第32話:幸福の街を歩く影
ミアの仕事の終わりの時間と、葵の警備の番が回ってくるまでの時間とで丁度噛み合い、3人は宿で集まって情報共有する事にしたのだった。
葵からは、詰め所で聞いた警備隊のメンバーが突然行方不明となった事、人魚の街の主人であるクライルと遭遇した事、そして人魚達がクライルを強く慕っていた事、覚えた違和感の全てを言語化して伝えた。ミアもエリアから聞いたこの街に関する事、そしてエリアがこの街に来るまでの事についても共有した。彼女の個人情報について許可なく葵に話すのは少しの罪悪感は無論あったが、彼女達にとって優先すべきはこの街に招かれた理由そのものにあるのだから、とミアは自分に言い聞かせていた。
「出る方が少ないって考えたら、行方不明者は街の中にいると見て間違いないかな?」
「その少ない頻度である出る時にまとめて外に連行されてる、とも考え難いですからそうだと思います」
「明らかに目立つものね、そんな様子。それなら警備隊がそういった様子を目にした事がないはずないもの。彼女達がグル、とかならともかく……既に被害者が彼女達の中にも出た後なら一旦は置いといて良い気がするし」
「だね、まだ助け出せる可能性があるって事だもんね」
「突然外の人間が来て、しかもその片方が警備隊に入ってといったところだから、警戒してる事を勘付かれてないと良いのだけれど」
「そこで途切れたらむしろ認めたようなものって感じですが、証拠もなければ……あれ?そういえばその人達を捕まえたりしても、どこに突き出せば良いのでしょう?」
「やっぱり警備隊じゃないかな?でも、思えば彼女達で処理して良いって感じの組織でもないだろうから、クライルに話がいくよね……」
彼自身の手で集められた男性達の事も思えば、まずは自分達だけで完結させたいところだ。街の安全の為だと言えば、クライルも理解してくれる可能性はある。この街を作った側である以上、この街の治安を保つのは悪い話ではないはずだ。
だが、3人にはその情報をまとめた結果、共通懸念が生まれていた。
「俺的になんだけどクライルって多分さぁ」
「あ、うん。むしろそうでしょ」
「魔王の使徒の可能性が高いですよねぇ」
むしろ、相手がそれをあまり隠そうとしていない様にすら感じる。彼がそうではないかと考えているが故のバイアスかもしれないか、これだけの規模の事をやっていて使徒達に目をつけられていない。そしてこの街の周囲に魔物がいない事、これもその可能性を高めている。
「ま、可能性、可能性。あくまでどれもまだ仮説なんだけれどね。クライルが今度は招待するって言ってたから、その時にまた色々自然に聞き出せたら良いんだけれど」
「貴方そんな器用な事出来るの?」
「で、で、で、出来る、しぃ〜出来なくは、ないしぃ」
「滝の様に汗を流しながら言うと期待値が30%ぐらい落ちるわよ」
「得意不得意は置くとしても、葵さんにしか出来ない事です。自然に接触出来るまたとない機会ですから!でも、それと同時に危険も伴います。なので、自分の体を第一に、危ないなって思ったら深追いせずに引くのも勇気ですからね。無理しちゃダメですよ、良いですか?」
「あ、えぇっと、おほん!うん、それは勿論だよ。それで解決への糸口が途切れたら本末転倒だからね」
「はい、それが聞けたら安心しました♪」
そう言うと、ミアは持ち込んだ鞄の中から、蓋のついた小柄なバスケットを取り出し、葵に差し出した。
「ありがとう……ところでコレは?」
「お仕事中にもし良ければと思いまして、開けてみてください」
むしろ、ミアが早く中身を見てみてほしいといった期待の目をしている。彼女の期待に応える為にも蓋を開けてみると、中にはレタスとチーズと生ハムを挟んだバゲットサンドと、複数のベリーを使ったジャムとクリームチーズを挟んだクラッカーが入っていた。
「わ、これミアが作ったの!?」
「この街に来てからお食事が取れるタイミングが分からなかったので、念の為と思って作ってきたんです。リンドさんの分もありますから、2人で分けて食べてくださいね♪」
「私も?良いの?」
「勿論です!プリンも食べた事がなかったみたいなので、この機会に地球の味を知って頂きたいなって思いまして」
「……ふふっ、気が効くじゃない。ありがとう、ミア」
「いえいえ。いっぱい食べて、いっぱいファイト、ですよ!」
「俺からもありがとう、ミア。滅茶苦茶嬉しい。いや、本当に嬉しい」
「そんなに喜んで頂けたら私も安心します。お口に合えば良いな、なんて。ちょっとドキドキです……そ、そうです!もうそろそろ行く時間では?」
熟れたトマトのようになった顔を両手で扇ぎながら、それを隠すように話題を逸らすミア。そして流石に露骨すぎる誤魔化し方に肩をすくめるリンドと苦笑する葵。それで余計に恥じらいが別ベクトルに強まってしまい、手の動きが加速していた。
しかし、交代の時間が近いのは事実であるから、笑うのは程々にして貰った弁当を自分の鞄に入れる。ここの3人でこの街の件について知ってる内容は同じレベルになった、談笑出来る時間はあまりない。
「じゃ、行ってくるよ。ミア」
「はい、お2人ともどうかお気をつけて」
「貴方こそ戸締りを忘れてはダメよ、戻ってくるのは朝になってからだから気にせず休んでいなさい」
「そういたします、眠いといざって時にも動けませんから」
「うん、それなら良しだね。じゃっ」
「はい!いってらっしゃい」
ドアノブに手をかけたまま思わず葵は動きを止める。ミアにも、リンドにもその意味は分からなかった。それが止まっていると気付く事すらない、ほんの微かな間だった。
その言葉が酷く懐かしくて、その言葉が懐かしい感覚の中で最も新しくて、それが最後だった。その言葉から、学校に行く途中で気付けばこの世界にいた。
『あかね、紅音なのかい?』
日常の象徴である家族、その日常を血の臭いのする非日常が侵そうとする。侵そうとしている。安心する言葉と同時に、その危機感が葵の鼓動を早くする。クライルが魔王の使徒とは限らない。だが、もしそうだとすれば、使徒が姉の事を、家族の事を知っているという事実に鼓動がうるさい程に鼓膜を震わせる。
(大丈夫、大丈夫だ。俺はその日常を守る為にもここにいるんじゃないか)
己を鼓舞し、己に落ち着けと呪文を唱えながらドアノブを回す。
「いってきます、ミア」
人々の日常を守る為に、彼は勇者でありたいと願う。
*
「巡回ルートはちゃんと把握してる?」
「はい、大体は。地図も貰ったので」
「よしよし、良い子ね。じゃ、後は頼んだわよ。手に負えない事があったら詰め所に誰かしらいるから、そこに持ってきて。ヴィルガがいれば特にラッキーだと思って、ね」
「はい、分かりました。お疲れ様です!」
「……にしても、貴方ハスキーな声ね?」
「よく言われます!!」
「違和感あるぐらいハキハキしてるわ、アオイ……」
「そうですか!?」
「えっ、アオイ君どうしたの!?何が何が!?」
「貴方が緊張してるだけなのはよく分かったわ、んもぅ……」
前途多難。そんな風に評したくなる図となったが、ここで出鼻を挫かれたと落ち込むような事は葵であったとしてもそれはなかった。
「さて、行くよ!」
「うーん、そうね」
昼間の活気は深くなった夜の中に包まれ、活気を彩っていた店も含めて日が昇るまで片付けられてしまったらしい。
手に持ったランタンの光を頼りに辺りを見回す。元の世界と違って扉の横にかけられた小さな灯りが頼りで、電灯もなければ車も通らない夜中の道は、少し不気味に思える静けさだった。
「足音も俺達の分しか聞こえないね」
「足音がしたら多分それが不審者でしょ」
「そうだよ、足音はほとんどしないんだよこの街。混乱してきた」
表通りを回っている間は少なくとも平穏そのものだった。時折この時間にも泳いでいる人魚はいたが、夜風に当たりに来たとか、酒場に行こうとしていたとかで、おかしな様子も見えなかった。
とりあえず彼女達の生活を制限する権利などはないが、事件が裏で起きている事を把握している身としては「遅い時間だから、帰る時は出来れば知り合いとかと帰るんだよ」と、声をかけることにしていた。今警備隊に身を置いているのは事件を解決する為にというのが1番であれど、この街の治安維持もまた同じぐらいに大きいのだから。
「でも、やっぱり何かこう、荒れた気配とか断末魔みたいなのとか、変な呻き声とかも聞こえてこないんだよね。この街の外なら呻き声は特にずっとよく聞こえてくるのに」
「確かにね、むしろ落ち着かないわ。魔力はちゃんと空気中に感じるのに」
「何だろうね、この息苦しい感じ……」
「そう感じるの?」
その言葉と共に一瞬リンドが葵の方に視線を向けたが、その理由は判然としないまま宝石のような赤い瞳は違う方向に向けられた。葵もそれを追うように視線を向ければ、建物と建物の間を通る人影が一瞬見えた。また先程までの人魚のような民間人の散歩かもしれないが、立場としても幸いこちらが不審者になる事はない。
「行ってみよう、リンドは俺の後ろから」
「ええ、分かったわ」
出来る限り足音を殺しながら人影を追う。追いながら葵の耳で判明した事は相手は1人である事、そしてその足取りに焦りは感じられず、歩き慣れている様子である事。
(こ、こういう時どうしたら良いんだろう!?足取り、足音じゃん!?こんな事ならノアの中にある魔導書をもっと読み込んでおけば良かった!!土地勘のある相手と殴り合いになったら俺すごく不利じゃないか!!)
内心の焦りを抑えていると、相手が足を止めた。それと同時に──
「きゃあぁっ!!」
「っ!危ない!」
女性の悲鳴が響いたのだ。リンドに女性の方に行くよう頼み、葵は女性に襲い掛かろうとしている方に向かった。低い姿勢で地面を蹴り、女性を掴んでいる左腕、その中でも肘に向けて刀の峰で打撃を加える。
「っづぎゃぁっ!!!」
「彼女から離れろ!!」
「く、そ!ヒーロー気取りか!!」
襲い掛かろうとしていた者の正体は体格の良い男だ。葵よりも20は身長が上だろう。だが、それで怯んでもいられない。
男は腕の痛みと痺れに下唇を噛んで耐えながら、もう片腕を振り回して葵の顔に素早く裏拳を叩き込まんとする。この世界に来たばかりならば、これを受けていたところだが。
「人間の動きの範疇!!」
拳が到達する前に手首を掴み捻るように引っ張る、拳の勢いが殺されたその瞬間を狙って後ろに全体重をかける。体格差はあれど、想定していないベクトルに力をかけられたらバランスは崩せる。
地面に葵もまとめてぶつかる寸前で手を離し、男の身体の範囲から横に転がって押し潰されるのを回避する。
「っゔぅ!!!」
右腕が後ろに向けられたままの形で地面にぶつかった影響で手から自重を受ける事になり、男は声に出来ない痛みに苦しむ。
葵はその隙に男の胸部に片足を乗せて刀を首に向ける。
「警備隊の者だ!抵抗をやめろ!!」
葵の方をしばらく睨みつけていたが、男はようやく諦めたように目を閉じ、微かに上げていた頭を地面につけた。その様子を見て小さく息を吐く。自分でやっておきながらも、苦痛に歪んだ男の顔を見ていると冷や汗が出る。この世界に来てから怪我という物の解像度が上がったものだから、尚更に想像がついてしまうのだった。それがはたして良いのか、悪いのか。
女性の無事を確認する為に視線を向けると、そこには知った顔がいた。
「エリア!?」
「す、すみません……助かりました」
「無事なら良いんだけれど……どうしてこんな時間に?」
「わ、わたくしは酒場でさっきまで歌っていて……今ぐらいが丁度仕事終わりだったんです。それで帰ろうとしたら急に……」
「じゃあ、この人が君の言ってた?」
「素顔は知らないのでまだ、何とも……」
エリアは怯えた目で男を見つめるが、すぐに目を逸らす。その様子に男はみじろぎしながら数度口を開閉した後に、歯軋りを始める。ここでまた男にこれ以上変な動きをされ、取り逃がしたとあれば流石に情けない。葵は踏む力を強めながら、男に鋭い眼差しを向ける。
「貴方がどれだけ強くても、今は俺が優勢なんだ。大人しく質問に答えてもらうよ」
「っくそ、冗談じゃねぇぜ……」
「その前にエリアさんを送り届けないとだから、とりあえず拘束して良いかな。怪我とかは後で治療するから」
「ちっ、拘束するほどでもない。理由なんてねぇんだよ。綺麗な女がいたから、そんだけだ」
「拘束するかどうかを決めるのは俺の方だから、従ってくれ」
男は言葉ほどには抵抗もなく拘束はスムーズに終わった。しかし、実際のところリンドにエリアを送り届けてもらうという事が出来ない以上、詰め所まで彼女にも同行してもらい、男を待機してる仲間に頼んだ後に彼女を送り届けるという順に葵のみだとなるだろう。エリアもまだ動けずにいる以上は、1人で帰らせるわけにはいかない。
「貴方、忘れてるかもだけど支給されたそれの使い時じゃないの?」
「ん?あぁっ、そうだった」
この街に来てからはノアで使用していた魔道具を使っても連絡が出来ずに悩んでいたが、警備隊に入隊する時にその代わりになる物が配布されていた。貝殻の首飾りだ。葵はこの形状でも連絡が出来ることに驚いていた、どう見ても貝殻は魔石の仲間とは思えないからだ。
件のノア製の連絡用の魔道具は、1つの魔石を小さく加工し、分離させてから術を1つ1つに施している。同じ波長の個体の音という振動を受け、振動を発するという流れを与えているのだ。喋る、声を受け取る、その2つの流れは使用者が喋る事を起点にして術が発火する様になっている。言霊の影響を受けて魔術が使えるように、その火種として術式が施されている。そして、魔石は分けられても魔石は分かれた別の存在とは思わない。その中に込められた魔力達には幻肢痛が伴い続けるとも言えるだろう。そうした原理であの道具は出来ている。だから、尚更にこの貝殻もまたこの街と同じ様に不思議な物体に見えるのだ。
「あー……アーアー、アオイです。水仙区の居住地にて不審者を発見、被害者共に現在現場にいます。不審者は現在拘束中。応援をお願いします」
『こちらシエル、了解。すぐに向かわせるわ』
貝殻の向こうから音が聞こえなくなったのを確認してから、また小さく息を吐く。応援が来るまで男がまた抵抗し始めたらどうするか、連絡に使う言葉はおかしくなかったか、等々考えが脳内を巡る。それを切り離す様に、リンドが口を開く。
「アオイ、そのままで聞いて」
「うん?」
「返事もしなくて良いわ、エリアやそこの男に怪しまれたくはないの。まだ誰かいる気配がする……ずっと貴方を見ているわ」
顔の向きを変えずに視線だけを動かしてその気配を探る。だが、リンドも気配のみしか感じられていない事を思うと葵には分かる気がしない。しかも、狙いが自分と来れば相手が葵の素性を分かっているかもしれないのだ。
しばらく考えた後、大きく息を吸ってから──
「きゃあぁぁぁあ!!ストーカ……」
葵の背後から急速に接近してきたその気配は、葵の反応よりも早く口を手で覆う。拘束されて転ばされている男も思わず同じ様に驚いた顔を浮かべて見上げていた。
口を覆われた直後には葵の現状を把握する能力が追いつき、頭を思い切り後ろに向けて振って立っている何かにぶつける。
「っ!?づぁ」
鼻にでも当たったのだろうか、葵の後頭部も微かに痛みを発したが、背後の何かは当然ながらそれ以上に痛いのか、呻き声の後には何も言わず、それ以上に何もせず、しばしの停滞が発生していた。それでも口を覆う手は緩める様子がないものだから、今度は肘鉄を食わせようと──
「待って待て待て待て待て待てっ!!滅茶苦茶待て!!マジで!!マジでやめろ!!」
ようやく普通に聞こえた相手の声、これも男性の声だが、妙に聞き慣れている声だ。ゆっくりと顔だけを動かして背後に視線を向ければ、水色混じりのアッシュグレーの髪に灰色の瞳、黒の外套の下には軍服。後、鼻血
「気は済んだか……?」
「ら、らい…?」
何故ここに?どうやってここに?そもそも怪我は大丈夫なのか?等々聞きたい事は山程あるわけだが、この一連で葵の後ろにいる人物が誰なのか見えていたはずのリンドは何故無言を貫いていたのか。葵はリンドの方に今度は視線を向けた。
「危険ではないし、敵意もないから別に良いかなぁって。ここで私が待ってとか言うと貴方逆に驚いてテンパるでしょ」
ライには聞こえないのを良い事にそう供述するリンドに抗議の視線を送りたかったが、自分の早とちりも事実ではある上に、彼女の言うように驚きと混乱で先に何か失敗しそうである自負があるものだからどうしようもなかった。いや、既に驚きで失敗した後だが。
「驚かせて悪かった、悪かったが痛かった」
「ご、ごめん!超ごめん!!でも、もう大声出さないからそろそ──」
「警備隊の応援です!アオイの報告した不審者は……」
駆けつけた人魚が葵の足元を見る、拘束された男だ。しかしそこで視線は止まらず、葵の背後にも目を向ける。片手で槍を向けながら、即座に貝殻の首飾りを手に取る。
「不審者2名、1人は拘束済み、1人はアオイを拉致しようとしております。今から確保します」
「えっ!?ちょっと待っ……」
しかし、この街はクライルに認められていない限り男子禁制である。これは紛れもないルール、どうやってかは分からずとも無断でこの街にそれを破って入ってきたライが不審者なのも事実となるのだ。
「ら、ライ……」
「じゃ、また後で」
どうやら、既にライは不審者の自覚があったようだった。




