第28話: 信頼と責任
「人魚の街の行方不明事件……ね」
人魚からその話を聞いた葵達は、まずその内容をエレンに共有しに行った。気持ちだけで言えば、すぐにでも行きたかったが集団行動している中だと無許可で行くわけにもいかず、エレンの判断に委ねる事にした。
「リンドは彼女が魔物等の様な邪神の影響を受けた生物ではないと言っていました」
「少なくとも、私の姿は見えていなかったわ」
「リンドさんいわく、リンドさんの姿は見えていなかったみたいで……」
「成る程。同じ地球人と言うなら、確かに助けてあげたい所だけれどね。しかも、この世界である程度の安全が約束されてる街という存在そのものが気がかりというのもある。けれどね……」
「あと、人魚は周りの目を気にしていた様子でした。俺の推測になるんですが、表立って探りを入れられない状況なんだと思います」
「それなら、あまり大勢で乗り出したら逆効果かもしれないわね。人魚にも犯人にも警戒させてしまったら事件の解決は難航するから、少数の方が良いと……でも、人魚の街に人魚ではない者がいたらどのみち目立たないかしら?」
「外から人が呼ばれる事もあるみたいだから、その点大丈夫だと思いますから、多分それも問題ないのかと。全部、推測ですけど……」
聞いた内容を咀嚼しながらエレンはどうするか悩んでいた。少数の方が良いかもしれない、そうだとしても今回人魚から頼まれたのが葵とミアの2人だけというのは、流石に有事の時に対応が厳しいのではないかとも思う。だが、更に追加の人員をこちらで勝手に考えた時の人魚の側の心象はどうなのか、これまで遭遇した事がない以上あまり表立って行動していないであろう事は間違いない。
当の人魚と直にそこを調整出来るように交渉出来たら良かったのだが、その時間を与えられなかった。こうなると勘繰らざるを得なくなる、葵が来る様に誘導されているのではないだろうか?と。山岳地帯での使徒の件もあった以上楽観視は出来ない。
「罠の可能性があるものね、エレンが即決出来ないのも無理はないわ。彼女自身に敵意がなかったとしても、彼女の背後にある物までは分からないもの」
葵もまた、それを思わなかったわけではない。背後に何かいるとすれば間違いなく使徒だろう、それだけで様々な疑問にも納得がいく。もしそれで自分が捕まればどうなるか、死なない事がバレたら、そのリスクもある。
だが──
「その、これは……俺の立場を弁えないものだし、すごく軽率な意見なのかもしれませんけど、良いですか?」
「構わないわよ、言ってみて」
必死に言語化出来るように脳内で言葉を組み立てる。やりたい事がある、それを通すにはある程度の根拠や必要性は用意しておかなければならない。一瞬の間を置いた後、口を開き始める。
「もしも使徒の仕業なら、俺達が言わば勇者一行の立場なのは分かってるわけで……人質とかもあったじゃないですか、だとしたら街を見捨てたと言える状況も彼等には利用価値がきっと出来ます。一般人を見捨てて、彼等はノアに乗せる者を選別するのだという流言が使える。だから、行くも行かないも同じかもしれない、と……逆に言えば、使徒の足取りや情報を掴むチャンスにもなりますし、一石二鳥の可能性もないかな、と。事件そのものが偽物だとしても、それですぐに事は始まるからシンプルに物理で解決する話になりそうですし……」
言いたい事と言い方が噛み合わず、最早話す前の脳内のパズルは完成した後にそのまま額に飾られてしまったらしい。だがそれでも後のひと押しが必要だ。それに関しては特に悩む事はなかった、つまるところ彼の思っていた事はそれに収束するのだから。
「長々と色々言いましたが……えっと、つまり俺は、単純に心配だから助けに行きたいなと思っているんです」
つまり、ただ困ってる人を放っておけないという単純明快な理由だ。エレンが葵の身を案じているのも理解出来る、世界を救える手立てがあるのは勇者だけなのも分かっている。だが──
「こんな訳のわからない世界の中に来て、俺も不安がいっぱいなんです。だから、同じようにこの世界に来てしまって困ってる人を放っておくなんて事……出来なくて。何かあってからじゃ、遅いじゃないですか」
これもあるいは、感情的な意見かもしれないが、それが間違ってるとは思いたくない。皆が未知の状況に放り込まれているこの世界において、その基準を正しさだけで単純に割り切れるようにはなってない。葵は人を助けられる力を手に入れた、目の前に助けるべき人がいる、それならば助けなかったら確実にやらなかったという後悔をするに決まっている。
言わなければ良かったは何度でもある、だがそれ以上にやっておけば良かったも多い。ならば、今は後者を優先してしまおう、と。
「……」
こめかみに指を立てているエレン、この場で彼女の作る間に緊張感を覚えてしまうのは、自分から何か意見を言ってしまったという感覚がそうしたバイアスをかけているのだろう。だが、それにしても汗が滲むほどに長く感じる、とてつもなく。
暫くして、吐息と共に彼女は肩をすくめる。
「そんな風な目をされたらダメとは言えないじゃない。良いわ、助けに行ってあげて」
「!っあ、ありがとうございます!!」
了承を得た解放感と、安堵感から思わず膝の力が抜けそうになったが、それでもすぐに感謝の言葉を述べた。無理を通そうとした分の謝意も込めて。
「んまー見事な45度のお辞儀。でもね、危険を感じたら連絡する事。これだけは忘れないでね」
「はい、頑張ります!」
「これまでにも常にまとまって行動してたわけではないメンバーもいるから、アオイ君には良い経験かもしれないわね。それと……ミア、貴方も同行してくれる?」
「私も、ですか?負傷者の方々は……」
「心配しないで、貴方が1人抜けて回らなくなる程切迫してるならそもそもこうは言わないでしょ?他の人にも許可はすでに取ってるし、調整は任せておきなさい」
葵にとっても意外な人事と思わざるを得なかった。ミアは戦う力を持たないだけに今回の様な、いつ事が始まるか分からない状況かつ、少数のみでの行動の中だと守り切れるかどうか。
「大丈夫ですよ、葵さん。私も行きます」
「ミア……」
「な・に・せ。貴方がいない時は私がミアの側についておくもの。まぁ、そもそもレディの1人ぐらい守りきれる様にはなっておきたいところでしょうけれどね?」
「それは、そうだね。俺は今のところ守られてばかりな気がするから」
「……アオイ君、貴方は守っているものが今もあるのよ。そして、それで守れたものがある。忘れてはいけないわよ」
「はい……はい」
洞窟でクロエと力を合わせて助けた少女、飛鳥連理から救出した人質の事を思い出す。それと同時に過ぎるのは、大原義樹とのやり取り、そしてその直前の周囲からの期待に満ちた瞳。苦い気持ちに対してすぐには和解は出来ないけれど、助ける事が出来て良かったという安堵の気持ちもまた本物で、確かな達成感を伴っている。
2度の首肯はそれを胸の内で咀嚼する様に、その意味も込めて。食べ物だってしっかり噛んでようやく味をよく理解し、飲み込みやすくなる。これは実感と気持ちの食事だ。その味がどんな味で、どんな混ざり方をしようとも。
「うん、じゃあアオイ君もミアも早速準備を──」
空気を変えるように手を小さく一度叩きながらそう言うが、首を横に振りながら葵が遮るように口を開く。
「あ、待って下さい。丁度エレンさんもいる場なので、リンドに聞いておきたい事があります」
この場にいた全員がそれだけで何の事かは分かっていた、重要ではあるが一旦置いていた事柄だ。
「リンドを見れるか否かの基準について、教えて欲しいんだ」
「ええ、勿論よ」
「じゃあ、私がエレンさんに通訳しますね」
彼女の記憶が曖昧であるという事、だがそれでも徐々に何かを思い出しているというのが本当なのか。それとも、あえて言っていないという事があるのか、この場の誰にも答えられないかもしれないだろう。リンドはそれを分かっていても、何か振る舞いが変わるわけではなく、ごく普通に横髪を流しながら口を開く。
「さて、私が見えるか否かってね、そもそもが多分前提を間違えているわ。貴方達の言う邪神の影響の有無のみが問題ではないのよ」
「えっ、そうなの!?」
「我々は知覚出来ない存在、アオイにそう話したわよね?だから、我々を知る事が出来る感覚器官を持たないものはそもそも認知すら出来ない。貴方達は、それが近くにいる事も、逆に遠すぎる所にいる事も、異なる次元にある事なんて尚更に認識出来ない。前提は良い?」
「つまり、目や耳の様にリンドさん達を認識する為の部位を私達が持たないって事で良いんですか?」
「そういう事。でもね、そこに何かある、何かを感じたら貴方達はそれを知ろうとする生き物でしょう?」
「それは確かにそうだね、だからこそ科学って発展したわけだし」
「そして、貴方達は私達とまず話をする所から始めるでしょう。そしたら、貴方達は対話が出来るものと錯覚して、そう定義して、それを生物同士で共有するわ。そしていずれ、貴方達の間で共有しやすいように貴方達の周波数と記号で私達に名前をつけるわ」
ミアがエレンに通訳しているが、リンドの伝えたい事がここにいる人間にどこまで通じているのだろうか?
彼女は今、同じ目線で語ろうとしていない。理解を得ようとしていない。彼等が求めている答えだけを一直線に行けば良いのにそうしないのは、リンドなりの願いなのかもしれない。そこにいる生物としての理解、そうしたものなのだと理解してもらう為に。
「貴方達は、私達を理解の範疇に落とし込む。そうする事で、私達は理解の範疇の存在になる。ただの刃物が、呪われた物に認識を変えられるように、ただの鴉が疫病神になるように。私達はただの何かではなかったわ。でも、我々の干渉の中に我々の存在を見出した賢くも短命な一部の地球人は、その現象と恐怖に名前をつけて認識した」
「それが、俺達に邪神と呼ばれているもの?」
「そう、私達は地球の外からやってきた存在ではあっても、地球の中の認識としては最初は恐怖の現象でしかなかった。心霊現象のように、証明のしきれない、ね。でも、それを最初に認知した人がどんな恐ろしい現象であったとしても、邪神と定義しなかったら違う何かだったかもしれないわね……話が少し逸れたわ。つまり、私を認知出来ている者は、私達の干渉を受けた事がある人間という事、魔王とその使徒が邪神の恩恵を得ている様に」
「しかし、それならリンドさんはエレンさんにもすぐに認識してもらえる様に出来るのでは……?」
「私はまぁ……魂の単位で認識してくれているか、既にその領域に触れた事がある人しか見えないの。現時点で私が認識出来る人にしか出来ないわ」
「では、私と葵さんは何で──」
その問いかけには、微かな間を置いた。スラスラと己達について言語化を続けていたが、それに対しては己自身という個で答えなければいけなかったのだろう。だから、言葉を選ぶ事にした。選びたかった、彼女なりの基準での誠実さに準ずる為に。
「朧げなのよ、イライラするぐらい。これを何とは言えない、けれど……ミアと私は何かとても繋がりを感じるし、アオイは……アオイは不思議なの。何でなのか、私も……」
口にしながら戸惑う様にリンドは一度葵の方を見るが、葵と目が合った瞬間に何かを言いかけて止まる。額に手を当てて深く息を吐いて、息苦しさを誤魔化すかの様だ。彼もまた、そんな彼女を見ながら胸が苦しくなる気がした。彼女が自分の記憶と対話を試みているはずなのに、葵の記憶に問いかけられている様に響いたから──
「……ふぅ、とりあえずこれは考察の域を出ないけれど、アオイは既にその器官があったのかもしれない。それほどに自然だったから」
「で、でもそれじゃ……俺、怪しすぎない!?」
「誰も疑ってるなんて話はしていないでしょう?落ち着きなさいな」
「そう、だけど……」
ミアも少しエレンにどう伝えるか迷っていた。邪神がどのように手を加えてくるか、どこまで干渉出来るのかは正確には分かっていない段階では、葵に対して疑念を生んでしまうのではないだろうか、と。ミアとしてもそうなっては欲しくなかった、葵の為にも、この船の為にも。
だが、リンドは黙って頷く。そのまま伝えても構わない、と。微かな逡巡の後、ミアは口を開く。
「私とリンドさんには、何か繋がりがあって……葵さんは、そもそもその器官があったように自然だった……との事です」
「成る程、そんなところかしらね」
「え、エレンさん驚かないんですか?」
「そうした事象があるって事には驚くけれど、それそのものにショックを受けるような事はないわ。有り得ないと言える程にこの世界の当たり前の全てが分かってない」
「そうですけれど……」
「それで貴方達に監視でもつける?私はそれは良いとは思えないわね。疑えるほどに判断材料もない中で、皆からの信頼を得ている立場と、皆からの信頼を得ている人間を、そんな風に扱う方が余程悪い方向に物事が動いてしまうわ」
溜め息混じりに椅子に深く座り直しながら、エレンは2人を見上げる。
「良い?使えるものはいくらでも使うし、使うしかないの。私はそんな中で疑って対処出来る程に脳みそは並列思考出来ないし、人員に余裕はないの。だから、貴方達が思うほど不安になる事はないんだから、そのメカニズムにだけ意識を向けておきなさい。分かったわね?」
それで、それだけで彼女は済ませた。集団というものは微かな、指と指の隙間ほどの疑念ですら話題の1つとなって広がりを見せる。そしたら結束に乱れが必要のない箇所で出来る。
エレンからすれば、それを生むことそのものがただ、面倒かつメリットがない。葵とミアの人柄を信頼しているというのは前提にあるとしても、白か黒かとわざわざ聞かれるほどの事ですらない。リンドも含めて3人で顔を見合わせてから、各々で頷く。少し微笑んで、あるいはちょっと困ったように、あるいは少し呆れたように。
「うん、よろしい。彼女の伝えたい事は残ってない?」
「はい、大丈夫みたいです」
「それなら良いわ。じゃあ予定通りに、貴方達は準備が済み次第人魚の街の方に向かってちょうだい。皆にも伝えておくから」
「はい!俺、頑張ります!」
「一緒に頑張ります!」
「私もそれなりに」
「良い返事も聞けた事だし、解散。気をつけてね、何が起こるか分からないのは本当なんだから」
彼女の言い方がどこか、初めて遠出をする子供に向ける様な言い方に思えて、彼女なりの情を感じつつも少し可笑しくなって葵の表情が緩む。
家から出る時のやり取りを思い出す、家族との最後のやり取り。紅音の行ってきます、父と母のいってらっしゃい。その言葉が不思議と脳内で鮮明に響き渡る気がした──
*
エレンの部屋から出た後は各々で準備を済ませ、また川辺の方に再集合していた。ミアは色々と用意する物があったからなのか、鞄をサンドバッグの様に詰めた状態でヨタヨタと1番最後に来た。
「だ、大丈夫?持とうか?」
「大丈夫、です!」
「い、いや……大丈夫に見えないからやっぱり持つよ。俺は荷物っていう程の物も持ってないし」
「あれ、そういえば……確かに葵さんはそれだけなんですね?」
肩にかけている布製の袋、それだけに収まる程度の荷物しか実際なかった。食堂の人から渡された携帯食料の類と、ペンとインクとメモ用の紙束、痛み止め等の薬の瓶。それだけだった。
「俺用の部屋も貰ったけど、特に私物が増える事情もなくって。なんか、遠足セットみたいになっちゃった」
「私なんてそもそも自分の部屋もないし、物を増やすどころじゃないわ」
「じゃあ、これから増やしていきましょ……待って下さい。2人は同じ部屋に?」
「え?一応そうなるけれど……」
「私は寝る時は魔力になってアオイの中で寝てるもの、ミアの懸念してる様な……あぁ、でも私は確かにアオイと同室で睡眠の時も一緒ね?」
「あぁあわわわわ!!!い、いけません!いけません!!」
「だってぇ、私の身体は常に実体化出来るほどの元気はないんだから、動いてない時ぐらいはアオイと寝てても良いとは思わない?」
「誤解を生む言い方をするなよリンド!!」
「事情が事情だから仕方ないとしても、仕方ない事はなくて、い、いけません!!」
「何でダメなのよ。アオイは私の所有者なんだから」
「う、でもでもリンドさんは女の子なんですから!せめて、帰ってきてからは私と同室になってくださいよ!」
「あらあら、ミアったら羨ましいんでしょ〜」
「何、何で争ってるのこれ……いや、やめておこう。俺が何か言うともっと荒れそうな空気だ」
3人で言い合いと言えるかすら怪しいやり取りをしている間に、水面を叩く軽い音が聞こえてきた。
人魚が顔の半分だけを出して葵達の様子を伺い、ちゃんと以前助けを求めた人間だと分かれば安堵の笑顔を浮かべて上半身の分だけ身を乗り出してきて一礼をする。何度見ても不思議な姿だった。青の髪は微かに濡れてはいても、先程まで潜っていたとは思えない程にはただ、彩る様な濡れ方をしている。地球人、これでも彼女は確かに地球人なのだろうか。いや、そうだからこそ彼等に助けを求めに来たのだろう。
「来てくれたという事は、わたくしの頼みを聞いてくださるのですね」
「はい!」
「うん、君が困ってるのはよく伝わったからね。だから、案内してくれ、君達の街へ!」
「ああ……本当に、ありがとうございます。では、ご案内します。わたくし達の街へ」
そして、葵とリンドとミアの3人は人魚の街という新たな冒険に向かうのだった──




