57 死に戻り令嬢、戦場を闇で覆う
私はキストハルト様を愛している。
わかっていたのよ。
わかっていてずっと目を逸らし続けてきた。
私が前世から王太子妃を望み続けてきたのは、魔法を使えない私が見下され続けてきたのを反転させるため。
それはそれとして王太子キストハルト様の、輝かしくて颯爽たるお人柄に憧れ、惹かれていった。
私だって女ですもの。
あれほど素晴らしい男性と結婚できると思えば胸が高鳴るわ。
しかしあの御方は、心底から私を唾棄し、そして拒否した。
あれほどの悪事を働いて王太子妃選びを引っ掻き回せば当然ね。
そこまでが前世の話。
時間が撒き戻って新たに出会い直しても、『自分は相応しくない』『キストハルト様に近づく資格はない』と無意識に忌避していた。
そうそれは『自分を殺した相手』という苦手意識ではなく『愛していたのに拒絶された相手』だから苦手だった。
好意を拒絶されることはとても辛いことだから、もう二度とそんな苦痛を味わいたくなかったのよ。
近づいたら愛してしまう。
愛したら拒絶される、拒絶されたら痛くて苦しい。
そんな悪循環から逃れるためにキストハルト様から遠ざかろうとしていた。
でも……。
闇の精霊からヴィジョンを見せられたあの日から、私の中で得も言えわれぬ力が脈動しているのを感じる。
脈動がどんどん大きくなっていく。
これがもしや魔力なの?
今までずっと渇望してきた魔力……それも闇の魔力?
そんなことを今になって戸惑うぐらい、私は今日まで魔力とはまったく無縁で生きてきたってことよね。
闇の精霊は言っていた。
――『光の御子に愛されることで初めて闇の魔力は発現する』と。
光なくして闇はない。
光に照らされて闇は初めてその存在を定義される。
では、キストハルト様は私を愛してくれているということ。
キストハルト様の愛に照らされて、私は力を得たと?
……ダメよ、信じられないわ。
あの方が私を愛してくれるなんてありえない。愛して拒絶されるなんて耐えられない苦しみは一度で充分なのよ。
でも私は気づいてしまった。
気づかぬように必死に目を逸らし続けていたのに、あの苦手なセリーヌ嬢のせいで本当の気持ちに気づいてしまった。
私は、キストハルト様が好き。
そのことがわかってしまったなら、私のすることは一つしかない。
たとえ愛されなくても。
拒絶されても。
愛する人が無事でいられるならば私はそのためにすべてを尽くす。
だから私は戦場にやってきた。
◆
「なんだ……!? なんだあの女は!?」
目の前には、やたらヒヒのような顔つきをした中年男性が狼狽えていた。
あれがホロベス将軍ね?
スピリナル王国とキストハルト様に危害を加えんとする悪者。
でもこの国に私以外の悪役はお呼びでないのよ。
この覚醒した闇魔法でご退場願いましょうか。
「あの女の足元から溢れ出ている黒いのは何だ?」
「モヤ? いやススか? それにしては濃すぎるし……重すぎる?」
「まるで真っ黒な霧じゃないか。あんなものがこの世に存在するのか?」
兵士たちも突然現れた私の姿に戸惑っているわね。
そして私が発生させている正体不明のものにも。
「わからないものに戸惑うなんて、魔法王国スピリナルに挑む覚悟が足りないんじゃなくて?」
「!?」
魔法とは人知を超えたもの。
超越せしものに挑むからには、今まで見たこともないものでいちいち驚いていては身がもたないわよ。
「ええい怯むな! 黒い霧がなんだ!? あんなもの虚仮脅しにすぎん!」
あら、中には剛毅な人もおられるみたいね。
と、思ったら褒める価値もない諸悪の根源の将軍様ね。
「あんな小娘などかまうな! どうせ非力で何もできん! 無視して指示通り、城壁に砲弾を撃ち込め!!」
絶叫めいた命令に従い、兵士さんたちが並べた大砲に弾を込め、火をつける。
「照準など定める必要はない! 片っ端から撃ちまくれ!」
悪いけれどそれは許さないわ。
あの大砲が発射され、砲弾が届けばキストハルト様に危険が及ぶ。あの方が大事になさっているこの国も傷つく。
それは私が許さない。
彼らが言う『黒い霧』は私の意思一つで自由に動き、天空へ向けて大きく伸び上がった。
さながら新たなる城壁のように。
「何だと!?」
アナタたちが『黒い霧』と呼んでいるのは暗黒物質の集合体よ。
私が闇魔法で創造した魔法物質。砂よりも小さい真っ黒の粒が何万何億何兆と寄り集まっているものが『黒い霧』の正体。
私の意思で自在に動く暗黒物質は、私が念じれば無限に数を増やし、またすぐさま消え去る。
だから敵軍の顔前に、全大砲の射線を遮るだけの長大な暗黒物質の壁を作り出すことも容易い。
「そんな薄い幕で砲弾を遮れるものか!!」
さあどうかしら。
暗黒物質の壁に着弾した砲弾は、そのまま貫通もせずかといって爆散もせず……。
ちょうど砂に落ちた石のようにズボッという感覚で暗黒物質にめり込み、そして勢いのすべてを失った。
「何ッ!?」
暗黒物質は、あらゆるエネルギーを吸収してしまう。
魔力はもちろん、速度も、重さも、熱量も……。
そして物質自体も飲み込んでしまう。
止まった砲弾は、底なし沼に沈むように暗黒物質に飲み込まれ、そして完全に姿を消した。
すべてを飲み込むもの、それが闇。
「大砲が効かない……!?」
「そんなバカな!?」
さすがに度肝を抜いてくれたようね。
生まれて初めて自分の魔法を披露した甲斐があるわ。
「ええい怯むなバカ者ども! 魔法など使っている本人を叩けば消え去るわ!!」
その中でもまだまだ諦めの悪い人がいる。
将軍ね。
「銃士隊かまえ! あの小娘をハチの巣にしてしまえ!!」
「しかし、相手は非武装の民間人……しかも女性ですぞ!」
「何が民間人だ!? あんなわけのわからぬ力を使う者はバケモノだ! 怪物だ! ささと殺してしまえ!!」
失礼ねレディに対して。
でも無駄よ。
大砲の砲弾すら止めた私の暗黒物質を、銃弾ごときが貫けるとでも?
兵士の戸惑いと共に放たれた銃弾は、私を包むように渦巻いた暗黒物質に容易く止められた。
大砲の時の再現だわ。
「あわわわわ……!?」
「効かない!? 大砲も銃も!?」
さてこれで気は済んだかしら。
やることをやり終えたなら、今度はこっちが行動する番よ。
暗黒物質、私の大切な人たちが住むスピリナル王国を汚さんとした愚か者たちに報いをくれてやりなさい。
さらに肥大化する暗黒物質が、津波のごとくなって攻めかける人々に覆いかぶさっていく。
「まさかッ!?」
「ひぃいいいッ!? 助けてくれぇえええッッ!?」
「退却! 退却ぅうううううううッッ!」
今さら逃げようとしても遅いわ。
暗黒物質は今や、アナタたちの布陣を丸ごと覆い尽くすほどの大質量でアナタたちを飲み込んでいく。
走って津波から逃げることは無理なように。
アナタたちも暗黒物質から逃げ切ることは不可能なの。
多くの人々が逃げ惑う中で、たった一人だけ逃げようとはせず、呆然と立ち尽くす人がいた。
今回の元凶たるホロベス将軍……。
「そんな……我が帝国軍が……敗れるのか……? 魔法などという、古臭い、カビの生えた……何の意味もない技術に……?」
「違うわ」
アナタが敗れたのは、平和に暮らす他国に踏み入って、人の幸せを壊そうとしたからよ。
道理を弁えない悪は滅びる。
アナタはアナタの選択の誤りによって敗北したのよ。
かつての私のようにね。
「違う! 帝国軍は最強なのだ! 世界を征服すべき至高の軍隊だ! 帝国は! 帝国は! 帝国は私は! 正しいのだぁあああああああああッッ!!」
最後までエゴを撒き散らしながら、将軍は暗黒物質に飲み込まれて消えていった。
自分が正しいと思うなら、そう思い続けていなさい。
でも現実は、アナタの妄想に付き合ってあげるほど優しくはないのよ。





