無条件に便利なもんだ)
使い魔の見ていたものはその主にも共有される。広場の中に配置された使い魔の中に紛れていても、リアルタイムで共有される以上はこちら側の物がどれかは特定自体は可能だろう。だが、ライがスコープ越しに見る限りでも、潜んでいる使い魔の数は10は最低でも居る。それらが全て共有されるならば、その全ての視界が思考に入るとも言える。
だとすれば、こちらの捕獲した使い魔がそれの視界にさえ入らなければ偽物である事を探知は出来ない。同時に使い魔から入る視界という情報量を処理しながら偽物探しをするなどという並列思考は普通ならば出来ない。この世界ならば出来るかもしれない、などと考えるだけいっそ無駄だとライは考えている。この世界でどこまで異常な能力の人間になれるかも言ってしまえば素養によるのだから、最も平均的な思考をしつつ、確保している相手の情報を基準にするしかない。
(あ゛ぁ?確保してる情報だぁ?結局のところ全然あいつの身体能力も特殊能力も判明してない状態じゃねぇか)
加えて、この街の住人が葵を勇者の勢力である事は薄らと知っているであろう事は話したが、それを理解して周囲の人間が民間人ではない事を葵が区別出来るかが不安だった。それを分けられていなければ、動きはどう足掻いても大きく制限されてしまう。人魚達が全員尖兵だと思ってるわけでもなければ、敵だと思っているわけでもないが、味方ではないとはライは考えている。だからこそ、狙うなら今しかないのだ。牽制ではなく一撃必中を狙わなければならない相手に。
(それでも、アイツは一般人として見ているんだろうな……)
スコープ越しに映る男が葵の方に視線を向けて笑みを浮かべている。その顔を見て、思わず閉じた口の中、歯の裏に向けて息を散らす。
(その方が、普通だよな……)
分かっていた事だが、あえて彼には言えなかった独り言は溜め息にすらなれずに完結するのだった。
*
「おい、アオイ!アタイ達警備隊の仕事であり、だがアンタはまだ新人だから一般人の避難誘導をする!アタイの言ってる事は分かってんだろうが!」
「いぃやぁ、彼女に任せたら良いじゃないかぁ。それよりぃ、ヴィルガ達で早くわたくしのぉ大事な人魚達を避難させてはくれないかなぁ?」
そう呼びかける割には、当人は葵の方を見上げながら動く気配はない。ヴィルガはその態度に対して、そして葵に任せるという状況に対して、言いたい事は山ほどあった。だが、葵はこの街の事件解決のために来た事を思えば彼にも考えがある事は間違いなく、一般人の避難を急がなければならないのもまた事実である以上、文句を言う時間も惜しかった。
「っ、皆!死刑囚が異形化した!警備隊の指示に従って、避難するんだ!!」
ヴィルガのその一声と共に、驚いていた警備隊の人魚達も誘導に移り、観衆も慌てて移動を始める。
「ヴィルガ、我儘言ってごめん!!皆さんをお願い!!」
「言われるまでもねぇよ!くたばんじゃねぇぞ新人!!」
肩越しに頷いた葵はそれを最後に目の前の異形に向き直る。肌の色は老木の様に変色し、口が縫い付けられ、背中からは翼の骨組みのように広がる腕、目の焦点は合わず、下腹部に移動した心臓が皮越しに浮き出た形状になり、そして関節からは酸性の液体を吐き出すようになっている。最早人間と言える物ではない。だが、それが確かに人であった事を葵は知っている。だからこそ、こうなってしまった彼に対して痛みも罪悪感も決して消えない。
断頭台を砕きながら、ヤケクソの様に振り回された両腕。異形の攻撃はまるで、耐え難い痛みにのたうち回るような動作だ。無論、だから捌くのも容易いと言うわけではなく、葵の前転を交えた回避は紙一重ではあった。直撃していたら葵の身体ぐらいならば簡単に吹き飛ばされていた事だろう。
「お嬢さん、気をつけないとだめだよぉ。後で茶会に付き合ってもらわないとなんだからぁ、身体に傷がつかれちゃあ困るんだよねぇ」
それでも、攻撃の範囲からは逃れつつも観戦から動きを変える様子は一切見られない。手伝って欲しいわけでも、助けて欲しいわけでもない、手出しをされたくないから好都合ではあるが、葵は思わず小さく舌打ちをする。
何故この男がここまで葵に対して一種の好奇心のようなものを抱くのかは分からないが、少なくとも葵を通してならば異形と化した彼に対しても必ず関心を抱く。
(人の命がかかっているのに……ッ)
紅音の名を発した、家族の名前を口にした男が、命を品定めしているのだ。そんな男に、彼の命を思い通りにさせるわけにはいかない。いずれ、必ず、男は葵の知っている人々にも同様のことをする。必ず自分以外にも降りかかるのだと思えば、尚更に許せなかった。
「ゔあ゛あ゛ぁあぇえがあ゛あ゛ぃぁあああ゛あ゛!!!」
「ぅ、くっ!?」
悲鳴にも似た声をあげながら吐き出された酸を転移でかわすが、ほんの少しかすった腿が服を含めて焼き、かすった筋状の跡は火傷のように鋭く、継続する痛みを残す。しかし、相手の背中に回るように宙から出てきた葵は、異常に増えた腕のうちの1本を斬り裂き、着地と同時にもう1本を斬り上げる。
「ぐ、ぎがゃ、あ゛ぁぎいぃぃイイイイイイいいいぃい!!!」
残った腕の全ての手を地面に突き、それをバネにした跳躍は瞬く間に葵の頭を飛び越し、彼を見下ろす状態に移行した。そこから2つの腕が平行した位置に振り下ろされ、葵の逃げ場を奪ってから酸が彼に向けて一斉に放たれる。どう回避するかが問われる。否、回避をすればその最中に相手に体勢を整える隙を与えてしまう。回避する範囲を絞ってくるように立ち回ってきた以上、そこも含めて攻撃をしてしきている。以前の砂漠の洞窟にいた蠍もそうだった、彼等の人間としての名残がその知性にある。
その判断の正否も、迷いも置き去りにして、葵は転移出来る範囲ギリギリに移動し、その異形の足首を掴み、互いに落下していくその勢いのままに振り下ろす。
「お、らああああぁぁぁぁ!!!!」
酸で出来た水溜まりに轟音を立てながら自らが落下する事となった異形は地面に叩きつけられた衝撃共々、次の行動には即座に移れない程の苦痛に襲われる。
「み゛い、ぃ、ガだぢぃい゛イィ い゛いいeぃいぃee!!」
こんなはずではなかったのだ、男もクライルの膝下にいれば、なんだかんだ全て上手くことが運ぶと鷹を括っていた。これまで処刑された男達よりも、自分は賢く立ち回っていて、役に立っている様に見えているだろうから、なんだかんだで最終的には助かるのだと思っていた。
だが、その為の布石に意味はなく、自分をトカゲの尻尾として切り落とすと決めた相手にそんなつもりもないまま義理を果たしてしまった。その自覚が、痛みが、憎しみが、悔しさが、異形の鳴き声に悲鳴を付け足していた。
(痛いんだ、すごく痛くて、苦しくて、きっと怖いんだ。分かってる、分かるから、俺だってこんなの嫌だ)
遅れて落下しながら、その最中に葵はその異形に憐憫を抱く。考えずにはいられない、ずっと考えたままなのだ。彼はここで死んだ後、クライルの見せ物になったのみならず、その魂すらも邪神の供物にされるのだと。
──しかも、俺みたいな奴に殺されるなんて、そんな不平等が許されて良いわけがない
彼の思考が予想外の方向に振り切ったのはそれだった。彼はその自己肯定感の低さから、自分という人間の立ち位置はいつだって底辺に決めていた。他者に対しては立ち位置、階級を定めることは当然なく、そんな事をすれば失礼だという意識があった。だが、自分だけは例外的に最底辺に位置する事が確定していた。つまるところ、自分以外の人間は全て何らかの価値を持つ人間であるのだとしている。
──命を安くさせない、アイツの思い通りにさせない、させたくない
そんな彼の中にある死に対する価値観。人はいずれ死ぬ、だが死ぬにしたって出来る限り理不尽ではない方が良いに決まっているし、誰かに殺し殺されで終わるのは悲しいことに決まっている。そして、死後にその存在が軽んじられて良いはずがない、そう考えている。だから、彼は苦しんだ。当たり前のように人を殺したくないという思いで。だから、彼は苦しんだ。こんな自分に殺された上に餌にされてしまうなんて許されてはならないと。
そんな彼等が、人々が、自分以外が、邪神の餌となってしまわないように、この世界に苦しみや負の感情のみで魂の欠片しか残せずに何ひとつ残せずに、利用されるために、漂い、彷徨い続けてしまうぐらいならば──
「なら、俺の武器もたまには、俺のエゴを叶えてくれよ!!」
こんな自分の魂に賭けるだけで出来る程安くないと分かっている、大それていると思いもする。だが、出来るのならば叶えたいと望んだ。簡単に人の命を奪える力に目覚められるのならば、救いたいと願う力にだって答えてくれても良いじゃないか、と。
その命が、魂が、記憶が、また巡って故郷の星に還れる様に、この世界の檻という強固な壁が阻むのならば、邪神を倒す日までその魂を背負う。死んだ人々の無念が報われる様に。そんな力が欲しいと、乞い願った。
「黎き鏡刀デザイア!お前が、鏡だと言うならその名の通りに光を受け入れ、ありのままの光を映し、俺の欲望を叶えてくれ!!」
これは魔術ではない、魔術よりも無茶を叶えられる。それが彼等の持つ“武器”。否、心器という物。だが、それを解き放つ為には、心器に大きな能力の目覚めを与える為には、この世界に向けて宣言をしなければならない、この世界に向けて曝け出さなければならない──
「生まれ落ち、俺達は生の旅路の果てに黄泉路という終焉の瞬間を知る。目前を見よ、そこに座すは邪なる存在。大いなる力、大いなる存在、我々は何と矮小な存在だろうか。
然して、蒼き星より来たれり使者達は餌という名に非ず。俺達の名、それを“人”という。抗え、名を忘却するな、決して理不尽を許さない。
逢魔時を恐るる者達よ、俺が黎明となろう。蒼の光に還る日まで、恐れも、怒りも、怨みも、穢れも、総てを俺が抱き止める。
そして宣言しよう。太古より出し、宙の果てより至った者であろうとも、俺は災禍に対し必滅であると。
故に、憂いなく眠れ──
“夜明けを記す、光の刃”!!!!」
葵のその叫びに応える様に黒曜石の刀身が光を反射して黎明の色を見せる。光が軌跡を描き、異形の身体の上にぶつかる寸前にその刀を身体ごと振り回し、心臓ごと斬り裂くように様に振り下ろされる。
「ぎ、ぎぎゃがあぁぁあ!!!アァアァァAAAAAあ、ァ──」
辺りを土地ごと震わせるほどの断末魔が響いた。だが、その断末魔は苦痛から嘆きに、嘆きから疑問に、そして疑問から驚嘆に。
異形になり果てた男だったものは崩れていくが、それはこれまでの異形と違い、塵になるのではなく光の粒になっていく。痛みが遠のいて、入れ替わる様に自我が取り戻されていく。
(俺、俺に、何が起きた……?俺がすげぇ膨れ上がって、死にそうになった事しか分からねぇ)
男は戸惑う様に目前の少年の方に視線を向けると、自分の背丈よりも遥かに大きい生物を倒した後とは思えないほどに、普通の表情を持つ寂しげな顔をした少年だった。
(そうだ、このガキ。牢屋にいた時もそうだった。今みたいに俺を憐れんでやがった)
男は元の世界に居た時、喧嘩っ早さから様々な事がうまく回らなかった。仕事でも気に食わなければすぐに怒鳴りつけてしまい、街中でも肩をぶつかられただけで胸倉を掴み、そうした在り方で得をした事はなかった。それに特別な理由はなく、そういう男というだけだった。だからこそ、尚更に男の状況は良くならなかった。その気性のせいで問題が起きているという事実を分かっている事と、それを変えれるかはまた別なのだから。
見放すほどではないが、呆れと諦めで最早叱ることすらしなくなった両親。取っ替え引っ替えして変わり続ける恋人。彼の周りには誰も居なかった、異形になった時のシグヌスの吐いた酸の様に、寄れば大きな傷を招き、近付けなくなる。異世界ならば、そんな気性だって使い道があるのだと期待していたが、結局は地球にいた時よりも酷くなった。
「心であれ、身体であれ、平気で人を傷つける人の気持ちが俺には分からないし、分かりたいと思ったことはない。君には色んな躊躇のラインが俺とは違うから、正直怖いと思ったし、エリアの事もあるから、尚更理解は難しいとも思う」
光の粒に変わっていくシグヌスにかけられる言葉は、それだけを見れば追撃のようだった。だが、その言葉には続きがある。
「でも、俺は君の名前を知っている。君の口から教えてもらった。そうなった以上は、知った以上は、俺はもう君の末路に対して仕方ないだなんて、絶対割り切れない」
まるで自分のこれまでを知っている様な口ぶりで話してくるじゃないかと文句のひとつでも言いたかったが、シグヌスはそれをやめた。
名前すら本来教える気はなかった彼がうっかり、ただ何となく素直に教えてしまったのが運の尽きなのだ。
「だから、名前を教えてくれてありがとう、シグヌス」
その言葉が届いたかどうかは葵には分からない。異形の殻が破れた先のシグヌスの目元が微かに細まった事だけが、そう思える可能性の欠片だった。だが返事はもう返ってはこない。その口が残っていたとしてもきっと同じだったのだろう。仲間でも、友人でも、何でもない、ただ名前を知っているだけの相手なのだから。それでも、それだけであったのだとしても構わないと葵は思った。自分の奪ったものが、人の命であったと理解出来るから、そこにいたのは確かに同じ星で生きた人であると生き残った側である自分自身に刻めるから。
光の粒子は答えない。それは空気中に霧散していくのではなく葵の中へと消えていく。
「……これまでの異形になった人達も、せめてこんな風に出来たら良かったのに」
だが、たらればの話に意味はないのは葵自身分かっていた。彼の中にある望みが呼び起こされ、沸騰させられたのは、この様な状況あってのものだったからに他ならない。葵にとって嫌な記憶であり忘れてはならない記憶が呼び起こされた、そういう点でクライルはむしろ墓穴を掘った事になるだろう。邪神の栄養を葵自身の手で殺す事で横取り出来る能力に目覚めさせてしまったのだから。
そういう点においても、葵がどう思ったとしても確かに意味はあった。彼は自分を切り捨てた相手に対して一矢報いることが出来たのは不幸中の幸いかもしれない。そんな簡単な話ではなくとも、そう考える必要はあるだろう。
「……あ、そうだ!クライル!!」
お前の目論見を壊してやったぞ、邪神の計画の邪魔も、見せ物にするのも、全て妨害してやったぞ、とすぐにでも突き付けてやろうと振り返り──
「っ!?」
だが、葵はそれ以上に自分の目を疑う事となった。当のクライルが地に伏せていたのだ、しかもその頭から血を流しながら。
「な、一体何が起きたんだ……ッ!?」
*
その男はその瞬間を待って潜んでいた。時計台は撃った後の移動のし辛さ、そして成功した後プランの目的地までのアクセスの悪さ、位置の割りやすさから選択肢になかった。そも、街の中は現在ほとんど人はおらず、人目につかないという点においては完璧だったが、監視の目である使い魔の目に止まった時にバレやすいという難点を抱えていた。配置に着く前に警戒されては論外である。それも、彼自身につけられてる使い魔が他にもいたらどこでもそうと言えるが、ミアにそこは確認をしてもらっていた。
ならば──
「っし」
ライはここへ観にくる人魚達にローブを羽織った状態で紛れ、群衆が慌てて出て行く時に屋敷の中の方に滑り込み、その時を待っていたのだ。
異形が発生する事までは計算外だったが、むしろそれは彼にとって好都合でもあった。異形が窓に接触するギリギリの射程範囲を割り出し、その位置からクライルの頭を狙い、断頭台が叩き割られるタイミング、つまり最も音が響くタイミングを狙って発砲をした。彼自体は葵の方に意識が向いていた事もあって、その瞬間に避けるなどという芸当は無論出来るはずもない。
「ほぼこれで間違いなくやれたはずだろ」
そして、その後彼は狙撃後の移動をすぐに始めていた。ライフルを担ぎながら向かう先は屋敷の外、ではなくより奥の方だった。溜めた魔力の先、街の住人には決して明かせない秘密があるとすれば、屋敷を起点としているだろう。
牢屋から屋敷の地下に繋がる形になっているという事は以前シグヌスの尋問に同行した時に確認してある。ならば、直に牢屋に行くためだけに用意された通路とも考え難い以上、屋敷の地下に何かがあるとライは踏んだ。合流したミアの操る使い魔と共に地下の入り口を探る。
「くっそ、足音で判別出来ないかと思ったが。そうもいかねぇか……」
素直に地下への入り口があるとも思えず、実際それなら既に見つかっていそうなところだが、そうもいかない。自分と使い魔以外に対する警戒の為に耳を澄ませつつ、足を進めていく。
最中、自分や仲間以外の出す音が聞こえてくる。確信したのは、それが声であり、旋律だったからだ。背後から近付いて来ている。
(敵だ、間違いない。普通ならこの状況でわざわざ歌いながら屋敷を徘徊する理由がない、むしろそれが普通な地球人なんて居てたまるか!!)
銃声は音が出過ぎる、懐に入れていたナイフを振り向きざまに投げ──
「な、んだっ!?」
思う様に身体が動かない。というよりも、頭が回らない、脳に靄がかかって正確に筋肉に向かって信号が渡らない。ナイフは手から滑り落ちていく。正常に辛うじて動かせるのは視界のみだ。
「……テメェかよ、クソッタレが」
それを最後にライの意識は奪われたのだった。




