第34話:淡い日常・前編
エリアに助けを求められ、人魚の街を訪れた葵達。初日から激動のあまり、朝を迎えて交替が来た後の葵は絞られた後の形のまま乾いてしまった雑巾のように疲弊した顔をしていた。
ライは当然、街中を自由に歩けるとは言い難い立場だ。許可証があるとはいえ、男性自体が表を基本歩かず、そこにいるだけで目立ってしまう。それでクライルに目をつけられては目的も達成出来ない。仮に葵が既に目をつけられていたのだとしても、葵1人に絞っておく方が都合が良い。そうして理由からも、ライは普段は隠れて別行動をする事になった。
「んもももぅももももも」
「アオイ、故障しちゃったわ」
夜中までの間に仮眠を取っておきたかったが、頭の中で今必要な事も今必要のない事、挙句考える必要のない事まで含めて脳を回転させてしまい、眠れなくなってしまったのだった。
その結果、一階の酒場で朝食を摂りながら卓上に突っ伏していた。ミアも忙しそうにしつつ、明らかに様子のおかしい葵を気にかけている。
「見て、ほら、超元気」
「いや、出涸らしだけど……」
「あ゛ぁぁ……やっぱそうだよねぇ。こんなんだから陰気とか根暗とか言われるんだぁ」
「確かに陰気な感じはするわよね」
「それ、今言っちゃう?」
「人に言われたら傷つくタイプの面倒臭い人だったのね貴方……」
思えば、これまでは道筋の分かりやすい目標が続いていた。目の前にいる何かを倒せば、それに勝てばただそれで終わりだった。そうでなくとも葵よりも立場が上の決断力を持つ人々がノアにはいた。
葵が勇者という旗印となる為には葵自身の決断力と能力が必要になる。それを把握する為にもここへと行かせてくれたというのは彼も分かっているが、彼が出来るようになりたいと思いながらも彼の苦手とする事でもあった。自分は間違ってる、自分がおかしい、そう自分自身を誘導する思考の流れが出来ている。行動はいつする?招待されるまで待つのか?どこまでが関係のある情報なのか?また思考が巡る。
「歯痒いのは分かるけど、ライだって合流したんだから見つけられる情報の幅は広がるはずよ。人によってここがおかしいって思うポイントは違うもの。貴方にしか見えないものを見てみなさいな」
「うん、ありがとうリンド」
「んもぅ、しっかりしなさいよね……ふあぁ……」
「そういえば昨日はずっと外に出てたもんね。休んだ方が良いよ」
「休んで良くないわよ……使徒相手なら手出しも出来るから突然何か起きたら私の力がいるでしょ……」
「だからこそ、今は休んでおかないと。心配しなくても、身を守るぐらいは出来るからさ」
「そうねぇ……貴方を頼るのも良いわね。たまには」
そう言うと、葵の肩に体重をかけてリンドは目を閉じ、しばらくしてからその姿が風のように掻き消える。彼女は本来は葵の中で自分の存在を維持する為の魔力を溜めていなければならない。外に出ているとそれを消費し、自分の存在を切り詰めながら活動する事になる。それでも出ていたのは、彼女なりに不安だったのだろうか。葵とミアの安否もさながら、彼女自身も。ここに来る以前の記憶が曖昧な彼女の精神はまだ幼年期なのやもしれないから尚更に。
だから、まだ彼女がそこにいる気がして少しだけその席に留まっていたが、しばらくして席を立つ。今この間にもライが裏で情報収集をしている事を思えば、葵も表で動きやすい分の出来る事をしなければならないだろう。
*
「屋敷ってだけあってデカいなぁ……」
街の外からも見えた純白の屋敷。門の先に見えるのは柘榴の並木道と、その中央を通る水路が道を清めるように流れている。豪華さはないが、上品に整えられたその庭を食い入るように葵は見ていた。
無論、門の前に立っている人魚に不審なものを見る目で睨まれるものの、柵の向こうに目を輝かせている不慣れな観光客にしか見えない挙動なのもあってそれ以上に悪目立ちする事はなかった。だが、流石に睨まれ続けるのはよろしくない、と柵から身を離し、後は愛想笑いと共に小さく頭を下げておくが、その動作を見終えた人魚の視線は正面に戻っていた。
「この屋敷の中ってどうなってるんだろうな、異空間と化しているのかな……」
「気になりますか?」
「まぁ、気になりはす…………って、エリア!」
「えへへ、どうも。昨日はありがとうございました」
葵の背後から小動物のように姿を見せたのはエリアだった。悪戯っぽく笑いながら葵の周りを一度だけくるりと回るように泳いでから、彼の隣で動きを止めて屋敷の方に視線を向ける。
「あそこに呼ばれる人は、この街の中でもとても美しい方なんですよ」
「へぇ、この街の人って全体的に美しい気がするけれど……」
「ふふっ、その中でもとても綺麗な人なんです。そして選ばれた人は屋敷の中で素敵なお茶会と、歌劇と、その後に美しい景色と共に夜会を楽しむ事が出来るのですよ」
「まさに特別って感じの待遇だね、エリアは行った事があるの?」
「うふふ、わたくしもそんな夢のような1日を体験してみたいなとは思うのですけれどね」
肩をすくめて困ったように笑う彼女の顔を見て、少しの罪悪感を覚える。そんなつもりが本人になかったとはいえ、屋敷に呼ばれる事でこの街において何が証明されるのかを思えば配慮に欠けた質問になると言えるのだから。
だが、彼女も相手がそんなつもりで言ったわけではない事は分かっているからか、すぐに訂正する様に首を横に振る。
「体験してみたいなぁって思うのは勿論本当ですよ。本当ですけれど、わたくしはそれ以上に歌を歌えたら、それでわたくしは幸福なんです」
「エリアは歌が好きなんだよね?」
「ミアさんからわたくしの事を聞いたんですね?そうなんです、それが生き甲斐で、それだけが無条件に楽しくて、頑張れる事なんです。わたくしの魂みたいなものですね♪」
「そういう物があるのって、すごいよね」
「そう……ですか?」
「うん、それだけ何かを好きになったり何かに打ち込める事って誰でも出来る事じゃないから」
「そ、それは…………やだなぁ、言い過ぎですよ」
組んでいる指を忙しなく回しながら目を逸らすエリアと、その反応にまた何か失言をしたかと頭を掻く葵。奇妙な沈黙が2人の間を支配していたが、手の中にある地図の感触を思い出した葵が先に口を開く。
「エリア、今時間ある?」
「えっ?は、はい……ありますけれど」
「じゃあ、頼みたい事があるんだけど──」
*
睡蓮区、水仙区よりも静かに過ごす事に向いた場所。道の脇にある水路からは珊瑚のような材質の木が伸びて、葉の代わりに青や紫の結晶が生えている。その並木道を見上げながら泳ぐ人魚は多く、それがよく見える場所にある喫茶店は睡蓮区の人気スポットとなっていた。
「で、あそこで出てくるパフェが美味しいんです!」
「あそこで出てくるパフェが美味しい……と」
「でもタキザワさん。街の案内は全然構わないんですけれど、律儀にメモをしているそのパフェのお話は貴方の求める情報でしょうか……」
「食べ物が美味しいってのは重要な情報だよ!!旅行先の食事が美味しいと気分超上がるから!!」
「ものすごい情熱を感じます」
エリアにした頼み事とは街の案内の事だった。現地の人である上に、葵の素性を知っている彼女にならば事件について絡めた上での会話もしやすいだろうという考えもあって彼女に頼んだのだった。思いの外、本人も乗り気だったのが幸いだろう。
「そういえば、今更なんだけどここで買い物ってどんな風にするものなの?お金とかさ……」
「ここではお金の代わりに各お店に設置されているピラー……魔道具に魔力を注ぐんです」
「魔力を?」
「そうです。大気からではなく人からの物の方が質が良いとかなんとか?でして……ピラーに注いだ魔力はこの街の公共施設に使われてるってお話ですよ」
「へぇ……じゃあお店とかも結構利用し放題になるの?」
「うーん、そうでもないですよ。人によってその支払いに必要な魔力を注ぐ事でかなりダウンしてしまいますから。色々と物が高いお店とかはしっっっかり持っていかれますからね」
「お、恐ろしいな……じゃあ、お店で働く事のメリットは何になるの?慈善事業ではないよね」
「それぞれの所属にもよりますが、色んな形でサービスを受けられるんです。食事だったりとか割引きとか」
「へぇ〜警備隊みたいなのは?」
「危険な仕事なのでどのお店でも半額です!」
「わぁ!俺が大食いの巨漢だったら街を滅ぼしてたところだよ」
「うふふ、タキザワさんがそうじゃなくてホッとしましたよ。それだったら貴方は退治されちゃうところでした」
「大食いの罪で退治。そしたら暴食の大罪って感じ?格好良いかもしれない……」
「大罪と言うよりはただの怪獣枠です」
「大怪獣滝沢葵。最初の方に出てくる軍隊のミサイルとかで撃破出来そうな怪獣じゃん……」
「何でそんな予想外なポイントでネガティブになってるんですか……」
「それが俺の売りだからかな?」
「それこそがネガティブって言うんですよ?あっ、それより見てください!この区の名物なんですよ、あそこ」
エリアの指差した先にあったのは、他の建物と同じ白い色彩の壁にガラス張りの装飾品店。飾られた首飾りや指輪が色取り取りに並べられた美しいその光景は、何故か美しくとも幻想的と言うより地球の光景を思い出させる気がした。葵自身がこうした店に入った事も、憧れた事があったわけでもなかったはずなのに。
「タキザワさん……?」
「いや、ごめんごめん。郷愁的なアレそれで……その、あのお店って何か特別なのかな?」
「あっ、分かっていませんね。この世界の中でもとっても貴重なお店、その中でもアクセサリーのお店ですよ。乙女の集まるこの街では名物も名物です!」
「成る程、俺もまだまだ勉強不足でした……」
「タキザワさんも今は乙女なんですから、それっぽさの参考にして下さい!はい、実践」
「えっ、今すぐ!?えーえぇ……えー…………んまぁ!なんて美しいのでしょう!」
「でしょう!ほら、あの青い宝石の首飾りとか特に!」
「なんて輝きかしら!でも、お高いのでしょう?」
「それがですね、今なら魔力の割り引き対象となってるんです!」
「そして今だけ魔石もお付けして!」
「なんと12万円!!」
「買わないと損だわぁ!」
「って、わたくしに何させてるんですか!」
「乙女力が上がった気がしないかな!?」
「これで上がるのなら通販番組の社長さんは皆、女子力が計測不能になりますよ!女子力のプロ集団です!後、魔石も付きません!」
「誠に残念……」
「むふん、貴方はどこまでも男の子なんです!」
「…………」
「ど、どうしました?え、わたくしまた何かまずい事を……」
「……い、いや。そんな事ないっていうか、悪くない響きだったから」
「そ、そうですか……えぇ?」
「良いんだ、こっちの話だから。ねぇ、折角だからあの装飾品店見に行かない?」
「はい!」
「じゃあ、行こうか。見に行きたいって顔に書いてあったから」
「そ、そんなにでした!?」
確認するように自分の顔を触り、最終的にその両手は頬で止まる。自分の遠回しなつもりの誘導が普通にバレていた恥ずかしさに顔を赤らめながら、最後の抵抗を試みる。
「こ、これも事件の解決の為ですから!」
しかし、それに対して分かってるよと言わんばかりの顔で葵にサムズアップを返されてしまった影響でむしろ追い討ちを受けたのだった──
*
店に入ると、壁に飾られた様々な装飾品と、台の上に並べられた指輪や耳飾り等で外観以上に華やかに染められている。中は当然全員が女性客、店員に至るまで。一応立場としては女性として入っているとはいえ、葵は妙な気まずさと気恥ずかしさを覚えながらエリアの跡を追って商品を見ていた。
「宝石だけではなく、こんな感じの貝殻とガラス玉で出来た首飾りとかもあるんですよ。これも可愛いでしょう!」
「すごいねぇ……このガラス玉はまるで海を閉じ込めたみたい。綺麗だね」
「海、良い表現ですね。海かぁ、行ってみたいものですね」
「行った事ないの?」
「はい、車で通ったりとかはあっても、海を目的地にって事はなくって。我々が淡水の人魚なのが惜しまれます」
「ここ、思えば川だもんねぇ……」
「そうなんですよ、川なんですよ……人魚なのに……」
そうした他愛のない話を交えながらしばらく店内を見て回っていた。色々と目移りはするようだったが、それでもエリアは中でも最初に見た貝殻とガラス玉の首飾りが気に入ったのか、その前をウロウロして悩んでいた。
「それ、気に入ったんだね?」
「はい。でも、今日は既にちょっと魔力を使った後なので、また違う日にしようか、買うかで悩み中です」
「一期一会って言うもんね、こういうの。俺もちょっと気になるなって思ってた本が次に来た時にはなくなっててさぁ」
「そ、そんな誘導は反則です!」
「いざ買い損ねると滅茶苦茶欲しかったなぁって気分になっちゃうものなんだよね……」
「わー!わー!!た、タキザワさんったら意地悪です!とても意地悪です!!」
頬を膨らませながら抗議の視線を送ってくるエリアから目を逸らしながら小さく謝罪の言葉を繰り返す。だが、それもそこそこに彼女の見ていた首飾りを手に取って店員の方に歩いて行き始める。
その行動が流れるように行われたものだから、葵の立っていた場所をしばらく見ていたエリアは、彼がピラーに手をかざそうとした辺りでようやく急いで彼の側まで泳いだ子だった。
「ちょっ!ちょちょちょちょ!!タキザワさん!?何してるんですか!?」
「い、いや……街の案内をしてもらってるお礼にと思ったんだけれど、迷惑だったかな?」
「め、迷惑なんてそんな、全然!でも、そんなの申し訳なくて……か、買います!わたくしが買いますから!」
「げ、元気になってほしいんだよ」
「え……」
「なんだか不安そうな顔をしているっていうか、ずっと緊張してるように見えたからさ。慣れない俺達と接してるからかもしれないけれど、その……」
事件についてはあまり人前では言えないこともあって、そこで言葉を濁らせてしまう。彼女もまた明日は我が身やもしれないという不安、そして彼女の周囲に何かが起きるかもしれないという不安、それを外の人間にしか打ち明けられない事もまた息苦しさを感じさせているのだろう。それらを全てまとめて、葵は緊張していると表現するしかなく、それの全てを打ち消せるとは思えないが、少しでも気を紛らわせる事が出来たらと考えての行動だった。
「えっと、だからその……似合うと思うんだ。どうかな?」
「お客様の髪の色にもよくお似合いだと思いますよ、いかがですか?」
その最後のひと押しを受けながら、店員の方をチラリと見るが、店員の人魚は微笑ましそうな顔をして肩をすくめている。数度2人の顔をキョロキョロと見てから、躊躇いがちにようやくエリアは頷いたのだった。
「ほ、欲しい、です……」
「うん、分かった」
「では、お客様はこちらに手をかざして下さい。気分が悪くなる事もありますので、こちらの椅子に座りながら魔力を流してくださいね」
「なんか献血みたいな気がしてきた……あっ、店員さん。後これとか──」
店員とやり取りしている彼の背を見ながら後ろ手を組んで壁にもたれかかる。彼を見ていると少しの罪悪感を覚えるが、自分の事のような笑顔で話している様子を思えば、それが誤魔化される気がした。ただ、心のままに笑顔で受け取れば良いのだと思える。
しばらくしてから、魔力の支払いを終えた葵が首飾りの入った長方形のケースを持ってエリアの元に戻ってくる。
「お待たせ、エリア!はい、どうぞ……どうぞ?えっと、プレゼント?ううん、何て言うのが正しいのかな……」
「…………何て、言ってくれるんですか?」
「え?」
「そ、その……初めての、その……あの、プレゼントでして」
今まで人からプレゼントをもらった事がないのかと一瞬思ったが、しばらくしてから彼女の言いたい事に気付いて頭を掻く。確かに異性に対してアクセサリーをプレゼントするのは葵からしても初めての経験だ、気の利いた言葉を用意しなければならないと頭で分かっていても、すぐに浮かぶものではない。きっと、エリアの方もどんな風に渡されたいのかは分かっていない。
少し悩んで、その少しの間に結構悩んでから、深呼吸と共にケースを差し出す。
「きっと、君にとても似合うよ」
買うか否かで頭を悩ませていた時に言っていた内容に近い事だったが、先程よりもっと確かな言い方をする。その言葉が彼女の望む様なロマンのある言い回しだったかは分からないが、少なくとも嫌ではないのであろう事はすぐに分かった。
「──ありがとうございます、すごく大事にしますね!」
花でも咲く様な笑顔と共にケースを受け取る様子を見れば、一目瞭然だった。プレゼントそのもの以上に、誰かから貰った物であることが嬉しいのだと、ケースを開けるのも惜しそうに抱きしめいる様子見ていたら尚更に。
「タキザワさん!街の案内の続きといきましょう!」
「そうこなくっちゃ!」
「わたくし、早速これをつけて行くとします。今わたくしがとっても綺麗なんだって、皆に自慢しちゃいます」
「それはとても素敵だね、いっぱい自慢しに行くとしようか」
「はい♪」
そうして、エリアの大好きな街をエリアが最高の気分で案内する事となった。彼女に釣られる様に笑い、不思議な満足感を抱きながら葵は彼女と共に店を出る。
異世界の中の確かな日常が足音を立てるのだった──




