第37話: 朽ちない宝石の製造過程
「お願い!翼は!翼だけは助けて!!私は死んでも良いから、この子だけは!!」
「お姉ちゃんをいじめるな!!」
「ダメ!翼、私の後ろに隠れてなさい!!」
鉄錆の香だけが鼻の中に充満し、手から武器が逃げ出しそうな程に血と脂で濡れている。そのやり取りを見下ろす色素の薄い青の瞳の無感動さは、最早作り物めいて見える事だろう。
「どちらかだけ、なんて選ぶ権利はお前達にはない」
片足を踏み込んだ瞬間には一切の躊躇もなく刀が横薙ぎに振られその首は刎ねられる。こんな光景見たくないと、やめてくれと叫んでも、それは停止出来ない動画の様に無情に、そしてそこだけはやけに遅く見える。目を逸らすなと首を無理やり向けられる様に。
そして、誰ともつかない慟哭と悲鳴と共にその景色は遠ざかって──
【逃げる事は許されない、そして何よりも俺が許さない】
*
「っ!?」
寝汗でベタつく不快感で目を覚まし、布団を跳ね飛ばしながら起きた葵は、今見ていた夢の妙な生々しさから自分の顔に触れる。この心身共に感じる強烈な不快さがあってなお、夢と現実の境がまだ曖昧だ。まるで、今の自分自身を責める様な夢に思えた。
『お前に背中を任せられるとは全く思えねぇ。正直足手纏いだ、今回の件でも刃を下ろせば勝てるってとこで手が動かないとか言われたらかなわねぇ』
『悪い奴相手にも平気で立ち向かって、恐れないどころか、すごく堂々としていたんだ!周りの奴等はすげぇビビって庇いにすらいけない中でだぜ!?』
『クソガキのナマクラが次には研がれてる事を願うぜ、鍛え直しな』
昨晩のライの言葉が、ゼーベルアの言葉が、義樹の言葉が、そして──
『逃げる事は許されない、そして何よりも俺が許さない』
言葉を紙の様に握り潰せたらと、額を押さえる手に力を入れるが、当然それは何の意味も成さない。穏やかな時間を過ごした余韻に浸る間もないまま、何の為にここにいるのかを突き出される。
分かってはいた、ずっと同じ悩みを繰り返しているのだから。
──間違い続けてる、俺は多分ずっと間違い続けている。性懲りも無く
──じゃあ、もっと早く使徒を殺せば良かった?人を、殺していたら良かったのか?そんな事あって良いのか?
──良いわけがない、大義名分が何だ。一度殺したらもう後戻りは出来ない。人は死んでしまったら終わりなんだ、それも間違いだと割り切らないといけないのか?
──俺は、どうしたかった……?
そこに行き着いた時に大きく目を見開き、短い間隔で呼吸をしながら首を横に振る。
「どうしたかった、じゃないんだ。今大事なのは、どうするかじゃないか、落ち着け、落ち着くんだ、俺……」
【そうよ、落ち着きなさいな】
「リンド──」
昨日の彼女は眠りについてから、葵の中からも声をかけてくる事はなかった。今ようやく聞いた彼女の声はとても久しいとすら感じたが、その声はまだ少し眠気が混じったボンヤリとした印象だ。
【アオイ、励まして欲しい?】
「まさか……」
【なら、慰めてほしい?】
「とんでもない」
【そう、良かった。そんな風に言われたら貴方のおでこを突かないといけないところだったもの】
「それって、俺のおでこは無事で済むのかな」
【んもぅ、失礼ね!私をあのゴリラ女とかと一緒にしないでちょうだい!】
「そ、そんなつもりは!ごめんごめん!」
今は内にいて見えないはずのリンドの表情が見えた気がした、少し拗ねた様に、軽く睨みつける様な不満げな顔。それを想像する事で葵の脳内を渦巻く後ろ向きな思考が和らぐ。
暫し、2人の間に沈黙が生まれたが、言葉よりも先に粒子が集まり、彼女を模ったと思えばリンドが姿を現す。葵が瞬きをしている間に彼の荷物からミアから渡された小さいバスケットを取り出す。
「あ……ミアのお弁当、んぐっ!?」
そう葵が呟くよりも先に、口の中にはバゲットサンドが放り込まれていた、と言うよりもぶち込まれたという方が正しい勢いだろう。目を丸くしながらも咀嚼していると、生ハムのしっとりとした食感と絶妙な塩の味わいがチーズのまろやかさと混ざり、レタスの瑞々しさがそこにひと休みさせる様に挟まって、それらを包むパンの香ばしさが葵の口の中を満たした。
そう、それが。それらの味のひとつひとつを実感している事こそが、何よりも生きている実感だ。
「美味しい……」
食べる事で感じた温もりや安心感を正確に表現出来る言葉を持っていなかった。だが、こうした時に咄嗟に出る言葉というものは、思いが強くなるほどに単純になるものかもしれない。
葵のその感想を聞いたリンドも、バゲットサンドを手に取り、食べ始める。数度咀嚼し、飲み込んだ後に息を深く吐き出す。
「美味しいわよね、すごく」
「うん、滅茶苦茶美味しい」
互いにそう言い合った後、クラッカーまで含めて食べ終えるまで何か言葉を交わす事はなく、ただ味わって食事をしていた。
リンドはほとんど食事の時に加わる事はないからこそ、時々彼女の為にと出された食べ物。葵のプリンやミアのお弁当は、彼女の口にした地球への想いを強めるものだった。この味がある場所、そしてそうした物を作る知識のある場所、ゼロからの創造がそこにある。
「……食べ終わったら、また少し眠るつもり」
「うん、連日無理をさせて来たからね」
「でもね、もしも眠ってる間に何かあったとしても忘れないで。私との約束」
それは、彼に対して不安を抱いたが故の念押しというよりも、お守りを渡すような優しい声色。彼女は何にも願えない、願わない、彼女の知る神はこの異世界を生み出した邪神のみ。ルーツが例え邪神と同じであったとしても、彼女はそれを願う事はなく、同じだからこそとも言えるだろう。自分自身に願わない様に、人間が人間に七夕の願いは託さないように。そんな彼女にとって、葵という少年との約束は孤高の生物であるリンドにとっての大切な希望への導になるのだろう。そして、その導は葵が道に迷いそうになる時の手綱としても意味を成す。
葵もそれを分かっているからか、その約束をした時と同じように笑顔で頷く。
「ちゃんと分かってるよ、大丈夫だよ」
しかし、その返事を聞いてなお彼女の表情には影が差しているようだった。それほどに葵の大丈夫に対する信用がないのだろう、そう思わせる根拠は彼自身ある程度思い当たるが故に笑顔を構成している眉毛が徐々に八の字に傾いてしまう。約束を忘れることも、反故にするつもりもないのは事実なのだが。
しばらく探るように互いの顔を黙って見ていたが、リンドが目を伏せながら口を開く。
「絆されたり、浮気しちゃ嫌なんだからね。この甘ちゃん、1番ピンチの時に縋る相手を間違えないでほしいわ」
その言葉を最後に葵の返事を聞く前に姿を消してしまう。甘ちゃん、そう何度か言われても彼は困る事しか出来なかった。
落ち着けとリンドに言われたが、食事を摂って、リンドと少し会話をした今の自分は落ち着いているように思えていた。甘ちゃんな状態は落ち着いているが故なのか、否か。
『お願いします、わたくし達を助けてください』
そうだ、単純明快な目的がある。どうしたかったよりも、今の自分のするべき事の方が大事なのだ。
*
小水葱区。3つの区の中で最も光の当たりにくい位置にあり、住居が密集している上に迷路のように入り組んでいる様子は神話に出てくるテセウスの入った迷宮さながらに思える。その最中に通る店もランプの店や書店のような場所が多い。当の書店も人魚姫、白雪姫、ラプンツェルといった童話が多い。そして、この場所にいる人魚達も暗闇に紛れるように、美しいベールを纏っている者が多く、貞淑な乙女の印象を与える。無論、他の地区の人魚達がそうした印象ではないわけではない。
そんな中、景色を楽しむ暇もなく葵は定期的に地面を軽く足で叩きながら、とある場所を目指して歩いていた。そんな彼の様子を見ていた人魚が背後から声をかけてきた。
「ご機嫌よう!外の人間さん?珍しいわね」
「こんにちは、警備隊の方に新しく入らせてもらったんです。ヴィルガさんの伝手で」
「成る程、彼女も肩身が狭いところはあったかもしれないものね、警備隊の中では彼女以外2本の足の人はいなかったもの」
「その影響もあるんですかね、とても良くして頂いています」
「彼女は面倒見良いものねぇ。アタシの所にもよくお買い物に来てくれるんだけど、いつも愚痴を聞いてくれるもの」
「むしろよく愚痴ってるんですか」
夜の色をしたベールで顔を覆った人魚は自分のこめかみをコツンと拳で小突きながら、小さく舌を出す。この街という閉鎖的な空間の特徴なのか、どこか精神的な距離が近く、親しげだ。それ故に、客に愚痴を聞いてもらうというものが成立しているのかもしれない、仲の良さならではやもしれないが。
苦笑を浮かべる葵に対してスイ、と人魚は近付いて彼の足を指差した。
「で、何をしていたの?さっきからタップダンスをしていたように見えたわ」
「警備隊の仕事の一環でね」
「タップダンスが?」
「安全確認のタップダンスなんです。なので、それの見学料とは言いませんが、お聞きしたい事が1つ。この街って元の世界で言うマンホールみたいな物ってありますか?」
「マンホールはないけれど、水路の端に入り口みたいなのはあるわよ。あそこから排水してるはずだから」
「ありがとうございます、その辺りの管理もちょっと仕事として入って来てたんですが、道に迷っちゃっていまして。助かりました!」
「いえいえ、警備隊も忙しいのねぇ」
無論、建前であり嘘である。昨晩ライと話していた地下の探索をする為にも、この役職は好都合だった。葵は探偵でも警察でもない。だが、これを解決しなければならない立場である以上、彼が出来るのは怪しい場所に潜り込んで直接的に手掛かりを見つける以外はないだろう。
人魚に礼をした後、渡された地図を片手に駆け始める。最短の道を行こうとした結果、道中で細い通路で人魚とかち合って譲り合いが起きたり、地図にはなかった新しい家が出来ていたり、急がば回れという言葉がふと葵の中で浮かぶ。だが、あくまで小さなトラブル程度のものであったからかすぐに目的地には着いた。
「予想通りだけど……」
水路の水は格子の先に流れていっている。無論、その格子に扉などはついておらず、入る方法など想像がつかない様子だ。他の入り口があるのかもしれないから他を当たるしか──
「そうだ!」
刀の先端を格子の方に向けると、黒曜石の鏡が展開される。そこに飛び込み、格子の先で展開された鏡から葵が飛び出てくる。飛鳥連理相手に使えるようになった鏡間での短距離の転移が、まさかこんな形で役に立つとは思っていなかった葵だが、転移とは本来その間を無視した移動こそが本懐なのだからこちらの方が普通やもしれない。
「す、少し法に触れる活用な気がするけれど……ここは、やむなし。うん、そう思っておこう」
それを咎める公的機関も、見つめるお天道様がなくとも、身に染みついた常識は簡単には離れなければ、離す必要はない。無法に慣れ切ってはもう地球人には戻る権利がきっとなくなるのだから。
*
地下水道は水の流れる音と反響する靴音以外に音は存在していない。街にもあったはずの石造り場所、だがこの場所はまるで棺のような圧迫感があるように錯覚してしまう。
だが、それ以上に──
「魔力の気配が濃い……溜め込んでる影響なのかな?」
壁を見ると配管のように魔石が埋め込まれて伸びており、それらが蔦のように広がっている。あの洞窟の時ほどに感じないのは、この1箇所にその溜めた分を固めてはいないからだろう。格子を超えた先は長い階段があったからか地上にはこの濃度の悪影響は起きていないのが幸いか。
周囲の様子に意識を向けている最中に、葵の前方から来る靴音が迫る。だが、迫っていたのは靴音だけではなかった。それが目前まで来てから葵はそれに気付く。そう、投げナイフだった。
「っ!!」
寸前で顔を逸らして擦り傷で抑えるも、続くナイフ達も正面。壁に向かって地面を蹴り、そして今度は壁を蹴りながら側面からの移動をする。
そこで相手を何かから、敵へと思考を変える。人数は3人、纏っているローブからもエリアの言っていた者達で間違いはないだろう。そこにいる事を確認してからは壁を蹴ってので跳躍の勢いのままに先頭にいた者の頭に踵を落とす。
「づ、ゔ!ぐ、このガキいぃ!」
「待て!殺したらダメだ!捕まえろ!!」
仲間の1人らしき者が腕を伸ばして葵の片方の足首を掴んで床に投げつける。
「そんな乱暴なやり方!!」
「乱暴なのはお前もだろ、女ぁ!!」
無論、そこでされるがままになるわけにはいかない。石床に手をつき、もう片足を横に振って相手の腕に足をぶつける。それで力が緩んだ隙に拘束されていた片足も振ることで逃れる。
その勢いのまま半ば逆立ちのようになっていた姿勢を整え、前進する。肘鉄を腹部に入れながらの体当たりだ。
「おぐげぇっ!?」
腹部に刺さるように深く入った一撃で、1人目の意識を刈り取り、前のめりになった葵は相手をそのまま人同士をぶつけてドミノ倒しを狙う。
「されるがままになると思うか!!」
無論、そう都合良くはいかない。2人目までならば体勢を崩せるが、3人目にまでは影響は及ばない。持っている鉄製の棒を葵の頭に振り下ろさんとする。
(躱すより、流す!!)
刀で棒を受け、横に流し──
「今だ!!」
相手に出来たわずかな隙の間に鏡の転移を利用し、背後から出現した葵は後頭部に蹴りを叩き込む。現在の服に合わせられた靴の先には金属の装飾が施されているからか、それには確かな嫌な手応えが存在し、もう1人の意識を奪うことに成功する。
「随分とやってくれたな、だが遅いぞ!!」
葵の着地の瞬間を狙い、ローブの袖の下に隠していた大振りのナイフが向けられる。
「っ!やば……ッ」
しかし、葵の方もまた着地の際に、相手のローブの裾を爪先で踏むように着地し、わざと足を滑らせるようにする事で相手のローブを引っ張る。
それによってナイフは頰を掠めるだけに留まり、葵は左手の方で相手の胸ぐらを掴み、そのまま壁に衝突させるように振り回す。
「ぐあぁっ!!」
相手が激突の痛みに呻いてる瞬間には既に首筋に刀を添えていた。少しでもその動作が遅れると、自分の中にある理性でこの手が大きく鈍る事は違いないから。実際、首筋に当てている刀が微かに震えてしまっている程だ、それに気付かれていないのが不幸中の幸いと言えるだろうか。
「質問に答えてくれますか?」
「答えると、思うのか……!」
「──では、言い方を変えましょう。俺は勇者です。貴方達を解放しに来ました」
「!?」
そそのかされた、と言っていた男を思い出しながら、言葉を選ぶ。まだあの男ほどに諦観は感じられない以上、この言葉には意味があるはずだ。勇者という文言、彼等の主人の正体が使徒であるとすれば分からないはずもないとも考えて。
「断るって線はねぇのかよ」
「貴方の中の生存本能が失われたのなら、あるいは」
背中に冷たい汗が伝い落ちる、それはどちらもなのかもしれないし、おかしい話だが突きつけている側だけなのかもしれない。
「ちっ、分かった。質問ってのも、この先にあるもんに関する事だろ。案内してやる」
「あり…………はい。それで、良いんです」
言いかけた言葉を睨みつける表情に紛れさせて堪える、今は相手から見て精神的に隙があると思わせてはならない時だ。今の葵には焦りと共に発生した明確な弱点が発生してるのだから。
(妙に身体が重い、これまでの戦闘の時より身体を動かすというよりも、身体をコントローラーで動作させているみたいだ……心身共に優勢と思われたら困る)
だが、その警戒は杞憂だったと言えるだろう。相手は既に負けていて、それ勇者を相手にしているのだから。男は葵の刀を突きつけられたままながら、奥を目指して先導し始める。
その後についていくように歩いていくと、とある扉の前に辿り着き、鍵束を取り出す。
「開けるぞ」
無言の首肯で返事をし、扉が開かれる事でその扉に封じられていた様な青白い光が部屋から飛び出してくる。だが、その光自体は魔石の色で見たことのある色彩だったからともかく、それ以上にその先にある景色が葵を驚かせた。
「これは……ッ!?」
ドーム状になった部屋の中の中央には店内にあったピラーを大型にした物、巨大な魔石。そして何より異様なのはその周囲にあるガラス製の円柱の容れ物の中にはそれぞれ飾られる様に眠る人魚達。
彼女達の存在を知らずに見ていたら、それを一瞬作り物かと思う程に無機的に飾られ、無機的に美しい。それを生物でやっている事に悍ましさを感じさせる。
「俺達に与えられるはずだった報酬、そしてこの街に求められる美の末だ」
男の報酬という言葉も無論だが、その先のこの街に求められる美の末という言葉に葵は眉を寄せる。その意味合いを図りかねる上に、決して理解の出来ない価値観が潜んでいる気がしたから。
男はそのまま言葉を続ける。
「この街は、美という夢の為の牧場だ」




