59 死に戻り令嬢、喜びと苦しみを告白する
キストハルト様に引っ張られてやってきたのは、砦内にある一室だった。
内装も豪華で間取りも広く、やんごとない御方が使うための客室といったところ。
さすが最前線といえども王族は豪華なところに寝泊まりするのね……ではなく。
こんな密室に連れてきてキストハルト様はどういうつもりなの?
私たち二人以外に誰もいないし?
「あの……キストハルト様? いいのですか戦後処理が……!?」
「大したことはない。どうせ死者ゼロの勝ちいくさだ。他の戦闘よりは遥かに片付けやすかろうから部下とフリード殿に任せておけばいい」
そうですか。
「そんなことよりも今はキミのことだ」
彼の鋭い視線が私を刺す。
相変わらず太陽のように眩しい目線だわ。眩しいから目を逸らしてしまう。
「闇の魔力……あんな前代未聞の超魔法を、何故今まで黙っていたんだ? 目覚めたのは最近と言っていたが、正確にはいつ頃なんだ?」
「『グレムリンの森』で無意識に使ったのが最初かと……」
「無意識?」
「魔法が当たった時、反射的に暗黒物質でガードしていたようです。思いのほか軽傷だったのはそのためかと……」
「なんということだ」
キストハルト様はソファに座り込む。
その様子が崩れ去るかのようで、よっぽど脱力したのかと思える。
「そんなに以前から? 何故もっと早く言ってくれなかった? 異形の属性とは言え魔法は魔法。このことがわかっていればもっと父たちの説得も容易かったろうに……!」
「あのッ、でもここまで自在に操れるようになったのはついさっきのことですわ!」「ついさっき?」
「先ほども言いました通り、闇魔法の発動条件は特殊です」
闇は、光に照らされることで初めて自分を定義できる。
光の御子に愛されることで初めて闇の巫女は力を発揮される。
「キストハルト様は、繰り返し私に愛を囁いてくださいました。その心が届いて私は、自分自身に封じられていた力を解き放つことができたのです」
「そうだ、私はキミのことを愛している」
そんなにハッキリ言われても……!
でも、それだけではまだ足りない。愛とは一方的に注がれるものではないんだと思う。
注ぎ返して初めて愛情は成立するんだと……。
「王都でキストハルト様の出立を見送ったあと、様々ありまして……気づいてしまったのです。私もキストハルト様を愛していると……。ずっとずっと以前から愛していると……」
改めて言うと顔から火が出るようだわ……!
キストハルト様も突然のことで呆けた表情になっている。
「そうしたら瞬間、私の中で闇魔法のすべてが思うがままに動くようになりました。それ以前までは、むしろ意識的に発動させることなどほぼ不可能だったのです。だからその時点で主張してもホラとしか受け止められなかったのでしょう」
キストハルト様をお助けできる力を得た、とわかった。
その瞬間私はあの御方の下へ駆け出して行った。
闇魔法を使いこなせれば移動だって簡単。
暗黒物質は様々な性質を備えていて空間だって超越する。
一旦自分の身体を暗黒物質に飲み込ませてから、歪ませた空間のトンネルを通れば、遥かに離れた地点にでもワープすることができる。
それで一瞬のうちに国境まで移動し、あとは戦況を注意深く見守っていた。
キストハルト様の独力で退けられるならそれもよし。もしあの御方が傷つくような可能性がわずかでも出たら……。
「それであのタイミングで出てきたのか……!」
私の話を聞き終わると、キストハルト様は感極まった表情になる。
そして私のことを抱きしめてきた。
「ひゃッ!?」
最前線であるためにキストハルト様は鎧をまとっていらっしゃったが、冷たいはずの金属鎧からも何故か人肌のぬくもりが伝わってきた。
錯覚?
「……嬉しいよ、キミがそんな力に目覚めてまでオレのことを助けに来てくれたなんて。これで国難は……いや、オレたちの前にあるすべての問題が消えてなくなる!」
「え?」
「だってそうじゃないか! 父や母は執拗にキミとの結婚を反対してきた。政略結婚の申し込みには厄介払いとばかりにキミのことを他国へ売り払おうとした。それもこれもすべてはあの人たちが魔法以外に価値を見出さないからだ!」
キストハルト様のご両親……。
国王陛下と王妃陛下のことよね。
たしかにここ最近、バチバチやり合っていると噂に上っていたけれど。
「しかしエルトリーデが魔法を使えるなら、もう文句は言わせない! いや言い出しようがないんだ!! 散々『魔法の使えない女を王太子妃にできん』などとほざいてきたからには、その条件を満たしたエルトリーデはもはや非の打ち所がない! 反対意見など完全封殺できる!!」
浮かれて言い放つキストハルト様に、私は僅かな胸の痛みを覚えた。
古傷がうずく……といった程度の。
「……あ、いや、魔法が使えまいとエルトリーデが素晴らしい女性であることに変わりないがな。あくまでオレたちの恋路の障害が消え去ったというのが嬉しいのであって。……何より、キミの気持ちが聞けたことが嬉しい」
私の手を握るキストハルト様。
「やっと言ってくれたな」
「はい?」
「言っただろう、オレのことを愛していると」
「はい……!」
そう、言ってしまった。
ついには本人の前で。
私の胸に秘められた想い……自分でも気づくことなく奥底に閉じ込められてきた、前世越しの想い。
ずっと秘めたままなかったことにしておきたかったのに、あのセリーヌ嬢の生で掘り返されてしまったわ。
自分が幸せ絶頂だからって……お節介を……!
「……キストハルト様、お慕いしております」
自分自身で確認するように唱える。
「ずっと、ずっと以前から好きでした。キストハルト様と添い遂げることを何度夢見たことでしょう。でもそれはあってはならない、許されないことなのです」
「何を言う! 魔法のことを言っているのだろうが、今やキミも立派な魔法使いだ! しかも国内の同年代の令嬢より遥かに優れた! たった一人で軍隊を制圧できるほどの魔法など、他に誰も使えない!」
闇魔法は本当に最強ですからね。
「これまで魔法魔法と散々ゴネてきた連中を黙らせるには充分だ! さあエルトリーデ、二人で王都に帰ろう、ともに凱旋しようじゃないか! そして国王へ起きたままのことを報告し、その場で結婚の許可をもぎ取る! そうしてオレたちは晴れて夫婦だ!!」
「キストハルト様の妻になれる……なんて素敵なことなのかしら」
今なら素直に言える。
目を背けてきた気持ちと向き合えば、受け入れるのはスンナリだったわね。
前の人生から望み続けてきた。
私が王太子妃の座を望んできたのは、私を嘲る者たちを目にもの見せてやりたくて。
そしてこの素晴らしい男性に愛してもらいたくて。
今その願いが現実になっている。
前世越しのとっくに諦めきったはずの願いが叶って、こんなにも嬉しいなんて。
「嬉しい……キストハルト様、私これ以上嬉しいことはありません」
「そうか……オレも嬉しい。キミが受け入れてくれて。キミはオレのことを嫌っているかもと思っていたから……」
「そんなことはありません。私はずっと昔からアナタのことを愛しています。アナタを嫌うなんてあるはずがありません」
アナタこそ、私にとって希望。
この世の正しいことや美しいことをすべて敷き詰めたようなもの。
光そのもの。
だからこそ……。
「だからこそ私は、アナタの妻にはなれません」
「は?」
キストハルト様の表情が急変する。
「何を言いだすんだエルトリーデ? オレのことを愛してくれてるんだろう?」
「はい、アナタのことを愛しています。同時に私は、アナタに愛される資格を持ちません」
「資格? どういう意味だ? 資格なら充分以上にあるだろう。キミは公爵令嬢で、知識豊かで礼儀も正しい。美しくもある! その上に魔法まで使えたら完全無欠の……!?」
「そういう問題ではありません。私はもっとも重要なところが王太子妃失格なのです」
私は罪を犯した。
罪を犯す人間は心が醜い。輝かしい場所に立ってはいけないほどに。
「私は、キストハルト様を愛していることに気づいてしまいました。もう気づかないフリをすることはできません。愛するアナタが幸せになるならどんなことでもしてみせます。死ぬことだって怖くない」
そして同時に私は幸せになる資格を失った人間でもある。
幸せになるべき人間と、幸せになる資格を失った人間は一緒にはいられない。
「キストハルト様は、アナタに相応しい女性と幸せになるべきです。私は、それを陰ながらお助けいたします。アナタが幸せになってくれることが、私に許された最後の幸せなのですから」
「何を言ってるんだ? わからない、キミの言っていることがまったくわからないぞエルトリーデ……!!」
キストハルト様の声が震えていた。手も震えていた。
「オレの幸せを願ってくれるならオレと結婚してくれ。キミと一緒じゃなければオレはちっとも幸せじゃない……!」
「そんなことありません。キストハルト様は素晴らしい男性ですもの。本当に人生を共有すべき素晴らしい女性がすぐに現れますわ」
そしてアナタたちが築き上げる新しい御世を、あらゆる手段を使って支え、守っていくこと。
それが私に許された幸せであり、同時に償いででもある。
「それに私は知っているのです。……愛する人から拒絶される絶望を」
「?」
「あの苦しみを知ってしまったら、もう恐ろしくて人を愛することなどできませんわ」
キストハルト様の身体から離れて、距離をとる。
私がその中に納まるには暖かくて甘美すぎるわ。
「先に王都へ戻ります。キストハルト様、どうか幾久しく健やかに」
暗黒物質が我が身を包み込み、周囲の空間と完全に分断する。
そして私は別の空間へと飛んだ。
キストハルト様だけを残して。





