64 死に戻り令嬢、溺愛される
私は命令のまま王城へと上がり、そしてキストハルト様の下へ拝謁した。
そして至福に包まれていた。
「んッ、んッ、んあ……」
唇の表面に、キストハルト様の暖かさを感じていた。
抱きしめられながらキス、至福の時間。
「あああッ、キストハルト様、愛していますッ。ああ……ッ」
一旦唇が離れる。
視界にあるのは、真っ直ぐに見つめてくるキストハルト様のお顔。
信じられないほどの至近距離で、恥ずかしくて目を逸らそうとするがキストハルト様が離してくれない。
「恥じらう顔も美しい。エルトリーデ、もっとオレを好きだといっておくれ……!」
「好きですキストハルト様……! 好き、好き、ああああああああ……!」
体中に流れ込んでくる多幸感。
プカプカとした浮遊感に全身が委ねられ、自分が、愛する人の思い通りになってしまったことを告げる。
「ああキストハルト様……」
「キミはこんなにもオレを受け入れてくれるのに、オレの妃になることだけはダメなんだな」
「……ダメです」
抱き合いながら私は、再び彼からの口づけを何の抵抗もなく受け入れる。
「むちゅ……うぅ」
いいえ、むしろ私の方からキストハルト様の唇を求めて貪っている。
貴族令嬢にあるまじきはしたなさだわ。
最初の数回こそ、キストハルト様の求めにしたがって政務のお手伝いをしていたが、そのうちにこんなことをする関係になってしまった。
だってしょうがないじゃない。
執務室は、重要機密を扱うということで人の出入りなどほとんどない。
厳重な密室で男女二人きりなのよ。
しかも互いに思い合っていれば、イチャイチャしてしまうのは自然の流れ。水が低きに向かっていくようなものだわ。
「なあエルトリーデ、何故ここまで来て拒む? 本当に結婚するのが嫌なら、こうしてオレとキスすることも拒むはずだ」
「私はアナタに、心を捧げることを拒否しました。だからそれ以外なら何でもアナタに捧げると決めたのです」
能力も、財産も、知識も、そしてこの体も。
だからこの身がキストハルト様の慰めになるなら、私は喜んで差し出すわ。
熱い口づけが終わって、その名残を楽しむように私はキストハルト様に抱き着く。
何て逞しい肉体。
王太子であるキストハルト様はそれに相応しい玉体であろうとしっかり鍛えてらっしゃるのね。
何ていい気持ち……。
愛する人と抱き合うだけでこんなに気持ちいいなんて知らなかった。
「好き……キストハルト様、好き……」
「そこまでオレのことを想ってくれているのに、心はオレに捧げてくれないんだな。こうやって密室で二人きりだというのに、城の者はきっと中でこうしていることに感づいているぞ」
もっと過激な妄想をしているかもしれませんわ。
「こうなった以上オレに嫁ぐ以外、貴族令嬢としてのキミに未来はない。ふしだらな噂が立っただけでも貴族令嬢としては致命的だ」
そうね。
王城には多くの使用人がいることだし、婚姻を経ずして私が王太子の御手付きになったことは程なく知れ渡ることでしょう。
王侯は私生活まで公になるんだから大変ね。
ともかく私たちがこうしてキスし合っているのも秘密にはなりえないんだから、このまま私がキストハルト様の下から去れば、他の殿方の目に留まるなんてありえない。
貞操を信頼できない女なんて貴族の妻として論外だし、ましていずれ国王となる人の御手付きなんて危なっかしくて迎えられるわけがない。
「お気遣いなく、元々私はキストハルト様以外に嫁ぐつもりはありませんから」
実際に、この愛を確かめ合う行為を経験してしまったらなおさら……。
これをキストハルト様以外の殿方とする気にはなれない。
「修道女にでもなるか、商売でも初めて独立するか……。どちらにしろ一生独身を貫きますわ」
「だったらなおさらオレの妻でもいいじゃないか。どうしてそこまで、一番真っ直ぐな道を拒むんだ?」
そうよね、キストハルト様にはわけがわからないわよね。
想いを伝えられて、唇まで捧げられてなお肝心の婚姻は拒否されるって。
ごめんなさい。
私自身の問題にキストハルト様を振り回して。
でもやはり私では、王太子妃にしなる資格はないから。
『アナタは何を恐れているの?』。屋敷でセリーヌ嬢から投げかけられた言葉がふいに甦った。
「……」
キストハルト様がどこかくたびれた表情をしながら……。
「いいさ、時間はたっぷりある。どんなにキミが拒んでも、いずれ心もオレの手に入れてみせる」
「過分な望みは破滅へと繋がりますよ」
「言うほど大それた願望だとは思っていない。誰もが人生の途上で得る連れ添いの心が欲しいだけだ。……それはそれとして……」
キストハルト様は一旦ベッドを出てから、すぐに戻ってきた。
何かを手に持って。
「……その書類は?」
「キミは、オレの政務を手伝ってくれるために登城したんだろう? キミが可愛すぎて後回しになってしまったが……」
そうだったわ!
……だってキストハルト様あんなに物欲しげな視線を送ってくるんだもの。
私だって我慢の限度があるわ。
「フリード殿からの私信だ。……そういう形での、デスクローグ帝国からスピリナル王国への親書だな」
フリード皇太子は、先日我が国へと訪問くださった隣国の王子。
未来の国主同士としてキストハルト様との友誼も深まったようだけれど……。
「内容は、先日我が領土を侵そうとした反逆者の仕置についてだ。帝国首脳部は穏便に事を治めたかったようだが軍を動かされたからな。さすがに完璧にはなかったことにできない」
そうですわよね。
万単位の目撃者がいますし、まして被害を受けたのは国外の私たち。
いかに帝国が強大でもすべてのもみ消しは不可能よね。
「首謀者であるフリード殿の叔父……皇弟という立場だが、正式に罰することに決まったようだ。一時は病気にして人知れず抹消する案も出たそうだが、それではオレたちへの義理が立たないとな」
「あくまで帝国内の反乱分子が引き起こした事故。帝国が総出でケンカを売りに来たわけではないと内外に証明したいのですね」
「そういうこと」
ということは皇弟さんに待ち受ける未来は相当暗いわね。
全部をなかったことにされて病気療養という名の幽閉処分となれば、自由はなくても生活は保障されて、飢えることも凍えることもとりあえず自然死するまでなかったでしょうに。
でも国によって公式に罪人と認定されれば違うでしょうね。
皇籍……はまだ持っているのかしら? どちらにしろ戦犯と見做されれば貴族位ごと没収となるでしょうし、もみ消し処理ならば残されていたであろう貴種としてのプライドは踏みにじられることになる。
そのあとはより過酷な監獄なり獄門島なりに収監され、より苦しみに満ちた余生が約束される。
あるいはそんな苦痛と屈辱に塗れるならと、死を選択する自由ぐらいは許されるかも。
どちらにしてもみずからの欲望に駆り立てられて国難を招いたのだから、当然の報いと言える。
かつての私がそうだったように。
「帝国側は、これをもって決着としたいようだ。だがこの件は帝国だけで決着を定めることができない。何しろ被害者は我々なんだから」
「だからまずキストハルト様個人にお伺いが向かったということなんですね?」
正式に国同士の通信で確認をとれば後戻りできなくなる。
我々王国側に不満があった場合、益々こじれる可能性があるものね。
「エルトリーデ、キミの意見が聞きたい。どう思う?」
「どう思うって……?」
基本的にはこれでいいんじゃないかしら。
これを好機と帝国の力を削ぎたいならさらにゴネて賠償金または領土の割譲を迫るなんてこともできるけど、それは最終的に帝国と敵倒して滅ぼしてしまおうという意志がある時に使うべき手段よ。
でも現状、スピリナル王国は帝国と良好な関係を結びたい方向で進んでいる。
ならば寛大に許して恩を売った方が、総体的に有益だろうとは思うけれど……。
「彼の国にはいずれセリーヌ様が嫁ぎ皇妃となられますわ。強固な繋がりの生まれる隣国との諍いの種は可能な限り除くべきかと……」
……あっ、そうだわ。
「賠償という名目で、セリーヌ様とフリード皇太子のご結婚を、帝国自体に確約させては? あの御二人が帝国の頂点に定まることは、我が国にとって確実によいことです。既に決定事項になっているかもしれませんが、ここはより確実をきすと同時に、あの二人が借りに思うような事実を積み上げておくべきですわ」
「それもそうだな。フリード殿もセリーヌ嬢も、借りを借りと思うだけの良識を備えている。そういう相手に作る借りこそ真に価値があるだろう」
「これから魔法を失う我が国は、一時的な弱体化を余儀なくされます。その苦難を乗り切るためにも頼るべき隣人を作っておかねば……」
そこまで言って私は言葉を詰まらせた。
キストハルト様の暗い視線に気づいたから。
……そうよね、魔法消失を前提に話をするのは、私がキストハルト様と結婚しないことを前提に進める話でもあるから。
それは彼にとって面白くない話でもあるわよね。





