第0話:その名は勇者
解放せよ、解放せよ、解放せよ、解放せよ、解放せよ!!
数多の魔物達の切断された遺体を焼き、生き物が焦げる臭いと鉄臭い香りが辺りに染まる中響き渡る高らかな声。その言葉は主観的に脱色され、その中にある物体のみが残された様に直接的な物に脳の中で変換されていた。
解放せよ!解放せよ!解放せよ!解放せよ!解放せよ!!解放せよ!!解放せよ!!解放せよ!!解放せよ!!解放せよ!!!
勢いは強まる、そこいる者も、存在していない者も、一様にその望みを抱き、それを言語化していた。だがそれは嘆きを雄叫びに変えたかの様に激しさを増していく。誰も彼もが極限の中の限界を迎えていたのだ。
それを変えられる者は1人しかいない。
「勇者様!!」「勇者様!!」
「勇者様!!」「勇者様!!」
そしていつしか雄叫びは彼等の前に姿を現した少年を呼ぶ声に変わる。炎の光に照らされ黄昏色に輝く黒い刀を片手に立つ勇者は呼びかけに応じる様に振り返る。
勇者と聞いて想像する様なマントも鎧も着けておらず、その勇者は黒い上下のブレザーを着用していた。だが、当のブレザーも返り血で赤黒く変色し、黒い長髪の先の方も同じ様に赤く染まっている、白い肌にも血の跡が目立ち、その中で色素の薄い青色の瞳が暗闇でも存在感を放っている。
この遺体の山を作ったのはこの勇者と呼ばれている少年だった。
「地球への帰り道までの距離はどれほどになったか」
勇者の問いかけは彼等に向けてというよりも自問自答に近かった、その距離を最も知っているのもまたその勇者なのだから。
「俺達の魂の旅路は決して短くないと言える時となった。未だ、皆の記憶はその手に残ているか?」
各々、その記憶を手繰り寄せる。
明日目が覚めても連続している景色としてではなく、それを思い出すという行為を介してでなければ地球での日々という物が記憶の中に存在出来なくなっている。それがどこまで非日常的で、異常であるかは誰もがまだ認識出来ていた。
その感覚すらも薄れてきた頃が、ここに居る地球の人類にとって本当に危険な状態と言えるだろう。だが、まだ辛うじて踏みとどまっている。
車の音も、冷房と暖房のある室温も、夜でも人の灯りがある事も、テレビの音や何気ない人の話し声も、食事を作る音と香り、その何もかも、何もかもがまだ記憶の中で五感を伴っている。
「仮に、その記憶を取り落とし、時にはその存在の欠片すら失われたとしても、恐れる事はない。俺がそれを超えて囚われた皆を救ってみせよう」
既にこの無力な人々の中に脱落者は少なからず出ていた、時には魔物に襲われ、時には自らをこの世界に捧げて。かつての隣人を亡くすこの状況下でも皆の胸に希望の光は満ちていた。
例えそこに血があり、傷があり、死があり、苦しみがあろうとも、それが必ず糧になると信じられる存在があるからだった。
「これは何度でも皆に伝える、この言葉が絵空事ではなく実現するものである事を皆に刻む為に。今日の嘆きも、これまでの苦しみも、それを全て笑い飛ばせてしまう結末を必ず俺が用意する。
皆の望む結末とは待つものではない、勇者である俺が勝ち取り、描くもの……笑え、皆。道は既に見えている」
そうして勇者は自分の髪を躊躇なく血と脂のついた刃で切り落とし、火の中に焚べる。
「信じて待て、信じて俺の背を見続けろ、俺は絶対に止まらない。夢の終わりは希望の始まり、その為に歩み続けよう。俺は勇者だ」
彼等はその言葉に湧き上がり、明日を生きる為の栄養を得たかの様に安堵の笑みと歓声を上げる。
当の勇者はそれを言い終えるとその場から少し離れ、目が痛くなるほどの極彩色の夜空を見上げた。
この世界は数多の正しくない物で出来ていた。
色のおかしい空、所々にあるテクスチャを貼り忘れた様な地面、歪な生き物、砂漠を出た先にある森林、ノイズのかかった二重の太陽、赤い月、折れたビルと西洋風の廃屋の混ざった世界、その中で星空だけは現実世界に即していた。
「……」
星の位置を確認すれば、薄く笑みを浮かべる。
「時間はまだある、俺の計画は必ず成功させるんだ。大丈夫──」
血に濡れた手を空に伸ばすのは、その空の先にある本当を得る為、掴む為の儀式的行為に近しい。
偽物の空よりもっと美しく、心地良く、気分屋なあの空の場所に帰る為に、帰らせる為に。
「だって、俺は勇者なんだから」
勇者に不可能などあってはならないのだから。
魂の解放者、例えそれが永遠であっても人々の為にその身を使い尽くす事を使命とした存在。
それは最早勇者という存在だった──