第23話:秤に掛けろと嗤う
滝沢葵の救出完了。この知らせを受けた艦橋内は一部を除いて各々で安堵の感情を浮かべていた。勇者が要である事に変わりはなく、勇者という存在に代わりはいない。無論、彼という個人の無事に安心する気持ちはある。肩書きはどうあれ、まだ彼はちゃんと高校生の少年に見えるのだから。
そして、皆の安堵の中でエミナだけが片眉を上げ、それが徐々に驚愕の顔に変わっていった。
「ま、魔力反応が急接近してます!!12時の方向!魔王の使徒です!!」
「嘘っ!?ファイナ、すぐにダルガ達に連絡して!!」
「了解しました!!」
*
彼等もまた、使徒への事実上の勝利に対する余韻に浸る余裕は一切与えられなかった。後は連理の意識がない今の間にトドメを刺すだけだった。だが、このタイミングでのその報告を聞いた時にも驚くより先に皆は行動を始めていた。
「防御隊!密集隊形を取れ!!」
「攻撃隊、12時の方向!詠唱始め!!」
2人の号令でまた余力のある面々が動き始めた。この戦いが始まった時と比べて人数は少なからず発生した負傷者と死亡者で減っている。生存者も疲労の極致の中新たな使途を迎えなければならない、最悪のタイミングだ。
葵も本来ならば後方に退がるべきなのだが、彼がこの戦いに身を置く理由を思えば無理を押してでも留まる必要があった。ライに肩を貸してもらわなければ立つのが苦しいほどの状態なのもまた事実。彼はお飾りとして残るしかない、葵はそんな立場に眉を寄せざるを得なかったが、幸い今はそんな些細な事よりも重大な事態が目の前にある。
「ライ。使徒とはいえ、空は自在には普通は動けないんだよね?」
「ああ、今回の奴は風を操るから辛うじて空での戦闘が出来ていたが、空中を飛び回る事は出来ない。この異世界が出来てから一度もそんな例外はなかった。アオイも飛べてたわけじゃないだろ?」
「うん、そうだったね」
短距離の転移。空にいる相手を中心として、それを繰り返す事で擬似的に空中戦を成立させていた。だが、それは彼が飛べてたわけではなく、彼の動ける範囲で彼女が宙にいただけだ。
そんな経験をした葵ですら、魔術で飛べるとは思い込めなかった。想像がつくのは落下する時の浮遊感の方、結晶を爆発させたり障壁を張る方も大概だと思ってはいるが、鳥の様に飛ぶ様子はどうもピンと来ない。
「だったら飛鳥連理の様な事例がない限り、この飛んでる船にどう乗り込むんだろう……彼女も魔物に乗って来たわけじゃないか」
「そこの奴みたいな例外の手段があるか、それか余程の仲間思いのお人好しかの2択になるが……」
しかし、そう2人が頭を悩ませていた時。
『船の下に向かって来ています!迎撃を!!』
現在進行形で動いているこの船の進行方向の側から走ってくる何かは間違いなくこの世界に順応した人間の速度だった。地上の方の警戒についている面々が焦りを見せるほどに。
「“阻むは地の化身”!!」
術師隊がそう口にすると船の下で、岩が積み重なり接近して来ている使徒の足止めをする。その隙をついて、対地に向けて船首から構えていたクロエが想撃砲を発射する。
爆風と爆音が遠くとも、確かな衝撃は見ているだけでも感じられた。だが、ゴーグルを上げたクロエの表情は険しいままだった。
「下に潜られました、無傷ではないでしょうけれど今のは決定打にはなっていません」
「ブラン!術師隊!追撃は!!」
「船に修復不可能な穴を開けて良いならすぐにでもやってた!!」
後手に回ってしまえば、そこからは流れるように事態は相手の手番のままで悪く動いていく。
船がゆっくりと、しかし徐々に速度をつけながら降下を始める。それがグレムの操縦によるものではない事は皆が分かっていた。
「な、何が起きてるんだ!?」
「ふ、船が!!」
「狼狽えるな!!馬鹿弟子共!使徒が上がって来た瞬間を見逃すな!!」
「リンド、これは……ッ」
葵の戸惑いに対する返事はせず、魔物の持っていた骨の槍を拾い上げ、バトンでも回すように手元でくるくると優雅に回しながら彼女はそれの到達を待っている。狩人と言いたがる彼女のその目の鋭さはまさしく狩りをする顔と言えるだろう。
その影が、頭頂部が見えた瞬間にはリンド含め攻撃の準備を終えていた面々による総攻撃が放たれていた。大砲のように激しく、そして研がれた刃物のように鋭く直線に飛ぶ槍、同時に飛来していく雷光。その爆風が、爆音が、その全てを含んだ光景そのものが闘争だった。この世界でも人間は致命傷を負えば死ぬ、苦しむ、この攻撃で少なくとも軽くはない傷を負わせられる……はずなのだが──
「クソつまんねぇ」
その声の主はその爆風の中にはいない。
「っぐ!?」
「ライ!!」
ライが蹴り飛ばされたと認識した時にはもう、葵の真後ろにそれはいた。彼の後頭部に突きつけられた冷たい感触は初遭遇の時を想起させる。
金のメッシュの入った無造作な赤い髪、ギラギラと獣のように光る金の瞳、そしてその手に握られている2丁拳銃。その姿に葵とリンドは見覚えがあった。
「ゼーベルア!!」
「あン?感動の再会とでも言いてぇのか?このクソガキぃ」
不機嫌そうに鼻を鳴らしながらゼーベルアは埃を払う。葵の心に与える焦りと緊張感は皆と同様かもしれないが、相打ちとはいえ一度撤退させたという実績が自分の中である以上は、それを糧に勇気を振り絞り続けなければならない。
楽しいから争い、仕事だからと殺す、彼の感情は共感出来るはずもないものであったからこそ、より明確に敵として強い負の感情を持って背後に向けて睨みつける事だけは辛うじて出来た、出来たという言葉がはたして正確かは定かでなくとも。
「いやぁ、俺様とした事が前回はしくったぜ。まぁさかテメェが勇者だったとはな。仕留め損ねたのは純粋に俺様のミスだ、目利きをもっと鍛えなきゃいけないってわけだ。完璧な俺様にもミスはある、そうだろう?クソガキ」
「だから、今その分を取り戻そうって事か!?」
「それは今じゃねぇ。今回は失敗した馬鹿の回収が仕事なんでな」
「それを成功させるための人質のつもりなんだね、俺が……でも、この人数だ。お前が俺を殺したり彼女を回収するよりも、意識のない彼女にトドメを刺す方が多分余程早い」
「テメェ1人が人質?く、ははっ、カカカッッ!!こいつぁ傑作だぜ!!ただのガキが勇者って呼ばれて昂っちまったかぁおい!!」
笑いすぎて呼吸困難を起こしそうなほどに男はただ、ただ笑い続ける。何が可笑しいのかと誰かに言わせる隙すら与えないほどに清々しく、気味悪く。ようやく息を整えたと思えば悪意を含んで口角を釣り上げながら、左手の銃を足元に向ける。
「テメェ等も察してんだろ?赫き静銃ゼロ、これが俺様の武器をって事をよ。コイツはお利口さんだぜ。……おい、テメェらの艦長いるんだろ、こっからはそいつにも聞こえるようにしとけ」
単なるハイになっている男ならばそれだけだが、彼から自分の能力を教えようとしている事はそれを聞いた上でこちらが考えなければならない事があるからだ。そうでないなら、最初の遭遇の時点で彼はその能力を見せていたはずだ、葵やリンドすら初めて知るのは彼の用心深さの一旦なのか。あるいは本当にただの気まぐれか。
「俺様と比べてより格が下である程、首を垂れずにはいられなくなる。おもしれぇだろ?逆に、格が上であるほどにどこまでも見下ろせる。俺様はテメェ等より格が上だ」
彼のこれまでの様子や態度から思えば、あまりにも言いそうな大言が過ぎて、一瞬それを真剣に受け取れない者が何人か現れたのは致し方のない事だろう。だが、それで思わず鼻で笑ってしまった者を男は見逃さない。
足元に向かっていた銃口は瞬く間にその人物に向かい、発砲音が響く。
「うぐ、がああぁぁぁ!!」
「し、しっかりしろ!!すぐ止血してやるからな!」
「肩がやられてやがる!き、貴様!よくも!!」
「はっ!人がわざわざ親切にも説明してやってんだろうが、口を閉じる事もマトモに出来ねぇのか?人が話してる時は黙っておくのが礼儀だろうが、弁えろよ。殺されなかった分だけ泣いて感謝されても良いぐらいだからな」
心底呆れたというような顔を浮かべながら見下ろす。下唇を噛む者や、喉を引きつらせる者がいると分かっていても、当然それでゼーベルアが良心の呵責に苛まれる事はない。妥協をしている側の表情を浮かべたまま続きを口にする。
「変に水差されてクソ萎えちまったよな?テメェら。まぁ、俺様は寛大なのでこの分の失点はツケにしといてやるよ!カカッ!んでよ、どこまで話したか?あぁそうだ、コレの能力だったな。簡単に言えば重力操作なんだが、俺様の主観でその強弱が決まるからそんな自由でもねぇ。格下である程に身体は重くなり、格上である程に重力は無に近くなる。お分かり?そこで這いつくばってる奴いるだろ?俺様にはこの船もその程度にしか見えねぇってわけ」
その言葉で、確信とまではいかずともその目論見を推測出来た。だからこそ、その銃口が船に向かってる事の危険性に数人が気付いてしまう。
「そうだ、この船は俺様より格が下だ。滑稽だぜこいつぁ!ビビり散らかして、漏らしそうなぐらいガタガタ震えてやがる!だからよぉ、俺様はいつでもこの船を地面に叩きつけてやれるってわけ。箱の中で大バウンド、安全装置のない絶叫マシンの完成ってわけだ!」
「め、滅茶苦茶じゃないか!!使徒を取り返したいだけなら無関係な人達を巻き込むな!!」
「相変わらず胸焼けしてゲロ吐きそうなぐらい退屈な事しか言わねぇくせにキャンキャン吠えやがるクソガキだなぁおい?頭を使えや、平和ボケ野郎。ったく、おいそこの陰険ローブ野郎。船の代表者と話せるモン貸せや、直に交渉してやる」
「ぶ、ブラン様……」
「癪に障るが要求に従え、その魔道具1つで今以上に状況を悪くする力はない」
小さく頷いてから耳にはめていた魔道具を恐る恐る差し出す。当然ながら感謝の言葉もなく、最初から自分の物だったように耳にはめる。
『初めまして、使徒。私がノアの艦長エレンよ』
「よぉ、今アンタらを夢中にさせてるモテ男の使徒様だぜ、よろしくな!」
まるで今からエレンを口説こうとしているかのような軽薄さでの声はほんの一瞬。わざとらしく息を吐いてから、男の声は一気に低くなる。
「俺様はせっかちだからな、端的に聞いてやるぜ。この船の人間の命と、ここで寝こけてる馬鹿1人、どっちかすぐに、選べ。少しでも遅れたら撃つ。言っておくが、俺様はそこで寝てる奴と違って集団の敵を舐め腐ってやらねぇからな」
この場で誰かがゼーベルアに突進でもかけたら。この場で腕ごと銃を誰かが切り裂ければ。まだその全ての能力が分かっていないリンドに任せれば。その選択を迫らせる事もなければ、こんな危険な状況が生まれる事もなかったかもしれない。
だからこそ、考える時間を与えなかった。1番何かを出来そうなリンドすら、一瞬の間に葵を殺す算段のある状態のこの男を前に迂闊な事はしたくなかった。実際に死ぬか死なないかではなく、彼女はそれだけで、動かない方を選ぶ理由になる。
『──』
仲間が命を落とし、生きていても多くの傷を負ったこの戦いを実質的にリセットする結果になろうとしている。それに対しての葛藤を持たないわけではない、ここでまずは1人目の使徒と遭遇するならばそれを倒す、そう実質言ったのもまたエレンだった。だからこそ仲間も全力で応えようとしたという事ものしかかる。
だが──
『分かったわ。その取り引きを受けましょう』
逡巡する事は許されない。その答えは凝縮された葛藤に反して早かった。
「……いい子だ、レディ。それでいい」
返事を聞いてからの行動は早く、連理を片手で肩に担ぎ、船に向けた銃はそのままに真っ直ぐ船のへりへと歩いて行く。黙って道を開ける人々の中進んでいく様子に、ゼーベルアは思わず喉の奥からの笑いを漏らしているが、周囲の者はそれに激昂する事すら許されない。彼等は攻撃を出来ない、今は決してそれが許されない、そこを普通に通り抜けることが最も彼等の怒りを煽る行為である事をよく理解した上で、あえてそうするのは感情の置き土産か。
「じゃ、そんだけなんでね。賢明な艦長に感謝しな。だ、が、次はイカれたパーティーがしてぇ所だな!かかっ!」
その日を思ってか、笑い続ける彼は立ち去ろうと船のへりに片足を乗せる。その直前に一度だけ振り向く、その視線の先は勇者の少年だ。
「クソガキのナマクラが次には研がれてる事を願うぜ、鍛え直しな」
負け惜しみじゃないか。葵はそう言いたかったが、皆が堪えてる中でそれを無駄にする事はできない。少なくとも、彼は前回の戦闘でその能力を使っていなかった分で相打ちに出来たのはあるだろう。もっとも、彼自身の言う通りそれはただのミスでしかないのも間違いはないだろう。
どうあれ、今度こそ男の姿は船上から消える。それで戦いの終わりの合図となって、悔しさも不満も全て置き去りにして、皆はただ、ただ疲労に襲われるばかりだ。
「っ……!!」
「アオイ──」
葵は感情の行き場を求めて自身の頬を殴りつける。しかし、頬がジンジンと鈍く痛んで、口の中が切れて鉄臭くなるだけで何の意味もない。意味がなくとも、痛みは忘れない。痛みと共にこの悔しさは忘れない。そして、飛鳥連理の時のような殺し合いも、決して、当たり前になってしまわないように。
そんな事は絶対にないと思うのに、絶対とは言い切れない気がしていた。当たり前ではなくとも、そう思わなくてはならない日が迫っている。そんな足音を感じていた、遠くから──
*
「…………」
艦橋にいるメンバーは、倒れた者達は、どんな気持ちかを思いながらエレンは自分にだけ聞こえるように吐息を溢した。誰も責めなければ、これしか手がなかった事は間違いない。
「……え、あ、エレン、艦長。あ、わ、あの……使徒の魔力反応は、や、約束通りにちゃんと、遠ざかりました」
「我々は、一命を取り留めたみたいね」
「か、艦長……」
人命を優先する以外に道はなく、調査隊や観測班の徒労、仲間の仇、使徒の撃破、それに対して責任を覚えて固執する事でどうなるか。船の中の被害がない限り、船が人々と共にある限りは、また再戦の機会もある。だが、人々の命と船を引き換えにした分だけの価値が使徒1人の命にはあるかどうか。今後戦えなくなるのに得られる戦果は1人の撃破であったら釣り合いが取れない。今度は彼等の領域での戦闘になるかもしれなくても、ひとまずは飛鳥連理という使徒との戦闘を終えて疲弊した後に万全の使徒1人との戦いをするなんていう事態を避けられた。それが重要だった。
「ふぅ……」
だが、彼女もまたこの世界を訪れる前は地球で普通に生きてきた人間だ。責任者である以上こうした危機的事態での判断が初めてではなくとも、それにかかる精神的な負荷は相応だ。
だから、今は結果のみを見る。これでも死傷者は最小限に抑えられたのだ、と。
「──これより、我々は大河に向かう」
こうしてノアの人々は、使徒の待つ山岳地帯を無事抜けた。




