68 死に戻り令嬢、罪に追いつかれる
「シャンタル嬢……?」
「ウォルトー公爵家の?」
「このめでたき日に一体何なのだ……?」
予期せぬ横やりの登場に、私だけでなく式場全体が戸惑った。
それもそうだわ、こうして婚約式が執り行われる以上は、私たちの結婚は正式に認められたものであり一貴族令嬢ごときが口出しする段階はとうに過ぎ去っている。
「シャンタル・ウォルトー様。アナタは王太子妃選びに最後までエントリーされていた一人でしたわよね? なのにご自分が差し置かれ、魔力などなかった私が代わりに選ばれたこと、さぞやご不満かと思います」
だからと言って、その不満を噴出する段階は明らかにここじゃないわ。
アナタは物申すならばもっと別のところですべきだった。こんな公の場で好き勝手に振舞っては、ご実家のウォルトー公爵家にまで迷惑が掛かりますわよ。
「フフッ、オホホホホホホホホホホ……!」
何?
いきなり笑い出すなんて淑女の振る舞いじゃなくてよ?
やっぱりこの人……不気味すぎるわ。
先日初邂逅を果たした時の、背筋をゾクゾクさせるような不気味さが今もって薄まらない。むしろ勢力を増している。
この人を目の前にするだけであまりの薄気味悪さに身が竦むわ。
そんな私の困惑もかまわず、いまだにシャンタル嬢は愉快気に肩を揺らし……。
「……勘違いなさっているわねエルトリーデ様。私は別に自分が王太子妃になりたくて物言いしているわけじゃありませんのよ」
「え?」
「恥ずかしながら我がウォルトー家は、公爵といってもそれこそ名ばかりの公爵家。いただいた領地は沼沢ばかりで農地には適しません。面積は同じでも上がる利益ではエルデンヴァルク公爵領の足元にも及ばない。だからこそ同じ公爵家でもウォルトー家はエルデンヴァルク家に逆立ちしようと敵わない」
そこは……彼女の言う通りだわ。
同じ爵位でもその勢力はけっして同格じゃない。
治める領地の豊かさ、擁する派閥の規模、重ねられてきた歴史の深さに、その時々の当主の手腕、さらには不動の頂点に在らせられる王家との距離。
それらの如何によって公爵も簡単に没落すれば、男爵が隆盛を誇ることだってある。
残念なことではあるがシャンタル嬢のウォルトー家は、それほど勢いのある公爵家ではなかった。
勢力で言えば、それこそファンソワーズ嬢のボヌクート侯爵家の方が隆盛を誇っている。
だからこそ前世での私は同格のシャンタル嬢をひとまず無視した。
王太子妃選びに絶対勝ち上ろうと、邪魔となる他の王太子妃候補を排除せんとした時シャンタル嬢はそれほど強固な障害になると思えなかったから。
本命と呼ばれていた四人の魔法令嬢のうち、一番眼中に入ってなかったと言っていい。
だから印象も薄かった。
彼女に比べれば、ファンソワーズ嬢やセリーヌ嬢の方がよっぽど危険な大本命でだからこそ一層目の敵にし……。
ファンソワーズ嬢は選定中の事故に見せかけて大怪我を負わせ、セリーヌ様に至っては暗殺を企てた。
それが私の、罪深い前世での話。
「だから私のことなど眼中にも入らなかったのでしょう? それよりも先にファンソワーズ様やセリーヌ様を蹴落とそうとした」
「!?」
思っていることをそのまま見抜かれて私は固まった。
「何を言っているの……!?」
「甚だしい言いがかりね。エルトリーデは私たちを助けることはあっても蹴落とそうとしたことなんて一度もない! 彼女はそんなせせこましい性根の持ち主じゃないわ!!」
婚約式に参列するセリーヌ嬢やファンソワーズ嬢も戸惑いや反論の声を上げる。
しかしシャンタル嬢は少しも臆することはない。
「あら私はしっかり事実を申し上げているだけですわよ。アナタたちが覚えていない事実を」
「何なのよこの子……!? 陛下、並びに王太子殿下に申し上げます!!」
一番アクティブなファンソワーズ嬢が真っ先に動いた。
「どうかシャンタル公爵令嬢に退出をお命じくださいませ! こんなにめでたき日だというのに、その喜びに水を差すシャンタル嬢は貴族令嬢にあるまじき行いですわ! この場に相応しくありません!」
「この場に誰よりも相応しくないのは……あの中心におられる方、エルトリーデ様ですわ」
私のことを指さす。
仮にも王太子の婚約者……未来の王妃を侮辱しているのよ。王族の権威を守るために反論しなければいけないのに……喉が凍って動かない。
何故って、彼女が言っていることは一旦すべてなかったことになったはずの……。
私の心の中にだけ残っている罪。
「ウォルトー家の御令嬢。いい加減にしてもらおう」
ついにキストハルト様がみずから口を開いた。
シャンタル嬢の家名の方であえて呼んだのは、彼女個人でなく家そのものに責任を負わせるぞという一種の脅しでもある。
「エルトリーデに罪など一切ない。功績ばかりがある。サザンランド地区を再整備し、王都の景観と住みよさを格段に上げた。そればかりでなくデスクローグ帝国の反動勢力が暴発した際には、覚醒したばかりの魔力をもってたった一人ではね返した。その働きはまさに救国と言える」
「そうだそうだ!」「自分が選ばれなかったからと言って、言われない中傷はやめろ!」
王太子の勘気に乗って周囲までシャンタル嬢を責め立てる。
それは紛れもなく彼女の自業自得なんだろうけれど、あまり気分のいいものではないわね。
大体の場合、ああいう集中口撃の矢面に立つのは私だったのだから。
「かつては大きな瑕疵とされた魔法が使えない問題も、今や完全に解消された。今の彼女は我が国史上唯一の闇魔法使い。その猛威は先の帝国反動勢力の鎮圧で証明済みだ。そんな彼女のどこが王太子妃に相応しくないという?」
キストハルト様からの追い打ちともいうべき
しかしシャンタル嬢は、そんな激流の中も余裕の顔つき。
「落ち着きくださいませ皆様。何も私を王太子妃に選び直せとは一言も言っておりません。新たに王太子妃となるエルトリーデ様の罪をつまびらかにしたい。ただそれだけでございますわ」
「だからその罪とはなんだ? 適当な出まかせで国は動かない、指摘するなら具体的に述べることだ」
「それでは、ご要望にお応えいたしたく思いますわ」
ここまで来てまだシャンタル嬢から余裕は消えない。
逆に、私の心からどんどん余裕がなくなっていく……!
「エルトリーデ公爵令嬢は、みずからが王太子妃とならんために様々な陰謀を巡らせました。ご自分に魔力がないというハンデを補うために計略したことは、ライバルとなりえる高位の魔法令嬢たちを陰謀にはめ、破滅に追い込んでいきました」
「はあ?」
「フワンゼ伯爵令嬢のアデリーナ様は、想い人がいることを突き止め、不逞の用に仕立て上げ修道院送り、ファンソワーズ侯爵令嬢は選定中の事故に見せかけ再起不能の大怪我を負わせました。そしてセリーヌ辺境伯令嬢は暗殺未遂……。すべてにおいて許されることではありません」
「話にならんな。キミは妄想の世界にでも生きているのか?」
キストハルト様は、全身でもって呆れを示す。
「そして妄想と現実の区別もついていないのか? キミの主張したことどれ一つとっても、実際に起きたこととは正反対だ」
「そうです! エルトリーデ様は私と陥れてなんかいません! むしろ私が心から想っている人と結ばれるために知恵を絞っていただいたのです! 私たちが結ばれたのはエルトリーデ様のお陰! 私を使って私の恩人を侮辱するなど絶対に許しませんわ!!」
便乗するようにアデリーナ嬢が激する。
さらに彼女だけでなく……。
「私が再起不能の大怪我? バカを言うわね、だったら今こうしてピンピンしている私は何者よ? たしかに怪我するようなピンチはあったけど、それを防いだのは他ならぬエルトリーデよ、自分の身を盾にしてね。それが彼女の陰謀と言うならマヌケにもほどがあるわ!」
「暗殺未遂ですか……。それはデスクローグ帝国の反動勢力が起こしたことを言っているのかもしれませんが。阻止のために動いてくれたのはエルトリーデ様。登場人物の把握もできないようでは、いくら妄想がお得意としても脚本家には向きませんわね」
ファンソワーズ嬢もセリーヌ嬢も歯に衣着せぬ勢いで反論する。
皆怒っている。それは自分たちが悪く言われたからではなく、私に対する言われない中傷のために?
でも本当は、その中傷は言われないものじゃない……。
「……そうですね、エルトリーデ様のもっとも大きな罪は、それらのことではない」
シャンタル嬢が、それでも余裕を崩さない。
「それらの罪を全部なかったことにした。それがエルトリーデ嬢のもっとも大きな罪と言えますわね」
「本当に何を言ってるんだ彼女は……?」
キストハルト様は、もう付き合っていられないとばかりに手を上げる。
それに呼応して何人もの近衛騎士たちがバタバタと入場し、シャンタル嬢を取り囲んだ。
「ウォルトー家の御令嬢に退出いただけ。多少手荒になってもかまわん。オレとエルトリーデにとって記念すべき喜ばしい日を何とも不快にさせてくれたものだな。このことはウォルトー公爵にも正式に伝えておこう、“叱責”という形でな」
キストハルト様、相当怒ってらっしゃるわね。
怒気が周囲にまで伝わり、まったく関係ないはずの参列者まで恐怖に震えているわ。
しかし肝心の怒気を向けられる当人は涼やかな顔で……。
「ねえエルトリーデ様、アナタはどう思われるのかしら? 時間を戻し、みずからの起こした罪と罰すべてをなかったことにしてやり直す人生は、楽しかった?」
やっぱり彼女は知っている。
私だけが知っていると思っていた、死に戻りのことを知っている……!
「おい、どうしたエルトリーデ? 凄い汗だぞエルトリーデ?」
「闇の精霊はとんだお節介者ですわよね? 己の引き起こした邪悪をすべて時の逆行に消し去れても、すべては消しきれません。アナタの罪を覚えている者が、こうして糾弾にやってきましたわよ」
「もうキミは黙れ! 何をしている近衛! 早くアイツをつまみ出せ!」
喋ろうとしているのに上手く口が動かない……!
そうこうしているうちに王太子に叱責に慌てた近衛騎士たちがシャンタル嬢に肩を掴む。
「失礼をレディ、王太子殿下の命令なれば……!」
「お仕事、ご苦労様でございます。でも私まだ退場するわけにはいきませんの」
「……ッ? うわ……ッ!?」
近衛騎士たちが……、水に飲まれた?
なんで婚約式の会場である屋内に、人を覆い尽くすほどの水が!?
「しばらく大人しくしていてくださいましね。でもその間に呼吸が止まるかもしれませんけど」





