理由
聖女の軍勢が自滅して、五日が過ぎた。
降伏した敵兵の処遇や、近隣の地方領主に対して、こちらに付くように促す使者を送ったり、けが人の手当てや物資の補充と整理に、時間を費やしていた。
邪竜王の呪いは……今のところは大丈夫だ。
封呪の包帯で押さえられている。
とはいえ――
あの聖女とダルフォルネのことは、一刻も早く始末したい気持ちに変わりはない。
それに、ダルフォルネ陣営に聖女がいると知れ渡れば、そちらに付く貴族も出てきかねない。味方を増やして、軍を揃えている暇はない。
俺一人でも先行して、あの聖女を始末するか?
そう考えていたところに、偽聖女の公開処刑日時が報告された。
行方が明確ではなかったローゼリアの居場所も、同時に報告される。
「三日後か――」
俺が今すぐ動かせる兵士は、この砦の五百人だ。
敵の城を攻めるには、数が全然足りない。
そのことは敵側も、解っているだろう。
だとすると――
ソフィの処刑は、俺をおびき寄せる為のエサだったはずだ。しかし、その日程だとこちらの準備が到底間に合わない。
偽聖女の処刑自体に、敵の目的が変わったとみるべきか――
まあ、相手の思惑がどうだろうと、俺はそれを止める立場であることに変わりは無い。
ここから処刑場までは、馬を飛ばしても二日はかかる。
全軍で向かっていては、到底間に合わない。
騎馬隊だけを率いていくにしても、数が多ければそれだけ補給に時間を取られる。
加えて広場の処刑場には、大勢の民衆が集まることになる。
そんなところに騎馬隊で突っ込めば、どんなパニックになるかわからない。
邪竜王の呪いもあるしな――
あの黒い炎は、味方の近くでは出さない方が良いだろう。
俺一人で行って処刑を中止させ、ダルフォルネとローゼリアを討伐する。
やることは明確だが、細密な計画を立て実行する時間などない。
とにかく行って、状況を見てから何とかするしかない――
方針と呼ぶことが憚られるような、行き当たりばったりの計画を側近たちに伝えて、今後の指示を出してから旅の準備を整える。
それで一日を費やした。
処刑まで、残り二日。
――ギリギリ間に合うだろう。
俺は反対意見を押し切り、馬を走らせて処刑場を目指した。
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私は聖女の部下の人から渡された、でっかい本を抱えて前へと歩く。
この本は聖女が言うような神様から力を貰える本ではなく、悪魔を召喚する為の魔導書だということは、ディーから貰った力で、人の心を読める私には分かっている。
「困ったわ。どうすればいいのかしら?」
私を処刑する為に作られた舞台の、その最前列にある断頭台の真横で、私は悪魔を召喚する為の魔導書を抱えながら途方に暮れていた。
私の足元の、更に十メートルくらい下には――
私の首が飛ぶ様子を、見物しに来た人たちがひしめいている。
十万人くらいは、いるらしい。
聖女の人は、この人たちを殺せと言うし、ディーも人を沢山殺せる力を与えると言って私を唆す。
私は聖女ではなかったし、この国の皆も私のことを嫌っている。
冥界神の誘いを断る理由は、無いのだが――
私は人を……殺したいとは思わなかった。
では、どうしたいのかと言うと――
聖女が殺そうとしているこの人たちを、逃がしたいと思った。
それが私のやりたいことだった。
私は大声を出すのが得意ではないので、どれだけの人に届くか分からないけれど、私の警告を聞いた人が周りにも伝えてくれれば、みんな逃げてくれるだろう。
私は目の前の、なるべく多くの人に聞こえるように、祈りながら声を出す。
「あの、みなさん! 聖女はとっても嫌な人です。――ひどい悪口を、沢山言ってくる人なんです。悪者です。逃げて下さい!!」
私が喋り終えると、それまで喧騒に包まれていた広間はシン、と静まり返った。
ふぅ、言ってやったわ。
私の声がどれだけ届くのか不安だったけれど、みんなに聞こえたようだ。
あの聖女の人は、私のことを馬鹿にしていたけれど――
私だって、やるときはやるのだ。
私は大勢の人に向かってしゃべるのが苦手だ。
まだ心臓がドキドキしてしている。
こういうことは苦手なのだ。
だが、あの嫌なことを言ってくる人を、出し抜いてやったという達成感があった。
早くみんな自分の家に逃げてくれないかなと、思っていると――
私の呼びかけに対して、返ってきたのは罵詈雑言だった。
『死ね』とか、『早く殺されろ』とか、『聖女様を悪く言うな』とか、『詐欺師』だとかそんなことを沢山、言われた。
死ねと殺されろは、酷いと思う。
ただ、『意味の分からないことを言うな』と言われて、私はハッとなる。
確かに私は、肝心なことを言っていない。
私の訴えは、意味不明だったと思う。
伝えなければいけないことを、ちゃんと言えていなかった。
「聞いてください。聖女の人は、私に悪魔を召喚して、皆を殺せって言うんです。ですから、危ないので家に、帰って下さい!! それと国の偉い人に伝えて下さい。聖女はこの国に、加護を与える気は無いんです」
今度はちゃんと言えたと思うのだけれど、またしても返ってきたのは罵詈雑言だった。『何が悪魔だ』『悪魔はお前だろう』『聖女様を愚弄するな』『死ね』
ああ、そうだ。
私は昔から――
私は人と話すことや、何かを説明することが苦手なのだ。
私の言葉には、人を動かす力はない。
――どうしよう?
私はこの広間に集まった、怒り狂った人たちを見渡す。
そうか。
大切なのは――
人が求めているのは『力』なんだ。
作物を育てる力、魔物を防ぐ力、傷を癒す力。
聖女と言うのは、その力のことを言うのであって、心の持ちようではないのだ。
どんな悪辣な人間であっても、力があれば『聖女』であり、力が無ければ『偽聖女』になる。だから私は偽聖女で、この人たちは私を嫌っている。
そこまでは、理解できた。
でも、私は……
自分が嫌われているからと言って、人を殺したくはない。
なんでだろう?
私は小さなころからずっと、聖女教育を受けてきた。
それは結局、まったく無意味なものだったけれども――
怒りに任せて『沢山の人を殺す』選択をしてしまえば、ずっと人の幸せを祈ってきた自分のことを、これまでの自分を裏切ってしまうような――
そんな気がする。
だから私は、人を殺したくないのだ。
と、思う……。
たぶん……。
でもそれだとあの聖女は、私以外の人に悪魔を召喚させるだけだし――
だから、困っている。
冥界神の使いのディーによれば、私は心の奥底でこの人たちの死を望んでいるらしい。……そうかもしれない。
私は皆から褒められる、いい子ではない。
私の中に人を嫌ったりする気持ちは確かにある。
けれど私は……
私のこれまでの祈りを――
最後に残った、それだけは裏切りたくはないのだ。
だから――
聖女の人から、悪魔を召喚して民衆に罰を与えろと言われた時に、みんなを逃がさなければと思ったのだ。
聖女の人の心の声だって、私には聞こえていた。
だから、あの人の企みも知っている。
あいつはこの国に、加護を与える気などないことも知っている。
あいつの望みは、この国に住む人たちの苦しみだけだ。
国があるから、皆がちゃんと暮らしていける。
国が無くなれば、みんなの生活は成り立たなくなる。
あの聖女の人は、この国を滅ぼそうとしている。
この国の人たちを、不幸にしたいのだ。
私は――
そのことを皆に知らせたいのだが、知らせる方法が無い。
人を殺せる力をあげると言われても、受け取る理由はなく。
人を殺せと言われても、助けたいと思ってしまう。
やりたいことと言えば、聖女の企みをみんなに伝えて逃がしたいのだが、私にはその力はない。だから私は大観衆を前にして、途方に暮れていた。
この状況で、身動きが取れない。
私の思考は、堂々巡りをくり返す。
昔から、よく言われていた。
――お前は頭が悪い。
その通りだった。
とりあえず……
悪魔とやらを召喚して、聖女をやっつけて貰おうか?
これはいいアイデアに思えた。
長いトンネルからやっと、抜け出せたような思いがする。
私が魔導書から悪魔を召喚しようとすると――
『あー、そいつは止めときなさい。その悪魔じゃあ、あの聖女は倒せないのよ。相性が悪すぎるわ』
ディーからの制止が入る。
でも……だからと言って、他にやれることもない。
『んー、まあ、これまでずっと意味不明だったけれど、やっとあんたのことが理解できたわ』
ディーの説明は難しくて、私にちゃんと理解できたかは自信が無いが、こういうことらしい。
冥界神ハーデースが、話の通じない私とコミュニケーションを取るために、自分の体の一部から、ディーを作り出して使いに出した。
神様や精霊には、人間の心や思考が理解できない。
ディーが私と意思疎通が出来るように、私の精神と自分を繋げ、私の精神を写し取って自分の中に取り入れた。
それからずっと――
冥界神の巫女となり、その力で人を殺そうとしない私のことを、なんとか理解しようとしていたらしい。
私を説得する為に――
そして、さっきやっと、私の心を把握できたらしい。
こんな感じの説明を受けた。
『悪かったわね。願いというのは、押し付けるものではなかったわ。あんたが必要としない力を渡しても、意味が無いものね……お詫びと言ってはなんだけど――あんたの望みを、叶えてあげましょうか?』
「……えっ? いいの!!」
ディーからの申し出に、私は驚く。
『ええ。あんたは、この国を――助けてあげたいんでしょ?』
「う、うん!」
『あんたの心の中にあった――降り積もった雪が踏み固められたような、冷たく凍った怒りは本物だったけれど……あんたがバカみたいに祈り続けた――人の幸せを願う想い、他人を思いやる優しさも、それもまた、本物だったのね』
「あ、あの、じゃあ――本当に、この国を助けてくれるの?」
『まあ――ね。ただし、その代償として、あんたの存在の力。あんたの『記憶』や『心』『精神』といったモノを、私が喰らうわ。そのエネルギーを使って、この国がこのまま、破滅に向かって行かない様に、してあげることが出来るわ』
この国を救う代償として、私の記憶や心が無くなってしまうらしい。
それは死ぬのと変わりがない。
私のこれまでの人生は、どうしようもなく下らない、空っぽなものだった。
それでも、その記憶が無くなってしまうということは……恐ろしい。
私は恐怖を感じている。
でも、それでも――
私の心が、死ぬことで――
それでこの国に住む人たちが、この先を幸せに生きていけるのなら、ずっと祈り続けた私の想いが叶うのなら――
私がこの世に生まれた、生きてきた意味があったと言える。
私には――
ディーに指摘されたような、冥界神に目を付けられる、暗い感情も確かにある。
けれど、人の幸せを想う――
この気持だって……本物なのだ。
「わかったわ、ディー。それでこの国が、助かるのなら――」
『そう、わかってくれて嬉しいわ。ソフィ……』
初めてディーが、私の名前を呼んでくれた。
ちょっとだけ、嬉しいなと思った。
「わたしは、これから消えるのね?」
『…………ええ、でも……少しだけ、あなたの心を残してあげる……』
「……少しだけ?」
『そうよ。死ぬことに変わりは無いけれど、あの世には持って行けるわ――何を残したい?』
そんなのは、考えるまでもない。
『ええ、そうね。まあ、あんたは、それでしょうね』
ディーは呆れたように、苦笑いする。
『さんざん悩みまくって、それでも何にも決められないあんたが、それは即断するなんてね……』
今になって、恥ずかしさが込み上げてきた。
でも、後悔はない。
最後に――
私の存在には、ちゃんと意味があったんだ。
そう思い……少しだけ心が満たされてから、私の意識は薄れて消えた――




