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永劫の勇者  作者: 竹羽あづま
第3部泡沫アクアリウム
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第38話:獣の境界

 男は理由を語る事はなかった。語る程に、言葉を装飾するほどに、自分の力では陳腐にしか出来ないからと。だが、確かに男は求めていた、水槽の輝きを1人見つめていたあの時の美しい女性を。きっと、この世を探せば彼女よりも美しい人は沢山いるのかもしれなかったが、出会ったあの日、どうしてもその人から目を離す事が出来なかった。

 男は水族館が好きだった。手は届かず、触れられず、そんな煩わしさすらも、その先にある魚や水槽を彩る珊瑚達の非現実的な美しさを際立たせる物になっていた。手は届かないほどに綺麗なのに、水槽の中に入っている生物。それを不自由であると男は思う事はなかった。綺麗な物が詰められたその場所は、自分にとって自由に美しい物に近付ける場所だったから。


「綺麗よね、この魚。グッピーって言うんだって」


 もう少し、もう少し近くにとその輝きを見ようとした時。自分の為に向けられた言葉は彼の夢を誇大化させたのだった──



「それが、耳にタコが出来そうなほど主人が話してた事だよ」

「じゃあ、つまり水族館を人間でやろうとしてるって事……?」

「主人好みの美女で、水族館をやるってのが正しいな。その中でも更に厳選したやつだ」

「そんな、そんな……ッどうか、してる!」


 彼女達自身はどこまでを知っているのか、同意の上なのか否か、それで訳が変わるのかもしれない。彼女達の意思を否定する事になれば正しいとは限らない。だが、葵にとってそれは理屈ではない、納得出来るわけもなければ、許されないと感じるのもまた当たり前なのである。

 これでは彼女達は奴隷だ。見世物になる為の奴隷なのだ。地球で生きた現代人として、これを受け入れられるはずもない。だが、男は首を小さく横に振って溜め息を吐く。


「俺達は雇われ同然なんでな。報酬としてふるいにかけられて落ちた側の人魚をおこぼれとして貰う権利をもらってる。そんだけだ」

「おこぼれ……だとっ」


 男の首筋に当たる冷たい感覚が首に微かながらに食い込む。皮を裂き、後から薄く浮き上がる血液に、男は思わず顔を強張らせる。


「彼女達は生きている!しかも俺達と同じ人間で、しかも同じ星に生まれ、同じ時代に生きる、同じ価値観を持つ人間相手なんだぞ!それがどれ程非常識な事なのかぐらい分かるはずだろ!?」

「お、怒る事はないだろ!仕事に報酬を貰う事の何が悪い!?悪いようにしちゃいねぇよ!」

「そう考える事こそが冒涜なんだ!!人の権利を、命を、生き方を、それを差し出す側も、その取引に応じる側も、どちらも……どちらも彼女達を物としか考えてない奴の、自分が愛でる為の玩具だと思ってるのと同じだ!!」

「お前が損する事じゃないのに何だよ!?お前、なんかおかしいだろ!?」


 全く異なる世界、全く異なる環境、魔術もあれば剣もある。この世界に来た直後の人を除けば誰もTシャツも着ていなければ、スニーカーも履いていない。道路もなければ、車も走っていない。車の代わりにいつもノイズが空に走っていて、結晶が地面から生えている事もある。邪神のせいで、人の命は弄ばれ、邪神の恩恵を得た者もまたそれによって得られた大きな力で弄ぶ。そんな世界で、それもこれも含めて受け入れて争わなければならない世界。

 だが──


──場所が変わったら、環境が変わったら、価値観まで変わって当たり前なの?変わってない方が、おかしいのか?


 彼にだって非日常への羨望は確かにある。勇者になる事への羨望と同じように。だが、それはこんな形で叶ってほしいとは思ってなどいない。見えない人達全てを同じように慈しむ事は出来ずとも、それでも自分の家族が、友人が、同じような目にいつか遭うのならば、その名前も知らない人々の中に自分の周囲の人もいずれ入るのならば、そんな事が許されてはならないのだと。

 そして、そう考えられない人間に対しての強い不快感を持っていた。何故、そんな当たり前の事を考えられないのか、何故、自分やその周囲を例外と考えられるのか。それが葵の中の怒りに火をつけてしまった。


「おかしいのは、お前達の方だ!地球じゃないからって、異世界だからって!そんな勝手、許されるものかよ!!」


 刀を離し、代わりに回し蹴りを入れる事で男の身体は軽々と吹き飛ぶ。男はその痛みを実感する前に巨大な魔石にその全身を強打し、ずり落ちた後にはうずくまって地面に胃液を吐く。

 だが、男が顔を上げた時には葵が既に見下ろしていた、その顔に怒りを宿して。


「さぁ、続きを話してもらうよ。お前達の主人の壮大な計画の全貌について」

「ぜ、全部は、分からねぇんだよ……た、ただ俺達は、厳選された人魚達がより美しくなる為の計画を阻害されないように守る事と、主人の計画について怪しむ奴を拉致って来いって、それだけで……」

「美しくなる為の計画?それが、この部屋なのか!?彼女達を解放は出来ないのか!?」

「う、美しい人間達の魔力が彼女達に注がれて、理想になるって。この魔石はその計画を進めつつ、本体への中間を務めてるって……か、解放なんて無駄な事考えちゃいけねぇ……変に出そうとすりゃ死なせちまうぜ」

「っ!そうと、分かってて!?お前達はこの計画を推進する事に賛成してこの街に来たと言うのか!?」

「さ、最初は違ったよ!!こんなとんでもねぇ話だったなんて!綺麗な街と美人がいるからって、それしか知らされていなかったんだからよ!本体の魔石ってのも何に使うかまでは知らねぇんだよ!」


 様々な引っ掛かりはあれど、薄らと涙を浮かべている男がまだ律儀にも隠し事をしているとは考え難かった。勇者が解放しに来た、その言葉でここまで案内をした以上、報酬という蜜に埋もれていたい思いは強くとも、常に首に縄がかけられたまま甘い夢に溺れている事の危うさも分かってはいるのだろう。ならば、尚更にこれ以上は聞けないのはそうだろう。

 加えて、この部屋に入った当初の余裕からは想像がつかない程に、今も苦しそうに息をしながら首から血を細く流している男を見ていると、どんどん罪悪感が隠せなくなってくる。こうして考えごとをしている最中に、噛んでいる自分の爪から、血が滲んでいる事に気付いたから。価値観が変わっていない、変わってはならないからこそ、この様な日常とは程遠い暴力的な行いもまた、同じく本来唾棄されるべきなのだと尚更に強く実感させられる。血の滲むその手を強く握り込み、声を絞り出す。


「──分かった。もう、いい」


 この部屋の光の加減は葵の味方をしてくれたと言って良いだろう。葵の表情は影になって見えない、相手にはそれが恐怖の誇大化に繋がり、葵の苦しむ様な顔は相手の目には見えない。

 相手からすればそれは死刑宣告にも思たかもしれない。だが、そうではない。


「お前の仲間を起こしてさっさと立ち去れ」

「……殺さ、ないのか?」

「立て!そして仲間を起こして、立ち去れと言っているんだ!」

「ひ!!」


 切先を向けられながらも、その声を合図にした様に立ち上がった男はゼンマイを巻き終えた玩具の様に走り出す。その背にも変わらず切先を向けているが、それに攻撃的な目的はなかった。その体を守りたいだけだ。あの男達が自分について口を割る危険性はあるのだから、念押しは必要だったのかもしれない。だが、そんな事は出来なかった。何故だか葵の方が疲弊していたから。

 眠る様に容れ物の中にいる人魚達を今すぐにでも出してあげたかった。だが、今は刀を納めて地上に戻ることを優先した。おかしな動きを察知されては困るのは事実だったから。



「よっ、ミア」


 ミアが店の外を掃除している最中に、忍者の様に上から顔を出したのはライだった。当然、ある程度は驚かせるであろう算段を立てての登場だ。


「ライさん、こんにちは。丁度良いところに来てくださりましたね」

「そ、そー?」


 想像していた何倍も驚いていない相手のリアクションに、自分が側から見た時にものすごく滑ったのではないかと客観視出来てしまい、声がか細くなってしまう。

 そんな彼の様子を慈悲なのか、あるいは追撃なのか、置いといてミアが先に用件を口にし始める。


「昨晩、葵さんと会ってらっしゃいましたよね?」

「よく知ってんな、尾けてたか?人の気配はしてなかったが」

「び、尾行なんてとんでもないです!それに、ライさんにバレない様に行動出来る程に私は忍者じゃないんです」

「じゃあ、仲間って事で手品の種明かしをここは1つ」


 それに対する返事の代わりにミアが取り出したのは、簡単に言えば翼のついた目玉だけの生物だった。蝙蝠の様な羽に濁った暗い色の瞳、これが何で、何から発生した生物なのかは、あくまで推察の域を出る事はなかったものの、ライは眉を寄せた。彼女の切り出した話題は、誰と会ったかという事そのものではなく、それが分かった事そのものに対する忠告なのだと分かったのだから。


「使い魔か……我ながら情けねぇな。これに気付けなかったとは」


 ライは魔術全般に対する適性が圧倒的に低い。魔力というものを信じられない、幻想を信じられない者に魔力という幻の隣人を感じられるはずもなく、使い魔に尾行されていた事を感じられなかったのは当たり前の事だった。


「葵さんを見ている様だったので、店の前で別れる間際にちょっと捕獲して、ちょっとだけ中身を弄って葵さんに同行させていたんです」

「…………やっぱアオイを尾けてんじゃねぇか!!」

「人をストーカーみたいに呼ばないでください!それに、それに、この街の黒幕にあっさり尾行されてる人に言われたくないです!!」

「はい!すみません!!返す言葉もございません!!」


 曰く、使い魔そのものの性質としては複雑なものではなかったらしい。どこに、いつ、誰がいるのかをリアルタイムでこの瞳が見ているものを感じさせるだけで、会話内容を聞き取るには至らないものらしい。音もない状態でサーモグラフィーでリアルタイムに情報を収集しているという方が近いだろう。そして、どうミアが手懐けたのかだが、それを誰の目に届けるのか、それを変えるだけの作業だ。主人としての証であり、生物として成立させるための物である、体内の魔力の流れを乱して混乱を与えた後にその生物の初めて出会う生き物という概念を更新すれば良い、それだけだっなた。雛が初めて顔を合わせる時にまで状況をリセットするに等しいだろう、この使い魔がシンプルな構造をしているから可能だった事なのは、無論大前提だが。

 閑話休題。2人は使い魔の持ち主に会ったことがあるわけではないが、それでも状況から察する事は出来る。ライが隠れて行動していることにもある程度の当たりをつけていたと言ったところだろうか。


「この街の主人といわれる人物。推定、魔王の使徒。これの本来の持ち主はそれで間違いないでしょう」

「これで俺も不意打ちの存在じゃなくなっちまったわけだ。いや、元よりここは相手の手入れした庭ン中だ、それを俺にわざわざ教えるために送り込んだってとこだろうな」

「それでも表立って仕掛けては来ないでしょう。これまでそうして来なかったのは、周到な準備があったから」

「折角用意した楽しい遊園地を台無しにしちまうわけがないわな。こんな大袈裟な場所を作ったぐらいだ、それぐらいはするだろう」

「それが、邪神に属する者ですからね」


 その言葉を聞きながら、互いに浮かべる顔は複雑なものだった、断定した事実と噛み合わない自分達の矛盾を覚えてしまうからだ。分かってはいるのだ、この世界における魔術のメカニズム然り、それらを利用する事は、彼等がこうした場所を作ることと同じなのだと。邪神の用意したシステムの中のものである事を思えば、それを利用することだけは、少なくとも邪神に属するが故ではないと。欲求も、願望も、人々に元からあるものである。だが、ミア達はそれによって踏み躙られる命を救いたいと考える以上は止めなければならなければ、彼女達も肯定したい気持ちは湧かない。ただそれだけなのだ。それは、包丁は人を殺める為のものではないという道具の当たり前と言える使い方を説くかの様に。

 自分自身に理解させる様に息を吐いてそこでミアからの話題も、気持ちも一旦区切りをつける。


「で、すみません。ライさんのご用事をまだお聞きしてませんでしたね」

「ああ、そろそろ何か起きそうだったんでな。エレンからの伝言だよ。念の為、ちゃんと自衛手段は持っておきなって事でな。切羽詰まらないと受け取らない気がしたから、今にさせてもらった」


 差し出された物を見たミアは、一瞬受け取る事を躊躇う様に手を引っ込めるが、しばらくしてそれを手に取る。ラピスラズリが嵌められた銀色の鍵が灯りに照らされて妖しく輝きを放ち、それを直視する事を避ける様に目を逸らしてしまう。


「ありがとう……ございます」

「おう、確かに渡したぜ」


 鍵を恐れるように、しかし同時に守る様に握りしめる。そんな彼女の様子を見ながら、ふと昨晩の葵の様子をライは思い出していた。鍵を握りしめながら苦しそうな顔を浮かべるミアと、ライの言葉で唇を震わせながらも無理やり笑ってた葵。そんな葵に突きつけた言葉を、今またもう一度彼女にぶつけられるのかと問われれば、出来ないだろう。

 包丁を差し出し、あるいは包丁を指差して言ったのだ。それは人を刺すことが出来る、その力があるのに何故そう使わない?と。そう言った自分が、言えた自分は、同じ穴の狢なのだろうという確信めいたものすらあるのだ。無論、それを顔にも、声にも出さない。今更、彼にとってその必要がないと思えるからだ。


「──怪物と闘う者は、自らも怪物にならぬよう、気をつけるべきだろう」


 顔を上げたミアが不思議そうに目を丸めながらライを見つめる。それに対するライの笑顔は彼女の目にはどこか自嘲的にも思えた。過去の偉人の言葉を直接的に拝借して今の心境を言語化した事に、彼は自分の貧しさをふと感じて肩をすくめてしまったのだ。


「ま、戦いは避けられないんだ。俺達は生きて帰ればそれで良いんさ」


 ミアの肩を叩いたのは照れ隠しの様だったが、それ以上にその言葉そのものに些細な恥を隠す様な意味合いが含まれていた。無論、それを仲間に少しも、決して悟らせたくはない事だが。



 水道に入る時はともかく、出る時が少しばかり大変だった。能力を使って出る以外の手はなかったが、入る瞬間は外にいる人間から見て死角に入るからともかく、出る瞬間の方は目についた時に見間違いで済まされない。人目をこれでもかと気にした後に、人通りがない時を狙って水道を飛び出す。水中にあるはずの街なのに、外に出た時の眩しさが葵の目に刺さる。


(ちょっと地下水道に入って、ちょっとだけ用事を済ませたはずなのに、何だか目を覚ましたみたいな気分だ。気のせいなのにな)


 今は握っていないはずの刀を握っていた右手の小刻みな震えは止まらず、蹴り飛ばした足も、やけに痺れを感じる。最初から今に至るまで目を覚ますも何も、この世界は夢を元にした世界であっても、白紙に戻せる世界ではない。眠りながらリアルを賭けている。その証がこのまとわりつく生々しい不快感だ。

 葵はすぐにでも警備隊のアオイに戻りたい気分だった。一時的でも良いから、逃避したい気分だ。実りはあった、この街の女性は囚われているに等しい事──


「タキザワさん」


 その考えを断ち切るのか、あるいは読み取る様に、少女の声は葵に真っ直ぐ届いた。ただ名前を呼ばれただけなのに、彼に強烈な緊張感を植え付けながら。


「……エリア?」


 会った当初と変わらず美しい。しかし、海の様な色のガラス玉の首飾りを下げた、透き通る水色の長髪の神秘的な人魚の少女が、祈る様に手を組みながら葵の背後にいた。

 いつもと変わらない様に見えるのに、彼女に対して今最初に感じた思いが、何故ここに?という思いだったのだ。彼女の方が葵よりも比べものにならないほどに街に詳しいからおかしくないと言えばそうかもしれない。だが──


「探していたんですよ、どこに行ってたんですか?」


 責める時の人間特有のピリついた空気感を放っているのだ。無条件に冷や汗をかかされる、葵の苦手なあの感覚が。


「……どうしたんだい、エリア。何かあった?」


 彼女と最後に会ったのは昨晩の店だ。酔っ払ったヴィルガを連れて帰った所で葵の彼女との記憶は止まっている以上、様子がおかしいならこう返事をするのがごく自然だろう。白々しくても良い、相手の怒りの理由が分からないなら相手自身に言語化してもらう方が角が立たない。こうした事態では、元の世界にいた時と変わらない事をすれば大丈夫、そう葵は信じたがっていた。

 だが、エリアは葵のその言葉に対して喉の震えを止める様に視線を下げてしまう。やはり、彼女の求めていた言葉ではなかったらしい、分かっていたが、彼女が何を求めているのか分からない以上はどうしようもないのだ。暫しの気まずい間の後、小さくエリアは口を開く。


「タキザワさん、わたくしは……わたくしは、この街が、好きなんです」


 彼女から聞いた事のある言葉。知っているはずのそのフレーズが、縋るように告げられた。

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