聖女十字軍
ピレンゾルにいた頃――
故郷の田舎で燻っていた俺は、両親が持ってきた兵士募集のチラシを見て、即座に入隊を決めた。
なんでも聖女ローゼリア様が、兵士を集めているらしい。
兵士の給料は安かったが、俺が欲しいのは金じゃない。
俺が求めていたもの、それは名誉と名声だ。
田舎の村でどれだけ真面目に働いていも、俺の存在を知っている人間なんて数えるほどしかいない。ごく一握りだ。
いつか都会に出て、一旗揚げたい。
なにかデカい事をしたいと考えていたところに、兵士募集の知らせが舞い込んできた。
これはきっと、運命だ。
この村では、たまに出てくる魔物は皆で退治している。
俺も三年前から討伐に参加して、経験を積んでいる。
自分で言うのもなんだが、俺には戦いの才能がある。
軍隊に入って二、三か月も訓練すれば、すぐに一人前になれるだろう。
聖女様の軍に入って活躍して、功績を立てて――
この俺の存在を、世の中に知らしめてやるんだ。
そう決意した俺は――
生まれてから今までの、十八年を過ごした故郷を後にした。
「――また出てきたッ!」
「に、逃げろッ!!」
栄光の聖女十字軍に加わり異国の地に来た俺達は、初めての戦闘で全身を黒い鎧で覆った悪魔の化身と戦っている。
「う、うわぁぁっぁああああああ!!!!」
戦っているというか、一方的に虐殺されている。
そいつは気性の荒い獰猛な軍馬を操り、片腕で槍を振り回している。
全身を鎧で包んだ重さが優に百キロを超える人間を、軽々と弾き飛ばしている。
――嘘だろ。
初めてそれを見た時は、誰もがそう思った。
騎馬で城外に出てくる敵がいるのであれば、迎撃する為の武器がいる。
槍が部隊に支給された。
しかし、俺たちの攻撃など、奴の右手で持った剣で軽く払われてしまう。
片腕で剣を振り回して、そんなことが出来る奴に初めて会った。
ピレンゾル軍の正規兵で組織された精鋭部隊が、槍衾を構築し迎撃を試みたが――
後ろに回り込まれて、背後から襲われ陣形が崩壊してしまう。
後ろに回り込んだ敵に対して、槍衾を再構築する時間などあの悪魔はくれはしない。こちらが向きを変えて対応する前に、悪魔の牙は精鋭部隊を屠る。
問題は、敵が一騎だということだ。
敵が複数であれば――
集団行動には規律が必要になり、行動に時間もかかる。
もしくはこちらが少数なら、個別に対応すればいいが――
密集して陣形を組んだ集団が、敵の動きに合わせて、自分勝手に槍の向きを変えれば大惨事になる。
かといって個人であの悪魔に対抗できる強者など、聖女十字軍にはいない。
一人で千の軍隊を相手にすることが出来るなんて、反則ではないか――
そんな奴が、縦横無尽に戦場を駆け回っているのだ。
俺達には、どうしようもない。
悪魔がひとしきり暴れまわった後は、敵の騎馬隊が現れる。
これもいつも通りだ。
俺の友達も騎馬隊の突撃で、身体を槍で貫かれて戦死した。
聖女十字軍に入ってから、仲良くなった奴だった。
死んでしまえば、聖女様の奇跡『聖女の癒し』を以てしても復活は出来ない。
攻城戦では、何度も死にかけた。
ある時は敵の矢が俺の腕と太ももを貫き、ある時は上りかけの梯子を外されて落下し、ある時は落石が頭を直撃して気を失った。
熱湯をかけられて、のた打ち回ったこともあったか――
どれだけ傷を負って死にかけても、聖女様の癒しの奇跡で、嘘のように元通りの状態に回復することが出来る。
だが――
傷を負った時の痛みの記憶や、死にかけた恐怖が無くなるわけではない。
何度死ぬような目に遭っても、また戦場で戦わなければならない。
大怪我を負って死にかけた戦場に、戻らなければならない。
あの悪魔が現れる戦場に――
俺はまだ生きてはいるが、あの悪魔に殺されるのは時間の問題のような気がする。
――攻城戦が始まって十日目。
「もう、うんざりだ……」
そう思っていたのは俺だけではないようで、そんな呟きが部隊のあちこちから聞こえるようになった。
三日前くらいまでは――
そんなことを言おうものなら、『聖女様批判か?』といって詰め寄ってくる『呟き警察』が取り締まっていたのだが……正義感に溢れた彼らも、取り締まる元気が無いのか、それともすでに死んだのか……。
出て来なくなった。
「はぁ……」
思えば、この国に来たばかりの頃はよかった。
聖女様から直々に、略奪許可が下りていたからだ。
好きに食料を奪い、好きに女を犯し、抵抗する奴や反抗的な奴は見せしめに殺しててもお咎めなし、むしろ褒められる。
この国の腰抜け共は、聖女十字軍が道を通れば、逃げ出すか地面に這いつくばって許しと慈悲を請うしかできない。
聖女様を追放するという、大罪を犯した愚か者共だ。
罰を与えてやらなければならない。
俺たちが正義だ。
罪人を罰するのは、楽しかった。
この砦付近の村も、食料を略奪してから家に火をつけて燃やしてやった。
俺たちは、無敵だった。
正義の軍隊だ。
十字架を背負った愚民どもを罰する、聖女十字軍。
それが、なんだ?
どうして……こうなった?
なんで俺たちは、地獄で悪魔と戦っているんだ?
あの悪魔から、黒い炎が放たれた。
その炎は消えることなく、燃え続けた。
燃えている奴が、死ぬまでずっと。
仲間を助けようとした奴にも炎が燃え移って、そいつも死んだ。
燃えている奴は、見殺しにするしかない。
そんな時に――
聖女の癒しが発動した。
死にかけの奴らが、もう一度死に直さなければいけなくなった。
「もう、殺してくれ!!」
腕に覚えのある奴が、首を切り落として楽にしてやった。
この戦いを始めてから、十三日が経過した。
もう、限界だった。
何度も傷を負い、死にかけて、でも傷が治って死ねない。
悪魔が現れて、暴れ回るのを身を屈めてやり過ごす――
もう死にたいのか、死にたくないのか――
自分でも、分からない。
食料も、昨日底をついた。
もともと略奪前提で補給は考えておらず、計画的に食料を消費してこなかった。
腹が減った。
これからまた攻城戦か――
前へと進む、足が重い。
「……あれ?」
そもそも俺たちは、なんで戦っているんだっけ?
この戦いの、目的はなんだ?
聞かされていない。
ただ聖女様が、やれと言って――
「あいつは聖女なんかじゃない!!! 悪魔だッ!! 悪魔が結託して、俺たちを地獄に連れてきて、弄んでいるんだ!!!!!」
部隊の中の誰かが、突然大声で叫んだ。
俺たちは、戦場へと向かう足を止める。
――そうかもしれない、と思った。
俺たちは生まれ故郷を離れ異国の地に来て、何をしているんだ?
なぜこんな、無益な戦いに興じている?
死ぬことも許されずに、悪魔に蹂躙され怯え続けている。
――何故だ?
やっとわかった。
「あの女は、悪魔だったのか――」
騙されていたことに、ようやく気付いた俺たちは――




