56 王太子、闇に遭う
オレは王太子キストハルト。
今なお戦場では、皇太子フリードと皇弟ホロベス将軍との舌戦が繰り広げられている。
「ふ、フリードよ……! 何か勘違いしているようだな?」
ホロベス将軍の裏返った声が虚しく戦場に響く。
「我らは叔父と甥の関係ではないか。そして同国の軍属同士でもある! ここは力を合わせて敵国スピリナル王国を滅ぼそうではないか!!」
「スピリナル王国は同盟国だ。その関係を結ぶためにわざわざ皇太子であるこの私が訪問した。この大切な国事の真っただ中に、邪魔だてするかのごとき進軍行為。内乱罪……いや外患罪を適用してもよさそうな事例かな?」
将軍だけでなく、後ろにいる兵士たちにもわかりやすく動揺が広がった。
全軍が将軍の思惑を理解した上で賛同しているわけではないのだろう。
わけがわからずとも上官の命令にはとりあえず従わねばならない。一般兵の悲哀だな。
「予測しているとは思うが、もう既に私から父上への急使は放たれた。叔父上アナタの凶行はほどなく皇帝へと伝わるだろう。そうなればアナタは間違いなく破滅だ。帝国第五軍の勇士たちは、地獄までアナタに付き合ってくれるかな?」
これは将軍ではなく、その後ろにいる兵士たちへ向かられた揺さぶりの言葉だろう。
もはや決行に至った以上、あの将軍に後戻りはない。
反逆の罪で処刑されるか、はたまたスピリナル王国を落として国際的非難を集中させて帝国に腹を括らせるか。
のるかそるかの二つに一つしかない。
しかし彼につき従う兵士たちはそうではない。
彼らは何も知らないまま将軍の暴挙に乗せられた。巻き込まれた可能性が大。
その点考慮に入れられれば情状酌量が叶い、罰せられるにしても極めて軽い罰則で済む。
そのあと正式に今の立場に復帰することも無茶な願いではあるまい。
しかし今、こうして皇太子みずからの口で指摘された今、これ以上将軍の命令に従うことはみずからの意思で帝国に反逆したと取られる。
最悪の結果となった時、将軍の巻き添えで地獄行きだ。
それを受け入れる覚悟はあるのか?
兵士たちの動揺が、城壁の上から見下ろすオレにまで丸わかりだった。
「待て! 落ち着け皆の者! 誇りある帝国兵士が、これぐらいで動揺して恥ずかしくないのか!?」
将軍も、兵士たちの動揺を抑えようと必死だ。
みずから語りかけてこのように自軍を揺さぶられるなど思いもしなかったのか。
さらに追い打ちをかける皇太子。
「叔父上アナタがどう思っているかは読めているぞ。大方、私が生きていて計算違いだと思っているんだろう?」
「なッ!?」
「いきなり奇襲をかけてきた国の皇太子が懐にいるのだ。普通ならば殺してしまえとなるよな? アナタもそれに期待した。私が死ねば皇太子の席は空白となり、その分アナタに近づく。……私にはまだ弟が二人いるから迂遠な話ではあるがな」
つまりあの皇弟は、スピリナル王国を攻めることで自国を侵略国家へと変えると同時に、自分が皇帝となる可能性を上げようと……!?
「しかし残念だったな。この国は……いや、この国を背負って立とうとする若き未来の支配者は、アナタが思っているよりずっと賢明だ。アナタの卑しい思惑など即座に見抜き、私を殺すどころか共に戦う協力者として迎えてくれた。この国はまだ、帝国を信じてくれている」
それってもしやオレのこと?
公に言われると照れますが……!
「さすればこの皇太子フリードも、信頼に応えて最期まで戦うのみだ。叔父上……いや反逆者ホロベスよ。スピリナル王国に侵入したくば、この私の屍を乗り越えててからだと心得よ!」
「ぬが……ッ!?」
大きく効いたな。
あの将軍個人でなく敵全軍に。
敵といえども彼らは帝国軍の兵士。それが次期皇帝たる皇太子に刃を向けるなど生半可な覚悟では行えない。
しかも皇太子が国を蝕む無能であるばまだしも、フリード殿は有能だ。
「おのれ愚かな甥よ……! 所詮お前も、あの腰抜け兄上の息子にすぎんか……!」
地の底から響くがごとき怨嗟のこもった声がする。
「そもそもが間違いだったのだ! あのような惰弱な兄が皇帝になるなど! お陰で我が帝国は戦いを放棄し、堕落してしまった! このままでは帝国自体が惰弱となってしまう! それを食い止めるために私が立ち上がったのではないか! 真の帝国の魂を持つ私が!!」
「帝国は度重なる外征で疲弊しきっていた。父上が方針転換を図ったからこそ帝国は生き永らえたのだ。あのまま戦いを続けていたら、今頃内側から瓦解していたことだろう!!」
「そんなことは臆病者どもの言い訳だ! 私が証明してみせる! この世界は常に強者が勝つようにできている! 戦えばそれだけで栄光を手にすることができるのだ! 強者が戦いをやめるなど愚かな行為でしかないとな!!」
将軍が手を上げて合図すると、ズドドド……とけたたましい音を上げて何かが敵陣から進み出てくる。
しかも複数。
黒光りする鉄の塊だった。
「あれは!?」
見覚えがあるぞ。
大砲というヤツだ。
皇太子がデモンストレーションで見せた、もっとも高い威力を放つ近代兵器。
「アレがあんなにたくさん……! 十門? いや二十門はあるぞ!?」
マズい。
今までの銃撃は『晦まし魔法』で何とか無効にできていたが、あの大砲まで無効化できるだろうか?
何故なら……!
「ふははははははッ! この大砲なら、今お前たちが立っている城壁を撃ち砕くことも造作ない! そして標的が城壁ならうざったい目くらましも無意味だ! こんなデカい的、目を瞑って撃っても当たるのだからな!」
そういうことだ。
そして城壁がなくなれば戦いは自動的に城攻めから野戦へと切り替わる。
ならば数の多い敵側が圧倒的有利。
「王都攻めまで取っておくつもりだった大砲をこんなに早く使わせるとは、なるほど想定よりは歯応えがあったわスピリナル王国! 滅亡後は『偉大なる帝国をほんの少しだけ手こずらせた国』と歴史に記しておいてやろう!」
「ですが将軍……よろしいのですか? あちらには皇太子様が……!?」
「煩い! 黙って言うことを聞け! 命令不服従罪で処刑されたいか!?」
皇太子の演説で心揺さぶられた兵士たちだが、まだ将軍に逆らうほどの覚悟ができていない。
「我が帝国は、軍事国家として軍規を徹底している。それが仇となるとは……!」
あまりにも厳しすぎる軍規のせいで、明らかに間違っているとわかる上官の命令にも逆らえないのか。
融通の利かない。
こうなったら……!
「魔法騎士団の最精鋭を城門前に集めろ! オレも今から合流する!」
「どうするつもりだキストハルト殿!」
フリード皇太子がオレのあとに続く。
オレはもう城門へ向かって城壁にある階段を駆け下り中だった。
「こちらから打って出る! 大砲で城壁を崩される前に敵陣へ突撃し、あの将軍を討つのだ!」
結局この騒動の首謀者はあのホロベス将軍。
ソイツを討ち取れば、それだけですべてが終わる可能性が高い。
フリード皇太子が充分に一般兵の心を揺さぶってくれたのだ。暴走した上官さえいなくなれば恭順するだろう。
「最前列に出ている今こそがチャンスだ。最速で駆け抜けて矢のごとく敵陣に突き刺さり、元凶の首を斬る」
「危険ではないか? それよりも撤退するという手もあるが?」
皇太子が諭すように言う。
「叔父上は、王都攻略に使うつもりだった大砲をここで使ってきた。つまりヤツらの手札を浪費させることに成功したんだ! 国境を突破してもヤツらの戦いは終わりじゃない。王都まで達しなければ意味がない。しかし切り札を使ってしまったからには王都攻略は決め手を欠いたものになるだろう。ここ以上の長期戦が予想される!」
時間は我々の味方。
最初にそう言っていた。
我がスピリナル王国とて国境だけが防衛戦じゃない。王都に至るまで数々の砦が点在し、王都自体も大きな城壁に囲まれている。
初戦の負けには甘んじても最終的な勝利を掴め、ということだ。
しかしオレは許容できない。
「国境を突破されればヤツらは国内に侵入する、さすれば我が国民たちはヤツらに蹂躙されることとなろう」
「それは……!」
「オレにはそれが許せない! 危険な賭けになろうと、ここでオレが元凶を討ち取ってみせる! そうすれば我が民に危険はない!」
実際のところ、ここで突撃して将軍を討ちとれるかは五分五分だろう。
失敗すれば命はない。
しかし所詮オレは王太子、オレが死んでこの国は倒れることはない業腹ながら王たる父上さえいてくれれば。
失敗するにしても、相応の打撃をヤツらに与えることができるだろう。半死半生で王都に到達しても攻め落とすにはさらなる手間暇がかかるはず。
その間に皇帝陛下とやらが動いてくれたらこちらの勝利。
もちろん突撃に成功すれば我が国は無傷で危機を回避できる。
どっちにしても悪い目ではない。
「……わかった。では私も突撃隊に加えてくれ」
「フリード殿!?」
「叔父上は銃士隊を出して迎撃してくるだろう。それを打ち破るため私側の銃士隊も突撃しながら援護射撃させる。貴殿らは叔父上の首だけに集中して突き進め!!」
「……恩に着る」
皇太子の助力のお陰で、作戦成功の確率が増す。
死にはせぬ。帰ってエルトリーデを完堕ちさせなければいけないのだから。
危機を乗り越えたオレは益々魅力を増して、エルトリーデを惚れ直させることだろう。
さあいくぞ!
城門を開け放ち、敵陣目掛けて駆け抜けようとしたところ……!?
「……なんだ!?」
ビックリして立ち止まった。
門の外は、真っ黒で溢れかえっていた。
すべてを塗りつぶすような黒。……これは闇?
しかも溢れ出す暗黒の中心に立っているのは間違いない。
オレの愛するエルトリーデではないか!?
王都で待っているはずの彼女が何故ここに!?





