第15話:終焉、デザート会議
桜の花が風に吹かれていた。コンクリートの地面の上に敷かれた自然の絨毯は、様々な始まりや環境の変化を前向きにさせる為に用意されたかの様に華やかだ。
その絨毯を革靴で踏むうちの1人であるその少年もまた、3年への進級という大きな出来事を前にしていた。新たなクラス、新たな教師、受験、考える事が増える時期だ。
「っていうか、由奈のネイルの気合いやばいじゃん」
「だって第一印象まじ大事じゃん?最初に舐められたらその後もそのまんまとか無理無理!なので私はこんなにも煌めいてるってとこアピールしないとね!」
「理沙すげぇ考えてんじゃ!マジリスペクトだわ。でも爪に寿司乗ってるのは攻め過ぎじゃね!?」
「青魚の煌めきはトレンドだから、今マジ無敵だから」
肩を並べて歩く女子2人はまさしく花々の上を歩くに相応しかった。他にも同じく星明高校の制服を身に纏った緊張している新入生や、あくびをしている生徒、様々な顔が始まりと日常を同時に展開していた。皆が皆、明るい顔を浮かべながら歩いているわけではないが、少年は無表情を装って暗い顔を浮かべていた。
3年になる事が問題ではない、最も皆の頭痛の種であろう進路は既に決めていて特に心配はない。だが、このクラス替えというものはあまり得意ではなかった、浮いてる事に慣れ始めた頃に、また浮いてる感覚を覚え直さないといけない新しい環境。考えているだけで少年の足取りは重くなる、どうしてもっと皆と馴染めるように立ち回れなかったのか、どうしてもっと笑って済ませられなかったのか、そんな後悔と他者に対する抑制した感情で胃もたれを起こしている。
「あ……」
少し歩いた先に倒れている雀がいた。しかし、近くの電柱に激突してしまったのか頭から血を流して動く気配がない。少年はその雀の近くにしゃがみ込んで様子を見つめるが、呼吸をしている様子はない、目を閉じている姿だけ見れば安らかだが、こうなるに至ったその瞬間はどれ程の痛みが持続したのか、苦しんだのかに思いを馳せるのが彼だった。それを痛ましく思う人は他にいた、それを口にする生徒も中にはいたが、大半は気にも留める事はなく、足を止めたのは彼だけだった。
「見ろよあれ……」
「げ、死んでるじゃん……悪いけど縁起悪っ」
そう感じるのも自由ではあり、ましてや気付かない事が罪なわけがない。だが、少年はその雀をせめてここから離れた場所に連れて行きたかった。自転車が、気付かず足が、あるいは鴉が、この遺体を散らしてしまうかもしれないから。しかし、その手を止める事となる。
「汚いぞ〜葵“ちゃん”」
彼は小学校の時から高校まで学校がずっと同じである男子、彼はこの少年を揶揄するようにいつもこう呼んでくる。クラスが同じになった時、学校が新しくなる度、その呼び方をされる事でそのパブリックイメージが付着して離れなくなる。
その言葉に対して高校生になってからの少年は視線を向ける事はない、自分からその呼ばれ方を認めたという事にされて笑われるから。
「きたない……」
通りすがりにそう声をかけた男子は、既に友人との談笑が優先されたのか何事もなかったかのように、周囲も過ぎていく。しばらくしてから、雀の上に葉を乗せてから少年もその流れと同じようにまた歩き始める。彼の中で反芻される先程の言葉。
──汚いという感想は不快感の言語化だろう、でもそんな感情を抱いた事だってすぐに忘れるんだろう?
──雀がいた事すら俺がここで見ていなかったら認識しなかったんだろう?それなのに、何であんな事言うんだろう
イヤホンを取り出してそれを耳にさす、しばらく外への思考を閉ざして、1人になる為に。
──身近な死じゃない限り、ただの変哲もない日々の中に紛れるんだ。俺がもし同じように死んだとしても当然明日は来るし、地球は回り続ける、何の影響力もなければ持つはずもない
──だけれど、俺が足を止めたからあの雀は馬鹿にされてしまった
──笑われて、忘れられて、通り過ぎられて、全部他人事にされる
だが、生きていても笑われ、高校を卒業して顔を合わせなくなったらそんな事も忘れられるであろうと考える少年はふと思う。
──俺はここで生きているんだろうか?
この年齢の、この地球の現代日本を生きる子供が考えるにしては些か壮大な思考とすら言えるかもしれないが、一度きりの人生を歩む生物の1人として少年は意味を考える。晴れない靄の意味と理由を。
雀に乗せられた葉に桜の花びらが重なる。
*
「ん……」
銀の少女、リンドはゆっくりと目蓋を開く。エレンの言い付けを守る為にも一旦葵と別れて食堂に残った後、机に突っ伏してそのまま寝ていたらしい。
「……今の夢」
普段接している様子と変わらない様でいて、夢の中の彼はどこか強い諦観にも似たものを抱いていた。アレが、ただのリンドが見た夢なのか、あるいは彼が所有者だからなのか。
彼の中に粒子として入ったりはしても、彼が何を思って生きているのかまでは知らなかった。そのせいなのだろうか、葵と呼ばれたの少年は紛れもなく葵ではあったのに、違う人の様に思えた。むしろ、彼女の目には景色が、地球が、現代日本が、懐かしく思えた。リンドが彼の目を通していたからそう思えたのだろうか?
「らしくないわ……感傷に浸るなんて、そんなの本人に聞けば分かる事じゃない」
しかし、そう口にしながらそれはしてはならない気がした、自分自身の無意識がやめておけと止めてくる。少なくとも今ではない気がした、それはいわゆる気遣いなのか、所有者の心身の安全が優先である身だからそう感じたのかもしれなければ、情?
「本当に、私らしくないわ」
首を振り、食堂の中を見渡す。山岳地帯で想定される事態や大河での立ち回りについて話し合う人々と、その中でふと見えた何やら慌てた様子で許可をもらった後に厨房に入っていく人影。
「……」
それを追う様にリンドも向かう、彼女は認知されていない相手にはぶつかるという概念すらない、許可を取る必要もない、幽霊の様に。
*
「ゔあぁぁああ……」
「だから言ったのに……」
「大丈夫ですか?」
辿り着いた先で見えた光景は葵が水の入ったグラスを片手に突っ伏している様子、そしてその周囲では呆れた様に額を押さえるライ、葵の肩を叩いて励ますクロエ。そして──
「あわわ……葵さんも作りに行くと聞いたから見に来てみたらやっぱり……」
それを見ながら手で目を覆うミアの姿があった。
「……何があったのかしら、アオイ」
「た、卵、ぷりん、作ろうとしてぇ」
「ぷりん?」
ゆで卵を作った後、まだもう少し1人で頑張ると意気込んだものの、卵の殻に穴を開けた後その隙間から砂糖と牛乳と粉ゼラチンを入れた。しかし、混ぜられていないまま蒸された材料達。ゆで卵と違って識別されきっていないこの作った物はしっかり葵自身が食べたが、その結果がこれである。
この世の物ではない味だとか、そうした物ではないからこそ、思ってたのと違う苦しみを味わっていた。しかも、これは卵の殻に入ったままの状態では食べられないからそれは皿に出す事になった、コンセプトの崩壊。
「こ、これ不味いとか、ヤバいとかじゃないんだ……致命的にこれじゃない!!」
「お〜哀れな食材、タキザワさんはこれに対してどう贖罪をするかが試されます」
「クソ寒いギャグを言うな風邪引くぞ。ともあれ、初心者は大人しく普通のプリンから始めたらよかったと思うんだよな〜俺は」
葵の様子から逆に気になったリンドは苦笑を浮かべるミアの横を通り過ぎ、食べかけのプリン(?)を口にする。
「…………な゛、な゛に、この、謎の粒々が無駄に存在感を放ちながら、混ざっていない砂糖のジャミジャミが波状攻撃で最悪の食感を披露しつつ、微妙に牛乳のまろやかさを放つ甘めなトロトロ卵!!なんか、なんか!これじゃない!!」
「そう、その通り!!これじゃないんだよ!!」
「アオイ!私嫌よ!私の記憶の中の初めてのプリンがこれなんて!!」
「ごめん!!日本人としてこんな辛い結末ないよ!!」
「こ、こいつ……そこまで壊滅的ではないけど美味しくはない食べ物のせいでその味を共有出来る幻を見てやがる……」
「限界になっておられますね」
エレンの言い付けを守る為に離れていたという経緯があるにも関わらず、あまりの事にそれを忘れてリンドと2人で苦しみを共にした。そうでもしなければ、これを完食しなければならない現実と戦えない気がした。
「あ、あの!滝沢さんがもしよろしければ、私がお手伝いしましょうか?」
故に、ミアのその申し出は葵にとって天啓だった。
「お願いします!!!」
「私の所有者として土下座はやめてくれない?」
その返事は早く、額を地面につけんばかりの勢いで見事な角度で土下座を披露していた。リンドとライは微妙に引いている。
「ミアさんならば任せて安心ですね」
「よく焼き菓子作ってるもんな、作んの趣味なんだっけ?」
「はい!なので、ちょっとだけ、ほんのちょっと自信あっちゃったりします!」
日頃から自分に対して自信を持っているというわけではない彼女が、珍しく胸を張っている。単純に人が作ってるところを見て作りたくなったのもあるが、新入りを前に自分の味を知ってもらいたいと言うのが大きいだろう。
「じゃあ、まず……何を作ろうとしていたんですか?プリンなのは存じているのですが」
「卵まるごとのプリン、殻を使ったやつなんだけど……」
開けた画鋲レベルの穴からちまちまと砂糖や粉ゼラチンや牛乳を注いでいた先程の自分を思い出す。それが正しいやり方と思ったわけではないが、それ以外思いつかなかったのだ。
「分かりました、お任せください!そもそもですね、卵の中でだけ完成させようとしなくて良いんです」
「え」
「卵の殻を器として用意して、中の卵とちゃんと分けたら良いんです。卵の殻の準備の手順を今から教えますね」
「う、うん」
「待ちなさい」
今になってクロエとライの前である事を思い出したからか、視線だけでリンドのその言葉に反応を示す。彼女もそれを理解しているからか、咎める様子はない。
「貴方の作ったそれ、寄越しなさい」
彼女の指すそれ、とは。甘くてザラザラした温玉もどきのプリン。そのやり取りに気付いたミアが一度咳払いを挟んで──
「その前に、葵さんの作った物を食べて良いですか?どんな風に作ったのか事前に知っていた方が良いかなって」
「え?あ、あぁ。でも、これすごく人に食べさせられない感じで、作った俺が食べないとなぁって思っていたんだけれど」
「私はそれが食べたい気分なの。まさか断るとは言わないわよね?」
「私は、それを食べて貴方の今の味を知りたいんです。断らないでほしいです」
周囲から見て違和感のない様に、ミアはリンドの言葉を彼女の言い方で読み上げていく。口を尖らせながら手を伸ばすリンドと、その隣に立って微笑みかけてくるミア、彼等の立ち位置から見た時にミアが受け取っているように見える様に。
「それなら、ど、どうぞ」
「ありがとう」
2人分の感謝の声が重なり、皿が手渡される。一方、クロエ達はその様子を見た後に同時にチラリと横目で互いに目配せをして。
「さてさて、片付けもしないとですね〜後の手順にボウルはいらないですし」
「俺も俺も〜」
突如として各々の作業にまた戻った2人に目を丸くしている葵。示し合わせたようなクロエとライのやり取りに目を細めるリンド、やる気満々で袖をまくる動作をするミア、ここの3人だけが一致していない。
「よーし!作りますよ〜!」
「おー!」
2人で拳を天に突き上げて、ようやく葵のプリン作りは本格的にスタートする事となった。
「……」
手元の白い皿にリンドの視線が落ちる、これは言わば試作でこれから出来上がる物が彼にとっては完成形だ。
「卵の殻はこれで乾くまでそっとしておいて、カラメルソースから作りましょうか。お砂糖とお水を用意してください。ちなみに、滝沢さんはカラメルの味は甘めと苦めのどちらが好きですか?」
「苦めかなぁ」
「じゃあ、そうしましょう」
卵の殻に視線を向けながら、ふと夢を思い出す。鳥の雛は自分から卵の殻を割って出てくる、食用として見ない卵は内から割る物が正しいのかもしれない。彼は、夢の彼はまだ割れていないように思えた、葵もそれは同じだ。
「こんな風に作れるんだぁ……」
「香りもしてきたでしょう?私が初めてチャレンジした時は焦がしてしまって、お鍋を洗うのが大変でした」
「うひぇっ、確かにそりゃ大変だね!」
だが、記憶の中の彼よりは今の様子の方が生き生きとしている、そんな彼を、いや2人を見ていると、安堵にも似た感情が心の中で熱を出す。
「あと、私の教えるプリンにはゼラチンを使いません、が……滝沢さんの記憶のプリンにゼラチン使いますか?」
「えーーと……多分、使ってない。プルプルに固めるならゼラチンかなってふんわり使ってた」
「ふふ、それならゼラチンを使うプリンもいずれ教えますね」
リンドは見守っていた、ただその様子を。
「……ふふ、美味しくない」
そして、同時に記憶の中で初めての食事を楽しんでいた。それが美味しいか否かではなく、彼の思い出の味に近付ける為に葵自身が作り出した食べ物。その味を今独り占めしている事に満足していた。
*
その後、完成した各々のプリンは食堂の中で振る舞われた。無論、全員分を彼等が用意出来るわけではなく、困り果てていたところ食堂の料理人達が協力してくれた。葵達が作った物以上に無論、料理慣れしている彼女達の作った物の方が完成度は上回る。
しかし、それは本題ではない。
「これが嬢ちゃんの味かい!?すげぇな!嬢ちゃんの祖国にはオレぁ行った事ないから気分は旅行だぜ!はっはっは!」
「どうもです、バーナードさんはメガホンいらずですね」
「これが前言ってたやつ?へぇ、美味しい!アタシ好みかも!」
「そそそ、これが母さんの味ってわけ。味わえよ〜」
「ゆーしゃ様が作ったやつこれ可愛いね!お気に入りって感じ!!」
「ああもう、そんなに急いで食べたらダメだよナーナ」
「ヤーヤは細かすぎるのん!」
「うわっ!!グレムが、笑ってる!!!」
「えぇ!?どこどこ!?」
「ちくしょう!もう元に戻ってる!!」
食堂の賑やかな声、元から食堂のメニューの中にプリン自体はあっただろうから物珍しいというわけではないのかもしれないけれど、故郷の味を話し合う機会を作る為のプリン。葵がここまでを考えて言ったわけではないけれど、結果的にこうなったらのが見ていて嬉しかった。ここにいる人達も同じ地球の人なんだとい思えるから。
「でも、どうしてあれだけの時間厨房を貸して下さったんですか?」
少し離れた場所で葵とこの光景を見ている50代後半ほどの女性、料理長のアマンダに思わず問いかける。
それこそグレムなどがそうだが、交代で休憩を取る人々は食事のタイミングはどうしても散る、その関係で食堂はいつでも油断ならず、多忙だ。その中で場所を借りた事に対して、微かな不安が彼にはあった。無論、杞憂だが。
「勇者さん、アンタもそうだけどね。皆地球人である事を忘れちゃいけない」
「はい」
「そして、どんなに身体が強くなっても、人間である事も忘れちゃいけない」
「俺も、すごくそう思います」
「でも、皆故郷が違う。わたしが知ってる食べ物も限界があるからね。だから、わたしも助かるんだよ、わたしは自分の国から出た事がないから皆の記憶の味っていう最高のレシピを知る事が出来るのがね」
「記憶の味……」
「アンタもさ、あのプリンは思い出の味なんだろう?」
「はい、姉が休みの日に気紛れに作ってくれたんです。父と姉が特にプリンが好きだったから、だから……お風呂上がりに食べようって」
それは1つ1つ文字をなぞるように言葉を紡いでいくのは、まだそれが鮮明に思い出せる事を自覚するように。あるいは、この時間がそれをふと思い出させてくれたのかもしれない。クロエ達と故郷の味の話をして、失敗したプリンをリンドと2人で共有して呻いて、ミアに教えてもらって、皆が食べていて、そんな光景に当たり前の中にいる自分が戻って来た気がした。
「そ。作るのも、食べるのも大事な記憶。その動作には必ず一緒に何かの思い出がついてくるからね。良い記憶も悪い記憶も、あの場所で生きた記憶さ。それに、今回は許可も出してたから、借りてしまったなんて思うんじゃないよ」
「──はい、ありがとうございます」
「ほら、元気な顔しな!アンタも楽しそうにしてたんだからさ!」
「み、見てたんですか!?」
「そりゃあ、厨房を爆破でもされたらたまったもんじゃないからねぇ」
「しませんよそんな事!多分……」
葵の背中を軽く叩いた後、豪快に笑いながらアマンダは船員達の方に去っていく。そして、ミアが入れ替わるように駆け寄ってきた、その一連を見ていたのか小さく笑いながら。
「お疲れ様です、滝沢さん」
「ミアの方こそ、ありがとう。お陰でちゃんとした物が作れたよ」
「どういたしまして。でも、滝沢さんがすごく真面目に聞いてくださったからですよ♪」
「そ、そうかな。ミアが教えるのが上手かったからだよ」
「でも、人に教えるのってやっぱり難しいなって。自分が作るだけだったらある程度適当でもよいですから」
「意外だなぁ、君はその辺りキッチリしてそうなイメージがあったから」
「そ、そんな事ないです!私結構大雑把なところあるので!」
「慌てる事ないって、俺も大雑把なところってあるし、いや、俺と一緒にしちゃ悪いよね!ご、ごめん!」
「ふふっ、いいえ。安心しました、自分だけが大雑把だったらちょっとだけ恥ずかしいので。お揃いなら平気です」
フォローを入れたつもりが、逆に気を遣わせたような気がする。その気恥ずかしさに僅かに視線を逸らすが──
「それは?」
その間に後ろ手に持っている物がミアに見つかってしまったのだった。むしろ、ずっと両腕を不自然に背の方に向けていたのだから、バレる可能性は十分にあっただろう。
「あ、え、えーっと……これは、お礼にと思って」
卵の殻に食紅でリボンの絵が描かれたプリンをミアに向けて差し出す。目を丸くして葵とそのプリンとで視線を交互に向け、少しの間の後にエッグスタンドに入ったそれを両の手で受け取る、大切に守るように。
「──ありがとうございます、大事に食べます」
微かに伏せられた瞳はその喜びを噛み締めるようだった。喜んでもらう為とはいえ、まさかここまで嬉しそうにしてもらえるとは思わず、視線を彷徨わせてしまう。不思議ではあるけれど、照れ臭くて、男子として思わずドキリとしてしまって。
「ところで、そのもう1つは?」
「あ、あぁ。これは──」
そこで言葉を止めた葵に小首を傾げるが、彼がミアの方とその後向けた視線の先を追って理解する。だから、ミアは葵を誘うように手を引いていく、そういう体の方が良いから。
壁際にもたれている銀の少女を挟んで2人は微笑む。突如として包囲されたリンドは左右の2人を順番に見て瞬きを繰り返していた。
「はい、君の分」
彼女の手に手に握らせたのはミアに渡した物と同じ。だが、彼女の卵の殻に描かれたリボンの色は赤、彼女の目の色と同じ色だった。
「……」
その殻を眺めた後、添えられたスプーンで一口分を口に含む。卵の優しい味と、強すぎない甘み、それを上にかけられたカラメルソースの苦味が合わさっていく。
「ん、ふふっ」
「ん?」
「美味しいわ、私の舌を納得させられるくらいにはね。でも……それ以上に」
初めての食事となった葵のプリン、2度目は葵の思い出の味に恐らく最も近い味のプリン。彼女はまだまだ彼を知らない、だけれど彼でなければならなかった、その理由が今はこれで納得して良い気がした。地球への興味へと手を引いてくれる人として。
「嬉しいわ、私の為に作ってくれて。ありがとう、この殻まで私の物にしちゃうんだからね」
「え、あぁっ、その、ええっと、うん。喜んでくれて、良かった」
「誇りなさい、私の所有者」
ミアに続いて思いのほか喜んでくれて、ここまで言われた葵の脳は爆破寸前だった。異性への贈り物は家族を除けばたったの1回、そもそも異性と接する機会は必要最低限以外は別になかった。そんな中でこれは、効果がありすぎる。耳まで赤くしながら数度頷くのが精一杯だった。
「ミア、お願いがあるの」
「は、はい!何でしょうか?」
「私にも、暇がある時で良いわ。料理を教えて」
「リンドさんに……」
彼女が邪神の側に近い存在と聞いた時に、思わず警戒を示してからはどう接するかに困っていた。それを謝りたいとも、謝るのも少し違うとも思えて、それでも出来る限り普通に接する事が出来ればとは考えていた。だから、彼女からのその申し出に少し心が軽くなる、それが自分からではない事に対して卑怯な気がしてしまい、罪悪感は覚えてしまうが。ともあれ──
「はい!喜んで!」
ミアにとってもそれを断る理由はなかった。
「ちょちょちょーい、タキザワさん我々デザート同盟を放置するつもりですか?」
「んで?ミアと2人でなぁに話してたんだぁ?えぇ?」
そんな中、現れた2人。葵の肩にライの腕が置かれ、ミアの肩にはクロエの腕が置かれた状態でデザート会議の主役達がこれで揃う。
「何って、そんな、特別なことは何も……」
「そうですよ!滝沢さんからこれを貰っただけで」
「ちょ、ミア!?」
「ほっほーん?面白い話が聞けそうだなぁ、勇者様のパパラッチにでもなるかな?」
「そいつぁ、おもしれーです。おばさーん、とりあえず生」
「未成年は飲むんじゃないよ!!」
一気に騒がしくなったが、耳を塞ぎたくなる騒ぎではなく、それを光景ごと受け入れたい騒ぎ。なんて事ない話をして、笑って、生きている実感を持てる時間。
「んで?俺等にはねぇの?」
「特別なのクロエちゃんも欲しいなーいいなー」
「た、滝沢さぁん……」
「アオイ、どうするつもりなのかしら?」
「んえぇ!?え、えぇっとぉ」
口ごもる葵のこめかみを指先でぐりぐりとしてくるクロエ、意地の悪い笑顔を浮かべて反応を伺うライ、慌てふためくミア、軽く口を尖らせるリンド。その狭間で困りながらも、葵はただ、子供みたいに笑っていた。
そうして、穏やかな休息の時が、流れていく。