第24話:己を道化と定義する
白と黒だけの世界。世界という言葉を使う事が誇張ではないと思わせるほどにその空間はその場所として独立しているように、この異世界の中でも異質だった。
広がる大地に草木は生えておらず。丘を登っていった先にある古城だけがそこにある。この世界に色彩を与える物があるとすれば、空、月、そしてそこに生きる群衆のような異形達と、そしてそれを総べる側。
「お疲れ様です、ゼーベルア様」
「はン、クソ爺か。わざわざお出迎えとはご苦労なこった。ったく!あくびが出ちまうぜ!ガキの世話なんざ二度としてやらねぇからな」
古城の中にある応接室。灯りとしての役割を成していないシャンデリアも、上品な刺繍の施された高価なソファーやカーテンも、花の絵の描かれた壺も、そこに色はなく外の光の反射光だけが微かに色を作っていた。
この美しさから色彩を抜き取ってしまった古城の様子に2人ともが慣れきっているのか、特に表情を歪める事はない。ゼーベルアはソファーにもたれながら治安の悪い酒場のようにテーブルに足をかけている。それに対して執事服を身に纏い、白髪と白い髭をたくわえた老人は温和な笑顔を浮かべて見守っているではないか。
「二度としない、と申されましても。魔王様がそう望めば、貴方はそうするでしょう」
「知った顔してんじゃねぇよ、耄碌してんのか」
「はっはっは、ならばこそ私の予言が外れる様に努力を重ねる事ですな」
「ちっ、予言だとかいうオカルトみてぇなのは魔王や邪神で腹一杯だぜ」
吐く真似をする様に赤い舌をダラリと出しながら、不機嫌そうに音を立ててテーブルにもう一度足を叩きつける。
その光景すらも慣れたものなのか、困った様に眉を八の字にしながら洋酒を出す。彼には上質な紅茶よりこちらの方が良い事もよく理解している。
「不思議なものですな。魔王様のお力や、邪神の力よりも、こんな世界でも普通に酒も食事も楽しめることの方が、ありえないと思えてしまうのですから」
「酒を作る奴、この世界の生物や植物の食べ方を見出す奴、そういうイかれた奴が居るからってのもあるにしたって、この世界は妙に都合の良い所がありやがる」
「お気に召しませんかな?」
「お膳立てされるのなんざ性に合わねぇ、それも邪神相手にだなんて考えりゃ反吐が出やがる」
「おやおや、反抗期ですかな」
「抜かせ、元より陣営に属してる事と忖度する事は分けてんだよ俺様は。俺様は俺様が世界の中心なンだよクソ爺」
溜め息1つ、それぐらいの活力が自分にもかつてはあったものだと老いるまでの話を語ろうとするも、既に男は興味を失って酒を煽っている。聞く気がない証拠だ。
「年寄りは寂しがりなんですよ」
「勝手に孤独死しろボケカスが」
「あぁ……ジジイは悲しいですぞ……」
「なら、不肖ながらこのわたくしめが話に乗ってやろうかな?トムス殿」
骨ばった男が音もなく応接室に姿を現す。無造作に伸ばした色素の薄い灰混じりの紫の髪、濁りきった黒い瞳。ケープと一体になってる灰色のマント、下に着ている黒い貴族服には骨の腕に抱かれている様なデザインの刺繍、それだけが異様さを放っているが、それ以外の服装は普通だ。首から下だけがこの場所に見合う格好となっているだろう。
「クライル様、どちらかと言えば貴方様が何かを話したがっているように思えますが、気のせいですかな?」
「そ〜う、お察しの通り。彼女に譲った結果がこれだったのでね、一緒に偵察に行った身としては責任を感じざるを得ないのだよぉ」
「では、どうされるので?魔王様がどう仰ったか、それこそが重要だと思いますがね、ただ個人で暴れていては、烏合の衆と笑われましょう」
「同感だぁ、だから魔王殿、に勇者との交流の許可を頂こうとね。アレはどうやらまだ子供の様だからね、隙が多い。魔王殿の勝利へと導ける算段があるんだよぉ」
「あ?脳汁で花畑作ってんのかテメェ?領域に引きずり込むのか?アイツらが使徒撃破に固執してるにしたって、そんな簡単に敵にとって有利な地形に飛び込んでくるかぁ?」
「野蛮な方には分からないでしょうなぁ、まぁ見ていなさい。許可と準備が済み次第、このわたくしめの技をお見せしますから」
「成る程、やる気があるのは良い事ですな。して、その方法とは?」
「わたくしらしくぅ、ねっとりとしたやり方で」
「企業秘密ですか、まぁ良いでしょう。全ては魔王様の御心のままに、あの方が良いとされるならば成功のみを祈りましょう」
「場合によっては、トムス殿やゼーベルア殿の仕事を奪う事となろうが、その時は運がなかったと思っておくれよぉ。ヒヒッ」
そうして、勝手に喋って勝手に満足したクライルは来た時と同じ様に音もなくその部屋から立ち去っていった。気だるげに洋酒を瓶ごと煽るゼーベルアは、彼が何をするつもりなのかに対しても、既に興味を失っていた。それが何ら欲求を満たすものでなければ、彼とはそもそも趣味が合わないからだ。発砲しなかったのはトムスの前だからであって、そうでなければ何か話す前に地面に伏せさせていた事だろう。
「そんな飲み方をしてはなりませんぞ、肝臓が悪くなります」
「肝臓に言えや、俺様は知らねぇよそんなもん」
すぐではなくとも、勇者達には新たな試練が待っている事だけは確かだった。蛇の様にまとわりつく罠が、彼らを狙っている──
*
船の修理、使徒との戦闘の報告、様々なやるべき事に追われ、落ち込む時間は誰にも与えられる事はなかった。それは無論、勇者である滝沢葵も例外なく。彼は現在ミアの所で治療の手伝いを──
「だ、め、です!!!」
「ご無体な……」
「貴方の身体のことを考えて言ってるんです!動いて良い身体の状態だと思ってるんですか!」
「だ、だって、この通り歩けちゃうんだ!元気に!」
「生まれたての子鹿のようになってるじゃありませんか」
「だ、だけどね、今の俺の足は生まれたての子鹿でも生命力はゴキブリ並みなんだ……」
「Gさんから俊足を抜いてる時点でそれは致命的な欠陥なんですよ!Gさんから足を抜いたら色々と強みが残らないでしょう!」
「て、手厳しい。色んなベクトルに……主にゴキブリに対して……」
「そもそも自分をアレアレ、Gさんに例えちゃダメです!」
事実として、葵の身体は表面的には見えない怪我が特に重く、彼が治療を受けなければいけない側なのだが、軽く処置だけを受けてその後は事後処理の手伝いをしに行こうとしていたのだ。無論、それが了承を得られるわけではない。
「ごめん、ミアが心配してくれてるのは分かっているんだけれど……どうしても、落ち着かなくって」
「滝沢さん……例え、落ち着かなくて、動いてないと色んな事を考えてしまいそうだったとしても、それで慌ててしまっては良い方に進みません……そうは思いませんか?」
「……分かってる、分かってはいるんだ。そう思いもする、けれど……」
「けれど?」
「何か、したいんだ。少しでも、この世界でも何か出来るって思えないと、ここにいる事が申し訳なくなりそうで……」
「…………んもぅ、仕方ないですね。では治療のお手伝いではなく。居住区の方々に顔を見せてあげてくれませんか?貴方の顔を見たら皆さん安心すると思います」
ミアにそう言われた瞬間に、葵の表情は分かりやすく明るい顔に変わる。
今は身体を休める事が大事で、それ以外を積極的に何かをやろうとする事は姿勢としては褒められたものであったとしても、立場としては正しくない、それは葵自身も理解している。だから、これは私情で勝手な事をしたがっている様な、我儘を言っている様な罪悪感が湧いている。それでも、今は無理矢理にでも前を見るように、自分で仕向けなければ思考がまた悪く回り続ける気がしていた。ただの、慰めだ。
「じゃあ、行ってくるね」
「あ……ま、待ってください滝沢さん!」
「な、何?」
彼女の悲しそうな顔を直視し続けるのが辛くなって立ち去ろうと数歩、そこで呼び止められて思わず軽く足を滑らせる。
「わわっ!すみません!!」
彼がこけるならば手を差し出そうと駆け寄るがギリギリで踏みとどまって、2人で顔を見合わせて安堵の息を吐く。その様子が少しだけおかしくて、ぎこちないけれど互いに笑顔に表情は変化していく。
「えっと、そ、その、ごめんね!変な感じになっちゃって」
「い、いいえ。謝るようなことは何も……そ、そんな大したことを伝えようと思ったわけでもありませんから!だから、その……無理を、しないでくださいね」
「うん、ありがとう。無理をしようとしても出来る身体じゃないから、そうするよ」
「はい。貴方は、自分に無理を強いる事に躊躇がないです。だから、本当に……無理はしないでくださいね」
葵の手を両の手で包む彼女の様子を見ながら、手を握るというよりも、祈っている様に思えた。自分の想いが届く様に、縋る様に。感じられる彼女の強い気持ちと、頼りない手の力が、そう思わせた。
彼女が葵に対して抱いてる複雑な不安を何度も感じ取っている。仲間達や避難民達相手にも同様の不安を抱いていてもおかしくはないが、彼相手にだけは何か上乗せする物があるらしい。しかし、そこまで思ってもらえる様な事は何もしていない、そんな自分相手に何故、と葵はどうしても脳の片隅で考えている。それを嫌だと思ってなど当然ないわけだが、何故自分なのかをただ知りたい思いはあった。彼女は、随分と葵を知っている様だから。
「……私からは、ただそれだけです。すみません、呼び止めてしまって」
「ううん、君が心配してくれてるって事はすごく伝わったから。嬉しいよ、ありがとう」
「心配する以外も、ちゃんと出来たらって思いはするんですけれどね」
首を横に傾けながら浮かべる小さな笑みには、どこか謝意が含まれてる様に思えた。それをどうしてと言えない、自重してしまう自分が恨めしくなる。
「ミアさん、ちょっと来てください」
「あっ、はーい!少しお待ちください!すみません、私はこれで失礼しますね」
「忙しい中、時間をとらせてごめんね」
「いいえ、その…………滝沢さん、怒鳴ったりして、ごめんなさい!」
もう一度だけ強く握り、手を解くと同時に身を翻して立ち去っていく。彼女の背が見えなくなるまで見送った後、自分の手を見つめる。
『私達を追い詰めて、私の目の前でアンタはあの子の首を刎ねたのよ?』
『我々は勇者を求めていた人々だという事を決して忘れないで』
自分の知っている自分が全部ではない事は葵も分かっている。だが、彼自身の知らない彼というものを見ながらこの世界の人の何人かが向かい合って話している。ミアも恐らくそうだった。
その誰かは誰なのか、それが自分と重なる様な人間であった事しか分からない。だが、自分と重なる様な人間が小さな子供を殺せるのか、皆の求める様な人だったのか、何も実感が湧かないのに誰かを見て皆が話している。
(そうか、多分……俺と同じなんだ)
等しく、異世界にやってきた同郷の人々は心細いのだろう。眠る時に抱きしめるぬいぐるみを欲する様に、と──
*
「あっ!勇者のお兄さん!」
「百合香ちゃん!大丈夫だったかな?」
「うん!すごく元気だよ!」
居住区に来て最初に声をあげたのは百合香だった、以前顔を出した時と変わらず明るい笑顔で駆け寄ってくる彼女に安堵しながら、目線を合わせる。その声で気付いた周囲の人々も勇者の姿に表情を明るくしながら葵に近付いてくる。
「皆さんも、お怪我とか大丈夫ですか?」
「はい、お陰様で。勇者様達がとても頑張って下さったからです!」
「良かったです、さっきの戦闘は激しかったですし、皆さんに不安な思いをさせた事が気がかりだったので」
「確かに怖くはありましたが、勇者様達が戦っている事で勇気をもらえましたから!」
「勇者様が何とかしてくれるって考えりゃ、俺達はただ耐えりゃ良いだけなんだからな。耐えて、後は応援、それぐらい出来なけりゃ流石に情けねぇや!」
避難民の人々がこうして笑いながら話を出来ている、それこそが大事なのだろうと実感する。これが恐怖に怯えたままの顔になる時こそが、勇者と呼ばれる立場にとって恐るべき状況なのだから。
勇者とは希望、勇者とは人々に笑顔を与えられる者、彼にとっての理想の勇者像の真似。それの第一歩は少なくとも出来ている様に思える、彼らを救ったと言えるほど葵自身は何か出来たと思えていないからこそ、葵は彼等のそんな様子に逆に救われている。
「自分は、皆さんにとって地球のあの日々が今も近くにあるって思ってもらえる様に、少しでも笑っていられる様にって思えたら沢山頑張れそうな気がしているので。応援したいって、その気持ちが励みになるんです」
「はははっ、そう言ってもらえたら嬉しい限りです!」
「ゆーしゃ様が言うんなら誰よりも応援しちゃうもんね!」
「ルーイ君はいつも元気いっぱいだもんね、君の応援を受けたら俺無敵になっちゃうかも!」
「マジで!?じゃあ沢山応援するー!!」
無邪気に喜ぶルーイの頭を撫でながら思う、ここでは自分は10代の庇護を受ける立場である子供ではなく、自分は守る側なのだと。いや、より正しく言うならば、そう在り続けなければならないのだ。皆さんは助かります、そう言った人間が本当はそんな事が出来る様な人間ではなかったと知れば、絶望も失望も計り知れない。ましてや、こんな世界では。
そんな中で、希望ではないのだと無意識下でも暴こうとする者がいたらどうだろう?
「た、滝沢……」
「……大原」
大原義樹、飛鳥連理の手から救出した滝沢葵の同級生だ──
「…………えっと、怪我は、ない?鎖で、なんか……繋がれてたからさ」
「……いや、まぁ……別に怪我ってほどでもないけど」
「それなら、良かった」
引きつった笑顔、ぎこちのない会話、葵は密かに危機感を覚えていた。滝沢葵としての側面が隠せなくなる、これは勇者らしくない。微かな沈黙が場を支配した時に、子供達の内の1人が目を輝かせながら義樹の袖を引っ張っていた。
「おぁっ!?どうしたんだ?」
「にーちゃん、勇者様の事を知ってるの?」
「あ、あぁ、滝沢の事か?」
「勇者様の事!」
子供がわざわざ訂正した意味、周囲の様子、そこから義樹も察する事ができた。サンタクロースを信じる子供に、自分の元にやってくるサンタクロースは親なんだとわざわざ告げる事の残酷さ、そしてその無粋さは理解出来る。子供の無垢な目があるから尚更に。
「そうだぞ、俺は勇者様と……知り合いなんだ!」
「マジ!?すげぇ!」
「すごいだろ!勇者様はな、地球にいた頃からすごく勇敢だったんだぞ!」
先程までの異様な空気を打ち消す様に語り始める義樹に戸惑いを見せていないのは子供達だけだった。だが、彼の語り口はどこまでも夢を守ろうとする様に、嘲笑の意味合いなど含まれていなかった。
「悪い奴相手にも平気で立ち向かって、恐れないどころか、すごく堂々としていたんだ!周りの奴等はすげぇビビって庇いにすらいけない中でだぜ!?」
あまり多くない語彙の限りを尽くして、彼は滝沢葵に勇者像を皆に強調していく。
「それに勇者様はな、少しばかり口数の少ないところはあったが、いつだって見守る様に俺達の事を見てくれていてだな。俺達が元気に過ごせる様にって願ってくれてた」
実際のところ、避難民も勇者の実在性に対して半信半疑なところがあったかもしれない。今だってそうだ、彼等は信じたいから信じている自分をやっているだけかもしれない。だが、その為にも他者からの証言という追加される要素、頭の中で固定するイメージが共有されていく事、それは聞くに値するものだった。
「やっぱり普通の奴とは違う印象だったな、カリスマってやつかな。安易に近付けない雰囲気なのに、いざ向こうから手を差し伸べられたらすげぇ暖かい感じ。生まれつきの勇者って感じだったんだ!」
今の彼は吟遊詩人になっているのだ。遠くの英雄を語り継ぎ、皆の中でその存在はどこまでも強く、大きくさせて、どんな存在や災いが訪れてもその存在という前例が希望になってくれる。皆の前で、滝沢葵をそうしたものと信じさせる様に、彼は歌っている。
「謎が多いところもあって、腕っ節だって──」
葵にとっても彼がその空気に合わせようとしてくれているのは好都合だった。彼は顔が広く、陽気で、周囲に人がいる事も多く、多数の側の空気の流れを作るのが上手いところがあった。だから、子供を相手に空気を読む事で結果的に周囲に対する信頼も獲得出来た。良い状況だ。
それは、間違いないはずだった。
「な!滝沢!」
「そんな風に言われると少し……いや、かなり照れ臭いよ、大原。俺は俺の思う様にやってるだけなんだから」
だが、葵の内心は穏やかではない。負の感情をわざわざ抉り出されている気分だった。
「でも、ありがとう。その言葉でもっと胸を張れる勇者になれる様にこれからも頑張れそうだ」
先生の前でだけ良い子を装っている様子と同じ様に見えた。魔術があっても、未曾有の災害があっても、魔物がいても、どれだけ幻想が飾り立てても、ここは現実の延長線上なのだ。魔王の使徒達は、そんな延長線を断ちたいのかもしれない。
「地球にいた頃から、そうだったなんて」
「学生服を着ているのが不思議になっちゃうわ!」
そうして、素晴らしい友情が披露されて。
「そんな近くで勇者様を見てきたなんて、ちょっと彼が羨ましい気がするね」
「でもさ、ほら!光って遠い程になんか神々しいじゃん!」
「とんでもねぇ規模の例えが来たな……」
「まぁ、あんだけ楽しそうに語られたら、なぁ?」
2人に向けて、微笑ましそうにする顔が向けられる。急に語りの熱が一気に恥の熱に変換されたのか、顔を赤くしながら視線を泳がせる義樹。その横で笑みを絶やさない葵。
「な、なんかよ。ちと視線がこそばゆいって感じだから場所変えて話さね?」
「……うん、勿論!」
「ってわけで、皆さんの勇者様をちょっとお借りしますねー!失礼しましたー!」
半ば強引に連れ出されたが、こんな日が来るのは遅かれ早かれだったのだろう。良好とは言い難い関係だった同級生、そして彼は保護される側の人間、それがこんな訳の分からない世界で再会したのだから、最低限一度は話をしておかねばならないのは必然だ。
*
「それで、俺に話したい事って何?」
人目につかない場所、というよりも人通りがそこそこあって気に留める人が多くない場所である廊下の端を選んだ。人に聞かせて楽しい話ではないのは確かだ、そういう点であまり互いに目立ちたくないという利害は一致した。
「……お前、やっぱ恨んでたんだろ?」
「…………うん?」
「そうじゃなかったら、こんな状況になってないだろ。一晩寝りゃ目が覚めて元に戻るかもしれない、だがよ……だからってお前がわざわざ夢に出てきて、俺が人質になって……お前がそこまで恨んでるとは、思わなかった」
「……君の言ってる事が分からないんだけれど」
『また“お姉ちゃん”に髪をくくってもらったのか、葵“ちゃん”!』
『アイツさ、ほらシスコンなんだぜ!ヤバくね!?』
思い出す彼の言葉。彼から派生して似た様な事を言い出す取り巻き達。そうだ、彼は顔が広く、陽気で、周囲に人がいる事も多く、多数の側の空気の流れを作るのが上手いところがあった。“多数の空気を操ってクラスの流れを作った”。
「それにさ、恨んでると思うなんてさ。傲慢だよ。恨んだり憎んだりする程、俺は君を注視なんてしていないよ」
「嘘だろ、それ。言われて良い気がしねぇのは確かじゃんよ。分かってたよ、でもそれだけでアイツらと笑って話が出来るんだ。簡単な話題だったんだよ。そう思われてさ、それでも別に恨んでないとか、気持ち悪いだろ」
彼の言う事もその通りだと思いながら、先程よりも感情は凪いでいた。彼の思考の大前提を置き去りにしてはいけない、葵の中のブレーキがかかる。誰かが言った。陰口や嫌がらせを受ける側にも何かそうされる理由はあるのだと、その理論を振りかざす者は嫌いだが、葵は自分自身にのみそれを使っていた。そう考えてからは、感情が大きくなっても沸騰はしなくなった、不毛で、無意味だから。
「なんて言えばここから出られる」
「さぁ」
「お前が勇者で、お前が夢にいて、こんなのお前が何らかの原因って思うのも仕方ないと思わないか?」
「大原は俺をどんな奴だと思ってるんだよ。君と俺以外が俺の作ったNPCに見えたの?違うだろ、皆も君と同じ様にこの世界に迷い込んだ人々だ。全てが俺の望んだもので、俺の夢なら、俺だって人の生死なんて関係ない幸せな夢が良いよ」
「そりゃそうだけどさ……」
「君と同じ被害者だ、誰も彼もが。だから、俺はそれを何とかする為に勇者なんて事をしてる……俺なんかが、だよ。そう、そんな俺なんかが原因になれる程大それてると思う?」
彼は懺悔をしに来たわけではない。彼は元の世界に帰してもらう為に話し合いに来た。葵にとっても懺悔など不要だった、今更謝罪をされると許さないといけなくなって、彼もまた変わったのだと思わないといけなくなる。それは葵なりに不服ではあるから、そうではなくて良かったと強く思っている。
「大それてるって気はしねぇよ……でも、でもよ」
訳の分からない状況への苛立ちで頭を掻きながらも、言葉を選んでいる様子、それを言う事を避けたがっている様な。これまでの発言を思えば早く言えば良いだろうにと葵の立場からしたらそう思うばかりだった、ただ──
「じゃあ、じゃあよ!何で死んだはずのお前が俺の前に出るはずがあるんだよ」
死人である事を理解していない亡霊にそう告げる事が、恐ろしいと思うのは何らおかしくはないだろう。




